白い犬   作:一条 秋

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 タイトルの如く、今回は光秋の復帰についてのエピソードとなります。
 では、どうぞ!


19 復帰の前

 8月1日日曜日午後7時半。

 灰色のTシャツに迷彩柄の長ズボンを着た光秋は、赤いTシャツに黄色い半ズボンを着た綾と共に、食べ終わった食器を盆に載せている。

 と、光秋の手が不意に止まる。

「そうだ綾。僕、明日ちょっと出かけてくる」

「どうしたの?」

「この間のタッパ、そろそろ返してきたいし、目の定期検査もそろそろ行った方がいいしな。ついでに散髪もしてくる」

言いながら、放っておけば耳が隠れる程に伸びた髪を撫でながら言う。

「あたしも行っちゃダメ?」

「行ってもどうせ、僕のこと待ってるだけだぞ?それならさ、家のこと頼むよ」―支部に近づけるわけにもいかんしな―

「……わかった」

「悪いな。この間買った本でも読んで待っててよ」

「うん…………」

 

 午後8時。

 洗い物を済ませた光秋は、自室の居間に1人で座り込み、左耳に携帯電話を当てる。

「……あ、上杉さん?加藤です」

(あぁ、なんだ?)

「明日、目の検査を頼みたいんですが?」

(あぁ、いつものやつな。了解。いつ頃だ?)

「10時頃お願いします」

(10時な。わかった。待ってるぜ)

「お願いします」

 

 8月2日月曜日早朝。

 迷彩柄の帽子を被り、白地に赤、青、黄、緑のチェック柄が描かれた半袖のワイシャツに緑の長ズボン、白の靴下、灰色の靴を着、右肩に灰色のカバンを斜め掛けした光秋は、綾と光秋の家がある敷地から出るとタクシーを拾い、ESO京都支部へ向かう。

 9時半に支部の正門の前に着くと、光秋はまず本舎の食堂へ向かい、

「おにぎりごちそうさまでした」

と、礼をしてタッパを返し、その後玄関前の長椅子に腰を下ろして時間を潰すと、数珠が巻かれた左手首の腕時計で9時50分になったのを確認し、医療棟の上杉の診察室へ向かう。

 医療棟に入るとすぐに、帽子を脱いでカバンに仕舞う。

 時間通りに着くとカバンを置いて椅子に座り、上杉からいつもの手順で目の診察を受ける。

「…………よーし!今回も特に異常なし」

上杉は光秋の額に当てている左手を離しながら言う。

「薬も、いつも通りか?」

「はい。3種類1本ずつで」

「了解」

言うと上杉は椅子を回して光秋に左肩を向けると、机の上のカルテに書き込みをする。

「では。ありがとうございました」

 言うと光秋は床に置いていたカバンを右肩に掛け、真後ろにあるドアへ向かう。

「おう。お大事にー」

 

 医療棟1階の受付で会計と目薬の受け取りを済ませると、光秋はカバンから取り出した帽子を被りながら外に出、正門をくぐって最寄りの床屋へ向かう。

 床屋に着くと、頭全体を1センチ、両の揉み上げを根元から切ってもらい、顔の毛も剃ってもらうと、すっきりした気分になる。

 会計を済ませて外に出ると、

「…………!」

光秋は左側から向かってくるタクシーを見つけ、それを止めて乗り込み、綾が待つ家へ帰る。

 

 敷地の手前でタクシーを降りると、光秋は歩いて家へ向かう。

 綾の部屋の前に着くと、ドアを2回ノックし、

「ただいまぁ」

と言いながらドアを開ける。

 が、

「……?」

綾の返事はなく、サンダルを脱いで居間に来ても誰もいない。

「綾ぁー?」

と、光秋がカバンを下ろしながら呼んでみると、

「あ!こっちこっち!」

と、光秋の部屋の方から綾の声を聞く。

「?」

光秋は下ろしたカバンを持ってサンダルを履いて小走りで玄関を出ると、右隣の自分の部屋のドアを開ける。

 と、

「おかえりなさい」

白いTシャツに薄黄色の長ズボンを着た綾が、居間のテーブルに食事の準備をしている手を休めて顔を光秋に振り向けて出迎えてくれる。

「ただいま…………なにやってんだ?」

光秋はドアを閉めながら、少し驚いた顔で尋ねる。

「少し前にそろそろアキが帰ってくるような気がして、お昼作ってなかったから、冷蔵庫の中探したらこれが」

と、綾はテーブルの中央に置かれた金ざるに盛られたうどんに目をやる。

―確かに、帰ってきてから作ろうと思ってたから、なにもしてこなかったが…………―

思いながら光秋は、居間の隅にカバンを置き、左手から時計と数珠を外し、右の脚ポケットから財布を出して、それらをカバンに仕舞い、帽子も取って仕舞う。

「…………箱の説明を見て作ったのか?」

カバンから取り出した目薬を冷蔵庫に仕舞いながら、なにげなく問う。

 と、

「え?……」

今度は綾が驚いた顔を向ける。

「…………そう言えば、何でだろう?説明なんて読んでないのに…………」

「読んでない?」

「うん。冷蔵庫の中探してたら、これならできそうって思って、あとは……特に意識しないで…………」

言いながら綾は、顔を下に向ける。

―僕は教えてない…………こんなことを根拠にするものどうかと思うが、伊部二尉の記憶が戻ってきてるのか?…………―

光秋は束の間、そんなことを考えてみる。

 が、

「まぁいいや。作ってくれてありがとう。食べよう」

「……そうだね。後で考えよう」

2人はそう言うと、光秋は廊下側から見て左側に、綾は右側に腰を下ろす。

「「いただきます」」

言うと光秋は合わせた手を解いて右手に箸を持ち、一掴み分のうどんを綾が用意してくれたつゆに浸けて口にすする。

―…………うまいな。味も、技術も…………―

 

 8月3日火曜日午後8時。

 食事と入浴を終えた光秋は青チェックのパジャマに着替え、自室で1人壁にもたれてくつろいでいる。

 と、

「……!」

上着の左胸のポケットに入れてある携帯電話が振動し、取って開いてみると竹田二尉からである。

「はい?」

左手に持った電話を左耳に当てて言う。

(あ、加藤?オレだけど)

「なにか?」

(明日さぁ、ちょっと出て来てくれねぇか?ニコイチ付きで)

「?……突然どうしたんです?」

(この間の騒ぎの鎮圧で、実戦部隊に予想以上の怪我人が出てさぁ、瓦礫の片付けの人手が足りなくて思う様に進まねぇんだ。だから明日さぁ)

「それはわかりましたが、ニコイチは使用停止のはずじゃあ?」

(緊急措置だよ、緊急措置。藤原三佐が支部長に進言して、支部長が上層部に働きかけたんだ。上もこの間の戦闘報告を観て、もう停止令を解いても大丈夫だと思ったみたいでさぁ、その前の事前チェックってことで、許可が出たらしい)

「…………わかりました。それで、いつ、どこに行けば?」

(9時半に、支部に来てくれ。そこで詳しい説明をする)

―支部か……となると、制服を着て行った方がいいな。早めに出て寮に寄るか―「了解です。9時半に支部ですね」

(あぁ。よろしくな)

「はい」

 光秋は電話を切るとそれを胸ポケットに入れ、玄関でサンダルを履いて外に出、綾の部屋のドアをノックする。

「綾、入るぞ」

中に入って居間に進むと、赤チェックのパジャマを着た綾が、光秋から見て右側に置いてあるベッドに仰向けになっているのを見る。

「突然だが、明日出かけることになった」

「なに?」

上体を起こした綾が、光秋の方を見て訊く。

「この間の騒ぎの後片付け、人手が足りないから来てくれって。だから明日早いし、帰って来る時間もわからんから、食事はこの前みたに適当に作って済ませてくれ」

「仕事?」

「そういうことになるな」

「……わかった」

「ごめんな。早めに帰れるようにはする」

「うん」

「じゃあ、明日早いんで、お休み」

言うと光秋は振り返り、玄関へ向かう。

「お休み」

綾の返事がその後を追う。

 サンダルを履き、光秋は外に出る。と、

―……あのまま、抱いておけばよかったか?―

そんな考えが頭に浮かぶ。

 が、次にはその考えをフンッと鼻で笑う。

―バカなこと言ってないで早く寝ろ!……そうだな―

断じると、光秋はそそくさと自室に戻る。

 

 8月4日水曜日。

 6時に起床した光秋は、赤紫と白の縦縞柄の半袖シャツと茶色い長ズボンに着替えると、朝食と身なり等の出かけ支度を済ませ、白い靴下を履き、7時半に灰色のカバンを右肩に斜め掛けし、黒いスニーカー靴を履いて部屋を出る。

―……まだ寝てるだろうし……―「いいか」

と、綾の部屋のドアに向けていた顔を前に向け、敷地の外へ向かって歩き出す。

 敷地から出ると、少し歩いてタクシーを拾い、寮の手前の大通りで降りる。細い路地を少し歩くと、久々の職員寮が目に入る。

 自室のドアの前に立つと、左の腰ポケットから鍵を取り出し、ドアのカギを開けて中に入る。

 1カ月の間閉めっぱなしで出てきた部屋は少し埃っぽく、湿気を含んでいる。

 カバンを下ろした光秋は、換気として居間の大窓を開けると、押し入れを開けてそこに仕舞ってあるESOの緑の制服に着替える。携帯電話、財布、カプセル、鍵をそれぞれ、上着の左ポケット、右ポケット、左の内ポケット、ズボンの左の腰ポケットに入れ替えると、数珠が巻かれた左手首の腕時計を見る。

―8時50分……―「まだ余裕だな」

 言うと光秋は両腕を大きく回して深呼吸すると、脚を肩幅に開いて右腕を腰に引き、左腕を前に出して突きの姿勢をとる。朝の軽運動習慣の1つである。

―今日はとりあえず、これだけ―

と、15本の突きの素振りを済ませると、赤い背もたれの椅子に腰を下ろす。

―やっぱりこれやると、気合いが入るな―

 しばらく椅子に腰かけてリラックスすると、光秋は再び腕時計に目をやる。

―9時15分…………そろそろ……―「行くかね」

言うと椅子から立って大窓を閉め、カバンを右肩に斜め掛けし、机の上に置いていた制帽を被り、玄関に置いてある制靴を履いて外に出、ドアに鍵を掛けて支部へ向かう。

 

 5分程歩くと、光秋は支部の正門をくぐり、塀を背に本舎前の駐車場を見回す。

―支部に来るようにしか聞いてないからな……その先を訊くべきだった…………―

 と、

「加藤ぉ!」

「……!」

呼ばれて光秋は辺りを見回すと、本舎の正面玄関から駆け足で自分の許へ近づいてくる制服姿の竹田を見つける。

 竹田は光秋の前で止まると、少し呼吸を荒げる。

「悪い!来る部屋を言わなかったな!」

「いえ……あ!おはようございます」

光秋は低く礼をする。

「……あぁ!おはよう。とにかく、ウチの隊の待機室に来てくれ。そこで今日の説明する」

「了解です」

言うと光秋は、竹田に続いて本舎へ向かう。

 

 最寄りのエレベーターで地下1階に下り、待機室の方へ進むと、光秋は竹田に続いて部屋に入る。

「おはようございます」

光秋が礼をして入ると、

「「!」」

室内の椅子に腰かけていた制服を着た藤原三佐と小田一尉が、立ち上がって光秋に寄り添って出迎えてくれる。

「加藤!よく来たな!」

藤原が光秋の両肩に足の様に大きな手を置いて言う。

「突然ですまんが、復帰の前準備と思って頑張ってくれ!」

「いえ。どうせ暇してたんです。構わず使ってください」

「ウム!」

光秋が応じると、藤原は深く頷いて両手を光秋の肩から離す。

 と、光秋の左前に立つ小田が、

「これで伊部が戻れば、藤原隊としても完全復活なんだがな」

と、苦笑いをして言う。

「「!……」」

光秋と竹田に一瞬緊張が走るが、すぐに立ち直った竹田が、

「まぁ小田一尉、その話はまた後で……そうそう!作業の説明始めましょうよ!」

と、藤原と小田を急かす。

「そうだな」

藤原が応じると、4人はそれぞれ椅子に座り、藤原から瓦礫の撤去作業の説明を受ける。

 作業の説明を終えると、光秋は全員に支給された手拭いを首に掛ける。

 駐車場に出てニコイチを出現させると、スポーツドリンクが入ったクーラーボックスをコクピットの左側に積み込み、ヘルメットを被った竹田をコクピットの右側に相乗りさせ、同じくヘルメットを被った藤原を右手に、小田を左手に掴み、一定高度まで上昇して藤原隊の担当地区へ向かう。

 

 大小の瓦礫が散乱する現場に着くと、光秋はニコイチの左膝を着いて藤原と小田を地面に下ろし、竹田を下ろすためにハッチを開けて操縦席を機外に出す。

 と、

「やっぱ暑っちいなぁ……」

と、竹田がぼやく。

 同時に、上空に上り切った太陽の焼かれる様な熱さを感じる。

 竹田はハッチの上に進み出ると、ニコイチの足元に待機している藤原と小田を見て言う。

「三佐ぁ!今日も上着脱いで作業しましょうよぉ!」

「だから、制服の着崩しは禁止だと言ってるだろう!昨日は流石の猛暑に許可したが、そう何度も…………」

言いながら、藤原は首に掛けてある手拭いで額の汗を拭う。

 と、藤原の右隣に立つ小田が、

「三佐。竹田の言う通り、今日も脱いで作業しましょうよ。熱中症なんか起こされて、ただでさえ少ない人手が余計少なくなったら困ります」

と進言すると、藤原は若干渋い顔をしながらも、

「そうか?……まぁ、それは……そうか…………よし!上着は脱いでいい!」

と、ハッチの上の竹田を見て言う。

「了解!……やれやれ…………」

 と、竹田は光秋の許に上着を脱ぎながら歩み寄り、

「加藤、預かっててくれ」

「了解です」

と、脱いだ上着を丸めて光秋の膝の上に置き、両手でクーラーボックスを持ってハッチの上に進み出る。立ち止まってボックスを置いた竹田は、ワイシャツの上のボタンを3つ程外し、両袖を肘までまくり上げる。

 光秋はニコイチの右手をハッチの前に寄せ、そこに竹田がボックスを持って乗るのを見ると、掌をゆっくりと地面に下ろす。竹田が掌から下りるのを確認する際、ボタン外しも袖まくりもしていないワイシャツ姿の藤原が掌に詰め寄って竹田を叱る様な光景を見るが、何と言っているのかはわからない。

 竹田がボックスを持って掌から下りると、光秋は操縦席を機内へ下ろし、ハッチを閉めてニコイチを立たせて撤去作業に入る。

 支部での説明に従って、光秋と藤原は人の背丈以上の大型の瓦礫をニコイチやサイコキネシスで、小田と竹田はそれ以下の小型の瓦礫をスコップや軍手をした手で一輪車に積んで、所定の集積地に集めていく。

 小田と竹田がスコップでコンクリート片をそれぞれの一輪車に積み込む横で、藤原は瓦礫の山に両手をかざし、持てるだけの大型瓦礫を宙に浮かせると、それらを抱える様に集積地へ歩いていく。

 光秋も持てるだけの瓦礫をニコイチに持たせると、集積地に向かう。

 と、5歩と歩かないうちに、

(加藤ぉ!)

「!」

竹田の怒気を含んだ声が外音スピーカーから響き、光秋は足を止める。

(歩くな!浮け!振動で気が散るんだよ!)

「すみません!」

竹田の声に外部スピーカーを入れて応じると、右ペダルを少しだけ踏み、ニコイチを地面から少しだけ浮かせて宙を滑る様に集積地への進行を再開する。

 以後光秋は、少し浮いた状態で作業を続ける。

 

 午後0時。

 光秋はニコイチを正座させ、前屈みにした胴を両手で支えて四つん這いにさせるとコクピットから降り、そうして作った日陰の下に行く。そこにはすでに、藤原が運んできた適当な大きさの瓦礫が4つ、四角を描いて並べられ、藤原たち3人が支給された弁当を片手にその上に腰を下ろしている。

 光秋は空いているニコイチの右手近くの瓦礫に座り、その上に置いてあった弁当を膝の上に置き、

「いたただきます」

と手を合わせて小声で言うと、付属の割り箸を割って食べ始める。

 と、光秋の左隣―ニコイチの肘近くに座る小田が、

「しかしこのニコイチって奴は、つくづく大したもんだなぁ。あんなに動いても触って平気な発熱量なんて・・・」

と、左手を少し後ろに伸ばし、膝部分の装甲を手の甲で小突きながら言う。

 それに対して、光秋の正面―左手近くに座る竹田も、

「コクピットも快適っすよ。ちょうどいい温度に保たれてて」

と相槌を打ち、小田も、

「あぁ!俺もこの前乗ったが、確かにな」

と応じる。

 と、竹田が、

「しっかし、もっと重機ないのかねぇ?そっちの数増やせば、こっちも楽になんのに」

と愚痴ると、光秋の右隣に座る藤原が、左手に持ったペットボトル内のスポーツドリンクを飲み干して、

「それはもっと瓦礫の多い箇所を当たっていると説明したろう。第一、この中に重機なんぞ動かせる奴がいるのか?」

と、やや叱る声で言う。

 そんなやりとりを意識の端で聞きながらも、光秋の意識の大部分は周囲の景観に向けられ、箸を持つ手を動かしながら長考に耽る。

―NPの人たちも、言いたいことがあってこんなことをしたんだろうが…………やっぱり暴力を正当化する理由には、ならんよな…………僕が言えたことだろうか?……それに…………―

思いながら、藤原たちやニコイチの合間に覗く瓦礫の山に目をやる。

―今回も、守れたと言えるんだろうか?…………―

 と、

「……加藤?」

「!」

藤原の呼び掛けに、光秋はハッとする。

「はい?」

「今心ここに在らずといった感じだったが、どうした?」

「いえ、考えごとをしてただけです」

本当に心配した顔で尋ねる藤原にそう言って返すと、光秋は弁当を膝の上に置き、左手で左端に置いたペットボトルを持って中のスポーツドリンクを一口飲む。

 

 食後、藤原隊の許に来た支給隊に弁当の容器を返却すると、光秋は脱いだ上着を左肩に掛け、なんとなしに周囲を散策してみる。制帽1つ被っただけの頭で瓦礫の周りを歩くのは少し緊張するが、

―いざとなれば、藤原三佐が掘り起こしてくれる―

という考えが、この好奇心に基づく行動をとらせるのである。

 少し歩くと、光秋はなんとなしに視線を下に下ろす。

 と、

「…………!」

右側の瓦礫の中に、コンクリートや鉄骨とは質感の異なる小さな物を捉える。

「?」

足を止め、見つけた物の近くにしゃがみ込むと、それを掘り出してみる。

―手袋をしてくればよかった―

軽い後悔を抱きながら手を切らないように注意して瓦礫を退かすと、木製の写真立てが顔を出す。掘り出す前に見掛けたのは、それの右上の角のようである。

「…………」

 それを両手で持ってよく見てみると、所々に大小の傷があるが、中の写真は無事のようである。どこかの青々とした森林を背景に、春物の私服を着た4人組が写っている。若い印象の男女と、その足元に立つ幼い姉弟(きょうだい)である。女の子の方が背が高く見えるので、光秋はこちらが上の子と判断する。

「…………家族か…………」

 そう呟くと、光秋はそれを持って来た道を戻る。

 

 光秋が藤原たちの許に戻ると、3人はニコイチの日陰から出て作業を再開する気配を見せている。

「藤原三佐!」

光秋が歩きながら呼び掛けると、藤原は光秋の方に顔を向ける。

「どこまで行っていた?」

尋ねる藤原の前に止まると、

「散策していたら、こんな物を拾ったのですが」

と、右手に持った写真立てを差し出す。

「?……写真か」

 藤原が呟きながらそれを受け取ると、小田と竹田も2人の許に寄って来る。

「なんすか?」

藤原の左隣に立つ竹田が訊く。

「加藤が拾ったそうだ」

藤原は竹田に写真立てを見せると、軍手をした左手で長い顎髭を撫でる。

「やっぱり、持ち主に届けるべきですよね?」

「ウム。支部に帰ったら、捜索願の届け出を調べてみるか……」

光秋の問いに、藤原はそう応じる。

「顔がわかっていれば、近隣住人のデータとも照会できますしね」

藤原の右隣に立つ小田もそう続ける。

「よし!とりあえずそうするか。各自作業再開だ」

「「「了解」」」

藤原の号令に3人が答えると、光秋はそのまま写真立てを藤原に預け、左肩に掛けていた上着を羽織ってニコイチに乗り込み、撤去作業を再開する。

 

 午後6時。

 作業時間が終了し、藤原隊はニコイチに乗って支部に戻る。

 駐車場に着地したニコイチを収容しながら、

―こりゃあ、しばらく続くな―

と、光秋は作業の進み具合を考えてみる。

 解散すると、光秋は真っ直ぐ寮の自室へ向かい、私服に着替えて脱いだ制服一式と予備のワイシャツをカバンに詰め、部屋を出てタクシーを拾い、綾が待つ家へ向かう。

 

 敷地の手前でタクシーを降りた光秋は、最寄りのバス停で時刻表をメモしてから家へ向かう。

 家の前に着く頃には、空は僅かな赤味を残すだけで、殆ど暗くなっている。

 ―?……灯り?―

光秋は自分の部屋の方だけに灯りが点いているのを不思議がりながら、

―綾か?―「ただいま?」

と言って、自室のドアを開ける。

 と、

「おかえり!」

嬉しそうな声が居間から響き、ピンクのワンピースを着た綾が光秋を出迎えてくれる。

「ご飯できてるよ!早く食べよう」

「また作ってくれたのか?」

 訊きながら光秋は、玄関から居間のテーブルに2人分の食事が並べられているのを見る。

「アキがいないと暇だから。さ、早く!」

「あぁ。ちょっと待った」

言うと光秋は、靴を脱いで居間へ向かう。

―…………夫婦じゃないんだから…………―

思いつつ、困った様な、嬉しい様な表情を浮かべる。

 

 8月9日月曜日夕刻。

 いつも通り撤去作業を終えた藤原隊一行は、ニコイチに乗って支部へ戻る。

 光秋がニコイチを収容し終えると、

「加藤」

と、上着を右肩に掛けた藤原が呼び掛ける。

「はい?」

「言い忘れていたが、お前の復帰、来月には叶いそうだ」

「来月?」

「あぁ。鎮圧作戦と撤去作業の報告から上が検討して、来月から正式復帰となった。もちろん、ニコイチの使用禁止令も正式に解除される」

「!ありがとうございます!」―ようやく、ちゃんと戻ってこれる!―

その思いから光秋は、深々と頭を下げる。

 

 8月13日金曜日。

 光秋は撤去作業を終え、家に帰宅する。

 白いTシャツに黄色い半ズボンを着た綾に迎えられると、光秋は上着と制帽が入ったカバンを居間に置き、ワイシャツのボタンを2つ開けながら、綾が用意してくれた食卓に着く。

 と、

「そうだ。今日で今までやってた仕事が終わったから、明日久々に2人でどっか行くか?」

「もう行かなくていいの?」

光秋の問いに、綾は向いに座りながら応じる。

「なにも起こらなければ、9月まではのんびりできる」

「そう……でも突然言われてもなぁ……」

「ま、急がんさ」

言うと光秋は、手を合わせて食事を始める。

 

 8月14日土曜日昼。

 結局家でくつろぐことにした光秋と綾は、昼食をとると、綾の部屋で昼寝をする。

 白い半袖のワイシャツに青い長ズボンを着た綾は、ベッドの枕を床に置いてそこに頭を載せ、白いTシャツに緑の長ズボンを着た光秋は、綾の腹を枕代わりにする。

 左耳を腹に付けて綾の寝顔を目の前に臨む光秋は、腹の中の水音を聞きながら、

―これは……最高の贅沢かもしれない…………―

と、眠気で鈍った頭で考えてみる。メガネは外してテーブルの上に置いてあるのだが、距離が近いために綾の寝顔はよく見え、加えて、綾の独特な体臭が鼻をくすぐり、それがますます幸福感を与える。

 と、

「…………ねぇ……」

「ん?……」

綾が目をつむったまま話しかけ、光秋は仰向けになって左耳を綾の方に向けて応じる。

「アキがいた世界って、どんなとこ?」

「?……どうした?突然」

「別に……ただこの間話してくれた、別の世界っていうのが気になって」

「…………ニコイチのことを説明した、あの日?」

「うん……あれからちょっと、興味があって」

「と言ってもなぁ…………こっちと大して変わんないよ。最大の違いは、僕の世界には超能力者がいないってことかな…………」

「ふーん……じゃあさぁ、光秋がここに来る前に住んでたとこ、故郷(ふるさと)って、どんなとこ?」

「……故郷か…………田舎だよ。家の周りは田んぼばっかりでな……この時期だと、だいぶ背が伸びた稲が一面に広がって、青々とした……」

「涼しい印象を与える…………」

「?……」

 突然綾が自分の言おうとしたことをそのまま言ったことを不思議がりながらも、光秋はとりあえず話を続ける。

「家の近くに、長く真っ直ぐに伸びた緩やかな坂があってな……」

「周りは高い山に囲まれてて……」

「坂の真ん中辺りに立って周りを見回すと……」

「どんぶりの底みたいな場所…………」

「…………なんでわかるんだ?」

「……なんでだろう?アキの話聞いてたら、頭の中に景色が浮かんできて、言ってみたんだけど…………」

 そこで綾は大きく欠伸をし、右手を光秋の左掌に添える。

「……アキの手、硬いね。それに掌なんか、あっちこっち特に硬い……」

言いながら綾は、光秋の左掌の中央とその上、薬指の付け根の3カ所にあるイボを右手で撫でる。

「手が硬いのは、ニコイチの操縦で操縦桿を強く握るからな。ただ、綾が今撫でてるイボは、元からだよ。中学くらいの時に、なぜかできてさ。右手にもあるよ」

言うと光秋は、右手を綾の目の前にかざす。その中指の付け根と第一関節のすぐ下にも、皮膚が硬くなってできたイボがある。

「…………痛くない?」

「いや。なにも感じない」

「ふーん?」

「ただ、僕はけっこう気に入ってるんだよ。今じゃ僕の、アイデンティティーの一部なんだから」

「アイデンティティー?……」

綾が欠伸混じりに訊く。

「昔の自分と今の自分、未来の自分はどんなに変わっても、あくまで連続したものだって考え。この場合は、その証って意味かな」

「ふーん…………」

応じながら綾は、寝息を立て始める。

―……自分が自分であることの証だよ。僕の場合イボだけじゃなく、目と耳の不具合もな。これは身体的なもの。精神的なものは、人格とか、記憶か…………だから、加藤綾と伊部法子は、体は同じでも別人なんだよな…………―

光秋は綾の寝顔を見ながら、少し冴えてきた頭でそんなことを考えてみる。

 同時に、ある疑問も浮かぶ。

―綾は…………テレパスなんじゃないのか?―

 

 8月15日日曜日。綾の部屋。

 灰色のTシャツに茶色の長ズボンを着た光秋が、左手に持った腕時計を見つめてテーブルの前にいる。

 2分早いその時計の針が12時2分を指すと、

―黙祷!―

と、心中に叫び、目をつむる。

 1分程して目を開けると、食事を運んで来た白いTシャツに薄黄色の長ズボンを着た綾が光秋の向かいに座り、

「なにしてるの?」

と、好奇心の声で訊く。

「僕の世界では、今日は終戦記念日でな。黙祷を捧げてた」

「もくとう?」

「目をつむって、亡くなった人たちを祈ることだよ」

「ふーん?」

 言いながら綾は、盆に載っているそうめんの入ったざるをテーブルの中央に置き、2つのお椀をそれぞれの許に置く。

 と、直後、

「……!…………」

「綾?」

綾は突然右手を頭に当て、束の間その体勢で固まる。

 と、

「…………三戦危機…………」

「?」

綾の口がか細い声で言う。

「……それを終結させるための、整理戦争…………その上で築かれた、地球合衆国…………」

「……綾?…………」

 そこでやっと、綾は右手を頭から離す。

「……どうした?」

「……アキが『終戦記念日』とか『もくとう』とか言ってたら、急に頭に浮かんできたんだけど……」

「!…………」

「なんのこと?」

「……この世界の歴史だけど……まぁいい!とにかく食べよう!」

「…………」

光秋は話を逸らし、綾もそれ以上言わず、食事を始める。

 光秋はそうめんをすすりながら、ふと考えてみる。

―僕は歴史は教えていない。簡単な読み書きくらいだ。なのに綾は今、教えてもいない近代史のことを言った?…………綾が読んだ本の中に書いてあったか、あるいは…………伊部二尉が戻りかけてる…………―

 

 8月19日木曜日午前10時半。

 戸松教授の許で定期検査を終えた光秋と綾は、そのまま周辺を散策する。

 迷彩柄の帽子にチェック模様の半袖のワイシャツ、緑の長ズボンを着、白い靴下と灰色の靴を履き、左肩に灰色のカバンを斜め掛けした光秋の左手と、ピンクの帽子に白い半袖のワイシャツ、黄色い半ズボンを着、首飾りを付け、ピンクのサンダルを履いた綾の右手が絡まる様に握られ、お互いに歩調を合わせてゆっくり進んでいく。

「…………回復、順調そうだってな…………」

「……うん…………」

光秋が呟く様に言うと、綾も短く応じ、それ以上その話題に触れない。

―『この調子なら来月頃には完全だろう』……か…………伊部二尉が戻ってくるなら、喜ぶべきことなのに…………なぜか素直に喜べん……―

 思いながら光秋は、並んで歩く綾に視線を向ける。

―……綾と離れたくないのか?……そうかもしれない、が…………綾は今の状況、どう思ってるんだろう?自分が自分でなくなる、いや、戻る感じっていうのは……―

そう思っても、光秋に尋ねる勇気などない。

 と、綾の足が止まる。

「?…………」

光秋も一拍遅れて足を止め、綾の視線を追って左側を向くと、近くに大型スーパーを見る。

「なんか買ってく?」

「いや、いいな。昨日補充が来たばっかだし」

綾の問いに、光秋は首を振って応じる。

「……そっか。そうだよねぇ…………じゃあ、もっといろいろ見て行こう!」

綾は笑って言うと、光秋を引っ張る様に駆けだす。

 引かれながら光秋は、綾の明るそうな様子に若干安堵するが、未だ綾への不安は消えない。

―本心からの行動か、それとも…………不安を誤魔化すための強がりか…………―




 いかがでしたか。
 順調に元に戻りつつある光秋の生活、しかし本人は浮かない顔ですね。
 今後どうなるのか?次回をお楽しみに。

 そしてお知らせです。
 作者初の二次創作読み切り作品『白き一角獣VS白い犬』を投稿しました。本作の要素も含んだ作品ですので是非読んでみてください。

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