「…………こんなとこかなぁ…………っ!」
本部のノートパソコンを借り、研修室に籠ることしばし。ひと通り書き上げた画面の中の報告書を眺めると、光秋は両腕を上げて体を伸ばす。
そのまま部屋の時計に目を向けると、2時15分を指そうとしていた。
―提出期限は3時だったよな。要点はだいたい押さえたつもりだし、時間的にもちょうどいいか。あとは出してみてどう言われるか……と―
流し読みで内容を確認しながらそう考えていると、情報提供をしたZCの構成員の記述が目に留まる。
―一応協力してくれたことは書いたつもりだが、これじゃまだ弱いか……?もっとも、これ以上のことは藤岡主任に訊いてみないとなんともなぁ…………まぁいい。誤字や変な表現もなさそうだし、とりあえず提出というこう―
そう思うや気持ちを切り替え、携帯電話を出して藤岡に連絡をとる。
(なんだ?)
「あ、藤岡主任。報告書の作成が終わりました。今どちらでしょうか?」
(待機室だ)
「ではそちらに持っていきます」
(ん。頼む)
藤岡の返事を聞くと電話を切り、パソコンを脇に抱えて部屋を出る。
「待機室か。確か違う棟だよな。初めて行く場所だけど大丈夫か…………」
一抹の不安を呟きながらも歩を進め、報告書の印刷とパソコンの返却を済ませると、外に出て、近くの地図を頼りに特務部隊の待機室が入っている棟へ向かう。
―提出と一緒に、例の件も訊いてみるか……―
ZCの構成員のことを考えながら目的の棟の玄関をくぐり、少し進んだ所で歩を止める。
「さて、藤岡隊の部屋はどこか…………」
今更ながら待機室の詳しい位置を訊き忘れていたことを思い出し、報告書片手に左右に伸びる廊下と正面のエレベーターを見比べながらしばし途方に暮れる。
その時、
「…………!」
持っていた報告書の束が滑る様に手を離れ、不規則に宙を漂いながら左の廊下の奥へ流れていく。
「風……じゃないよなぁ。これは……」
一見風に煽られた様な、しかしピンで留めたわけでもない数枚の報告書がまとまったまま吹かれる不自然な光景、加えて明らかな意思の存在を思わせるその動きに、光秋は去年の秋に自分の制帽がよく似た動きをして京都支部本舎の屋上へ舞い上がったことを思い出しながら後をついて行く。
玄関からしばし進んだ所で報告書は曲がり角に消え、すぐに同じ角を曲がった光秋は正面に階段を見る。
そして、
「曽我さん…………」
その1段目の手前に、宙を舞っていた報告書を引き寄せる様に――というよりも念力で引き寄せた曽我を認める。
「今の、エサに誘導される本物のワンちゃんみたいね」
「お願いですから、もう少し普通に案内していただけませんか……」
イタズラが成功した微笑を浮かべる曽我に、本部への初出勤早々にカバンを引っ張られたことを思い出しながら光秋は応じる。
「今回も藤岡主任の指示ですか?」
「そっ。例によって道案内ね。こっち」
気を取り直して報告書を返してもらいながら訊ねると、曽我は頷いて階段を上り、光秋もその後についていく。
「……そういえば、体調はもういいんですか?」
「特エス舐めないでよ。あれくらい、少し休んだらすっかり治まったわよ。むしろ様子見だかドクターストップだかで出動止められて、やり甲斐のありそうな現場に行けなかったのが惜しいくらい」
思い出した罪悪感から少し気まずさを抱えながら訊ねると、曽我は言葉の通り機会を逃した悔しさに顔を若干歪める。
「それならよかった」
「なにがよー。もうっ」
その様子に完全に回復したらしいと感じた光秋は安堵し、それに対して曽我は口を尖らせながらも笑って返す。
その間にも2人は2階に差し掛かり、廊下を少し歩いた先のドアの前で立ち止まる。
「ここがアタシたち藤岡隊の待機室よ。このところ研修で主任はいないことが多かったけど、何もなければ基本ここにいるから」
「ここが……ありがとうございます」
左右にも同じドア――いずれも札の記述からして他の特務部隊の待機室――が並ぶのを横目で見ながら、光秋は曽我の説明と案内に礼で応じる。
「主任、連れてきました」
「失礼します」
それを見ると曽我はドアをノックして待機室に入り、続いて入室した光秋は、正面に机の上のパソコンのキーボードに指を走らせる藤岡を認める。
「藤岡主任、報告書をお持ちしました」
「おう。ご苦労」
言いながら光秋は机に歩み寄り、藤岡が画面から顔を上げると、報告書のページをめくって例の記述を探す。
「ただ、一つ訊きたいことがありまして……あ、ここだ」
記述を見つけるや光秋はそのページを開いて机の上に置き、そこを指さしながらZCの構成員の件を掻い摘んで話す。
「……一応報告書でも触れてはおいたんですが、これ以外に何かすべきことってありますか?」
「いや、報告したのならそれで充分だろう。少なくとも、今のお前にできるのはここまでだ」
ひと通り説明を終えた光秋の問いに、藤岡はアゴを撫でながら答える。
「他にも情報提供するところを見ていた者がいたんだな?」
「はい。北大路さんと、あと軍の人たちが」
「なら、その方面からも報告が上がるだろう。俺も一応追記しておくが。その先はそれこそ裁判所の仕事だ。証言の裏をとるために呼ばれるようなことがあれば、その都度協力すればいい」
「わかりました。ありがとうございます。では、こちらよろしくお願いします」
藤岡の説明に一礼して応じると、光秋はページを閉じた報告書を机の中央に寄せる。
「あと何かすることは?」
「いや。これで全部だ。あとは最終判定も含めて俺がやっておく。でき次第連絡する」
「それなら、少し格納庫の方にいます。ニコ――00の修復をしたいので」
藤岡の返答に応じると、光秋は振り返ってドアへ向かう。
「では、失礼します」
一礼して部屋から出ると、来た道を戻って階段へ向かう。
―修復もだが、福山主任に報告書の期限とか訊けるかな?あぁそういや、連絡先は教えてもらってたっけ。棟を出たら電話してみるか……―
そう思う間にも階段に差し掛かり、手摺りを掴んで1階へ下りる。
と、後ろから迫ってくる足音に気付く。
「?……曽我さん?」
踊り場で立ち止まって背後を振り返ると、曽我が小走りで階段を下りてくる。
「あのデッカいの出すんでしょ?アタシも行く」
「かまいませんけど……いいんですか?仕事とか」
「別に。出動がかかったわけじゃないし、トレーニングなら別の時にちゃんとやるし。藤岡主任はしばらくデスクワークで手が離せないしね」
「そういうもんですか……」
呆然と返しながら、光秋は曽我と共に階段を下り、玄関をくぐって外に出る。
「すいません。ちょっと待ってください」
少し歩いたところでそう言って立ち止まると、ポケットから携帯電話を出して福山に電話をかける。
―…………?忙しいのかな?―
しばらく鳴らしても出る気配はなく、かけ直そうかと耳から離そうとした直前、やっと福山の声が響く。
(福山だが)
「あ、加藤です。すみません、変な時にかけましたか?」
(いや、少し手が離せなかっただけだ。もう済んだ。なにか?)
「今から00の修復を行おうと思って。ブロックはどこですか?」
(……そうだな。こちらで用意しておく。格納庫まで来てくれ)
「わかりました……お待たせしました。こっちです」
応じると光秋は電話を戻し、曽我にひと声かけて格納庫へ向かう。
「今回、結構酷かったの?」
「ニコイチですか?えぇまぁ、DDシリーズも出たし……3機も……」
「えっ?」
その時のことを思い出して震えながら答えると、それを聞いた曽我は思わず顔を向ける。
少し歩いて格納庫の建屋が並んでいる区画に差し掛かると、光秋先導の下に2人はシャッターが開いている建屋に入る。
と、格納庫の端に佇むZCのイピクレスとNPのフラガラッハが真っ先に目に付く。
「アレって、敵が使ってたロボット?メガボディだっけ?」
「はい。回収した奴かな……」
曽我の質問に答えつつ、2機から目を離した光秋は格納庫内に福山の姿を探す。
と、2機の足元に集まっていた人だかりの内の1人がこちらを見やり、すぐに駆け寄ってくる。
距離を詰めると、光秋はそれが福山だと気付く。
「すまない。話し込んでた」
「いえ」
「ブロックはあそこだ。ただ、修復前に破損の状態を記録しておきたい」
「わかりました」
応じると、光秋は懐から出したカプセルを格納庫の空いている方へ向け、ボタンを押してニコイチを出現させる。すぐに乗り込むと左膝を着いていたのを直立させ、そのまま福山を中心としたスタッフたちの調査が終わるのを待つ。
「そういえばあの2機、やっぱり現場から回収した物ですか?」
その間は特にすることもなく、ニコイチの視線をフラガラッハとイピクレスに向けながらふと浮かんだ疑問を投げ掛けてみる。
(そうだ。比較的状態のいいものを回してもらった。コレらも追って調査するところだ)
手にしたカメラを光らせながら福山は応じ、その間にも調査を終えたことを手を挙げて示すと、光秋は先程指さされた方へニコイチの手を伸ばし、そこに用意されていたブロックを取って破損箇所に塗り付けていく。
(…………ずいぶんボロボロよね。普段は鉄壁の防御力のくせに)
「人間が作ったものなら、苦戦はしてもまずやられることはないでしょうね。超能力耐性もあるし。ただ……DDシリーズと当たればこのザマですけどね…………」
下で修復中のニコイチを見上げる曽我に、光秋は苦笑を浮かべながら応じ、同時に桜やデ・パルマ、関の顔を思い浮かべる。
―本当、今回はみんなに感謝だな……今回
苦笑を浮かべたままそこまで考えると、不意に疑問を抱いた光秋は離れた所で修復を見守る――あるいは観察している――福山を見やる。
「そういえば、福山主任。今回も2機程行動不能にしたと思いますけど、ソレもやっぱり回収しましたか?」
(無論だ。今は別の場所に保管している)
「やっぱり……」
予想通りの返答に頷きながら、光秋は手を休めることなくブロックを塗っていく。
―そりゃあ、人類にとっちゃ貴重なサンプルだからなぁ。何かわかればいいが…………―
その成果が自分にも回ってくることに多少の期待を込めると、ちょうど傷も全て塞ぎ終わり、残ったブロックを元あった位置に戻してニコイチを降りる。
「とりあえず、こんなとこかな?」
損傷が消えて綺麗になった相棒を見上げながら安堵の声を漏らすと、傍らに歩み寄ってきた福山が声を掛ける。
「遅くなったが、戦闘ご苦労だったな」
「いえ。半分は自分で行ったようなものですから」
労いの言葉に、多少私情の入った出動だったことを思い出して若干気まずくなりながらも、光秋は頭を下げて応じる。
直後、
「ところで、報告書は持って来てくれたか?」
「…………あッ!」
何気ない様子で投げ掛けられた福山の一言に、バタバタしている間のそのことを完全に失念していた光秋は驚愕に目を見開く。
「すみません!まだ……今から書いて来ますっ!」
「急かすようで悪いが、DDシリーズへの対抗策確立は急を要する。その点を踏まえた上で頼む。できれば今日中に」
「はい…………」
自分も感じていたことを整然と言われて、光秋はぐうの音も出ないままニコイチをカプセルに収めて格納庫を後にする。
「それで?これからどうするの?」
「とりあえずまたパソコン借りて、あとはひたすら書くしかありませんね。今回初めて使った装備の具合は押さえておくべきか…………」
隣を歩く曽我に応じながら、光秋は再び報告書の作成に頭を捻ることになる。
午後6時半。
「つ、疲れたぁ…………福山主任鋭いなぁ…………」
疲労困憊を体現しながら格納庫を出た光秋は、本舎へとぼとぼした足取りで向かいながら呟く。
報告書は藤岡に渡した分も参考しつつ書いたので比較的早く終わったものの、直接届けに行った先で福山に根掘り葉掘り追加でいろいろ質問され、それを踏まえた全面書き直しを要求されたために、結局遅い時間になってしまったのだ。
―出来には自信あったんだけどなぁ。僕もまだまだってことか……とりあえず、今日のお勤めはこれで終了だよな…………さて、あとは曽我さんだが…………―
思うや携帯電話を取り出すと、曽我に電話をかける。
(あ、ワンちゃん?)
「お待たせしました。今終わりました。荷物取りに行ってくるんで何処に向かえば?」
(あ、それなんだけど……ごめん。さっき友達から連絡が来て。これから会えないかって)
「あぁ……」
(お互い都合が合わなくて滅多に会えないから……)
「じゃあ、食事の件はまたの機会に」
(ごめんなさいね。ワタシの方から言っといて……)
「友達の誘いじゃ仕方ありませんよ。お詫びなら別の日にもできるし。とりあえず、今度の土曜日でどうです?」
(じゃあ、夕方で。詳しい時間と待ち合わせ場所は後で連絡するから)
「わかりました。楽しんできてください」
(ありがとっ)
礼を言うと、曽我の方から電話は切られる。
「曽我さんの友達かぁ……」
思わぬ断り理由に興味が湧くものの、今どうこうできるものでもなく、ひとまず光秋は食堂へ向かう。
―さて、夕飯なににしようか…………―
食堂でハンバーグ定食の夕食を終え、荷物をまとめて駅に向かうと、光秋はすぐにやって来た電車に乗り込む。
帰宅ラッシュは少し過ぎたためか、乗車率は高いものの座席はちらほら空いていた。
もっとも、光秋に腰掛ける意思はなかった。
―……やめとこ。今座ったら立てない―
そんな軽い強迫観念を抱きながら吊り革に掴まることしばし、目的の駅で降りると、真っ直ぐ寮の自室へ向かう。
到着するやすぐに風呂を沸かし、お湯が溜まる間にエアコンを点けて部屋を暖め、背広をハンガーに掛けていつでも入浴できる準備を整える。
風呂が沸くと下着を脱いで洗濯機に入れ、体を湯船に沈める。
「ふぅ…………」
やや熱めの湯に全身を浸けていくらもせずに、体の奥から今まで以上の疲労感が湧き上がってくるのがわかる。
―今までは仕事中で気を張ってたからよかったんだろうがな……やっぱり疲れてたんだなぁ…………―
自分の状態を改めて自覚すると、瞼が重くなってくる。
「…………っ!いかんいかんっ!ここで寝たら溺れる……」
口元にお湯を感じて慌てて沈んでいた頭を浮上させ、それでいくらか目が覚める。
少しして風呂から出ると体を洗い、また湯船に浸かって充分温まったところで浴室を出ると、寝間着に着替えて髪を拭きながら居間へ戻る。
と、机の上に置いていた携帯電話が振動しているのに気付く。
「電話?……藤岡主任?」
画面の名前を見るや、光秋はすぐに電話に出る。
「もしもし?」
(二曹。さっき試験の正式結果が出てな。概ね可、合格だ)
「!ありがとうございますっ」
思わぬタイミングでの報告に、軽く動揺しつつも反射的に頭を下げながら礼を言う。
(でだ、明日早速、略式だが就任式を行う。8時までにいつもの研修室に来てくれ)
「……了解しました。何かこっちで用意するものは?」
(特にない。いつも通り背広で来てくれ。式が終わり次第、待機室諸々の説明をする)
「わかりました」
(俺からは以上だ。じゃ、よろしくな)
「はい。連絡ありがとうございます」
光秋が礼を言うと、藤岡の方から電話は切れる。
「そうだ。藤岡主任もあれからいろいろやってたんだよなぁ。主に僕関連のことで……僕より遅い時間まで……」
言いながら、19時半を指している携帯電話の時計を見る。
―仕事内容違うから単純な比較はできないけど、やっぱりあれくらいでバテてうたた寝してるわけにも…………いや、今日はDDシリーズが3機もいたんだっ。あれくらいは仕方ないだろう―
そう思うことでどうにか自分の状態を肯定すると、携帯電話にメールが1通届いているのに気付く。
「あ。メールも来てたのか……法子さんっ?」
差出人の名前を見て微かに胸を高鳴らせながら、メールを開く。
『少し話したい。都合のいい時に電話ください。』
「電話か……いや、その前に……」
そのまま電話をかけようとした手を一旦止め、髪がまだ濡れたままだったのを思い出して首に掛けたままのバスタオルをハンガーに掛けてドライヤーを取り出す。
逸る気持ちを抑えて髪を乾かすと、ベッドの下から引き出したコタツを点けて足を入れる。
「よしっ」
それでやっと準備が整うと、法子の番号に電話をかける。
(あ、光秋くん?)
「法子さん?メール見ました。今大丈夫ですか?」
(うん。さっきから待ってたとこ……アキッ!!)
「綾……元気そうだな」
法子、そして綾。電話越しとはいえ久々に聴いた2人の声に、光秋は無意識の内に口元を緩ませ、全身の力が目に見えて抜けていくのを感じる。
「それで、話ってなんです?」
(うん……今日の東京の騒動、ニュースで観てね……)
「あ、やっぱり……?」
薄々予想していた法子の答えに、光秋は一人納得する。
(NPとZCの小競り合い自体は連日報道されてたけど、今回は結構大きなやつだったみたいだし……)
「メガボディもかなりの数出ましたからねぇ」
(そうみたいね。それにほら、DDシリーズも出たって……)
「あぁ………」
明らかな不安を乗せた法子の声に、光秋は心配してくれたことへの喜びと、それ以上に心配させてしまったことへの申し訳なさを抱く。
(そもそもまだ研修期間の光秋くんが出てくること自体予想外だったからね。テレビで飛んでるニコイチ観た時は思わず声出しちゃったよ。ちょうどお昼時で食堂に人大勢いたのに……)
「それはまた……すみません……」
自身の行動の思わぬ影響に、光秋はますます申し訳なくなる。
「まぁ、出動は僕が無理言って出させてもらったんですけどね。現場近くに春菜さんがいるかもしれないと聞いてたから、どうしても行かなきゃって……どう言ったところで我儘でしかなかったんでしょうけど…………」
(ハルちゃんのことは私も昼休みに電話もらったけど……その点じゃあ、友達を助けてもらったことに感謝すべきなのかな。ありがとう)
「いや、春菜さん、僕にとってももう姉貴分みいたいなものですし……それに助けたというか、僕がどうこうする前にもう避難してたみたいだし……」
電話の向こうで頭を下げる法子を幻視しながら、戦闘後の電話での会話を思い出した光秋は自虐の苦笑を浮かべる。
と、
(姉貴分、かぁ……)
「?…………法子さん……?」
心なしか低くなった法子の声に妙な悪寒を感じ、光秋は恐る恐る訊き返す。
(私の他に姉貴分ねぇ……?)
「いや、別に深い意味はないですよ。春菜さんはもともと僕より年上だし、なにかと気に掛けてくれるのがお姉さんぽいなぁってだけで……法子さんだってそうしてくれたでしょう?」
(そうだけどねぇ……『姉貴分』って深い意味ないんだぁ?)
「いや……その……」
どうにも危うい方向に転がりだした会話に、光秋は未だ冷気の残る居間でなぜか薄っすら汗をかく。
と、
(ごめんっごめんっ。からかうのが過ぎたよっ)
「えっ……?」
打って変わって笑みを漏らす法子に、光秋は戸惑いながらも危機から脱したと理解して安堵する。
「……冗談だったんですかっ?」
(冗談っていうか、なんか面白くないなって思ったのはホントだけどね。思った以上に動揺するからさっ)
「勘弁してくださいよぉ…………」
笑いながら答える法子を非難しながらも、光秋の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
(ちょっとアキっ!法子とばっか喋り過ぎっ!!)
「悪い悪いっ。お前さんともご無沙汰だなぁ」
声だけでふくれっ面を作っているとわかる綾も加わり、光秋の笑みはますます濃くなる。
(あたしだって心配したんだよ……)
「わかってる。ありがとなっ」
(……あたしたちがいなくて大丈夫だった?怖くなかった?)
「そりゃ怖かったよ。DDシリーズが3機も出てきた時なんて、生きた心地がしなかった。改めて振り返ってみれば、よく生きてこうして電話できてるって思えてくるし…………ただ、今回は僕の我儘の結果としてそうなったわけだし、それに付き合ってくれた人たちもいたしな……」
言いながら、光秋の脳裏に桜や菫、北大路の顔が浮かぶ。
(付き合ってくれた、ねぇ……?)
「変な意味じゃないからな」
(わかってるっ…………まぁ、大丈夫ならよかったよ)
「うん。ありがとうっ」
不貞腐れた顔から安心した顔へ。そんなふうに忙しく表情を変える綾を声の向こうに見ながら、光秋は帰路からこっち抱えていた疲労感がいくらか和らいでいくのを実感する。
―あぁ、やっぱり、法子さんと綾と話すと、いいなぁ…………―
今の気持ちを胸の内に明文化すると、不意に先程の藤岡の電話の件を話したくなる。
「あ、そういえばさっき電話があって、研修試験合格だって」
(よかったじゃない!……おめでとうっ!)
「あぁ。これでいよいよ、特務部隊主任就任ってわけだ」
法子と綾の賛辞に、光秋は若干苦笑を浮かべながら応じる。
「当然、今日みたいな機会もこれから増えていくわけだけど…………部下になるのはいずれもよくできた子たちだ。あとは僕が研修で……もっと言えば今までの仕事で学んだことをどれだけ活かせるかってことで……要は、腕の見せ所だなっ」
何かの拍子に顔を出そうとする不安をどうにか抑え込みつつ、努めて前向きに告げる。
しかし、
(…………)
「……あの、法子さん?……綾……?」
話に乗って気の利いた返事の一つもしてくれるだろうという予想とは逆に返ってきた沈黙に、光秋はさっきまでとは違う意味で不安になる。
(……私、近い内にそっちに行くからさ)
「?……いきなりなんです?この間もそんな話したけど……」
(流石にすぐは無理だけどさ、この前も言ったように、今休みの調整してるところだから、絶対行くから。だから…………その時、もっといろいろ聴かせて)
「……わかりました」―あぁ、見抜かれたか……―
藪から棒な宣言と、どこか安心させるような声音に、光秋は先程の発言の裏にあった強がりを見抜かれたと察し、法子の鋭さに感服すると同時に、自分のことをわかってくれたことに対する微かな喜びを覚える。
(だから、それまで、ね……)
「わかってるよ。話すには相手が必要だからな。ちゃんと迎えられるようにしいておく…………それこそ、
続く綾の弱々しい呼び掛けに、京都での別れ際の会話を思い出しながら応じ、自分の中の決意を新たにする。
(うん…………)
それに綾、そして法子が小さく応じると、法子が潮時を察した様子で言ってくる。
(じゃあ、その時に……明日も早いし、今日はこれで)
「ですね。電話ありがとうございました」
(うん。じゃあね……気を付けて……)
「ん」
法子の別れと綾の気遣い、2つ分の頷きを返すと、光秋は電話を切って携帯電話をコタツの上に置く。
「やはや、まさか主任就任前夜にして、また気持ちを改める機会を得るとはな……」
一連の会話に感慨を抱きながら呟くと、電話の前よりも胸の内が軽くなっていることを改めて実感する。
「やっぱり、あの姉妹と話すと違うな…………さて、寝る前にちょっと」
時計を一見して寝るまでまだ時間があることを確認すると、机の上に置いていた先日菫に薦められたマンガ――『ヒーロー候補生』1巻を手に取って読み始める。
―んー…………何度読み返しても面白いな。今度2巻以降も買おうかなぁ……?―
すでに1回読破しているにも関わらず飽きることのない面白さに感心しつつ、就寝前の安息のひと時を堪能する。
そして、午後10時。
「…………さて、そろそろ」
机の上の時計を確認してマンガを閉じると、光秋はコタツやエアコンを切って戸締りを確認し、布団に足を入れる。
―明日からまた忙しくなるからな。今夜はしっかり寝ないと……法子さんと綾の気持ちに応える為にもな―
脳裏に一瞬二人の顔を浮かべると、照明を消して布団を被った。
翌日――3月1日火曜日午前8時半。
「…………」
この1カ月半、すっかり行き慣れた研修室で、光秋はいつにない独特な緊張に包まれていた。
「では、略式ながら就任式を行う。加藤光秋
「はいっ!」
部屋の前に立つ藤岡に新しい階級で名を呼ばれると、これもすっかり定位置になった最前列中央の机から立ち上がり、その単純な動作の間にも心なしか肩に力が入った我が身を自覚する。
それでも脚を動かして藤岡の許に歩み寄り、踵を揃えて直立不動の姿勢をとる。
それを見て藤岡は近くの机の上に置いていた辞令を取り、両手で丁重に持ったそれを光秋に差し出す。
「貴官の三尉昇格、および特務部隊主任就任をここに認める。今後もESOの一員として頑張ってくれ」
「はいっ。藤岡主任に教わったことを活かします」
軽い激に応じると、光秋は差し出された辞令を両手でしっかりと受け取って脇に抱える。
そこそこ立派なファイルに挟まれたA4程の紙。重量を考えれば本当に大したことのないそれが、今は実際よりもずっと重く感じる。
―あぁ。これで僕は、短い間とはいえあの三人――桜さん、菫さん、北大路さんを背負うことになったんだなぁ…………―
唐突にそんな言葉が浮かぶと同時に、感じる重さの理由を漠然と理解すると、部屋の隅に控えていた曽我の拍手が目に入る。
―…………やってやるさねっ!―
気を抜けばさらなる不安が湧いてきそうな曽我の挑発的な笑みに、昨夜の伊部姉妹との会話――特に近い内の再会の件――を思い出すことで対抗しながら、光秋はその想いを表す様に辞令を持つ手に力を込めた。
午後0時。
就任式以降、藤岡から待機室を含めた諸々の説明を受けた光秋は、頭に若干の鈍痛を抱えながら食堂へ向かう。
―晴れて特務部隊主任になったものの……まだまだ覚えることはあるってことか……―
午前中一杯を使って詰め込まれた様々な情報を思い返しながら小さく溜め息を吐くと、醤油ラーメンを買って空いている席に腰を下ろす。
―にしても、僕が三尉……あまつさえ主任かぁ……辞令や更新された身分証こそ見たし、その時は責任感とでもいうのか、“重い”感じは覚えたけど……時間を開けて改めて考えると、まだ実感薄いなぁ…………―
今朝渡された辞令や、待機室に移動してからもらった現在の役職に直された身分証明書、その時感じたことなどを冷静になった今の感覚で思い返しつつ、空腹の体にラーメンを運んでいく。
―主任、かぁ…………―
そこでふと、入間主任の顔が浮かぶ。
―正式に就いた以上、改めて挨拶してきた方がいいかな?考えようによっちゃ、入間主任が面倒見てた子たちを預かるようなもんだし…………ちょうど説明もひと通り終わって午後は空いてるしな。行ってみるか―
今は暇でも、時間が経てばまた忙しくなる。そんな思いも合わさって食後の予定を決めると、厚めのチャーシューを頬張る。
昼食を終え、歯を磨くと、光秋は医療棟へ向かう。
「えっと……こっちだったよな……」
以前菫と来た時の記憶を頼りに棟内を進んでいくと、不意に再び空手で来てしまったことを思い出す。
―やっちゃったなぁ……でも、今から買いに行ってる時間も…………いっか。それはまたの機会に……―
多少の罪悪感を覚えつつもそう断じ、廊下を進んで行くと、入間の病室の前に着く。
「失礼します」
ノックして告げると、ドアを横にずらし、病室に入る。
「あら、加藤さん」
「突然お邪魔してすみません」
ベッドの上で読んでいた雑誌を下ろしながら応じる入間に、光秋は頭を下げながら歩み寄る。
「この度、無事特務部隊主任に就任することになりまして、前任者に挨拶をと思いまして」
「ちょうどよかったです。少し待ってくださいね」
「?」
訪問の理由を説明するや、入間はベッド横の棚の引き出しに手を伸ばす。
「確かこの間
―シンジロウ?―
知らない名前に光秋が首を傾げる間にも、入間は引き出しから取り出した大きめの茶封筒を差し出してくる。
それを受け取った光秋は、中に数冊のノートが入っているのを確認する。
「これは?」
「あの子たちに関する私なりの記録です。といっても、殆どは能力関係ですけど。あの子たちの主任をするに当たって、役に立つかと思いまして」
「!ありがとうございますっ!」
全く予想していなかった贈り物に驚きつつも、光秋は封筒を両手でしっかりと持ち直しながら深く頭を下げる。
同時に、訪ねておいて何も持ってこなかったことへの罪悪感が蘇ってくる。
「すみません、こんな大事な物までいただいておきながら……また手ぶらで来てしまって……」
「いいんですよ。加藤さんも忙しいでしょうし。昨日まで研修、おまけにNPとZCの大規模衝突ですからね」
「まぁ…………」―あくまで忘れてただけなんだけどなぁ…………―
入間の気遣いに、ますます肩身が狭くなる。
「それに、このノートを今必要としているのは加藤さんです。動けない私が持っていても仕方ありません」
「それは…………いえ、改めまして、ありがとうございますっ!」
自身にとっては辛い現実であろうことを平然とした様子で告げる入間に一瞬返事に困りながらも、光秋は姿勢を正してもう一度深く頭を下げる。
「早速待機室に戻って読んでみようと思います」
「そうしてください。あの子たちのことを少しでも知っていただければ」
「努力します。では、これで。慌ただしい見舞いで申し訳ありません」
入間に詫びを入れると、光秋は部屋を出て速足で来た道を戻る。
―御膳立ての礼は、実際の仕事で返す。その為にも、せっかく授けてくれたものは活用しないとな……―
封筒、その中のノートを一見しながら、新しい仕事に対する気合いを改めて入れる。
―ただまぁ…………見舞いの失敗は、それはそれでいつか改めんとなぁ…………―
医療棟から今朝宛がわれた待機室に戻ると、光秋は机に腰を下ろして早速封筒の中のノートを開く。
「…………流石というか、凄い情報量だなぁ」
パラパラめくっただけでも途切れることのない文章量に圧倒されつつ、手始めに昨日の出動で最も活用頻度の多かった桜に関する記述から読んでいく。
午後からは急ぎの用はなく、緊急の要件も入らなかったことから、長い時間に渡って集中して読むことができた。
そうして気が付けば、時刻は午後5時を回っていた。
「んっ!…………」
ちょうど3人の記述をひと通り読み終えると、光秋は両腕を挙げて体を伸ばす。
―研修でも習いはしたが、念力――触れずに物を動かす、物の動きに干渉できる力、やっぱり応用が利くんだな。攻めてよし、守ってよし。桜さんはそれに加えて出力自体高いし……惜しむらくは、細かなコントロールに難あり、か…………―
ノートから目を離して頭の中で記述内容を要約しながら、昨日の戦闘の記憶も参考にしつつ今後の活用について思案してみる。
と、ノックもなしにドアが開き、制服の上にコートを羽織った桜、菫、北大路が待機室に入ってくる。
「ちーっす」
「3人ともっ、来たのか……」
一行を代表した桜の挨拶に、光秋はやや驚きを浮かべつつ、机から立って少女たちの許に歩み寄りながら応じる。
「なんだよ?来ちゃいけなかった?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ、来ると思ってなかったからさ。少しびっくりした」
「今日から光秋さんが正式に私たちの主任ですから、なにか挨拶に行った方がいいかなって」
「なるほどな。ありがとう」
桜と菫にそれぞれ応じると、光秋は礼を言いながら無意識の内に菫の頭に手を置いていた。
「ちょっ、光秋さんっ!」
「ん?……あぁ、すまん。つい」
途端に顔を赤くした菫に、光秋はハッとしつつすぐに手を引っ込める。
「…………いいなぁ」
「なんだ?桜さんもしてほしいのか?」
「!べ、別にっ!?ガキじゃあるまいしっ!」
―いや、ガキだろう……?―
何故か狼狽しながら否定する桜に、思わず心の中で反論する。少なくとも声に出すとさらに機嫌を損ねそうなのはわかったので、漏れないように口に注意を払いながら。
そうしながら、ドアのそばに控えめに佇む北大路に顔を向ける。
「…………北大路さんも来てくれたのか」
昨日の別れ際の衝突を思い出して気まずくなりながらも、とりあえずひと声掛ける。
「……すでに行く方に2票でしたから。私だけ寮に一人でいるのも…………」
「そうか……ありがとう」
相変わらず壁のある態度ではあるものの、無視される可能性も考えていた光秋には返事がもらえただけでもありがたかった。
「…………」
―とりあえず、平常通りってことかな?―
礼に対して明後日の方を向いて応じる
「とにかく、今日から晴れてアタシ等の主任になったんだ。ひとつよろしく頼むよ」
「入間主任が戻るまでってことですけど、よろしくお願いします」
―…………なんか、ようやく主任になったって実感が湧いてきたな―
腕を組む桜と頭を下げる菫の姿を見てそう思うと、自分でも今更と思える感慨に光秋は口元が緩む。
「あぁ。こちらこそ、よろしくお願いしますっ!」
口元から広がった清々しい笑みを顔一杯に浮かべながら、3人に向かって深く頭を下げてみせる。
―『加藤隊』、ここに結成だなっ!―
今回で「加藤隊結成編」は終了です。
次回からも引き続きよろしくお願い致します!