白い犬   作:一条 秋

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 今回は前回の終わりの続きから始まります。
 タイトルの示すことはどういうことなのか?
 では、どうぞ!


15 光秋の一面

 しばらく歩いて西進を続けた光秋と綾は、喫茶店の野外席で緑色の丸テーブルを挟んで脚を休める。

「……光秋、その緑の、なに?」

左手に持つグラスからストロー越しにミルクティーを飲む綾が、光秋の時計と数珠を巻いた左手が持つプラスチックカップに目をやる。

「抹茶って言うんだ。厳密には、それにひと手間加えた、飲み菓子だがね……」

言うと光秋は、ストロー越しにそれを一口すする。抹茶のほろ苦さ以上に、混ぜてあるクリームの甘さが口内に広がる。

 それを見た綾は、少し警戒した目で問う。

「おいしいの?あたしにはあんまり、そう見えないけど?」

光秋はもう一口すすって、

「人それぞれだけど、僕はこういうの好きだよ。あと饅頭(まんじゅう)とかな」

と答え、綾はストローをくわえたまま、

「ふーん?……」

と応じる。

 と、光秋は、綾のミルクティーに目をやり、

「だいたい、綾が飲んでるそれにしたって、これと同じ物からできてるんだぞ」

と、右手のカップを軽く揺らして言う。

「?……どういうこと?」

「どっちも、茶葉っていう葉っぱの出汁なんだよ。まぁ、僕が飲んでるこれは、厳密にはちょっと違うけど……」

「でも、どっちも色違うよ?」

「大元は同じなんだよ。ただ作りたいお茶に合わせて、葉を発酵させるんだ」

「ハッコウ?」

「僕も詳しくは知らないが、一定の条件が整った環境にしばらく置いて、葉を変化させることだよ。緑茶なんかは、発酵はさせないけど、綾の飲んでるそのミルクティーの元になる紅茶は、充分発酵させるらしい。この間京都駅で飲んだウーロン茶なんかは、その中間くらいらしい」

「ふーん?」

と応じながら、綾はストロー越しにミルクティーを一口すする。

 と、

「……!」

光秋はその直後、左手に伸びる歩道の前方から4人、明らかに染めた色をした髪の、光秋から見れば柄の悪そうな男たちが、横に広がって歩いて来るのを見る。

「…………」

光秋は男たちの方を見ないよう意識し、抹茶を一口すすって、右の足元に置いてあるカバンに目のやり場を求める。

 そんな光秋の態度を見た綾は、少し顔を歪めて、

「?……光秋?」

と問う。

 その直後、2人の許を通り過ぎようとしていた男たちの内、一番喫茶店側を歩いていた両耳が隠れるほどの赤い長髪をした赤い半袖の上下を着た男が綾に目をやり、

「おっ!かわいい子ハッケーン!」

と、光秋には耳触りな声をよこす。

 赤毛のその声に反応して他の3人も足を止め、綾の方に寄って来る。

「うわっ!確かに美人やなぁ!」

「色黒の髪ながかぁ」

綾の左後ろに付いた緑の髪を短く刈り込んだ赤いTシャツに黒い長ズボンを着た男と、右後ろに付いた青い長髪に紫の半袖と長ズボンを着た男が、言いながら綾に品定めの目を向ける。綾の左隣に付いた長い金髪の白いシャツの上に黒い半袖を羽織り黒い長ズボンを履いた男が、光秋にチラッと目をやると、

「こんなダサいのなんかより、オレらと遊ばへん?」

と、右手を綾の首に掛けてくる。

「…………」

顔を引きつらせて固まった綾に、右隣の赤毛も左手を伸ばす。

 が、直後、

「ヤーァ!」

と、目を固く閉じた綾が絶叫すると、周りを囲んでいた男たちがそれぞれの背後へと吹き飛ばされる。

「綾!」

光秋はすぐに椅子から立ち、綾の右隣へ駆け寄る。

「……だって……怖かった、から……」

と、俯いた綾は震える声で言う。

 光秋は後ろから両手を綾の両肩に添え、体の震えを止めるつもりで手に若干力を込めると、

「わかる!僕も怖かった!でも、そんなふうに“力”を使ったら、かえって人を怒らせるだけだ!」

と、強すぎる言い方にならないよう意識して言う。

 直後、

「テッメェー!」

喫茶店の窓ガラスに叩き付けられた金髪が、右手で後頭部をさすりながら顔一杯に怒りを浮かべて立ち上がる。

「こいつ!エスパーかぁ!」

車道との境になっている柵に頭頂をぶつけた赤毛が、両手で頭を抱えながら光秋と綾を睨みつける。

「!」

光秋は素早く綾を背後に隠し、綾も椅子から立って光秋の両肩に両手を添えて隠れる様にする。

 光秋は開いた両手を前にかざし、

「ちょっと、待ってください!」

と、半分は無駄を承知で、男4人を説得しようとする。

「彼女、ちょっと事情がありまして、時々こうなっちゃうんです!それでも、ガラスも柵も壊れてないし、皆さん無事でしょう!」

 しかし、

「うるせぇ!」

右から金髪が一直線に光秋に突っ込んで来る。

―案の定?―

一瞬そう思うと、光秋はすぐに向かい合って反射的に右半身を後ろに引き、左腕を縦に前に出して金髪が繰り出した右拳を受け止める。

 が、

「おらぁ!」

「!」

後ろから赤毛に背中、それも胸の裏側を力一杯に蹴られ、光秋は一瞬息が詰まる。体が前に倒れていくところに間髪入れず、

「そらぁ!」

「!」

金髪が鳩尾に右拳を入れ、光秋は痛みと息苦しさの中、背中から地面へ崩れ落ちる。

「…………」

殴り蹴られた痛みと息苦しさ、地面に頭をぶつけた衝撃から、光秋の視界が一時真っ暗になる。

 そんな中、

「テメェ!こっち来いやっ!」

「イヤァッ!……」

「やかましい!来いやっ!」

「光秋!」

「…………!」

声の限りに放たれた綾の叫びに、光秋は目を開け、声のした方―視界上部、歩道側に目をやる。

 と、左腕を青髪、右腕を緑髪に掴まれた綾が光秋の方に顔を向け、

「光秋!光秋!」

と、叫びながら視界の右端へと引きずられて行く光景を見る。

「…………!」

 その光景に光秋は、雨の中、首と太腿に血の尾を引いて崩れ落ちる伊部二尉の姿を思い起こす。

―もう、やらせない!―

心中に明白に浮かんだその思いが光秋の体を素早く立たせ、男たちの後を追わせる。立った拍子に頭から帽子が脱げるが、今の光秋が感知できることではない。光秋は、すでに激しているのである。

「貴様等!」

叫ぶと同時に、光秋は右の緑髪の後頭部に鳩尾に溜めていた右正拳突きを打ち込み、

―『速く動け!』―

と浮かんだ言葉に合わせて、左の青髪を素早く見、その下顎に左突きを見舞う。右に迂回した光秋は、両腕を押さえていた2人が離れたことで自由になった綾の体を両手で後ろに押して男たちから少しでも離すと、前を行く赤毛と金髪に突進する。

「「!」」

背後の異変に気付いた2人は、突っ込んでくる光秋を目にして驚愕する。

 が、それも一瞬、

「てめぇ!」

と、右側を歩いていた赤毛が光秋に近づき、肩溜めにした右拳を食らわせる。

「!」

それを前に出していた左腕で受けた光秋は、右腕を腰溜めにし、

―効率的な……!―

一気に赤毛の鳩尾に右正拳突きを叩き込む。

―殴り方くらいはわかる!―

 赤毛は両手で鳩尾を抱え込み、

「ゲッ!…………」

と呻いて両膝を着く。

 直後、

―後ろ!―

「!」

光秋は声の様なものを聞くと同時に、脳裏に自分の背後を、その上方から緑色の大きな丸い物が自分に向かって落ちてくる光景を浮かべる。浮かんだ光景に従って、すぐに両脚で地面を蹴って後退する。

 その一瞬後、光秋が立っていた辺りに脳裏に浮かんだ緑色の大きな丸い物が、ガシャッと大音を立てて落下してくる。

―さっきのテーブル?―

理解した光秋が前に目を向けると、正面の金髪が、

「チッ」

と舌打ちする音を聞く。

―念力か!―

その理解が光秋に、

―勝たねば死!―

という思いを新たに起こさせ、その身を突進させる。

―『速く動け!』―

その言葉から光秋は壊れたテーブルを飛び越え、一気に金髪へと近づく。右腕を腰に引く。

 が、繰り出そうとした直前、

「舐めんなやっ!」

「!」

金髪の怒声を聞くと同時に、光秋は後ろに吹き飛ばされ、壊れたテーブルに叩き付けられる。

「……」

尻もちを着いた光秋は、緑のプラスチック片が数個宙を舞うのを見る。

 と、突然、

「!」

光秋は首に絞められる様な圧迫を感じ、思わず両手を首に添えて息をしようともがく。

「…………?」

若干湿気が浮かんだ視界で前を見ると、金髪が右手を前に出し、何かを握る様な動作をしている。

「ノーマルが、デカイ面すんなやっ!」

言いながら金髪は、前に出した手をより握り締め、殆ど拳の形にする。

「!…………」

それに合わせて光秋の首の圧迫も強まり、その意識がいよいよ遠のき始める。

 が、直後、

「……!?……エフッ!エフッ!ハァーッ!ハァーッ!……」

突然首の圧迫が消え、両手を下ろした光秋は数回むせると、口を大きく広げて空気を取り込む。

「なっ!?」

金髪が手を上げたまま驚愕の表情を浮かべると、

(コラそこ!すぐにやめなさい!)

と、拡声器越しの怒声が響く。

「?……」

 光秋が前方の車道に目をやると、赤々とサイレンを灯したパトカー2台と、それに続いて走るキノコ型の大きめのEジャマーを天井に乗せた緑の車が1台、光秋たちの方へ向かって来る。

―ESO?―

光秋が理解すると、

「ヤベッ!」

金髪は光秋を通り越して一目散に駆け出し、地面に蹲っていた他の3人もそれに続く。

 先頭のパトカー1台が光秋から少し離れた所で停まると、その前部の左右のドアから青黒い制帽と水色の半袖のワイシャツ、青黒い長ズボンを着た警察官2人が急いで降り、若い男の方が光秋に駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

正面で左膝を着いた警官が、心配そうな顔で光秋を見る。

「えぇ、なんとか……」

と、光秋は若干掠れた声で応じる。

「なにかぁ、身分証明はお持ちですか?」

京訛り独特のイントネーションで警官が尋ねると、光秋は右手を右の脚ポケットに伸ばして黄色い財布を取り出し、そこから取り出したIDカードを警官に渡す。

「ESOの、『加藤光秋』さん?」

「はい」

 と、背後から、

「そっちはどうやぁ?」

と、少し年季が入った様な声が響き、若い警官が、

「大丈夫みたいです。そっちは?」

と返す。

「ダメや。この嬢ちゃん、なに訊いても震えるばっかで、うんともすんとも言わへん」

言いながら声の主-小太りの中年警官が、後ろから光秋の左前に歩み寄る。

 若い警官は立ち上がると、光秋のIDを中年警官に渡す。

「……ESOん人か?」

「はい」

IDを見ながらの中年警官の問いに、光秋は答える。

「さよかぁ……とりあえず、パトカー乗ってくれへんか?事情訊くから」

「はい……」

と、光秋は腰を浮かす。

 と、

「!…………」

体を動かした瞬間、全身の所々に鈍い痛みと、胸部に激痛が走り、再び尻もちを着く。

「お、おい?どうした?」

と、中年警官が両膝を折って顔を光秋に近づける。

「痛みで……立てなくて……」

「そうかぁ……」

言うと中年警官は若い警官に目配せし、光秋の左腕を中年警官が、右腕を若い警官が首に抱えてパトカーへと運ぶ。光秋の帽子とカバンを両手で抱えた綾も、恐る恐るその3人に続く。

 光秋は後部の右席に乗せられ、綾は車道に面した左のドアから隣に乗り込む。

 左前の助手席に着く中年警官が光秋の方を向いて、

「ダメそうか?」

と問う。

「……はい」

「そりゃあんちゃん、いくらESOかて、見たとこノーマルやろ?それがエスパーと喧嘩して無事って、そっちの方がおかしいわ」

「……絡んできたのは、向こうです!」

息苦しさの中、光秋はなんとかそれだけ言う。

「さよかぁ?まぁどっち道、事情聴取の前に医者に診てもらった方がえぇか?……」

「……じゃあ、ここにできませんか?」

言いながら光秋は、左手で腰の左ポケットから紙切れを出し、中年警官に渡す。

「?……ここ、ESOの施設やんか?」

「非常時の際は、いつもここで診てもらってるんです。ESOの施設だし、かまわないでしょう?」

「ん、まぁ、それなら……おい」

「はい」

右の運転席に着く若い警官が、中年警官から施設の住所が書かれた紙を渡され、それを一見して車を出す。

 椅子に体を沈める光秋は、右の窓越しに歩道に横たわるテーブルの残骸を見ながら、ふと思う。

―嘘をつくのは、気分のいいもんじゃないな……が、このまま真っ直ぐ警察だかESOだかに行くわけにもいかん……―

心中に言いながら、左隣に不安そうな顔をして光秋のカバンを抱えて座る綾をチラッと見る。

―とりあえず、戸松教授に相談しよう…………―

 

 しばらくして光秋は、フロントガラスの左側にESOの研究施設を見る。

「…………」

戸松教授の顔が浮かぶと同時に、若干の不安に襲われる。

―ドヤされるかな?ま、そん時きゃそん時だが……―

 光秋と綾を乗せたパトカーが施設の正面入口の前で停まると、事前に連絡を受けて待っていた白衣姿の戸松と部下の白衣2人が、左半身を綾に支えられた光秋を出迎える。

 光秋は綾に介抱されながら、なんとか両隣に部下を従える教戸松の許に歩み寄ると、顔を近づけて極力小声で言う。

「すみません、教授……」

と、戸松も小声で、

「連絡から事態は概ね察している。とりあえず中へ」

と応じて、1人入口へ向かう。

「はい……」

 応じた光秋と、それを支える綾が続こうとすると、

「おい、あんちゃん!」

と、後ろから中年警官の声が掛かる。

「はい?」

光秋が振り向くと、白衣2人の間に立つ中年警官が右手に光秋の帽子を乗せたカバンを持って差し出している。

「忘れもんや」

「あ!すみません……」

一礼した光秋は右手を伸ばしてそれを受け取り、もう一礼して入口へ向かう。

 と、綾が申しわけない顔を浮かべて小声で言う。

「ごめん……」

「いや、僕の方こそ気付かなかった……」

光秋がそう応じると、正面のガラス張りの自動ドアが左右に開く。

 

 戸松に続いて最寄りのエレベーターで上へ上がった光秋と綾は、戸松の診察室に通される。

 光秋は靴を脱いでそこの簡易ベッドに横になり、戸松の胸周りと後頭部の簡単な触診と聴診器検査を受ける。

「ざっと診たところでは、特に不全箇所は見当たらんな。しばらく安静にしていれば落ち着くだろう」

光秋の左側にいる戸松は聴診器を耳から外しながら言い、座っている椅子を回して光秋に背を向け、机で書き物を始める。

「はい……」

戸松の言葉に、光秋は小さく応じる。

 光秋は、足元側で光秋の帽子を入れたカバンと自分の帽子を抱えて心配そうな顔で丸椅子に座る綾を一見すると、再び口を開く。

「あの、教授……すみませんでした」

「ん?……」

戸松は振り向かず、短く応じる。

「こんなことになってしまって……」

「……確かにな」

戸松は手を止めて言う。

「警察から連絡を受けた時は、さすがに肝が冷えたよ。私も少し油断していたのではないかとね。だが、予想に反して君の名前が出たので、私はもう一度驚いた」

「…………」

光秋は、なんと返していいかわからない。

「……しかしな」

と、戸松は椅子を回し、再び光秋の方に体を向ける。

「まずは、詳しく話してくれないか?なにがあったのか」

「……はい……検査を終えた後、2人で街を歩いていて、ちょっと休憩しようと、喫茶店のテラス席で一息ついてたんです。そしたら……柄の悪そうな男4人に綾が絡まれて、怖さのあまり、4人とも吹き飛ばしてしまって……」

「サイコキネシスでか?」

「……はい」

「うむ…………」

「……そうしたらその人たちが怒って、綾を連れて行こうとして…………」

「ん?サイコキネシスで吹き飛ばしたんじゃなかったかね?」

「アクセサリー付きでしたから、そんなに遠くには飛びませんでした」

「……なるほど」

「それで、今度は僕が、連れて行かれる光景を見て……頭に、血が上って……その人たちに殴り掛かってしまって……」

「返り討ちに、『仲間の1人のサイコキノに吹き飛ばされ、首を絞められた』、と?警察の連絡では、そこしか聞いていないが?」

「……そうです」

「んーん…………」

戸松は右手を額に当て、目をつむって眉間に皺を寄せる。

「……確かに、あまり感心できることではないな」

「…………」

強い口調ではないのだが、今の光秋には少々堪える。

「アヤは上位機密に格付けされる存在なのだ。回復の一環として市街の散策を許可したが、やはり軽率な行動は控えるべきだな」

「…………」

「だがな……」

「?……」

「聞けば、そもそもは絡んで来た者たちが原因なのだし、君はあくまでも、アヤを助けようとして騒ぎを起こしてしまったのだろう?」

「……はい!それは!」―それは、本当だ!―

「まぁ、暴力と警察沙汰に発展させたのは少々遺憾だが、基本的には立派な行為じゃないか。なにより機密であるアヤを、第三者の手に渡すことを防いでくれたのだからな。そう気を落とさんでもいい」

「!…………」

 言うと戸松は立ち上がり、

「コーヒーでも淹れよう」

と、光秋の足元側にあるドアへ向かう。

「!」

光秋は慌てて上体を起こし、

「ありがとうございます!」

と、戸松の背に深く一礼する。と、

「!……痛っ!…………」

再び胸周りを、先程より少しましになった痛みが襲う。

「まだ大人しくしていた方がいい」

戸松が顔だけ向けて言う。

「はい……ところで、下に待たせている警察の方たちは?」

「それなら、一緒に君らを待っていた部下たちに、『2人のことはESOで処理する』と伝えるように言ってある。今頃帰りの途中じゃないかね?」

「それは……」

「アヤのことが部外者に知れたら、私も立場がないからな」

そう言うと、戸松はドアを引いて部屋から出て行く。

「…………」

その背中を見送ると、光秋は戸松に言われた通り再び上体を横にする。

 と、それまで隅で大人しくしていた綾が、椅子ごと光秋の頭側に移動し、カバンと帽子を足元に置いて顔を近づける。

「光秋……ごめんね。あたしのせいで…………」

「いいんだよ。教授に言われて、少し自信付いた。これでよかったって。僕も確かに、男はあぁいうものでありたいって考えは、あったからね……もっとも所詮、個人的な美学だがね……」

「そう……それと、ありがとう…………」

「…………」

光秋は返事の代わりに、綾のお礼に対する嬉しさの微笑みを浮かべる。

 が、光秋は少しして笑みを消すと、

「でも、綾にそういうやり方はダメだって言った後に僕があれじゃあ、説得力がないよなぁ…………」

と、溜め息混じりの声で言う。

「それは、先生だって言ってたじゃん。悪いのは向こうで、光秋はあたしを助けようしたんだって。光秋がそんなこと言うことはないよ!」

「そうなんだがねぇ…………」

 と、光秋はなんとなしに綾の首に目をやる。

「!…………」

そこには光秋の想定に反して、銃弾が掠ったことでできた傷跡などなかった。

―入院中に消したか?……当然か。男ならまだしも、女ならな…………でも、医療技術の発達は、時に悲しいな……―

目の前の事態に光秋は、大事な時の思い出の跡が消えた様なもの悲しさを覚える。思い出の内容そのものは決していいものではなく、そもそもそんな考えを持つこと自体、自分勝手なことだと理解しているのだが、それでもそう思うことをやめられないのである。

―あの日のことに関して、僕は独りで苦しめってことか?…………―

 と、

「でも…………」

「?……」

綾は顔を俯け、光秋は考えていたことを頭の隅に退けることができる。

「やっぱり、あの時の光秋、怖かった…………」

「?……」

「いつも優しい光秋が、あんなふうに怖い顔して、痛いことして…………」

「…………そんなに、怖かったか?」

「……いつもの光秋じゃなかった…………」

「そりゃあ、僕だって人間だもん。喜怒哀楽、笑う時があれば、怒る時だってあるさぁ。自分で見たわけじゃないから強く言えないけど、綾が見たその怖い僕だって、僕の一部なんだよ」

「あの光秋も、光秋の一部?」

「そう。同じモノでも、見方や見る角度を変えただけで違って見えるもんなんだよ。例えば、皿だな」

「?……お皿が、なんで?」

「皿ってのは、真横から見れば薄く長く見えるだろう」

「うん」

「でも真上から見れば、広く丸く見える。同じモノを見ているのに、見る位置を変えただけで全然違って見えるだろう」

綾は目を閉じ、光秋が言ったことを想像してみる。

「…………あ。ほんとだ」

「そういうことはさ、世界全部について言えることなんだろう。何事にも良い点と悪い点があるし、見方次第で良し悪しが入れ替わることだってある。見知っているモノの中に新しいモノを発見することだってある。今回の場合綾は、その言い方に当てはめれば、僕の知らなかった部分を発見したんだろう」

「『発見』…………なの?光秋が、あの人たちの所為で『変わった』んじゃなくて?」

「…………発見だろう?綾と会う少し前にも、すごく怒ったことがある」

光秋は、ニコイチの中で激怒した時のことを思い出す。

「だからあれは、僕に新しい何かが加わって変わったんじゃなくて、元々僕の中にあったものなんだよ」

「そう、なの…………」

綾の表情が曇る。

「ただ……」

と、光秋は少し強い調子で言う。

「勘違いしちゃいけないのは、怖い僕ってのも僕の一部であって、僕の全てじゃない。綾は、優しい僕がいるってことも、知ってるんだろう?」

「……うん」

「それならいいさ。少なくとも、なにも悪いことしてない奴を、怒ったりしないさ」

「…………」

光秋の言葉に、綾の表情が少し晴れる。

「ま、僕も他人(ひと)のことは言えないがね……こういう理屈を知ってても、一度持った印象って、なかなか払えないものだから…………」

 光秋が自評を述べたところで、戸松が3つの白いマグカップを乗せたトレーを持って部屋に入って来る。

「話声が聞こえたが、お邪魔だったかな?」

教授はトレーを机に置きながら、光秋と綾の方を見て言う。

「いいえ。ちょっと講義をしてただけです。もう終わりました」

と、光秋は冗談気分で返す。

「そうか…………」

と、戸松は左手でマグカップ1つを光秋に差し出す。

 上体を起こして両手でそれを受け取った光秋は、カップ越しにも伝わる熱と、中身のほんのり白い湯気を立てるコーヒーを見る。

「……あの、教授」

「ん?」

戸松は綾にもコーヒーを渡しながら応じる。

「淹れてもらってなんですが、今夏ですが……」

「ホットでなければ、淹れる意味がないだろう」

言うと教授は、右手に持ったカップから一口すする。

―…………まあいい。とりあえず今は、毎日一応続けてきた筋トレと突きの練習に感謝だ。少なくともそれで、綾の解放は叶ったんだからな。あと非常時に備えて、今回は動き易い靴とズボンで来た自分の準備のよさも―

若干自惚れていると自覚のある思いを浮かべると、光秋は両手で持ったカップから慎重に一口すする。

「…………」

光秋には不快に感じる程の熱さと、コーヒー独特の苦みが口の中に広がる。

―ただ、綾に傷がないことに今日まで気付かなかったのは、僕の鈍さ、いや、愚鈍の証明だな…………―

その自己認識は、光秋にはコーヒー以上に苦いものである。

 

 午後6時。

 体調が回復すると、光秋は綾と施設近くのレストランの露天席で夕食をとる。

―そういえば、ここだよなぁ……―

光秋は右手に持ったハヤシライスのスプーンを皿に置くと、左前に建つ施設を眺めてみる。

―僕と綾が、初めて会ったのは…………―

思いながら光秋は、ハヤシライスを一口分口に運ぶ。

「…………そういえば、あれはなんだったのかなぁ?」

「あれって?」

光秋の呟きに、向かい合って同じ物を食べていた綾が視線を寄こす。

「いやな、さっきの喧嘩の時、一瞬声?……が聞こえてさ……」

「声?」

「僕も興奮してて記憶に自信がないんだけど、『後ろ!』って声と、テーブルが後ろから飛んで来る光景が見えて、咄嗟にその2つに従って、避けちまった……」

「テーブルのことなら、あたしも言おうと思ったよ。でも、声が出なかった……それに光秋がすぐ避けちゃったから、言い損ねたし……」

「そうか……」―そういえばあの声色、綾のに似てたような…………いや、思い込みかな?綾はテレパスじゃないし、記憶そのものも、当てにならんし…………―

光秋は、また一口ハヤシライスを口に運ぶ。

 

 7月28日水曜日午後7時。小屋の綾の部屋。

「なぁ綾、明日なんだがさぁ……」

ピンクのワンピースを着た綾と、向かい合って夕食をとっている灰色の半袖に緑の長ズボンを着た光秋が、箸とご飯茶碗を持つ両手を休めて言う。

「ん?……」

ちょうど左手に持った茶碗からみそ汁をすすっていた綾は、茶碗を丸テーブルに置いて応じる。

「この間はなんだかんだでメチャクチャになっちゃったし、その埋め合わせとか、やり直しってわけじゃないが、また行かないか?街に」

「……明日も、検査?」

「いや。今度はついでじゃなくて、始めから散策目的で行くんだよ」

「…………」

綾は表情を若干曇らせる。

「……嫌か?」

「……この間みたいなことになったら、嫌…………」

「大丈夫、そうなっても、僕がなんとかする。それに、あぁいう人たちの方が、少ないもんだよ?」

「…………」

「……まぁ、無理強いはしない」

言うと光秋は、右手に持った箸をテーブル中央の大皿に伸ばし、その上の野菜炒めを一口分摘まんで左手のご飯と一緒に口に入れる。

「…………本当?」

「?」

綾の唐突な言葉に、光秋は一瞬返事に困る。

「本当に、なにかあったら、なんとかしてくれる?」

「……あぁ。なんでもってわけにはいかないが、できる限りのことはな。もともと僕は、そのために綾のそばにいるんだ」

「…………じゃあ……行く!」

「そりゃよかった!」

その一言に光秋は、嬉しい気分になる。

 

 7月29日木曜日午前11時五50分。

 迷彩柄の帽子に白地の半袖のワイシャツ、薄黄色の薄手の長ズボンに白い靴下、黒地のスニーカーを着た光秋は、左隣のピンク帽子に白い半袖のワイシャツ、赤チェックのロングスカートにピンクのサンダルを着、首に金色の首飾りを提げた綾と並んで、木陰下のベンチに座る。正面には、鴨川の涼しげな景色が広がっている。数珠の巻いてある左手の腕時計に目をやると、足元の右側に置いたカバンから青みがかった黒色の布箱を取り出し、それを2人の間に置く。

「ちょっと早いが、昼にしよう」

言いながら光秋は、カバンから先程自動販売機で買った2本のぺットボトルのウーロン茶を取り出し、これらも2人の間に置く。そのまま布箱のチャックを開けると、小さい保冷剤4つに囲まれた、ラップに包まれた白い大きめのおにぎり6つが顔を出す。

 光秋は右手でその中の1つを適当に取ると、

「はいよ」

と、綾に渡す。、

「いただきます」

綾はそう言ってラップを剥がすと、大口を開けて両手に持ったおにぎりに噛り付く。

 と、

「!…………」

目をつむり、口を固く結んで悶絶する。

―梅がいったか?―

思いながら光秋は、ペットボトルのふたを開けて差し出し、それを受け取った綾は中身を一気に4半分程飲んでしまう。

「大丈夫か?」

「これ、なに?」

綾は左手に持ったおにぎりを見て言う。

「梅干しだよ。握り飯の定番」

答えながら光秋は、左手の未開封のおにぎりに目をやる。

「……握り飯っていうより、飯団子って感じだけどな……やっぱり、普段しないからなぁ……」

言いながら光秋は、そのおにぎりのラップを開ける。

 綾はその様子を見ながら、残っているおにぎりをさっきより慎重に平らげ、ラップを丸めて布箱に戻すと、2個目を取って開封し、小さい口を開ける。

「…………!……これ、美味しい!」

「?……あぁ、それ味噌だな」

「お味噌?」

「あぁ……」

答えながら光秋は、自分のおにぎりを一口かじる。

「あ、僕のもだ」

「お味噌って、いつもおみそ汁に入れる?」

「あぁ。梅干し以外、具がなかったからさ」

「あたし、こっちの方が好きだなぁ」

「そう?それなら、五時起きして作った甲斐があったよ」

言うと光秋は、口元に笑みを作る。

 と、

「?……綾?」

表情を少し引きつらせた綾が、光秋の方に体を寄せてくる。

 光秋が左側に向けられている綾の視線を追うと、

「……?」

その先-2人から1メートル程離れた辺りに、1羽の土鳩が川側へとトボトボ歩いているのを見る。

「鳩だよ」

「…………」

光秋が話し掛けても、綾は変わらず少し怯えた体を寄せ続ける。

―……あぁ、そうか。初めて見るからなぁ―「大丈夫。こっちがなにもしなきゃ、向こうもなにもしないよ」

「……ほんと?」

「あぁ。もっとも、近づいただけで向こうから逃げるから、なにもしようがないと思うけどな」

「…………じゃあ…………」

綾は怯えを若干弱め、光秋から体を離す。

 光秋は、おにぎりを一口かじると、

「しかしまぁ……平和だねぇ…………」

と、遠くを見る目をして呟く。

 正面に広がる河原、そこに走っている道を徒歩や自転車、犬連れなどで行き来する人々、道の合間にある草原で地をつつく鳩たち、川の中央へと降り立つ光秋の知らない長い首と脚を持つ白い鳥。そういった光景が、光秋にそんな感慨を持たせるのである。

―寮が川に近かったから、散歩の時なんかによく見た光景だが……久しぶりってことが、また違うふうに見せるのかな?―

 と、

「ヘーワ?」

綾が尋ねる。

「あぁ。こんなふうに、みんな穏やかで、悲しんでる人が1人もいないような状態のこと、とでも言えばいいのかな?」

光秋は、少し言葉に困りながらも説明する。

「ふーん……いいね、へーワ…………」

綾が呟く様にそう言うと、光秋はおにぎりを一口かじる。

 

 しばらくして昼食を食べ終わった光秋と綾は、布箱と飲み干したペットボトルをカバンに片付けると、そのままベンチに腰掛け続け、河原の光景を眺めている。

 光秋は、両瞼が重くなるのを感じる。

―直接日が当たらず、それでいていい風が来て、心地いいんだなぁ…………―

ぼんやりした頭でそう考えていると、綾の頭が光秋の左肩に掛かる。

「綾……眠いのか?」

「…………うん」

応じる綾の両目は、瞼で半分程閉じられている。

「…………僕もだ」

返すと、光秋は大口を開けて目に少し涙を浮かべながら欠伸をする。

 と、直後、

「!……」

光秋は川向うに並び建つビル群の合間から、遠目にもよく見える黒煙が上がるのを見、同時に離れた所から響く爆発音を聞く。

―?……事故か?―

ただならぬ気配に眠気は完全に吹き飛び、意識がはっきりすると、その目は上がり続ける黒煙を凝視する。

「……」

綾もそんな光秋の様子から再び恐怖を抱き、両手を光秋の左腕に絡ませて身を寄せる。

 直後、

「!」

光秋の左の脚ポケットに入れてある携帯電話が振動し、光秋はすぐに左手を伸ばそうとする。が、

「!……」

綾が身を寄せていることを思い出すと、代わりに右手で携帯電話を取り出す。

―藤原三佐?―

画面の表示を確認すると、右手を伸ばして電話を左耳に当てる。

「はい?」

(加藤か?今何処だ?)

電話越しに藤原の緊張した声が響く。

「鴨川を散歩していますが?」

(すぐに迎いを寄こす。ニコイチを持って支部に来てくれ!)

「何か?」

(NPの蜂起だ!仲間の釈放を求めてきた。時間内に要求が聞き入れられん場合、無差別攻撃を行うとの声明も入った!)

「!……じゃあ、さっきの爆発は……」

(そっちでも見たのか?あれは小手調べだ。自分たちは本気だと言っているんだ!)

「……わかりました。じゃあ……」

光秋は辺りを見回し、左側に掛かる橋を目に留める。

「支部から東に少し行った所の橋で待ちます!」

(了解した!)

 言い終わると藤原の側から電話は切れ、光秋は立ち上がりながら携帯電話を左の脚ポケットに戻す。

「さぁ、綾!」

右肩にカバンを掛けた光秋は、左腕の綾を連れて橋の方へ速足で向かう。

 橋への緩い坂を上りながら、綾が不安な顔を向ける。

「……また嫌なこと?」

「あぁ。これからそれを何とかしに行くんだ」

「……光秋が、なんとかしてくれるの?」

「あぁ。そのつもりだ」

 光秋は、左の脚ポケットに携帯電話と一緒に仕舞ってあるニコイチのカプセルを意識する。

 

 橋の近くに着いて2分程経った頃。

 光秋は左にかなりの速度で自分たちの許に近づいてくる緑の車両を見付ける。

―あれか?―

そう思ってすぐ、車両は光秋と綾の前で急停止する。軍用車らしいカクカクした車体の前上部には、小型の機関銃が設置されている。

 車体前部右の窓が素早く開くと、ESOの緑の制服に身を包んだ竹田二尉が慌てた顔を出し、

「加藤、後ろだ!速く乗れ!」

と指示する。

「!」

光秋は返事の代わりに素早く動き、後部右のドアを開けて急いで綾を乗せ、左の席に着いたのを見ると自分も跳び込む様にして席に着き、ドアを閉める。

 同時に、

「どうぞ!」

と、竹田に向かって叫ぶ。

「!」

竹田は素早く車を後退させてそのまま右折すると、今度は跳ねる様に前に左折して来た道を戻る。

「「……!」」

シートベルトをしていない光秋と綾は、その間自分の体を支えるのが精一杯である。

 車の走りが落ち着くと、光秋は左の脚ポケットに左手を添える。

―万一に備えて、出かける時はいつも持つようにしてた習慣が役に立ったな!しかし……―「二尉、ニコイチ、使っていいんですか?」

「あぁ。使用禁止は一時解除だそうだ。それに今回は、向こうの数も装備もかなりいいみたいだし、人手が必要なんだろう?」

「そういうことですか……」

 話している間に京都支部の白い建物が光秋の左側に見え、十字路の赤信号を無視して左折した竹田は一気に支部の正門へ突っ込む。

「「……!」」

弧を描いて右折した車体が門をくぐり、敷地の駐車場に半回転して停まる中、光秋と綾は再び体を支えることで手一杯になる。

 車が完全に停まると、光秋は前席に身を乗り出し、右の運転席の竹田と顔を合わせる。

「二尉ところで、綾を支部に置きっぱなしにはできませんよ?」

「?……なんでさ?」

「なんでって、機密!」

「……あぁ!」

「戸松教授の所へ連れて行くのは?」

「んー……やめといた方がいい。川の向こう側はもう危険と見た方が……」

「じゃあ…………!一般人の保護を名目に、支部から離れた所で綾を見ててくれませんか?」

「えぇ!?」

「このままここにいたら機密漏れになりますし、教授の所に連れて行けないともなれば、それが妥当です!」

「…………わかったよ。じゃあとりあえず、南側にでも移動するさ」

竹田は左の人さし指で右側を指す。

「お願いします!」

言うと光秋は体を引っ込め、綾と顔を合わせ、両手を綾の肩に乗せる。

「綾、僕がいない間、竹田さんの言うことよく聞け!そうすりゃあ、とりあえず大丈夫だ!」

「……嫌なこと、なんとかしに行くんだよね?」

「あぁ!」

「……わかった」

「……」

綾の表情が少し曇るが、光秋は気付きつつも掛ける言葉一つ思い付けず、右手で帽子を脱いで右肩のカバンと一緒に綾に差し出す。

「僕のいない間、預かっててくれ」

「……うん」

 綾の返事を聞くと、光秋はドアを開けて車から降りる。

「じゃあ、綾も気を付けてな!」

それを最後に、光秋はドアを閉める。

 光秋がすぐに3歩程下がると、車は門へ向かい、右折して塀に隠れる。

 直後、

「加藤!」

「!」

右後ろから聞こえた声に光秋は振り返ると、制服を着た藤原と、その後ろに小田一尉が続いて駆け寄ってくるのを見る。

「?……竹田は?」

光秋の前に着いた藤原が、辺りを見回しながら言う。

「来る途中に避難していた一般人を発見し、現在安全な場所に搬送しています」

「避難だと?……」

「三佐、今はそれよりも」

藤原の右隣に立つ小田が言う。

「!……そうだったな!加藤、頼む」

「はい!」

 藤原に言われた光秋は、左手を左の脚ポケットに伸ばしてカプセルを取り出すと、その先端を左側の空間に向ける。レバーを「入」から「出」に切り替え、ボタンを押すと、先端から放たれた白い光が1メートル程進み、ぐんぐんと拡張すると、力尽きた様に座り込む白い巨人-ニコイチが実体化する。

 光秋はすぐにその左側に駆け寄ると、右手で伸ばしてあるリフトを掴み、上昇する。上り切ると右手1本でリフトをハッチに仕舞い、メガネを軽く上げながら操縦席に着き、カプセルを左肘掛に仕舞って両手を操縦桿に置く。両端から正面へ移動したパネルの上部から赤い光が放たれ、両目を精査する。同時に左右の操縦桿の握り手から青い光が放たれ、両手を精査する。イスの頭部から伸びる腕からピッという音が鳴る。中央パネルに「脳波」、「指紋」、「網膜」の照合一致が表示され、イスが機内へと降下する。

 右手でメガネを戻しながら、光秋は、

―実戦は、『蜂の巣』以来1カ月(ひとつき)ぶりだが……―

と、小さな不安を抱く。

 降下が終わり、ハッチが閉まりパネルの光以外の闇に覆われると、頭上から円形の青い光が放たれ、光秋の全身を精査する。中央パネルに「静脈」の照合一致が表示されると、機内のモニターが一斉に灯り、機体周囲の光景を映し出す。

―……やってやる!―

不安を振り払った光秋は左手で右肘掛にある通信機を取って左耳にはめ、操縦席のシートベルトを締める。

 座り込んでいる体勢から立ち上がる様子を想像し、ニコイチの体もそれに完全に同期して動き、10メートルの巨体を直立させる。

「……とりあえず」

光秋は操縦桿から離した右手に目をやると、機体の稼働を意識しながら手をゆっくりと握り、広げてみる。視界の端に表示されたニコイチの右手の映像は、その手の動きに寸分狂わず合わせてくれる。もう一度握り、広げてみると、映像の手は誤差も狂いもなく光秋の手の動きに合わせてくれる。

「よし!」

(加藤、どうだ?)

左耳の通信機から藤原の声が響く。

「問題ありません。行けます!」

(加藤三曹?大河原だ!)

「主任?」

(今回は敵の数が多い!新装備で出てもらう!)

「新装備って?……!」

 言うやニコイチの足元に、人間用の物をニコイチ大に拡大した様な巨大なガトリング砲が出現する。両手で取り上げて見てみると、手前にある黒い直方体の本体から前に向かって六本の細長い銃身が伸び、その先端と、先端と根元の中間辺りが円形の金板で束ねられている。本体左上部には樽型の弾倉らしき物が、右上部には大型のライト状の照準器らしき物が設置されている。左下部には1本の突起が伸びている。

 右手で下部の持ち手を掴み、左手で突起を持った光秋は、

「主任、これは?」

と、通信機に言う。

(君がいない間に、ESOの技術部で開発した物だ。N砲のような間に合わせと違って、人間用の技術を本格的にニコイチに合わせた物だよ。もっとも、取り回しをよくするために軽量化したから、N砲より脆くなってしまった。くれぐれも、竹刀の様な使い方はしないでくれ!)

「……わかりましたが、こんな物々しいもので出て行って、NPを刺激しませんか?」

(どの道、もうすぐ要求の指定時間が切れる。始めから無茶な要求だったんだ)

(主任の言う通りだ)

藤原が加わる。

(儂らの今回の任務は、NPの制圧だ。お前は先行して、連中が設置したEジャマーを破壊してくれ。その後、近畿一帯のESOの本隊が現場で合流する)

「……了解!」

(三曹)

大河原主任が言う。

(今回は予備弾倉の荷台を付けている暇がない。すまんが、その1つだけで出てくれ)

「予備なしでですか?」

(弾倉1つにもかなりの弾数があるし、本隊合流後、補給品を運ぶ)

「……了解!」

(悪いな。しかし、君ならできる!弾は大事にな!)

「はい!」

 言うと光秋は、ニコイチを右-正門側に向ける。

「加藤光秋、ニコイチ、出ます!」

右ペダルを踏み込むと、機体背部の円が白く発光し、ガトリング砲を保持したニコイチは真っ直ぐ上昇する。

 

 「まったく!あいつはお父さんかよ!……」

両手でハンドルを握る竹田が、別れ際の光秋の綾への言葉を思い出しながら呟く。

 が、後部左席に光秋のカバンを抱えて座る綾には、耳にも入らないことである。

―嫌なことをなんとかしてくれるって……光秋…………―

別れ際の光秋のただならぬ様子が、綾を不安にさせ、視線を下に落とさせる。

 と、

「お!加藤が出たか!」

「!」

右のバックミラーを見ながらの竹田の言葉に、綾はすぐに顔を振り向かせる。

「……?」

 が、少し黒みがかった後部ガラス越しには、綾の地面を駆ける光秋という予想に反して、青空へと上昇する白い巨人が目撃される。

 綾は巨人を目で追いながら、

「竹田さん、光秋、いないよ?」

と、質問の声で言う。

「?……白いデカイのが見えるだろう?」

「うん」

「そん中だよ」

「……え?」

「あれ?加藤から聞いてないのか?あの白いの『ニコイチ』っていってよ。アレに加藤が乗ってんだよ」

「…………」

 すぐには竹田の言ったことが信じられない綾は、上昇を続ける白い巨人-ニコイチを一層凝視する。

「……!」

と、綾はニコイチの両手に黒く長い大きな物が抱えられていることに気付く。

―あれ機関砲?……!何で名前知ってるの?それに、何でこんなに嫌な気持ちに……怖い気持ちになるの?…………―

綾はニコイチを見ていられなくなり、顔の向きを前に戻して光秋のカバンを強く抱いて怖さを抑えようとする。

 と、

「…………」

脳裏に先程まで河原で一緒にくつろいでいた光秋の様子が浮かぶ。それを契機に、いろいろなことを教えてくれる光秋、料理を作ってくれる光秋、綾にはよくわからない小難しいことを生き生きと話す光秋、と、綾が知る限りの光秋の姿が次々と思い浮かぶ。

―……そう!光秋はあんな嫌なもののそばなんかにいない!竹田さんが嘘ついてる!―

 綾が持つ穏やかな光秋像が、竹田の事実に基づく説明を押し退けようとする。

―…………確かめる!―

心中にそう断じた綾は首飾りを外すと、それを光秋の帽子と一緒にカバンの中に入れ、光秋の見真似でカバンを右肩に斜め掛けにする。

「?……アヤ?」

 背後の異変を感じた竹田が声を掛けるが、綾は応じず、左のドアを開ける。

「!?……お、おい!」

開ける際の音で振り向いた竹田が止める間もなく、綾は車外へと跳び出し、そのまま一気に体を上昇させる。

「アヤ!」

突然の事態に戸惑いながらも、竹田は綾を追おうと前に向き直る。

 と、

「!」

目前に電柱が迫っているのが目に入り、急いでハンドルを左に切る。

「!…………」

竹田はすれすれのところで電柱との衝突を回避する。

 

 単身上昇を続ける綾は、自分の帽子を右手で押さえながら辺りを見まわし、ニコイチを捜す。

―あんなのに光秋が乗ってるわけない!あたしの目で確かめる!―

その思いが今の綾の行動の原動力となり、先程の恐怖心も抑えてくれるのである。

 

 高度を一定まで上げた光秋は、

―あれか!―

と、右の操縦桿を倒し、先程河原でも見た遠くに立ち上る黒煙に向かってニコイチを前進させる。同時に右ペダルを若干深く踏んで、ニコイチの速度を上げる。

 

 「…………見つけた!」

自分より少し高い高度を飛んでいるニコイチを発見した綾は、すぐに体をそちらに近づけようとする。

 が、直後にニコイチは視界の右側へ移動を始め、速度を上げて綾との距離を離していく。

「……逃がさない!」

そう言いつつも、普段飛び慣れていないせいか思うように距離を縮められず、むしろ綾とニコイチの距離はどんどん開いていく。

 が、

「……」

綾の両目は、徐々に小さくなるニコイチの背を捉え続けている。

 

 鴨川上空を越えた辺りで、光秋は前方から刺す様な悪寒を感じ始める。

「…………近いな」

 そう呟いた直後、悪寒が胸一点に集中すると同時に接近警報が響き、

「…………!」

モニター正面に黒いヘリの拡大映像とその情報が表示される。

 拡大映像が消えてモニターに直接ヘリが映し出されると、間を置かずヘリの両舷の箱状の装備からミサイルが1発ずつ、計2発がニコイチに放たれる。

「!」

光秋は右手に持ったガトリング砲を後ろに退くと、左腕をコクピットの前に横向きに差し出してミサイルを受け流す。

「……」

黒煙の拡大と左腕の鈍い痛みの中、光秋はガトリング砲の砲口をヘリに向け、照準を合わせようとする。

 が、

―……ここで弾を無駄使いするわけにもいかんか!―

咄嗟にそう断じて機体を左に移動させると、素早くヘリの右前に接近し、力加減に注意しながら右足でヘリのローターを蹴り外す。

 飛ぶ力を失った機体が眼下の道路に落下を始める直前、光秋は左手でヘリの尾部の付け根を掴み、機体前部のコクピットにガトリング砲の砲身を置いてパイロットの逃亡を防ぐ。

 すぐに左耳の通信機を意識しながら藤原の顔を想像する。

「UKD‐01より三佐」

(何か?)

通信機から藤原の声が響く。

「NPのものと思しき武装ヘリを1機確保。指示願います」

(こちらからも確認している。武装を外して道路に下ろせ。パイロットの身柄は後から来る他の隊に任せろ)

「了解」

(あと加藤、攻撃の前に勧告だ。忘れているぞ)

「!……すみません!」

(それと、市街地なので動きが制限されるかもしれんが、当たり過ぎには注意しろ。ニコイチの装甲が頑丈なのは事実だが、いつまでも持つとも限らんからな)

―……それもそうか?―「わかりました」

 言うと光秋は足元の2車線道路に着地し、砲身でコクピットを押さえたままヘリを置いてその上に馬乗りになると、空いている左手で両側のミサイルをむしり取り、機首の機銃を潰す。

 直後に後方から緑の装甲車5台が駆けつけ、ニコイチとヘリの周囲を囲む。

 光秋は右手で右パネルを操作し、外部スピーカーを入れると、

「では、後頼みます」

と言って、ニコイチを一定高度まで上昇させると、前進を再開する。

 

 飛び立つニコイチを後方の上空から凝視する綾は、徐々にニコイチを見る自分の心の変化に気付き始める。

―……なんだろう?あの白い大きいの、前にも見た気がする。見てると、ちょっとほっとする?……それに…………なんで光秋が重なるの?―

綾の目には、前方を行くニコイチの背に、光秋の顔が重なって見えるのである。が、なぜそう見えるのかは、綾自身にも全くわからない。




 いかがでしたか?
 久々のニコイチ登場ですが、光秋と綾の間に思わぬすれ違いを生みましたね。果たしてどうなるのか。
 次回もお楽しみに。

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