白い犬   作:一条 秋

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109 菊の気持ち

 あてどなく歩き始めてどれくらい経っただろうか。

 しばらく進んだ先に自動販売機とベンチを見付けると、光秋は引き寄せられる様にそこに腰を下ろす。

 そして、

 

「やっちまったぁ……!」

 

弱々しい声を漏らしながら俯き、その頭を両手で抱えた。

 それと同時に、思い出したように右の掌にひりひりとした痛みを感じ、その手をしげしげと眺める。

 

―僕は……何てことを…………―

 

 同じだけの痛みを北大路は頬に感じた――それを自分が与えたのだと思うと、その時抱いていた主張を押し退けて強い罪悪感が胸を覆ってくる。

 

―『選択肢は一つじゃないって、「そうしようと思った方」に賭けた方が賢いって、そっちが言ったくせにッ!!』……あれは、この前の催眠魔事件の時に僕が言ったことだよな。その上でのあの行動……―

 

 先程北大路が言ったことを思い出すと、唐突にフラガラッハに乗って現れたこと、注意しても降りることなく戦闘を続けようとしたこと、その理由がわかってくる。

 

―なるほど、あんな言葉をかけられれば、こういう受け取り方もする。その可能性はあったわけだ…………―「つまり、今回の件の原因、その一端は僕にもあるってことか…………」

 

 わかりはしたものの、その先どうしていいかはわからず、再び頭を抱え込んでしまう。

 そこに、

 

「……あの、光秋さん……?」

「?」

 

遠慮がちな声をかけられて顔を上げると、正面に涼が立っていた。

 

「涼さん?……どうしてここに?」

「予知のことで本部に来たことはさっき電話で話しましたよね。その後様子見というか、その……新しい動きがないかと思って、そのまま待機していて……そうしたら、光秋さんたちが戻ってくるのが見えて――あ、いえ、実際は古泉さんが千里眼で感知したのを教えてくれたんですけど……それで、本舎の前に行ったんですけど…………」

「あぁ…………それなら、『あれ』も見ちゃったか……」

「……はい……」

 

 状況を察して気まずそうに訊ねる光秋に、涼も言いにくそうに小さく頷く。

 

「……その……隊の子たちと何かあったんですか?すごい大きな声出して……」

「そのぉ……なんと言うかなぁ…………」

 

 迷いながらも結局訊いた涼に、光秋は頭の中で整理したことの経緯(いきさつ)を話す。

 予知の原因を解決して本部に戻る道中、NPがZCの隠れ家を襲撃するところに居合わせてしまったこと。それを鎮圧する最中、突然北大路がフラガラッハに乗って戦闘に介入し、危うくやられそうになったこと。それを本部に帰って咎めようとした際、頭に血が上って手を挙げてしまったこと。そのことを、今凄く後悔していること。

 

「……いや、言ったこと、叱った内容自体に悔いはないんだよ。実際危なかったんだし。ただ、引っ叩いたのは流石にやり過ぎたかなというか、そこは少し感情的過ぎたかというか…………」

 

 補足――というよりも言い訳を重ねるごとに情けなくなってきて、頭を掻きながら口を閉ざす。

 

―ますます何やってんだろうな、僕は。涼さんにも心配かけて…………―

 

 思いつつ、頭を掻く手に力を込める。

 その時、2人目の知っている声がかけられる。

 

「加藤主任。戻られてたんですね」

「曽我さん……」

 

 言いながらこちらに歩み寄ってくると、曽我は涼に怪訝な目を向ける。

 

「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「あっ……予知の算出に協力させていただいております、鷹野と申します……」

 

 訊かれて、涼はバツが悪そうに答える。

 

「予知の?この棟は関係者以外立ち入り禁止ですよ。協力者といえど、そこは守っていただかないと」

「すみません……」

 

 やや強い語調の曽我に、涼は小さくなりながら応じる。

 

―あぁ、保安上の問題か……―

 

 2人のやり取りを見てぼんやりそう思うと、光秋は涼の前に立って曽我に告げる。

 

「いえ、僕の所為なんです。ちょっとしょげてたところを心配してついてきてもらって、それに気付かなくて……とにかく、すぐに出ますので。さぁ、涼さん」

 

 言うと光秋は涼の手を取り、そのまま玄関へ向かおうとする。

 

「ちょっと待った」

 

 が、いくらも進まない内に曽我に呼び止められる。

 

「しょげてって、主任何かあったんですか?そういえばさっき本舎の前を通った時、特エスの子たちがパトカーのそばにいましたけど」

「あぁ…………実は……」

 

 少女たちの現状を見られているなら隠しても仕方ない。そう思って、涼に話したことをもう一度話す。

 

「…………なるほど。そんなことが」

「…………」

 

 聞き終わって合点がいった顔をする曽我に対し、2度話したことで情けなさが増した光秋は床に目のやり場を求める。

 

「幼少の特エスじゃ偶にあるトラブルですね。ワタシも他人(ひと)のことは言えませんが。それで?これからどうされるんです?」

「どうって……そりゃあ、ずっとこのままってわけにもいきませんからね。そろそろあの子たちの所に戻って、ちゃんと……話を…………」

 

 口にして、光秋は自分が今どんな状況に陥っているのか自覚する。

 

―そうだよ。この後また会わないといけないんだ。ただでさえ北大路さんとは不仲だっていうのに、こんなことの後でどの(つら)下げて会えばいいんだ…………―

 

 途方に暮れそうになりながらも、遠からず北大路と再び顔を合わせなければならない現実から逃げられないことも理解しており、足は玄関へと向かう。

 直後、

 

「それなら、まずワタシが行きますよ」

「……え?」

 

後ろからかけられた曽我の言葉に、思わず立ち止まって振り返る。

 

「行きますって……?」

「話し合いをする気はあるんでしょう?だったらまずワタシが間に入って、子供たちを落ち着かせた上でここに連れてきます。加藤主任はそれまで待っていてください」

 

 言うや曽我は光秋と涼を追い越し、玄関へ向かう。

 

「いや、でも……いいんですか?曽我さんにそこまでしてもらって」

「今主任が行ったところで、反発されて話し合いにならないでしょうからね。大丈夫、特エスには特エスだからこそ通じるものがありますから」

 

 私的な事情に巻き込んでしまったようで後ろめたさを覚える光秋とは対照的に、歩きながら自信満々に応じた曽我はそのまま廊下の奥へ消えていく。

 

「…………」

 

 残された光秋は、その背中が見えなくなるまで見送ることしかできなかった。

 と、それまで横で2人のやり取りを見守っていた涼が訊いてくる。

 

「……今の方、お知り合いですか?」

「あぁ……そういえば、涼さんは初めて会うんだっけ。曽我さんっていうんだ。曽我ガイアさん。彼女も特エスで、本部に来てから何かと世話になってる」

「……ソガさん……ですか……」

 

 言いながら、涼は曽我が歩いて行った方を眺める。

 

「…………とりあえず、外出るか。僕は子供たち待ってなきゃいけないから、せめて玄関まで送るよ」

 

 言うと光秋は、再び涼を伴って玄関へ向かおうとする。

 が、1歩踏み出したところで後ろから涼に肩を掴まれて足を止める。

 

「もう少しだけいさせてください」

「いや、でも、見付かるとまた怒られるぞ?」

「これ以上先には行きませんし、光秋さんからも離れません。ちょっと、いろいろ訊きたいことがあって…………とりあえず、座りましょう。ちょうど自動販売機もありますから、何か飲みましょう!」

「…………」

 

 珍しく押しの強い涼に圧倒されて、光秋は結局その場に留まってしまう。

 その間にも、涼は自動販売機の前に立って財布を取り出す。

 

「光秋さん、なに飲みますか?」

「いや、それは流石に自分で――」

「付き合ってもらうのは私ですから。なにがいいですか?」

「…………じゃあ、緑茶で」

 

 強くはないが有無を言わせない涼の様子に膝を折ると、光秋は買ってもらった緑茶の缶を受け取り、同じ物を買った涼に続いてベンチに腰掛ける。

 

「それで、訊きたいことって?」

 

 もらった緑茶の缶を持て余しながら、光秋は左隣の涼に訊ねる。

 

「えっと、北大路さんって言いましたっけ?勝手な行動をとったっていう子」

「あぁ……そういえば、涼さんはあんまり関わりなかったっけな。あの3人の中じゃあ、菫さんくらいか」

「そうですね。だから、その子がどんな子かはよく知らないんですけど…………そもそも、何で戦闘に加わるなんてことをしたんでしょうか?」

「何でって…………あれ?」

 

 言われて、光秋は北大路の意思に考えが及んでいなかったことに気付く。

 

―一応、この前僕が言ったことが影響しているのは確かだろう。『そう思う方に賭けた方がいいい』って…………じゃあ、あの時北大路が『思ってたこと』は何だ?何を思ったからこそ、彼女はあんな行動に出たんだ…………?―

 

 思考を巡らせてもこれといった目星は浮かばず、それは連鎖的に北大路との交流の乏しさを思い起こさせた。

 

「……どう、だろうな……北大路さんとはあんまり話す間柄じゃなかったから――否、それこそ言い訳だな。そういう部分もしっかりこなしてこその特務部隊主任だって、そう自覚してたはずなのに……」―今回の件は、そのツケが回ってきたってことか……―

 

 言葉にしてみて、改めて自分を至らなさを実感する。

 

「その子の能力って、なんです?」

「……サイコメトリー」

「他には?」

「それだけだが」

「後の2人は?」

「桜さんが念力で、菫さんが瞬間移動。一応言っとくと、2人ともそれ以外の能力はないよ」

「…………」

 

 ひとしきり質問すると、涼は考える顔を浮かべる。

 

「…………私、特エスの仕事ってテレビやネットで観た範囲でしか知らないんですけど、今の説明を聞いた印象だと、一番活躍するのはサイコキノの桜さんじゃないですか?昨今のNP・ZCの抗争に関わる機会も多いならなおのこと」

「あぁ。それはそうだな。実際さっきも、一緒に前に出て戦ってた」

「では、2番目は菫さんですか?」

「……そうだな。装備や弾の補給とか、主に戦闘のサポートで頑張ってくれてる」

「そうですか……では、北大路さんは?戦闘中、どんなふうに活躍してますか?」

「北大路さんは…………いや、まさか…………」

 

 そこまで言われて、光秋は直前の問いの答えを通り越して、涼の言わんとしていることに思い至る。

 

「光秋さんの話を聞く限り、北大路さんはあまり活躍していないのでは?」

「いや、まぁ……確かにそうだが……でも、捜査とかそういう時は大活躍なんだぞ?この間の通り魔事件の時だって、今回の予知出動だって、北大路が頑張ってくれたから…………」

 

 涼の指摘に動揺しつつ応じながらも、言葉を重ねるごとに光秋はそういうこととはまた違うのだと察していく。

 

「それでも、やはり戦闘は隊全員に大きな負担が掛かる時では?他の時にどれだけ活躍したとしても、チーム全体が大変な時に何もできないというのは、その一員としてやはり辛いものがあると思います」

「…………やっぱり、そういうもん、か…………」

 

 自分の中に浮かんだことをことごとく言葉にしてくる涼に、光秋は応じながらその洞察力に感服していた。

 

「もちろん全て私の推測にすぎませんが……それでも、周りの――自分に近しい人の力になりたくて、でもなれないという辛さは、私も知ってますから……」

「涼さんも、なんか悩んでんのか?」

「え?……あっ!」

 

 補足と、その後の半ば独り言のような呟きに光秋が応じると、涼は口が滑ったことに気付いたような気まずい顔を浮かべる。

 

「いえ……そのぉ…………」

「今は自分のことに手一杯だから無理だがさ、この件が落ち着いたら、よかったら相談してよ。今日のこともあるしさ…………涼さん程上手くやれるかは、流石に保障できないけど」

 

 言い淀む涼に、最後の方は苦笑いを浮かべて言ってみせる。

 その時、

 

「加藤主任」

「あぁ……曽我さん」

 

曽我の声に顔を向けた光秋は、その後ろに桜、菫、そして北大路の姿を認め、結局開けなかった缶をベンチに置いて4人の――北大路の許へ歩み寄る。

 

「…………」

 

 自分が涼と話していたように、曽我となにかやり取りがあったのか、北大路の態度はどこかしおらしく、気まずそうに視線を下に向けている。

 

―何であれ、まずやるべきは…………―

 

 思いつつ、呼吸を整えて緊張を和らげると、立ち止まった光秋は北大路をしっかりと見据える。

 そして、

 

「すみませんでしたっ!」

 

よく通る声で告げながら、90度の深さに頭を下げる。

 

「…………!?」

 

 突然の謝罪に動揺したのか、北大路は目を丸くして黙り込んでしまうものの、光秋は構わず続ける。

 

「急に怒鳴ってしまって……いや、言った内容は悪いとは思っていないけど……とにかく、引っ叩いたのはやり過ぎた。すみませんでした」

 

 もう一度謝罪の言葉を告げて頭を1つ分さらに下げると、そのまま膝を折って北大路と視線の高さを合わせる。

 

「……その上で、教えてほしい。北大路さんは、何であんなことをしたんだ?」

 

 自身逸りそうな気持ちを落ち着けようと、敢えてゆっくりとした口調で先程からの疑問を投げかける。

 

「…………」

 

 それに対して、北大路は視線をそらし、沈黙を返す。

 

―……やっぱり、今更こんな話しても手遅れかな?それこそ、「何を今更っ」とか思ってたり…………―

 

 不安が募っていく中、不意に桜が声をかける。

 

「ほら、菊」

「……うん」

 

 それに後押しされてか、北大路はようやく顔を上げ、ゆっくりと話し始める。

 

「…………桜ちゃんが、前に出て戦って……菫ちゃんが、テレポートでいろんな物を取り寄せて、それを手伝って…………それに……加藤さんだって……ノーマルの加藤さんだって、メガボディに乗って戦ってるのにっ、私はそういう時、見ていることしかできなくて…………」

―ここまでは推測通り、か……―

 

 徐々に声に熱と、微かな湿度が籠り出した北大路の言葉を、光秋はそう思いながら黙って聴き続ける。

 

「メガボディに乗れば――もっと大きな“力”を持てば、私でもみんなと一緒に戦えると思って……サイコメトリーなら操縦方法もすぐに把握できるから行けると思って……思って…………でも…………っ……」

「みんなの――このメンバーの力になりたかったんだな?」

 

 言葉が詰まり、手を握り締めて小刻みに震え出した北大路に、光秋は確認の声をかえる。

 

「っ…………でもっ…………」

 

 それに鼻をすすって頷くと、北大路の声にいよいよ嗚咽が混ざってくるのがわかる。

 

「その感じ方は、正しいと思う」

 

 言いながら、光秋は震える北大路の両肩にそっと手を置く。その胸中は、目の前の北大路への共感でいっぱいだった。

 

―桜さんや菫さん――自分に近しい人を守りたくて、その力になりたくて、でも果たせなかった無念……今の北大路さんは、僕がなるかもしれなかった姿かもしれない。ほんの1年前まで、僕も“力”らしい“力”なんて持ってなかった。神モドキさんにどういう意図があったにせよ、僕からすれば偶然授けてもらった“力”を糧に、今日までどうにかこうにかやってきただけのことだ…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 浮かんできた言葉を口の中で噛み締めながら、さらに続ける。

 

「なるほど。それが北大路さんの『そうしようと思ったこと』か。それで実際に行動に移したなら――今の自分ができる最大限のことをしようとしたなら、それは大したものだ。でもな……」

 

 そこで一旦息を整え、北大路の肩から手を放してその目を見据え直す。

 

「でもな、あんなやり方じゃ、北大路さんが死んじゃうよ。それだって同じくらい、僕にとっては曲げられない一線だ。死後の世界なんてのがどんなものか知らないが、少なくとも、もう大事な人に会えなくなると思うぞ?そうまでして力になろうとした桜さんにも菫さんにも……昨日本部まで迎えに来てくれた、此方さんや彼方さんにもさ」

「!」

 

 最後に挙げた2人の名前が余程予想外だったらしい。それまで堪える様に泣いていた北大路は涙を引っ込め、光秋の顔をまじまじと見る。

 

「これでもさ、桜さんと菫さん以外に友達がいるって知った時、ちょっと驚いたんだぞ」

 

 その視線がどうにも気まずくなって、苦笑を浮かべながら言った。

 

「それにさ、確かに戦闘ではいまいち活躍できなかったかもしれないけど、捜査活動においては北大路さんの独壇場だったじゃないか。現に今回の予知出動だって、北大路さんが女の人の不調に気付いたから早く対処できたわけだし、念力の暴走を察知して声をかけてくれたから僕も巻き込まれずに済んだんだぞ。あれ?そうなると、北大路さんは僕の命の恩人ってことなのかな?」

「…………」

 

 最後の方は冗談半分で言ってみると、北大路はどう反応していいか困った顔を向けてくる。

 

「……まぁ、なんだ。過ぎたことをどうこう言うのはこれくらいにしてさ……とりあえず、北大路さんがどうしたいかっていうのはわかったから、次の訓練は、その辺も踏まえたものにしよう」

「……次?」

 

 誤魔化しも兼ねて告げられた光秋の言葉に、北大路は意表を突かれた顔をする。

 

「そりゃそうだろう。あくまでも()()()()()が終わったってだけで、これで全てが終わったってわけじゃないんだ。次がある以上、僕らはそれに備えないと」

 

 言うと光秋は膝を伸ばし、桜と菫に顔を向ける。

 

「桜さんと菫さんも、ひと仕事の後に嫌な思いをさせてすみませんでした。それと本当に遅くなったけど、みんな今日は御苦労だった。学校には今日1日休むって連絡してあるから、各自でゆっくりしてくれ。疲れを明日に引き摺らんようにな」

 

 言うと今度は曽我と、後ろの涼をそれぞれ見やる。

 

「涼さんと曽我さんも、いろいろお騒がせしました。ありがとうございます」

 

 言いながら、2人に深く頭を下げる。

 

「いいえ。お力になれたのなら嬉しいです」

「また貸し一つですね。楽しみにしてますから!」

「……敵わないなぁ、曽我さんには」

 

 嬉しそうな涼と、期待の笑みを浮かべる曽我を見ると、光秋は頭を掻きながら歩き出す。

 

「じゃあ僕、報告書書かなきゃいけないんでこれで。あ、そうだ桜さんたち。ゆっくりしてくれとは言ったけど、羽目を外しすぎないようにな」

「わかってるよっ」

「はいっ」

「…………」

 

 不服そうな桜、素直に応じた菫、未だ気まずさを残しつつもこくりと頷いた北大路を見ると、光秋は足を速めて自分の待機室へ向かう。

 

「て、光秋さん!お茶忘れてますっ」

「あっ……」

 

 無意識にベンチに置いてそのままだった緑茶の缶を示す涼の呼びかけに、慌てて引き返した。

 

 

 

 

 午後5時。

 予知出動と帰り途中の抗争鎮圧の報告書を書き上げた光秋は、椅子の背もたれに体を預け、固まった体を伸伸ばす。

 

「っ…………」

 

 と、ポケットの中の携帯電話が振動する。

 

「徳川さん?……もしもし?」

(加藤?今いいか?)

「はい。どうされました?」

(帰り途中に暴れてたNPとZC、その捕まえた連中の取り調べがひと通り済んだんで、一応報告しようと思ってさ)

「!お願いします」

 

 自身気になっていたことの思わぬ申し出に、電話越しに頭を下げる。

 

(じゃあまず、発端から話そう。やっぱりというか、仕掛けたのはNP側だった。といっても組織の方針ってわけじゃなくて、あの近くを拠点にしている支部――と言っていいかもわからない小グループの独断だったらしいけどな)

―『()()()()()()落とし前は帰還してからつけさせてもらう』……赤坂の――あのキタザワって人が言ってたのは、そういうことか―

 

 徳川の説明に、光秋は現地で聞いた北沢の言葉に内心で合点する。

 

(工場地帯での抗争で拠点が潰されてからこっち、日本州内ではどうも負けがこんでるみたいで、その焦りからあのビル――というか、ZCの隠れ家を攻撃して、どうにか士気を保とうとしたらしい)

「抗争は連日ニュースになってますけど、NPって今追い詰められてる形なんですね。でも、あのビルがZCの隠れ家だって何でわかったんです?」

(NP独自の情報網があるらしい。それについては詳しいことを知ってる奴を逮捕できなかったから、これ以上はなんとも言えないがな)

「なるほど……でも、何でよりによって今日決行したんです?ビルから少し離れた渋谷に警察やESOが大勢集まってるような、NPにとってはある意味最悪なタイミングで」

(それについては、実行グループの間でも直前まで意見が割れてたそうだ。お前が言ったようにタイミングが悪いから日を改めようって派閥と、秒読み段階で中止したらそれこそ士気に関わるから強行しようて派閥。強行派については、予知調査で人手が割かれてるならかえって邪魔が入らないんじゃないかって考えてた奴もいたらしい。まぁ、これについては俺たちが居合わせたわけだが)

「まぁ、狙ってた人たちからすればとんだ誤算ってことなんでしょうがね……」

 

 徳川の説明を聞いて、光秋はどんな顔をすればいいか迷ってしまう。

 

―対処すべき側である僕らからすれば、すぐに現場に行けたのは幸運であり、実行グループからすれば追い詰められているところに追い打ちをかけた不運ということだったんだろう。僕個人にとっては北大路さんとの悶着の所為か、素直に喜べない『幸運』だけど……死中に活を見出すというのか、敢えて高リスクと思える方を選ぶって、それこそ工場地帯でのデ・パルマ少佐みたいだよな。今回の人たちは見事にハズレたってことなんだろが……―

 

 その行動自体には決して賛同できないことを重々承知しながらも、先日の自分たちとどことなく似通った精神性を見出してしまった光秋は、実行グループに対してついつい同情にも近しい気持ちを感じてしまう。

 もっともそれも数秒のことで、すぐに頭を振ってそれを追い出す。

 

「で、ただでさえ思った以上に苦戦しているところに僕たちが来て、Eジャマーも壊れてZCに返り討ちに遭って、救援こそ来たものの実行グループの多くはお縄に、ZC側も巻き込まれる形で御用に……と、こんなところですか?」

(あらすじとしてはそんなところだろうな)

「……なんか、踏んだり蹴ったりですね」

 

 聞いた説明と実際に見た光景を整理したものに、徳川はあっさりと頷き、光秋は自分で言っておきながらも他人事とは思えないいたたまれなさを感じた。

 

「…………まぁ、だいたいわかりました。ありがとうございます」

(あぁ……落ち着いたら、また飲みに行こうぜ)

「是非っ」

 

 誘ってくれた徳川に、この時だけは仕事の疲れもさっきから感じる妙ないたたまれなさも忘れて力強く応じる。

 

(じゃあ、またな)

「はい。ありがとうございました」

 

 一礼しながら応じると、光秋は電話を切る。

 その直後、待機室のドアがノックされる。

 

「はい?」

 

 携帯電話をポケットに戻しながら応じると、学校の制服を着た北大路が入ってくる。

 

「北大路さん?」

「……どうも」

 

 予想外の訪問者に少し驚いていると、北大路はちょこんと頭を下げる。

 

「どうした、こんな時間に?まさか、解散してからずっと廊下で待ってたのか?」

「いいえ。一旦寮に帰って、シャワー浴びて、すっきりしたらいろいろ考えちゃって……その…………()()さんにお話しが……」

「……僕に?」

 

 北大路の言い方に微かな違和感を感じたものの、それを一旦横に退けて、席を立った光秋はその許に歩み寄る。

 

「それで、話って?」

「…………」

 

 言葉を促すものの、北大路は気まずそうに視線をそらして俯いてしまう。

 

「…………なにか、言いにくいこと?」

「言いにくいというか……言いづらいというか……」

「それだったら別に無理しなくても」

「そういうわけにも行かないんですっ」

 

 切り上げを提案しようとする光秋を、北大路には珍しい強い語調が止める。

 

「言わないといけないことだから……私が、自分でちゃんと言わないといけないことだから…………だから、言いますっ」

 

 自分に言い聞かせるように、心の準備を整えるように告げると、北大路は顔を上げて光秋を見据える。

 そして、

 

「…………さっきは、すみませんでした」

 

決して大きくはない、しかし確かな声で告げながら、北大路は頭を下げる。

 

「えっと…………」

「よく考えたら、メガボディに勝手に乗ったことまだ謝ってなかったし……靴、投げ付けちゃったし……」

「あっ……」

 

 言われて、突然の謝罪に唖然としていた光秋は、いろんなことで頭が一杯になって今の今まで失念していたことを思い出す。

 

―そういや、そうだったな……―

 

 そう思うと、背中に靴が当たった時の軽い衝撃さえも蘇ってくる。

 

「…………もしかして、忘れてました?」

「いや、そのー……あの後いろいろあったからさ…………」

 

 呆れた顔で訊いてくる北大路に、光秋は目をそらして応じる。

 

「それはそうと……なんか意外っていうか、新鮮だな。北大路さんが頭下げるなんて」

 

 そんな気まずさを誤魔化すことも兼ねて、今一番感じていることを口にする。

 

「そっちが謝ったんだし、私も謝らないと、なんか気持ち悪いでしょう……それと、さっきから言おうと思ってたんですけど」

 

 不貞腐れた顔で応じると、北大路はすっかりお馴染みになった仏頂面を向けてくる。

 

「いつまで私だけ名字呼びなんですか?」

「…………えっ?」

 

 おそらくは知り合って以降、一番予想外な問いかけに、光秋は目を丸くする。

 

「いつまでって……」

「桜ちゃんや菫ちゃんはとっくに名前で呼んでるくせに、私だけいつまで経っても名字って、なんか嫌な感じです。差別ですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「だったら」

 

 挑発するような、あるいは期待するような目で促してくる北大路に、光秋はぎこちなく応じる。

 

「……菊、さん……?」

「はいっ」

 

 そうして返してきた北大路――菊の顔には、ほんの微かではあるものの、出会ってから初めて見る笑みが浮かんでいた。

 

―……ようやく、かな?―

 

 その微笑みを見据え、脳裏に桜と菫の顔を思い浮かべると、光秋は妙な達成感を覚えながらそう思った。

 

「…………よかったら、この後一緒に夕飯食べていくか?」

「えっ?」

 

 唐突な光秋の提案に、今度は菊がハッとする。

 

「いやさ、平手打ちのお詫びっていうか、せっかく本部まで来たんだしさ。僕の方ももう少しで仕事が片付くから、それまで待っててくれればだけど」

「…………」

 

 そう続けると、菊は考える顔を浮かべる。

 と、光秋の携帯電話が振動する。

 

「悪い、ちょっと」

 

 断りを入れて画面を開くと、福山からだった。

 

「はい?」

(先程の戦闘で使用した鉄球だが、報告書の進捗はどうだ?)

「…………はいっ?」

 

 菊関係のごたごたで完全に失念していた、そして間もなく仕事がひと段落すると思っていた身には強烈過ぎる問い掛けに、弛緩しつつあった神経が一気に緊迫する。

 

「えー…………報告書って……?」

(京都から送られた00用装備だ。その使い勝手のレポートのことなんだが)

 

 気が動転しているのか、口が無意識に言わずもがななことを訊ねると、薄々予想していた答えが返ってくる。

 

(メガボディの完成度を高める為、今はどんな些細なデータでも欲しいんだ。まだのようなら、今日中に僕の方に提出してくれ。頼んだぞ)

 

 告げるや、福山の方から電話は切れる。

 

「…………」

 

 通話後の電子音を律儀に鳴らし続ける携帯電話を耳から離すと、光秋は気まずそうに菊を見やる。

 

「あー……すまない。まだ用事が残ってた…………食事の件はまた今度ってことで」

「ホント、三枚目……」

 

 恐る恐る告げる光秋に、菊は呆れ顔を浮かべた。

 

 

 

 

 午後7時。

 福山から催促された鉄球を含め、報告書を全て提出した光秋は、その足で帰路についた。

 吊り革に掴まって電車に揺られながら窓の外を眺めていると、菊のことが浮かんでくる。

 

―自分から言った矢先に断るって、悪いことしちゃったな。その点も含め、お詫び頑張らないと…………―

 

 そう思いつつ、罪悪感に混じって喜びを覚える。

 

―北大路――菊さんとこんなふうに関われる日が来るとはなぁ……いろいろ大変な――どころか、危うい場面もたくさんあったが…………雨降って地固まる、といったとこかな?―

 

 初めて見せてくれた笑顔を思い出しながらそう思うと、光秋の頬も自然と弛んでいく。

 しばらくして電車を降り、駅近くのラーメン屋に入ると、カウンターの端に座ってメニューを確認する。

 と、携帯電話が振動する。

 

―メール?―

 

 思いつつ画面を開くと、差出人は法子だった。

 

―法子さんっ?―

 

 思わぬ相手に心弾ませながらメールを読もうとしたその時、カウンターの向こうから店員の声がかかる。

 

「ご注文は?」

「あー、ラーメン1つ」

 

 ひとまずそれに答えると、改めてメールを見る。

 

『今電話してもいいですか?』

「…………『すみません。今はダメ。都合がつき次第こっちからかけます。』」

 

 少し考えてそう返信すると、携帯電話をポケットに戻す。

 

―電話……何だろう……?―

 

 気になったものの、店の中でかけるのもどうかと思い、出てきたラーメンをなるべく早めに食べて寮に戻った。

 

「さて、なんだろう?」

 

 カバンを置くや携帯電話を取り出し、法子の番号にかける。

 

(もしもし?)

「法子さん?お待たせしました」

 

 数回の呼び出し音の後に響いた法子の声に、微かに喜び、同時に安堵を覚える。

 

(うんうん。私の方は大丈夫)

「すみません。ちょうど夕飯にしようと思ってた時で。それで、今回はどうされたんです?」

(あ、うん。実はね……25日の夜、そっちに行くことになりました!)

「!25日っ?」

 

 心底からの喜びを乗せた綾の声に、待ち侘びていた日をついに知った光秋は、その突然さに思わず動転しつつカレンダーを見る。

 

「……来週の金曜日か」

(うん。仕事終わってすぐに向かって、電車の都合も考えると、東京駅に着くのは8時過ぎかな)

「じゃあ、その日迎えに行きます」

(え?いや、でも、悪いよ。光秋くんだって仕事終わりで疲れてるだろうし)

「そこまで軟じゃないですよ。それに東京駅から僕の寮の最寄り駅まで乗り継ぎとかちょっとややこしいし……それに…………」

(それに?)

「……とにかく、当日は東京駅まで迎えに行くので。改札の近くで待っててください。それじゃあ、当日楽しみにしてます」

 

 言うと通話を切り、天井を仰ぎながら、先程言いかけたことを零す。

 

「少しでも早く会いたいし――なんて言うのは、流石にちょっとな…………あっ」

 

 そこでふと、ある失態に気付く。

 

「なんですぐに切っちゃうかなぁ。もっと話せばよかった…………」

 

 自分から切った携帯電話を名残惜しそうに見ながら呟くものの、数秒後には来週に迫った伊部姉妹との再会に心躍らせる。

 

「ま、来週にはたくさん話せる――どころか、久しぶり顔を合わせられるんだし、いっか。とりあえず、来週末は予定が空くようにしとかんと……」

 

 嬉しそうに呟きつつ、数日内の予定を頭の中で調整しつつ、今日一日の疲れも忘れて風呂の用意を始めた。




 今回で「平手の音編」は終了です。
 次回からも引き続きよろしくお願い致します!

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