白い犬   作:一条 秋

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101 捜査協力 後編

 3月8日火曜日午前7時50分。

 昨日の連絡に従って自分の寮から直接少女たちの寮に向かった光秋は、門の前に着くと誰もいない周囲を見回す。

 

「……北大路さんはまだか。出てくるの待つか」

 

 呟きながら寮の玄関を一見すると、そのまま門を背に北大路を待つ。

 

―昨日本郷さんにはあぁ言ったが、いざこうしてみると、やっぱり北大路さんと二人っきりっていうのは緊張するな……変なことにならなきゃいいが…………―

 

 なまじ時間ができてしまったために湧いてきた不安を持て余していると、後ろでドアの開くが響き、振り返るとESOの制服に身を包んだ北大路が出てくる。

 

「おはようございます」

「……おはようございます」

 

 光秋の挨拶に素っ気なく応じると、北大路は光秋の左に並ぶ。

 

―よかった。挨拶しても返してもらえないかと思ってたからな…………しかし…………会話がないな…………―

 

 思っていたよりも良好な北大路の感触に安堵したのも束の間、挨拶を交わしたきり訪れた沈黙に、内心焦りながらもこれといった話題が思い付かないことに頭を抱え、そもそも話し掛けていいものか躊躇してしまう。

 

―何を話していいかわからん。そもそも、迂闊に話し掛けるとまた怒るんじゃ…………―

 

 そんなふうに10歳の少女におっかなびっくりしていると、北大路の方から声を掛けてくる。

 

「…………加藤さんは、なんでESOに入ったんですか?」

「なんだい、唐突に?」

 

 どうにか破られた沈黙にほっとしながら、光秋は問いの意図を探ろうと訊き返してみる。

 

「別に。ただ気になったから訊いただけです。とても向いてそうにないのに、どうしてこんなところに就職したんだろうって」

「はっきり言うな……まぁ、向いてないのは事実なんだろうが…………主任やってることに関しては、そうなんだろうな。これは僕が志願したんじゃなくて、上の指示でそうなっただけだから」

「だから、なんでそもそもESOに入ったんです?」

「いろいろ理由はあるが、一番大きいのはとにかく仕事が必要だったからかな。食べていく手段がさ。そこにタイミングよく京都支部からスカウト受けて、あとは実質一芸入社ってとこかな」

「ふーん…………?」

 

 そこまで話すと、北大路は興味を失ったように等間隔で車が往来する車道に目を向ける。

 

「…………そういう北大路さんは、なんで特エスなんてやってるんだ?」

 

 北大路の質問が刺激になったらし。光秋もふと浮かんだ疑問を投げ掛けてみる。

 

「……高レベル超能力者だからです」

「…………?」

 

 返ってきた答えが上手く解せずに光秋が首を傾げていると、北大路はもどかしそうに続ける。

 

「私がレベル9のサイコメトラーだとわかったのは1歳くらいだそうです。当時から日本警察の幹部だった父の意向で、5歳くらいでESOに預けられて、ずっと普通の子が受けるような教育と合わせて、特エスに必要なこと――能力の上手な使い方とか、その抑え方とか、そういうことを教わってきました」

―……珍しいな―

 

 初めて会って以来、顔を合わせる機会が少なかったものあるが、基本的に口数が少なかった北大路が今日がよく喋ることに内心関心しながら、光秋は黙って先を促す。

 

「私も話にしか聞いたことはないけど、普通の子が親から教わる読み書きとか、簡単な数のこととか、そういったことを全部その時だけの赤の他人に教えてもらって…………ある日家に帰った時、思い切って父に訊いたんです。『何で私はこんなことするの?』って……そうしたら父は、『お前が高レベル超能力者だからだ。優れた能力を持つ者は、それを活かす義務があるんだ』って…………だから、私は特エスでいるんです。それ以外の生き方なんて、私には……私たちみたいな人間には無いんですっ」

「……なるほどな」

 

 最後の方は北大路にしては珍しい熱の籠った声で言い切ると、光秋は両腕を組みながら静かに応じる。

 

「北大路さんのお父さんがどういう意図でそんなことを言ったかはわからないが、実際問題、君がいてくれることで大分助かっているのは事実だな。今回の件が正にそうだし、昨日本郷さんもそんなこと言ってた……だから、お父さんの言う『義務』っていうのを否定することは僕にはできないな…………たださ」

 

 そこで一旦言葉を区切ると、それまでぼんやりと車道に向けていた視線を北大路に向ける。

 

「他に生き方がないっていうのは、やっぱり違うと思うぞ」

「!知ったふうに言わないでくださいっ。私がどんな思いで生きてきたか、貴方なんかにわかるわけないでしょう!?」

 

 そうして告げられた一言が余程頭にきたらしい。福山程ではないが変化に乏しい顔に怒りを浮かび上がらせ、北大路は光秋を睨み付ける。

 

「あぁ、わからんね。というか、今ようやくわかり始めたところだ。ただ、今の話で一つだけ思ったことがある……義務だ何だと言って、本当は北大路さん自身が今の自分の在り方に納得してないんじゃないか?」

「っ…………そんな……ことは…………」

 

 その目をしっかりと見据え、強くはないが明確であろうと意識した光秋の言葉に、北大路は途端に口籠ってしまう。

 その時、見覚えのある黒い車が自分たちの許へ寄ってくるのを見て、本郷が来たと理解した光秋は、無意識の内に昂揚していた気分が一気に鎮まり、これからひと仕事あるのだということを思い出してやや気まずくなる。

 

「……すまない。これから仕事だっていうのに、変なこと言っちゃったな…………たださ、これだけは覚えておいてほしい。どんな時でも、選択肢が一つだけってことはないよ」

 

 そこでちょうど車が2人の前に停まり、開いた窓から剃り残した顎の髭が目に付く本郷が顔を出す。

 

「おはよう。待たせたな。乗ってくれ」

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

 

 本郷との挨拶が会話の終わりを告げると、光秋は助手席に、北大路は後部席に乗り込み、車は昨日見た現場へ向けて走り出す。

 

―僕も迂闊というか、これから一緒に仕事する相手との間に嫌な雰囲気作るとはな…………―

 

 先程の会話を悔やみながら、光秋は後ろに座る北大路を見やる。

 

「北大路さん。さっきはいろいろ言ったが、とりあえず今は――」

「わかってます。仕事はちゃんとやります」

「……ならいい。よろしく」

 

 窓の外を見ながらの返答にひとまず安堵すると、顔を前へ向け直す。

 

「……大丈夫か?」

「なんとか……」

 

 その様子を見て不安そうに訊いてくる本郷に、光秋も不安そうに返すことしかできなかった。

 

 

 

 

 しばらく走って昨日最初に訪れた現場に到着すると、一行は近くに停めた車から降りて早速捜査を始める。

 

「例のフードが映ってたのて……」

「確かあの辺りだな」

 

 周囲を見回しながら呟く光秋に本郷が指さしながら応じると、そこへ北大路が駆け足で歩み寄って路上に右手を触れる。

 

「…………確かに自分の前を行く集団に注目してますね。催眠は…………かけたっ」

「ビンゴだな」

 

 固く閉じていた目を一気に開きながら告げられた北大路の報告に、本郷はメモをとりながら確かな手応えを感じた顔を浮かべる。

 

「フードの人――否、もう犯人だな。その人の詳しい情報ってわかるか?せめて足取りとか」

「ちょっと待ってください…………」

 

 光秋の問いに応じるや、北大路は再び目をつむり、意識を集中させる。

 が、その表情は徐々に曇っていく。

 

「“ノイズ”がひどくて、はっきりとは……」

「『ノイズ』?」

「まぁ、ただでさえ人通りが多い上に、時間も結構経ったからな。そもそも犯人がこの辺りに実際にいた時間もそう長いもんじゃなかったし……」

「……あぁ、なるほど」

 

 眉間に皺を寄せる本郷の言葉に、光秋は北大路が溢した単語の意味を察する。

 

―『亡くなる直前の記憶』や『催眠――“攻撃”の意志』といった“強い思い”ならまだしも、特定の個人の情報を毎日不特定多数の人間が行き来する場所で読み取るのは難しいってことか。ましてや事件から時間も空いて、路上に堆積した情報――思念とでもいうものが増えていればなおのことか―

 

 研修で習ったことも引っ張り出して北大路の苦悶をそのように理解すると、本郷に顔を向ける。

 

「ここからこれ以上の情報を引き出すのは、やっぱり難しいでしょうか?」

「俺の経験上はな。レベル9っていうからもう少し期待してたんだが……」

 

 頭を掻きながら本郷が応じた、その直後、

 

「馬鹿にしないでくださいっ。できます!」

 

目を三角にした北大路は怒鳴り声を上げ、さらに目を固く閉じてサイコメトリーを継続する。

 

「……未成年……高校生くらい?男の子で…………ここまでは歩いてきた…………?…………」

 

 そこまで呟いたところで再び黙り込んでしまい、再び曇り始めた表情に、光秋は思い切って告げる。

 

「無理せんでいいよ。この場所はここまでにしよう」

「大丈夫です!ちゃんと全部わかりますっ!」

「いや、加藤主任の言う通りだ」

 

 案の定光秋を睨み付けて怒り出した北大路に、本郷も冷静に声を掛ける。

 

「他にも現場はいくつもあるし、どの道ひと通り回らなきゃならん。それに、ここで下手に粘るより、もっと読み取りやすい場所で調べた方が効率いいだろう」

「でも…………」

 

 諭す本郷に、しかし納得できないらしい北大路は逃げるように路上に当てた手に視線を落とす。

 

「…………まぁとにかく、次行ってみよう」

 

 その様子に強い焦れったさを感じるや、光秋は北大路の右手首を掴み、そのまま車に引っ張っていく。

 

「!ちょっと、何するんですか!」

「このままじゃ埒が明かないからな。悪いがさ」

 

 激昂する北大路に多少の罪悪感を覚えながらも、(いたずら)に時間が経つことが我慢ならなかった光秋は、敢えてその気持ちを無視して北大路の手を引っ張っていく。

 北大路は足を踏ん張ってどうにかこの場に留まろうとするものの、小柄な少女が大の男の腕力に勝てるわけもなく、多少の動きにくさを感じながらも車に着いた光秋は、そのまま押し込む様に北大路を後部席に座らせ、自分もその隣に座る。

 間を置かず本郷が車を発車させると、不機嫌に顔を歪めた北大路を乗せた一行は次の現場へ向かう。

 

―急ぎとはいえ、ちょっとやり方が拙かったかな…………?まぁ、今は事件の早期解決が最優先か―

 

 横目で北大路を見ながら改めて罪悪感を抱く一方、そう思うことで気持ちの区切りをつけると、光秋は流れていく外の景色に目のやり場を求める。

 

 

 

 

 数分走って次の現場――信号の誤認による衝突事故があった交差点に着くと、光秋は素早く降りて北大路を促す。

 

「さ、北大路さん」

「…………」

 

 目を三角にして無言で応じながら車を降りると、北大路は映像に従ってフードの立っていた辺りに歩み寄り、地面に手を着ける。

 

「…………さっきと同じ人……明らかに狙ってやってる…………高校……1年生……?ここには徒歩で…………」

 

 ここでも読み取れるだけの情報を読み取るとまた次の現場へ移動し、それを繰り返すこと数回。一連の情報をメモした手帳を眺めながら、本郷は顎を撫でて唸り声を鳴らした。

 

「んー……まさかとは思ってたが、未成年の犯行か……?」

「いずれの現場にも徒歩で来ていたということは、この近くに住んでるんでしょうか?」

 

 そんな難しい顔の本郷を見ながら、光秋も北大路が言っていたことを思い出しながら言ってみる。

 

「北大路さん、犯人の足取りについて、結局詳しいことはわからなかったか?」

「…………はい」

 

 確認する光秋に、北大路は悔しさを滲ませて応じる。

 

「いずれの現場も人の行き来が多くて、数日もすれば古い情報はどんどん埋もれて読み辛くなってしまって…………」

「そうか…………」―これは、思った以上に厄介か……?―

 

 俯きながら告げる北大路に、光秋は難航捜査の不安を覚える。

 と、

 

「…………待てよ」

 

手帳を眺めていた本郷が不意に顔を上げ、速足で車に向かっていく。

 

「本郷さん?」

「?」

 

 突然のことに首を傾げながら光秋は後を追い、北大路もついて行くと、本郷は車から例のシールが張られた地図を取り出し、それを車の屋根に広げて手帳と交互に見比べる。

 

「どうしたんです?」

「いや、犯人がどっちから来たか、もしくは犯行後にどっちに向かったか、そういうのが短い距離だけわかった現場が何か所かあったよな」

 

 追い付いた光秋に応じながら、本郷は手帳のメモを頼りにボールペンで地図に矢印を書き加えていく。

 犯人がやって来たを方向を示すシールを指した矢印、もしくは去っていった方向を示すシールから伸びた矢印、それらが十数本程引かれると、北大路が目を丸くする。

 

「これって……!」

「やっぱり、そうだよな……」

「?…………何です?」

 

 北大路に合わせる様に納得の頷きをする本郷に、一人話に置いて行かれた光秋は居心地の悪さを覚えながら問い掛ける。

 

「今書いた矢印の方向を見てみろ。特に帰り道の方」

「帰り道……」

 

 本郷の助言に従って、去っていった方向を示す矢印を見回してみる。

 

「…………!これって……()()()()()()()()()()?」

「正解っ!」

 

 初めて会った時にも聞いたクイズ番組の司会者の様な語調で応じるや、本郷は地図中に書いた矢印を指で追いながら説明する。

 

「それぞれの矢印を見比べてみると、犯人は犯行後に同じ方向に向かって去っている。そう考えてみると行きも同じで、同じ方向からやって来ている。そして矢印の延長線上には……」

「……住宅街」

 

 言いながら本郷が指した一角、その意味する箇所を、光秋は生唾を飲みながら答える。

 

「ということは、犯人はこの何処かに……?」

「可能性は大だろうな。そしてもう一つヒントがある」

 

 住宅街を表す一角を凝視しながら緊張の声で呟く光秋に応じながら、本郷は北大路を見やる。

 

「嬢ちゃん、確認するが、犯人は高校生くらいなんだな?」

「はい。正確に何年生までかはわかりませんでしたけど」

「学校の名前はわかるか?」

「それは…………ただ、制服のデザインとか、校舎の形なんかはぼんやり伝わってきましたけど」

 

 それを聞いて、光秋は早速問う。

 

「どんな感じだ?」

「口では説明できません」

「だよな……」

 

 予想していた答えに途方に暮れながらなんとなしに周囲を見回していると、不意にコンビニが目に入る。

 

「……すみません。ちょっと待っててください」

 

 本郷と北大路にそう言い残すや、そのコンビニに駆け、ルーズリーフとボールペンを買って戻ってくる。

 

「これに描いてみることはできるか?」

「それなら」

 

 差し出されたビニール袋の中身を見て頷くと、北大路は束になっているルーズリーフを1枚取り、車の屋根を机代わりにしてボールペンを走らせていく。

 

―僕もメモ帳とか買った方がいいかな……?―

 

 一連の行動を振り返りながら、本郷の手帳を見た光秋はふと思う。

 その間にも、北大路は描き終えた絵を光秋と本郷に見せる。

 

「…………これって……」

 

 急いで描いた所為か、もともと絵心には恵まれていなかったのか、ややバランスが(いびつ)な制服らしき絵を眺めていると、光秋は胸の辺りに描かれたマークが目に付く。特に力を入れて描かれたらしい、他の部分よりいくらか丁寧なそのマークは、翼を広げた鳥の様な形をしていた。

 

「あぁ、それですか?読み取りをかけるとかなりの確率で伝わってくるんです。制服の胸の所にあるのも何度か視えたから、学校のマークかなって……校舎はこんな感じです」

「ほいよ」

 

 光秋の視線に気付いたらしい北大路はそのように説明しながら、もう1枚描き上げた校舎の絵を本郷に渡す。

 

「…………とりあえず、嬢ちゃんに画家は務まらないみたいだな」

「大きなお世話ですっ」

 

 渡された絵に対する本郷の感想に、北大路は拗ねた様子で応じる。

 

「とりあえず、この制服と校舎の絵が何か手掛かりになりますかね?」

「あぁ。ちょっと待ってくれ」

 

 手元の絵を改めて眺めながら光秋は呟くと、本郷はポケットから出した携帯電話を掛ける。

 

「あぁ、俺だ。これからある高校とそこの制服の絵を送るから、どこのもんか調べてくれ」

 

 言うや電話を切り、北大路の絵2枚をそれぞれ携帯電話で撮影すると、それをメールで送信する。

 

「あの、今のは……?」

「署の方にいる部下に頼んだ。(じき)にわかるだろう」

 

 一連の行動を確認する光秋に答えると、本郷は携帯電話をポケットに戻す。

 

「その間に、俺たちは住宅街の方を調べる」

「訊き込み……ですか?」

 

 本郷の言葉に、光秋は不安を覚えながら問う。

 

「あぁ。それと、嬢ちゃんのサイコメトリーも並行してやる。犯人の新しい手掛かりが……欲をいえば、名前とかがわかるかもしれないからな」

「わかりました」

 

 本郷の返事に光秋が頷くと、一行は車に乗り込み、繁華街近くの住宅街を目指す。

 

 

 

 

 住宅街に差し掛かると、一行は一旦車から降り、北大路による路上のサイコメトリーを試みる。

 

「……どうだ?」

「…………一応、この辺りにはいるみたいです。微かに感じる」

 

 やや不安を抱きながら訊ねる光秋に、北大路は触れた路上に意識を集中させながら答える。

 

「とりあえず当たりと見ていいか。具体的に何処にいるかはわかるか?」

「そこまではさすがに……」

 

 今度は本郷が訊ねるが、それに対しては北大路自身歯痒そうに返す。

 

「繁華街ほどじゃないにしろ、ここにも何十人と人がいて、それが毎日行ったり来たりしてるんです。その中から狙った人の感覚だけを見付けるなんて……その人が普段よく使ってる物でも用意してもらわなきゃ無理ですよ」

―……警察犬が犯人の臭いを追うようなもんか?―

 

 苛立ちながら述べられた北大路の説明に、光秋は以前テレビで観た光景を思い出しながらそう思う。

 途端に、北大路の鋭い視線に射抜かれる。

 

「それと、余計なことを考えて“ノイズ”を増やさないでくださいっ。そもそも犬は貴方の方でしょ!」

「すみません……」

 

 その形相と、今思ったことを読んだらしい口ぶりに、光秋は小さくなりながら頭を下げる。

 

「そんじゃ、俺はテキトーに訊き込みしてくるから。2人は目ぼしい箇所のサイコメトリーと記録頼む」

「あ、はいっ」

 

 言いながら本郷はルーズリーフの入った袋を差し出し、光秋が応じながらそれを受け取ると、車に乗り込んで走り去っていく。

 

「…………」

 

 あっという間に角を曲がって車が見えなくなると、光秋は今朝ぶりに北大路と二人きりになったことを実感し、直前に怒らせたこともあって再び気まずくなる。

 

「…………とりあえず、その辺回って読み取ってみるか?」

「それしかないでしょうね」

 

 ビビりながら声を掛けると、北大路はおもむろに歩き出し、光秋もそれについて行く。

 少し進んだところで北大路は路上に触れ、事件に関係ありそうな情報を光秋がルーズリーフにメモし、また移動してをしばらく繰り返す。

 

 

 

 

 それから1時間程経った頃。

 歩き回って疲れた2人は、途中で見付けた公園のブランコをベンチ代わりにしてひと休みしていた。

 

―犯人が住んでる街なら、何かわかると思ったんだけどな…………―

 

 これといって決定的なことが書かれていない――というよりも、ほぼ白紙なルーズリーフを眺めながら、光秋は小さく落胆の溜息を漏らす。

 

―それに、これだとやっぱりかさ張るな。やっぱり帰りにでも、手帳買ってくるか……―

 

 使用中のルーズリーフの使い勝手を思い出しながらそんなことも考えていると、不意に左隣のブランコに座る北大路が、顔に疲労感以上の悔しさを浮かべているのに気付く。

 

「……大丈夫か、北大路さん?」

「大丈夫って、何がです?」

「いや…………疲れてそうだったから……」

 

 それでも衰える気配のない眼光を向けてくる北大路に、つい慄いてしまった光秋は悔しさの正体を訊くことを躊躇ってしまう。

 

「それは、疲れますよ。あちこち歩き回ってるんですから。しかもサイコメトリーしながら」

「だな…………」

 

 何を今更と言いたげに告げる北大路に、光秋はそれ以上何を言っていいかわからなくなる。

 

「…………」

「…………」

―…………ますます気まずくなったな……―

 

 そうして始まった沈黙に内心狼狽えていると、それまで光秋を睨んでいた北大路が視線を地面に下ろし、心なしか影の差した顔で呟いてくる。

 

「そうまでして、結局これといった手掛かりは掴めなかったんですけどね。なんですか?1時間前にそこの電柱に犬がオシッコしたとか?…………私だって、レベル9なのに…………」

「…………」

 

 そのどこか自虐的な、あるいは自分を責めているような様子に不思議と共感を覚えると、光秋は自分でも意識しない内にブランコから腰を上げ、持っていたルーズリーフを北大路に押し付けるや公園の出入り口へ向かっていた。

 

「加藤さん?」

「すまない。ちょっと待っててくれ。すぐ戻るから」

 

 慌てて声を掛ける北大路に応じながら、歩き回っていた時の記憶を頼りに最寄りのコンビニへ向かう。

 

「…………あった」

 

 目ぼしい棚を探して目当ての品を見付けると、すぐに会計を済ませ、買った物が入っているビニール袋片手に北大路の許へ駆け足で戻る。

 

「悪い。待たせた」

「なんです?突然」

 

 戻ってくるや訊いてくる北大路に、光秋は返事の代わりにビニール袋に手を入れ、先程コンビニで買った物――どら焼きを差し出す。

 

「…………?」

「疲れてるみたいだったからな。そういう時は甘いものだろう」

 

 渡されたどら焼きに目を丸くしている北大路にそう告げると、光秋もブランコに座り直しながらもう1個を取り出し、包みを開いて一口かじる。

 

―うん。やっぱり疲れた時に食べる甘いものはいい……―

 

 口の中に広がる馴染んだ甘さに和んでいると、未だに口を付けずにどら焼きを眺めている北大路が目に入り、その様子に少し不安になる。

 

「どうした、食べないのか?それとも、シュークリームとかの方がよかったか?」

「……いいえ。そういうわけじゃ……」

 

 応じると、北大路はようやく包みを開け、軽く一口かじる。

 

「あぁ、悪い。預けっぱなしだったな」

 

 その様子を見ながらルーズリーフの入った袋を返してもらうと、光秋は一気に半分程食べ切ってしまう。

 と、北大路がちょうど頭上を流れていく大きな雲を眺めながら声を掛けてくる。

 

「……どうして、こんなことするんです?」

「こんなことって?」

「急にお菓子なんて買ってきて」

「別に。さっきも言ったように、疲れてるみたいだったからな。それで買ってきただけだよ。僕も甘いものが欲しいと思ったし」

 

 応じながら、光秋は一口、また一口をどら焼きをかじっていき、ついに最後の一切れとなった分を口に放って咀嚼する。

 

「……桜ちゃんも、そうやって(たぶら)かしたんですか?」

「誑かしたって……」

 

 目線こそ向けないもののやや棘のある追及に、光秋は返事に困ってしまう。

 

「菫ちゃんがどうこうするのはまだわかるんです。あの子は優しいから、非情になれないところがあって。でも桜ちゃんは……」

 

 悶々とした様子でそこまで語ると、北大路は空に向けていた顔を俯ける。

 

「…………あの2人が好きなんだな。北大路さんは」

「…………何でそういうことになるんです?」

「いや、ただ今の様子を見て、感じたことを言ってみただけなんだがね」

 

 呆れた顔を向けてくる北大路に素直に応じながら、光秋はさらに続ける。

 

「言っとくが、僕は誑かすなんてしてないぞ。少なくともそんなことをした覚えはない。今北大路さんにしてるようなことは何度かしたけど、それは()()()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()ことでしかないよ。他意はない」

「……そうしたかったから……?そうした方が……?」

 

 一層強調して告げたその言葉に、北大路は首を傾げる。

 その様子を見ながら、光秋は寮の前で交わした会話を思い出す。

 

「今朝、本郷さんと合流する前、『どんな時でも、選択肢が一つだけってことはない』って話したよな?」

「……」

 

 確認の声をかけると、北大路は思い出した様な顔を浮かべる。

 

「それと通じているかもしれないな。つまり、どんな場面でも選択肢はいくつか――最低でも二つはあるんだ。『何かをする』か、『何もしない』かってのでもう、立派な選択だよ。『何もしない』というのも選択であって、選んだ以上、『何もしなかったなりの結果』が出てくる。そして結果は、選んだ者自らが()っていかなければならない。例え納得できないものであってもな」

「選択……ですか……?」

 

 北大路が一応の相槌を打つのを横に見ながら、さらに続ける。

 

「『何もしなかったなりの結果』が、『納得できる結果』になるなることはまずない。だったら、少しでも『こうしたい』って気持ちがあるなら、それに少しでも近付ける選択をした方がずっといいだろう……というのが、この頃の僕の考えだ。どら焼き買ってきたのだって、つまりはそういうことだよ」

「…………」

 

 自身ぼんやりと考えていた、そして言葉にすることである程度の形を持ち始めた発想を語り切ると、それを聴いた北大路は食べかけのどら焼きを眺めながら考える顔をする。

 

「…………でも、『こうしたい』って選択をしたって、必ず『納得できる結果』が得られるわけではないでしょう?寧ろ辛い思いばっかりして、結局何もできずに終わることだって……」

「そりゃそうだよ」

「?」

 

 その返事が余程予想外だったらしい。自分の指摘にあっさり頷いた光秋に、北大路は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をする。

 

「寧ろ、意識してやろうとしたことでさえ、望む結果に繋がるとは限らないんだ。前提のズレや見通しの甘さといった自分の落ち度もあるし、時には運っていう自分ではどうすることもできない要素だって影響してくる。自分の手が届かない所で始まった他の人の行動だってそう。最近じゃ、祝賀パーティー襲撃事件がいい例だろう。僕等の知らないところで事件を計画した人たちがいて、その場にいた僕たちは否が応でもそれに対する対処を――選択を迫られてしまった……てね」

「…………」

 

 その例えに、北大路自身思っていることがあるらしい。これまでになく表情が神妙になる。

 

「……まぁ、なんだ。ちょっと話が逸れた気もするが……要するに、そうしようと思っても上手くいかないことがあるなら、なにもしないで上手くいくことなんてまずない。だったら、少しでも確率のある『そうしようと思った方』に賭けた方が賢いんじゃない?…………てことだ」

「…………」

 

 我ながら大雑把なまとめに対し、北大路は無言を返す。もっとも無視しているというわけでもなく、その顔には何かを感じ、考えている様子が見て取れた。

 

「……おっといかん。さすがにそろそろ捜査再開しないとな」

 

 そこで腕時計を見て時刻を確認するや、光秋はブランコを立って公園の出入り口へ向かう。

 

「北大路さんっ?」

「……」

 

 振り返りながら呼び掛けると、北大路は残っていたどら焼きを食べ切り、駆け足で光秋の許に歩み寄るとそのまま追い抜いてしまう。

 と、出入り口に差し掛かったところで一旦足を止め、光秋がある程度距離を詰めると、振り向くことなく告げる。

 

「…………どら焼き、ごちそうさま……」

 

 言うや駆け足を再開し、光秋を置いていく勢いで先へ行ってしまう。

 少しずつ遠くなっていく背中を見ながら、光秋は直前の一言まで含めた公園内での北大路の態度を振り返る。

 

―ま、最初の頃に比べたら、ずっと棘がとれてきたかな……?―

 

 極めて微妙な変化に苦笑を浮かべながらそう思うと、離れる一方な北大路との距離を詰めようと、光秋も駆け出した。

 

 

 

 

 それからさらに周囲のサイコメトリーを続けること1時間。

 再び休憩に入ろうかと光秋が思案していると、上着のポケットに入れた携帯電話が振動する。

 

「本郷さんだ。少し待って」

 

 傍らで屈んだ姿勢から立ち上がろうとする北大路に断りを入れると、通話ボタンを押した携帯電話を耳に当てる。

 

「もしもし?」

(犯人の学校が特定できたぞ)

「!?」

 

 何の前置きもなく告げられた重大情報に、喜びよりも先に驚愕を覚える。

 

「……」

 

 それを見た北大路も何かを察したらしく、緊迫した視線を向けてくる。

 

「……どちらです?」

 

 その様子を視界の端に見ながら、光秋は膝を折って北大路と高さを合わせ、こちらの意図を察して携帯電話に耳を寄せた北大路と共に先を促す。

 

(この住宅街の近くにある公立高校だ。向かう道中で拾うから、今いる場所を教えてくれ)

「今は……」

 

 言われて光秋は、周囲を見回して住所がわかるもの、あるいは目印になりそうなものを探す。

 と、北大路が肩を叩いてくる。

 

「2丁目です」

「ありがと。2丁目です」

(了解)

 

 応じると本郷の方から電話は切れ、光秋は立ち上がりながら携帯電話をポケットに戻すと、北大路と道の端に寄って本郷が来るのを待つ。

 が、しばらく待っても本郷が来る気配はなく、光秋は苛つきながら腕時計を確認する。

 

―遅いな……何かあったかな?―

 

 来る途中で事故に遭った光景が脳裏を過ぎると、逡巡しながらも携帯電話に再び手を伸ばそうとする。

 その時、ようやく見覚えのある黒い車が2人の前で停車し、開いた窓から本郷が顔を出す。

 

「悪い。待たせた。後ろに乗ってくれ」

「はい」

 

 応じると、光秋は北大路と共に後部席に座り、2人が乗ったのを確認した本郷は車を走らせる。

 

「遅くなって悪かなったな。これ買ってたもんで」

 

 言いながら本郷は助手席に手を伸ばし、手に持った大振りなビニール袋を光秋に差し出してくる。

 

「おにぎりですか?こんなたくさん」

 

 その中に入っていた優に10個以上はあるおにぎりに、光秋は思わず唖然とする。

 

「そろそろ昼時だし、これから体力使うだろうからな。2人とも好きな味軽く食べとけ」

「体力……あぁ…………ありがとうございます」

 

 本郷のその一言に、これから犯人と対峙するのだと改めて実感した光秋は、緊張を覚えながら袋の中を探る。

 

「北大路さん、何か食べたいのあるか?」

「…………おにぎりばっかり。サンドイッチがよかった」

「君ねぇ……」

 

 遠慮など微塵もない北大路の返答に、光秋は呆れと気まずさを覚えながら背もたれに隠れている本郷の様子を窺う。

 

「悪いな、急いでたもんで。今度また一緒に仕事する機会があれば、参考にさせてもらうよ」

「すみません……で、どれにする?」

 

 特に気にした様子もなく応じる本郷に頭を下げると、光秋は改めて北大路に尋ねる。

 

「じゃあ……ツナマヨで」

「ん」

 

 応じながら北大路の頼んだものを渡すと、光秋もおかか味を取って噛り付く。

 いくらもしない内に1個を食べ切り、今度は梅味を取ろうとした時、北大路もすでにツナマヨ味を食べ切っていることに気付く。

 

「次はどうする?」

「もういりません」

「1個だけで大丈夫か?」

「刑事さんも軽くって言ってたので」

「そうだが……」

 

 これ以上食べる意思がなさそうな北大路に、とりあえず袋の中に入っていたペットボトルの緑茶を渡すと、光秋は梅味を頬張る。

 それを食べ切り、お茶を飲んで喉を潤していると、車窓越しに校舎らしき四角い建物が見えてくる。

 

―ここが…………!―

 

 観察の目を向けていると、見える範囲で一番高い棟の上に北大路が描いたのと同じ翼を広げた鳥の様なマークを見付け、ここに犯人がいるのだと確信し、無意識の内に掌が汗ばんでくる。

 門をくぐった本郷が駐車場の一角に車を停めると、光秋は若干強張りそうになる体で外に出、本郷と北大路に続いて校舎へ向かって歩き出す。

 

「事前に連絡は入れてあるから、まずは職員室に……て、おいおい。まさか緊張してるのか?」

「……そうみたいですね」

 

 傍から見てもわかるくらいには出ていたらし。本郷の指摘に、光秋は観念するつもりで正直に頷く。

 

「……ちなみに、ESOに入ってどのくらい?」

「もうすぐ1年です」

「1年も勤めてたら、流石にもう場慣れするんじゃないか?俺はだいたいそんな感じだったと思うが」

「僕の場合、根がビビリですからね。それにこんな感じの仕事は初めてだし……そうでなくとも、時間に()があるとつい身構えてしまって…………」

「そういうもんか……?」

 

 最近のところでサン教ベース包囲の時のことを思い返しながら答えると、本郷は首を傾げながら応じる。

 そうしていると、玄関から教員と思しきスーツ姿の中年男性が出てくる。

 

「先程お電話いただいた……」

「あぁ。警察のもんです。こっちはESOの」

「どうも」

 

 教員に懐から出した警察手帳を見せながら応じる本郷に倣って、光秋もESOの手帳を開いてIDカードを見せながら頷く。

 

「ESOの方も……そちらの女の子は?」

「僕――私の部下の特エスです」

「あぁ、なるほど……ひとまず、応接室にお通しします」

 

 光秋の返答に納得すると、教員はスリッパを3足用意し、玄関先でそれに履き替えた3人は後を追って廊下を進んでいく。

 と、

 

「……!?」

「どうした?北大路さん」

 

急に立ち止まって背後に視線を巡らせ始めた北大路に、光秋も一見変わったところが見られない背後の廊下を眺めながら訊ねる。

 

「今、後ろの方で『ヤバイッ!』って感じが……」

「?……」

 

 言われてさらに目を凝らすものの、相変わらず目に入る物といえば部屋の戸や壁に沿って伸びる柱くらいしかない。

 

―まさか……―

 

 そんな廊下の状態を見てあることが浮かぶと、光秋は半信半疑に一歩進む。

 直後、

 

「柱の陰!奥の方のっ!」

「!!」

 

屈んで床に手を着けた北大路の叫びに咄嗟に走り出すや、その言葉の通り、奥の柱の陰から男子生徒が現れ、光秋たちを振り返ることもなく脱兎の如く疾走する。

 

「待てっ!」

 

 反射的に叫び掛けるものの、男子生徒が立ち止まる気配など微塵もなく、少しでも距離を詰めようと光秋は足を速める。

 数瞬駆けて男子生徒が右に曲がるや、光秋も速度を落とすことなく角を曲がる。

 そして男子生徒を追おうとさらに足を踏み出した、刹那、

 

「ッ!?」

 

顔全体、特に鼻の辺りを強烈な激痛が襲い、束の間前後不覚に陥りながら思わず鼻を両手で覆う。

 

―な、何だっ!?……?―

 

 数瞬してある程度痛みが引いたところで改めて前を見ると、そこに曲がり角などなく、見るからに頑丈そうな壁があった。

 

「壁!?いや、でもさっきここを曲がって……」

「何してるんです!逃げられちゃいますよッ!」

「!!」

 

 ついさっき見た光景と目の前の現実との乖離に困惑していると、追い越しついでに北大路に怒鳴られて先を行く男子生徒を再度捉え、ひとまず追跡を再開する。

 直後、

 

「うわっ!!」

 

今度は北大路が何もない廊下で驚きの声を上げ、慌てて後ろに飛び退く。

 

「どうした?」

「どうしたって、今そこの壁が――あれ……?」

 

 おかしな行動に光秋が足を止めて問い掛けると、北大路は一瞬苛ついた顔を向けるものの、すぐに何の変化もない廊下を見て混乱の様子をみせる。

 

「突然壁が崩れてきて、それで逃げようと……でも、壁崩れてない……?」

「決まりだな」

 

 何の変哲もない壁を北大路が困惑の目で見ていると、2人に追い付いた本郷が確信の声で告げてくる。

 

「やっぱり、あの生徒が犯人?……ということは、今僕や北大路さんが受けたのは……」

「おそらく、例の催眠だろう。まさか撒くために使ってくるとはな……これは迂闊に俺たちだけで追跡すると危険かもしれん。とりあえず、俺は一旦署に連絡する。お前も本部に連絡入れとけ。あと残りの嬢ちゃんたちも呼んどけよ」

「は、はいっ!」

 

 緊迫した顔で告げる本郷に応じると、すぐに携帯電話を取り出した光秋は東京本部に連絡を入れた。


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