3月15日月曜日午前8時半。
加藤隊待機室、その机に腰を下ろした光秋は、週末の桜たちの訓練風景を振り返りつつ、腕を組んで悩んでいた。
―僕なりに、桜さんたちにはいろいろ施しているつもりだが、その効果の程は今一つ解らないのが実状だ。この前は『ゆっくりだけど確実にで行こう』と思ったものの、昨今の情勢を顧みるにそこまで悠長なことも言ってられん気がしてきたんだよなぁ…………―
脳裏に浮かぶのは、休日の間にニュースで観たZCとNPの抗争に関する映像の数々だった。
小規模なものは鉄パイプのような簡素な武器や低レベルの念力を用いた公共物の破壊、大規模なものではメガボディや戦車などの兵器を用いた拠点の潰し合い。
そうしたことが日本はおろか世界各地で頻発していることを日曜の夕方に耳にして、事態に直接関わる立場にある光秋は若干の焦りを感じていた。
―今の様なやり方とペースで訓練を続けても、いざ事件が起きた時、『ほほぶっつけ本番』ということにもなりかねん。桜さんたちがもっと思いっ切り力を振るったり、メガボディとの戦闘体験ができる機会に乏しいのもあるよな…………やっぱり、デ・パルマ少佐たちに相談してみるか?―
考えを巡らせる果てに浮かんできたのは、右肩にスフィンクスのマークが描かれたゴーレム、ソレを操るデ・パルマ少佐と関大尉の顔だった。
その時、思考を中断する様にポケットの携帯電話が振動する。
「大河原主任っ?もしもし?」
画面に書かれた東京に来て以来ご無沙汰だった名前に驚いたのも束の間、すぐに電話に出る。
(おぉ二曹――失礼、今は三尉だったな)
「どうも。こちらこそお久しぶりです。どうかなさいましたか?」
スピーカーから聞こえてくる久しぶりの声色に、思わず懐かしさを覚える。
(いやな、年末に提案したニコイチの新装備が完成したから、その連絡にな)
「ニコイチの新装備……?」
(ほら、サン教ベースの戦いの後にレポートを出したろう。鉄球だよ)
「…………あぁっ!」
「鉄球」という言葉に、それまで失念していた記憶――年末の秋田で重機のそれを振り回した光景が蘇り、思わず驚きの声が漏れる。
(忘れてたのか?自分から提案しておいて……)
「すみません……あれからまたいろいろあって、すっかり…………」
呆れの声で言ってくる大河原に、言い返せない光秋は気恥ずかしいと思いながら応じる。
「……とにかく、作っていただいたんですね。ありがとうございますっ」
そんな気持ちを誤魔化すことも兼ねて強引に話しを続けながら、電話の向こうの大河原に向かって深々と頭を下げる。
(まぁ、それでだ。明日には本部に届くだろうから、近い内に試験運用のレポートを送ってくれ。場合によっては今後のメガボディ開発に反映できるかもしれないからな)
「明日ですか……承知しました」
応じながら、光秋は自身の胸中に嬉々としたものを感じる。例えるなら、楽しみにしていた贈り物が届く間近の様な、そんな気持ちを。
―仮にも武器だ。少々不謹慎かもしれないのは自覚しているが……それでも、自分の意見が形になったものに触れるのは、やっぱり悪い気はしないからな―
多少の自戒を覚えながらも、その独特の昂りを抑え切ることはできなかった。
アナウンスが流れたのは、まさにその時だった。
(予知部より連絡。次に呼ばれる方は至急会議室に集まってください。加藤光秋三尉……)
「!?」
いきなり名前を呼ばれてハッとしたのも束の間、光秋は大河原に告げる。
「すみません。急用が入ったのでこれで」
(らしいな。少し聞こえた)
「レポートの件は追々。それでは」
ドアに向かいながらそう告げ、電話を切ると、光秋は廊下に出てアナウンスが言っていた会議室へ向かう。
―予知部って言ってたよな……何だろう?―
途中、自分の後にも呼ばれたらしい主任たちに混ざって歩みながら、激しい胸騒ぎを覚えた。
人波に混ざって会議室に入った光秋は、そのままコの字状に並べられたテーブルの隅に腰を下ろし、顔を巡らせて室内の様子を窺ってみる。
こんなことは珍しくもないのか、パイプイスに座る主任の大多数はこれといった戸惑いも浮かべず、いたって平静だった。外から呼び出されたらしい警察や合軍の高官たちも似たようなもので、皆説明が始まるのを静かに、あるいは隣同士で軽い会話を交わしながら待っている。
―流石、というのかな?みんな場慣れしてるな―
その光景は、光秋に経験の差をいうものを否が応でも突き付けた。
その時、
「ここにいたか」
「……藤岡主任」
すぐ近くでかけられた声に顔を向けると、スーツ姿の藤岡主任がそこにいて、光秋が応じるや左隣のイスに座る。
「随分急な呼び出しですよね。警察や軍の方まで呼んで」
「軍人はともかく、俺にはそこそこ見慣れた光景だがな」
どこか慌ただしい今の心境を含んだ声で告げる光秋に対し、藤岡は周囲同様に落ち着いた様子で返す。
「……やっぱり、慣れてらっしゃいますか」
「そりゃあ、この仕事も長いからな。偶にあるんだ。規模が大きく、発生までにあまり時間がない、そういう緊急の予知ってやつがな。それで、これからそれについての対策会議を行うってわけだ。むしろこのくらいの猶予がある内はまだいい方だぞ。発生確率が9割を超えるような予知が突発的に出て、慌てて出ていくなんてこともザラだからな」
「あぁ…………」
言われて光秋は、去年の夏、蜂の巣戦後の復帰早々に予知出動に出た時のことを思い出す。
その間にも、会議室に1人の男性が駆け込んできて、それを合図にしたように室内のざわめきが止む。
「っ……」
その光景にいよいよ只ならぬ緊張感を覚えた光秋が息を呑む一方、息を整えた男性は正面の台に歩み寄り、その上のマイクを手に取る。
(えー、予知部所属の岡部です。早速ですが本題に入らせていただきます。先程、明日渋谷において数十人規模の死傷者が出るとの予知が出ました。発生確率は95パーセント)
―渋谷?というか、95パーセントって……!?―
つい一昨日行ったばかりの地名が挙がったことにも驚いたが、なによりほぼ確実に起こると言っているようなその高確率に、光秋は愕然とする。
(これ以上の詳細は今のところ不明です。引き続き予知能力者たちによる情報収集を行っているので、何かわかり次第追って連絡します。集まっていただいた皆様には、この予知の阻止、ないしは被害軽減に尽力していただきたい)
―いただきたい……と言われても…………―
死傷者数十人という規模と異様に高い発生確率に対し、場所以外の情報がほぼない――何をすべきなのかがわからないという状況に、光秋はつい途方に暮れてしまう。
そんな中、警官の1人が手を挙げる。
「昨今の情勢を見るに、NPとZCの抗争、あるいはテロ事件が原因である可能性が高いかと思われます。ひとまずは今日から明日にかけて渋谷区一帯の巡回の強化を図るべきかと」
―…………確かにな―
その発言に周囲から同意の声が上がる中、光秋も心の中で頷く。
同時に大河原から電話がかかってくる前に思い返していたニュースの映像が再び脳裏に流れ、その光景と予知の内容の合致に強い納得を覚える。
その後もNP、ZCの蜂起を前提としつつ、渋谷区一帯の巡回を強化する方向で話は進み、各自の細かな役割が決まるや会議は解散、それぞれ自分の仕事をする為に会議室を出ていき、光秋もそれに混じって待機室へ戻る。
―加藤隊の役目は周囲の調査か…………とりあえず、まずは北大路さんを呼ばんとな。また変な時間に抜けさせてしまうことになるが…………ま、やむを得んか……―
それまで漠然としていたものが一応の形を持った――自分のやるべきことが明確になったことで気持ちが多少楽になる一方、再び北大路に負担を掛けることへの多少の罪悪感を覚える。
その時、隣を歩く藤岡が何かを考える様に視線を天井に向けているのが目に入る。
「藤岡主任、どうかされましたか?」
「ん?あぁ、いや…………」
「?」
曖昧に応じながら、藤岡は足を速めて先を行き、残された光秋は人波にその背中が消えていくのを呆然と見ていることしかできなかった。
―…………いや、今は予知の阻止に集中!―
藤岡の様子は気になるものの、現在の最優先事項を思い出すことで気持ちを切り替えると、光秋も待機室へ向かう足を速めた。
「北大路さんだけ呼んでください……はい、あとの2人はいいです。校門の前で待つよう言ってください。こちらから迎えに行くので……はい。お願いします」
待機室に着くや速度を緩めることなく机の上の電話を手に取り、受話器の向こうの教員に要件を伝えると、光秋は手早く持ち物を確認してカバン片手に部屋を出る。
速足で進んで駐車場に出ると、周囲を見回して自分の送迎をしてくれることになっている車を探す。
と、聞き覚えのある声がかけられる。
「おーい、加藤」
「!徳川さん」
声のした方を見ると徳川がパトカーの助手席の窓を開けて手招きしており、すぐにその許へ駆け寄る。
「えっと、運転手付きで車を1台付けてくれるとは聞いてたのですが、もしかして徳川さんが?」
「一応手伝うように言われて来たから間違ってはないが、運転手はこいつだ」
「どうもっ」
光秋の確認に徳川は体を逸らし、後ろに隠れていた浅黒い肌の警官が微笑んでくる。
座っていても大柄な印象を与えてくる体格と活発そうな雰囲気には光秋も覚えがあった。先日の催眠能力者通り魔事件の捜査中に顔を合わせ、犯人確保時の応援にも来てくれた、なにかと徳川と一緒に見かける機会の多い人だ。
「ちゃんんと名乗ったことなかったね。
「あっ。ESOの加藤です。本日はよろしくお願いします」
運転手――羽柴の自己紹介に、光秋も頭を下げて応じる。
「まぁ、とにかく乗れって。時間なくなるだろう」
「!そうでしたっ」
徳川の指摘に、光秋は慌てて後部席に乗り込み、シートベルトを締めるやパトカーはすぐに発車する。
「真っ直ぐ渋谷まで行けばいいの?」
「いえ。雄国小学校という所に寄ってください。そこで特エスの子が待ってます」
「了解」
光秋の指示に、確認してきた羽柴は頷き、車道に出るや北大路たちが通う学校に向けて走り出した。
車道をしばらく走ると、小学校の校門が見えてくる。
その傍らに佇む北大路の姿を窓越しに確認した光秋は、パトカーが停車するや歩道側に面した後部ドアを開ける。
「待たせた。乗って」
言いながら奥の席に引っ込んだ光秋が手招きし、乗り込んだ北大路がドアを閉めたのを合図にパトカーは再び走り出す。
「とりあえず、これ羽織って。今回は制服に着替えてる時間も場所もないから」
言いながら、光秋はカバンから取り出したESOのコートを北大路に渡す。
「それはいいですけど、今回のお仕事は何なんです?」
「あぁ、そうだな。実は……」
背負っていたカバンを座席同士の境に置いてコートを受け取りながら訊ねる北大路に、光秋は予知出動の件を掻い摘んで説明する。
「でだ、僕等の役割はサイコメトリーによる危険箇所の捜索。見付け次第本部に連絡して対策班を寄越してもらう。ここまでで何か質問は?」
「…………特には」
確認する光秋に、北大路は窓を眺めながら短く応じる。
「わかった。じゃあ、現場に着き次第頼む」
「…………」
それに光秋が一言返すものの、北大路は応じることなく窓の外を眺め続け、そんな北大路の態度が馴染んできた光秋も特に気にすることなく現場到着を静かに待つ。
「……」
「……」
前の席に座る徳川と羽柴が気まずそうに視線を交わすものの、後ろに座っている光秋の感知できることではなかった。
どこか重い沈黙が漂いながら走ること十数分。
「渋谷まであとどのくらいですか?」
「もうすぐ区内には入るけど」
「じゃあ、ここに向かってください」
問い掛けに羽柴が応じると、光秋はカバンから地図を取り出し、そこに書かれた自分たちの担当区域を指さす。
「了解」
応じると羽柴はパトカーを右折させ、それからさらに数分走って目的地たる繁華街に到着する。
パトカーが停車するや光秋はすぐに降り、北大路もそれに続く。
「早速頼む」
「了解」
光秋に事務的に応じると、北大路は地面に手を着け、目をつむって意識を集中する。
と、パトカーから降りた徳川が光秋の許に歩み寄ってくる。
「ちょっといいか?」
「何か?」
応じると、徳川はサイコメトリーを続ける北大路を一見し、口元を光秋の左耳に寄せる。
「この前から気になってたんだが……お前、あの北大路って子と仲悪いのか?」
「仲が悪いと言いますか…………」
躊躇いを含みながらも結局訊いてしまった様子の徳川に返しながら、光秋も改めて北大路を見やり、東京本部に来てからの関わりを思い返してみる。
「まぁ、よくはないでしょうね。何でだか僕、彼女に嫌われてるみたいだし」
「何かあったのか?」
「心当たりは特にないんですけど……桜さんなんかは東京に来たばかりの頃、入間主任――僕の前任者以外に命令されるは嫌だって言ってましたけど。一応、そんな内容で1回北大路さんに怒鳴られたことがあるから、その辺りが関係してるんじゃないかとは思いますけど………」
さらに訊ねる徳川に、光秋は工場地帯での戦闘の後のやり取りを思い出す。
―『どうせ入間主任が戻るまでの代理なんだから、いちいち上司面しないでもらえますかっ?』……あ、いや。あれはちょっと違ったかな…………?とにかく―「あとはもう、僕が無自覚の内に北大路さんの機嫌を損なうことをした、もしくは今もしているってことですけど……その場合、言ってくれないと改めようもないんだけどな…………」
多少記憶と認識の修正を行いながら、最後は途方に暮れた声を漏らす。
「……俺はあんまり特エスのこととかわからないが、そんなんで大丈夫なのか?火種抱えてるようなもんだろう」
「まぁ、ご覧の通り仕事はちゃんとやってくれますから、その辺に関しては信じていいかと。実際、この前の事件でも多少ギクシャクはしましたけど、調べるべきことはきちんと調べてくれたし」
不安を浮かべる徳川に、光秋は北大路に視線を向け、先日の催眠能力者通り魔事件の捜査の様子を思い出しながら応じる。
「まぁ、それなら…………余計なことかもしれないが、一応お前の方が大人なんだからな。人間関係の問題はお前の方から解決するようにしないとダメだぞ」
「それを言われるとぐうの音も出ませんね…………」
私的なことでは今一番の懸案を言葉にしてくる徳川に、自身どうにかしなければと思っている光秋は反論もできず、さりとて北大路との関係における現状を顧みて前向きな返答もできず、あてどない視線を北大路に向けて溜息混じりに応じるのが精一杯だ。
と、それまで黙ってサイコメトリーをしていた北大路が、俯いていた顔を上げ、険のある目を光秋たちに向けてくる。
「人がサイコメトリーしてるそばでひそひそ話されると、気が散るんですけど?続けたいならもっと離れた所でやってもらえませんか?」
「すまない。静かにしているよ」
すぐに光秋が返すと、北大路は不機嫌な顔を下げ、再びサイコメトリーに集中する。
「すみません。この件はまたの機会に」
「まぁ、もともと俺が口を挟んでいい問題でもないしな……」
そのまま頭を下げる光秋に、徳川も煮え切らない様子を残しつつも頷き、以降は必要最低限の会話を除いた沈黙の下に調査が行われた。
移動中の休憩を挟みながら、北大路はサイコメトリーによる危険個所の調査を続け、建物の老朽化や配線の劣化、重量物の無理な積み上げなど、危険と思われるものを大小に関わらず見付けていった。それに対し、光秋たちも本部に連絡して専門家たちを寄越してもらうなり、その場の判断で自分たちで対処するなりを繰り返して危険要素を一つ一つ排していき、そうして担当区域の最後の地点に着く頃には午後4時になっていた。
「…………この辺りには特に目立った異常は見られません」
「了解。これでひと通りだな」
言いながら地面に着けていた手を離す北大路に応じると、光秋は手元の地図と照らし合わせ、自分たちの担当区域を全て回ったことを確認する。
そのまま携帯電話を出して東京本部に調査終了を報告すると、本部への帰還が指示される。
「……了解しました」
電話の向こうの相手に応じながら通話を切ると、光秋は傍らに停車したパトカーの中で待機している徳川と羽柴に告げる。
「一度本部に戻るよう言われました。すみませんが送ってください」
「了解。じゃあお前ら送り届けたら、俺らも一旦署に戻るかな」
徳川の返事を聞きながら、光秋は北大路と後部席に乗り込み、一行を乗せたパトカーは本部へ向かう。
「…………」
何度か休憩を挟んではいたものの、数回におよぶ極度の集中、それも午前中から長丁場は堪えたらしい。背もたれに体を預けた北大路の顔には、疲れが色濃く浮かんでいた。
―…………ここで労いの一つもかけておくか?北大路さんのことだから、また噛み付かれるかもしれないが…………でもまぁ、やっぱり一言あるべきか―
無言で渡されたコートをカバンに仕舞いつつ、多少迷いながらも決めると、光秋は視線を隣の北大路に向け、努めて自然体で声をかける。
「お疲れ様……その、大丈夫か?」
「別に。仕事ですから……」
窓を眺めながら素っ気なく返すと、北大路は若干棘のある視線を向けて続ける。
「それと、『噛み付く』のはそちらの領分じゃないですか?」
「?…………あ、“聞いてた”の?」
言われて数秒して、サイコメトリーで先程の考えを読み取られていたと察し、光秋は気まずくなる。
「…………」
もっとも、北大路はそれ以上何も言うことなく窓に視線を戻し、車内は行き同様に沈黙に包まれる。
―ダメだな。僕…………―
そんな展開に慣れつつある――甘んじつつある自分を自覚し、光秋は自身への情けなさを持て余した。
本部の駐車場に着くと、光秋は北大路と共にパトカーを降り、全開にした窓から前部席の徳川と羽柴に頭を下げる。
「今日はありがとうございました」
「おう。俺もお前と正式な形で一緒に仕事ができてよかったよ。小田先輩への面目も立つってもんさ」
「今のところ、予知に変化はないの?」
徳川が満足した様子で返す一方、羽柴は不安げに訊ねる。
「それは本部に問い合わせてみないとわかりませんね。でも、変化があれば連絡が入ると思いますけど」
「てことは、変化なしか」
「だと思います」
「じゃあ、明日もまた出動……というか、明日が本番だね。頑張って」
「ありがとうございます」
不安を引っ込めて激励してくれる羽柴に、光秋は再度頭を下げる。
直後に羽柴は窓を閉め、パトカーをUターンさせて車道に流れていく。
塀の陰に隠れて見えなくなるまで見送ると、光秋は隣の北大路を見やる。
「それで北大路さん、この後だけど――」
「あっ。いたいた。菊っ!」
口を開こうとするや聞き覚えのある声に遮られ、声のした方を見ると、正門からブレザー姿にカバンを背負った桜がこちらに駆けてくる。その後ろには菫と、研修中に1度出会った少女たちの友人である双子の姉妹が歩いてついてきている。
「桜ちゃん。此方ちゃんたちも……?」
北大路にも予想外の展開だったらしい。その表情には若干の戸惑いが浮かぶ。
と同時に、それまで棘の様に鋭かった目元が、本当に申し訳程度に丸くなる。
―喜んでる?……まぁ、時間を考えると、登校して本当にすぐの呼び出しだったからな。北大路さんからすれば、友達とあれこれするはずだった時間を潰されて、嫌な奴と一日一緒にいる羽目になったわけで、それがようやく終わった上でのお出迎えなら、少しは嬉しいと感じるものか?―
どうにか捉えることができた表情の変化から北大路の胸中をそのように分析し、その結果に光秋は軽い申し訳なさを覚える。
と、2人の許にやって来た桜が機嫌よく呟く。
「試しに来てみるもんだな。ちょうど会えるなんてさ」
「北大路さんのこと、迎えに来てくれたのか?」
「迎えにっていうか、様子見にね」
「急な検査が入ったって聞いたけど、菊大丈夫?」
光秋の問いに桜が応じる横で、心配そうな顔をした此方が北大路に問い掛ける。
「うん。大丈夫。特に問題なかったって」
―あぁ、表向きはそういうことになったのね―
それに対して北大路は滞ることなく応じ、そのやり取りに光秋は特エス周囲の機密保持がなされたのだと察する。
と、一行の後ろ側に隠れるように佇んでいた彼方が、遠慮がちに訊いてくる。
「えっと……この前一緒に買い物したお兄さんですよね?」
「そうだけど……?」
「菊ちゃんのお見送りですか?」
「ん?まぁ、そんなとこ」
努めて自然体に答えると、光秋は北大路と桜、菫に目配せする。
「とりあえず、今日はこれで終了だから。帰ってゆっくり休んで。みんなも車に気を付けてな」
言うとそのまま踵を返し、待機室へ向かう。
―詳しいこと……特に明日は桜さんと菫さんも出てもらうことは、後でメールしとくかな。流石にあの場じゃ不味いだろうし。なにより……―
思いつつ、一旦足を止めて振り返ると、桜たちと一緒に正門へ向かう北大路を見る。
距離があるためにはっきりとはわからず、何を話しているのかも聞こえなかったが、自分といた時は揺るがなかった仏頂面が、今は柔らかな笑顔に変わっていた。
―北大路さんの大事なひと時を邪魔したら、いよいよ後ろから刺されかねないからな―
冗談半分に思いながら苦笑を浮かべると同時に、そんな北大路の表情に先程から抱いていた申し訳なさが多少軽くなるのを感じながら、光秋は待機室への歩みを再開した。
待機室に戻ってすぐに、肩からカバンを下ろした光秋は菫にメールを送り、疲れた体を椅子に預ける。
―羽柴さんも言ってたが、予知に変化がないってことは、本番は明日だよな…………死傷者数十人規模の事件……やっぱりNPやZC絡みだろうか…………?―
北大路との調査でもいくつもの危険を見付け、対処したものの、いずれも予知とか関係なかったらしい。原因の最有力候補たるNP、ZC関連の動きも聞こえてこず、振り出しに戻ったような印象に、光秋は再びわからないことへの不安を抱く。
そんな時、携帯電話が振動して着信を知らせる。
「菫さん?……はい?」
(光秋さん?今メール見ました)
「あぁ、そうか……メールにも書いたと思うけど、改めて。明日……というか、場合によっては今夜、日付が変わってすぐに呼び出しがかかるかもしれないから。いつでも対応できるようにしてな」
(はいっ)
「ただまぁ、とりあえずは早寝して、ゆっくり休むことだろうがな。間違っても夜更かしとかするなよ」
(しませんよ)
「ならよかった。桜さんと北大路さんにもよろしく言っておいて」
(了解ですっ)
元気のいい菫の返事に、光秋は胸の内が少しだけ軽くなる。
「ところで……その、北大路さん、今近くにいるか?」
(菊?はい、いますけど。代わりますか?)
「いや、それはいいんだ。その…………様子はどうかな?」
(様子?)
―菫さんに何を訊いてるんだ僕は……―
言ってから、口を滑らせてしまったことを後悔する。
「いや、何でもない。気にしないで――」
(ちょっと菫!さっきから一人だけズルいぞッ)
(わっ!桜!ちょっと!)
すぐに誤魔化そうとした矢先、スピーカーの奥から桜の不満そうな声が響き、菫の慌てた声がそれに続く。
(もしもし光秋?)
「桜さんか?」
(菫とばっか話し過ぎだってのッ。ただでさえ今日は菊に独り占めされてたのに……)
「独り占め?」
(!な、何でもないッ!)
ぼそっと呟かれた一言を光秋が訊き返すと、桜は慌てて訂正する。
(……それで?菫となに話してたの?)
「いやぁ、夜中に呼び出されるかもしれないから、今夜は早く寝ろって……桜さんも、夜更かしとかするなよ」
(しねぇよッ)
もののついでとばかりに一度は菫に伝言したことを直接自分の口から伝えると、桜の膨れた声が返ってくる。
(それはそうと、光秋はこの後どうすんの?)
「主任は本部で待機を命じられてるからな。とりあえずこの後、着替えを取りに寮にとんぼ返りして、戻ってきたら夕食、あとは仮眠をとりつつ明日の朝まで待機ってとこかな」
(……入間主任もときどき本部に泊まり込むことあったけど、やっぱ大変そうだね)
「でもまぁ、やっぱり指揮をする人は、すぐに指示や情報が得られるとこに残ってないといけないからな」
(そうだけどさぁ……)
「まぁ、僕にとってはこれも仕事の内だからな。その分、君たちには明日頑張ってもらうからな。だから、体調を万全にな」
(…………了解っ)
念を押す様に言うと、電話の向こうから今までとは少し違う、いい具合に力の入った桜の声が返ってくる。
「じゃあ、そろそろ切るな。流石にそろっと動き出さないと」
(わかった。じゃあ、また明日ね)
「あぁ」
(!ちょっと桜!勝手に切らな――)
電話を切ろうとした直前、奥から菫の慌てた声が聞こえたものの、ボタンに伸ばした指は止まらなかった。
「…………まぁ、いっか」
変なタイミングで切ってしまったことに気まずさを覚えたものの、桜に語ったこの後の予定を思い出してそれを流し、まだ疲労の残る体を椅子から立ち上がらせる。
「とりあえず、まずは着替えを取りに――と、その前に北大路さんのコート片付けんと」
直後に別の用を思い出し、部屋に入ってから床に置きっぱなしだったカバンを開けて北大路のコートを取り出した。
午後6時10分。
一度寮に戻って着替えを用意し、すぐに本部に戻ってきた光秋は、その足で食堂へ向かい、生姜焼き定食を頼んで空いている席に腰を下ろす。
時間帯も合わさってか食堂内はかなりにぎわっており、会議に呼ばれていた特務部隊主任の顔もいくつか見えた。
―あの人たちも今夜は待機か……真夜中の呼び出しだけは勘弁してほしいが…………―
今一番の願望を口の中に呟くと、光秋は手を合わせて定食に箸を着ける。
「こちら、よろしいですか?」
「沖一尉」
聞き覚えのある声に前を見ると、沖一尉がトレーを持って佇んでいた。
「どうぞ」
すぐに応じると、沖は正面の席に座り、光秋は食事を口に運びながらふと思ったことを呟く。
「なんか、また久しぶりって感じですね。1月から同じ職場にいるっていうのに」
「そりゃあ、お互い仕事内容も使ってる部屋も別々だからねぇ……」
それに疲労を含んだ笑みで応じながら、沖はトレーの上のラーメンを勢いよくすする。
「そういえば、加藤君今回主任になって初めての予知出動だよね。やっぱり大変?」
「まぁ……といっても、普通の出動も充分大変なんですけどね」
沖の問いに苦笑で応じながら、光秋は肉一切れを白飯と一緒に口に入れる。
「ただまぁ、起こるとはわかっていても原因がわからない、そこから来る独特の緊張感……と、あと焦りもあるかな。今日一日、特エスの子と担当区域を探し回ったけど結局予知に繋がるものは見付からなかったし、今もってNPやZCに動きありって話も聞こえてこないし……そういう、わからないことから来るじれったさとでもいうようなものはあります」
そう続けて味噌汁で口を湿らせると、改めて沖の顔色を観察する。
「そういう沖一尉こそ大丈夫ですか?少し疲れてるようですが」
「……ちょっとね。今回は規模が規模だから、警察や軍との連携が重要になってくるから……」
「上層部は組織間の調整をしなくちゃいけないし、局長秘書である一尉もその補助に出なければいけないと……やっぱり、仕事量とかすごいですか?」
「量はそこまでじゃないと思うけど、それ以上に人間関係っていうのかな?外部の、それも偉い人たちと関わるのは、やっぱり気を遣うなぁ」
「……お疲れ様です」
「いえいえ、こちらこそ」
嘆息混じりの沖の話を聞いていると、光秋は自然と頭を下げ、沖は微笑みながら返礼する。
―どこも、その質こそ違えど、やっぱり大変なんだなぁ。それこそ僕等がこうしてのんびり飯食ってる間も、渋谷では今でもパトロールなり調査なりに駆けずり回ってる人たちがいるわけで…………とりあえず、今の僕――
自身の役割を再認識すると、光秋は先程よりもよく噛んで肉と白飯を呑み込んだ。
「それはそうと……話は変わりますが、小田一尉とは最近どうです?」
「……どう、というと?」
「いや、連絡とり合ってるのかなぁって。あんまり気苦労が多いといろいろ堪えるでしょう?偶には会う約束して、どっかに遊びに行ったりとか。実を言うと僕も――」
月末の伊部姉妹との約束を思いながら嬉々と語っている最中、光秋は沖が困った様な顔を浮かべていることに気付き、慌てて口をつぐむ。
「…………すみません。なんか変なこと言っちゃいましたか……?」
「いや、変というかね……うん…………」
視線を逸らして曖昧な返事をしながらラーメンのスープを飲む沖に、光秋はそれ以上何も言わず、静かに味噌汁をすする。
―余計なこと言っちゃったかな…………?―
沖への罪悪感を覚えたものの、それを口にする勇気はなく、気まずさを持て余しながら食事を続けた。
食後、沖と別れた光秋は、そのまま待機室が入っている建屋のシャワー室へ向かい、やや熱いお湯を頭から浴びて今日一日の汗を流していた。
そんな中で胸中に浮かぶのは、先程の沖との会話で抱いた罪悪感だった。
―沖一尉には悪いことしちゃったなぁ…………小田一尉と上手くいってないんだろうか……?―
ふとそんな疑問が浮かぶものの、それこそ沖、あるいは小田に訊いて確かめる勇気などなく、悶々とした気分のままシャワーを浴び続ける。
―…………まぁ、仮にそうだったとしても、それこそ人と人の関係に僕が横から口出すもんでもないか?それよりも、今は予知のことを気にかけるべき、か……―
深い部分では未だ納得し切れていないと感じつつも、そう思うことで気持ちに一応の区切りをつけると、シャワーを止め、体を拭いて個室から出た。
シャワーを終えて待機室に戻ると、光秋は机のそばにカバンを置き、火照った体を椅子に預ける。
「ふぅー…………すっきりした……かな……?」
上着のボタンを開け放ち、ネクタイも巻いていない、シャワー後の余韻が残る体から吐息混じりに声を溢すと、背もたれに預けていた上体を起こし、現時点で追加連絡がないことを確認する。
「NP、ZCの動きは未だなし、予知の方も相変わらず変化なし、か…………」
半ば予想していた結果ではあるものの、どうにも逸ってしまう気持ちを感じずにはいられない。
「…………いかんな。また気持ちだけ先に行こうとしてる」
そう声に出すことで、どうにか気持ちを抑える。
―いつ呼び出されるかわからないのは確かだからな。とりあえず仮眠とるか―
思うや携帯電話を取り出し、午前0時にアラームを設定すると、そのままメガネを外して机に突っ伏す。
―深夜出動だけは遠慮したいところだけどねぇ…………―
なけなしの願望を胸の中で呟くと、光秋は眠るように努めた。