ログ・ホライズン ~高笑いするおーるらうんだーな神祇官~ 作:となりのせとろ
すでに日は登り冬とは思えない雲ひとつとしてない青空が空いっぱいに広がっていた。
龍神アサハナが語る聖域ということを考えればこの結界の内側では四季というものは存在しないので、それは当たり前のことなのだろうが、それはそれで気味が悪いものだと奏は感じなくもなかった。
ずっと変わらない光景、理想の投影と言えば聞こえはいいが理想でありつづける理想郷ほど人としての停滞を強めるものはないのだろう。この代わり映えしない世界で長い時間を過ごすことができるのはアサハナが高い神格であるがゆえだった。
そんな龍神アサハナは、
「のう、本当にもう大丈夫か?もうすこし寝ててもいいんじゃぞ?なんなら儂が添い寝してやるぞ?おかゆ食べるか?りんごもあるぞ?」
どうしようもないほど煩わしかった。
「アサハナ様、もう大丈夫だって!夜はあんなに察したように接してきたくせになに今更何を心配してんだよ」
「だって、心配じゃもん」
「もん?」
何十年と人と接する機会がなくて人恋しくなっていたのだろう、神格を投げ捨てんばかりの勢いでベタベタと奏にひっついてきていた。はっきり言えば素面が露見し始めてきている。俗物的にいうならちょろい。神というのはどこの世界でも簡単にに人に落とされるらしい。神を見れるような人間がただの普通の人間なわけがないと考えれば申し分ないのかもしれないが。
「アサハナ様、ちょっと席を外してもらってもいいかな」
「ええぇ!?儂のこと嫌いになった!?鬱陶しかった!?」
「……うん!今はちょっと鬱陶しいかぁな?」
ガガーン!なんて効果音が聞こえてきそうなリアクションをとって詰め寄ってくる龍神アサハナ。それをどうどうと落ち着かせて、というか押さえつけて引っ込ませる奏
「念話するんだよ。答えをえれるかな正直わからないけど、でもなにか得れるものはあるはずなんだ。まだ昨日の熱が残ってるうちにこの不確かなものをはやく形にしておきたいんだ」
奏の意思を言葉に変えはっきりと告げるとアサハナは思いの外あっさりと奏からその身をどかし、部屋の入口となるふすまへと手をかけた。
「わかった。念話が終われば呼びにまいれ。答えを得ようと得れまいと、できる限りの手ほどきはしてやろう」
背を向けたまま一言だけそう言い残すとアサハナはふすまを開けて部屋から出ていった。
アサハナのそのわきまえたような身の引きように奏に心からの一礼を返すと、左手をすっ、と宙でひと振り、ふた振りと動かしていく。メニュー操作の動きは淀みなく進んでいき念話の項目へと辿り着く。百を優に超える名前を見ていく必要はなくその名前はすぐに奏は見つけ出す。
『クイン』
その名前をただ一度指一つで叩く。そうするだけなのだが、
(気まずい…)
奏はアキバの街を出るときにクインにはなにも言わずに街を出た。むしろ誰にもなにも言わずそれはそれは長い手紙だけを残して出ていったものだから、それが逆に奏がクインに対して念話をかけることに躊躇をさせた。
無機質な画面との不毛なにらみ合いが始まろうとした時、まるで見計らったように、狙いすましたかのように鈴の音が奏の頭の中に鳴り響く。
それは紛れもない念話の着信音。そしてメニュー画面の小さな窓に表示された名前は、にらみ合いを始めようとしていた名前と同一のものだった。
「このタイミングで念話とか都合が良すぎんだろ…」
偶然にしても出来すぎている。作為まで感じるようなタイミングでかかってきた望みの相手からの念話に手のひらで踊らされるような、誰かまだ舞台に現れていない存在の意思に動きを誘導されているような、そんな疑惑の芽が着々と育ってきていたが、それでも冷や汗をかかされるよりも助かったという思いが強かった。
「よう、久しぶりだなクイン」
『思っていたよりは元気そうな声だな奏。あんな馬鹿みたいな手紙を残していったものだからもう少し、悪夢でも見続けて自棄になるくらいには弱っているものかと思ったのだが、杞憂だったか?』
「いや、大正解だよ名探偵。正直、今は空元気みたいなもんだ」
あっさりと見抜かれてしまったことに奏は苦笑いを浮かべながらも、これくらいなら探偵じゃなくてもそれなりに親しい人間ならあっさり見抜くかと自分のガバガバの気遣いにため息をつく。
『失望したぞ奏。お前にはガッカリだ。随分とつまらない人間に成り下がったものだな。もういい念話切るぞ』
「わああぁ、待て待て!クインさん!?なに!?いきなり辛辣すぎやしませんか!?」
『いつもなら「お前は今日は女の子の日か?いつもよりうざいぞ」なんて言うだろう』
「ねえよ!?そんなセクハラ今まで一度たりともしたことねぇよ!?そしてお前の中の俺のイメージ最低すぎるだろ!」
『うん、久しぶりに聞くと落ち着くな。お前の怒鳴り声は』
「お前は俺のなにに癒されてるんだ!」
『え、声とか?なんかこう奏と話してると落ち着くよわたしは』
「はぁ!?」
『お前もミノリちゃんを眺めるのと、いいツッコミができたら楽しいだろう?それと一緒だ』
「ツッコミに快楽を得れる芸人魂は俺は持ち合わせてないよ」
『前者を否定しない辺りがお前の変態性と芸人魂をよく表してるよ』
『とまあ、こんなふうにお前が私にいいように弄ばれるほどに宛にならない空元気をしていることが証明されたわけだが、なにか私に力になれることはあるか?』
「お前、相変わらずやり口と言い回しがうざいな」
『私にムカつける程度には元気が出ただろう?』
「ああ、おかげさまで」
もうクインを弄り倒すことはしない。
昨晩そう固く決意していたはずの奏だったが、今のやりとりで確信した。コイツにそんな罪悪感は必要なかったと。前言撤回。全てにかたがついたら絶対に弄り倒して卑猥な言葉で頭の中ドップラー効果させてやる、そう改めて決意を固め直した。
『わたしになにか力になれることはあるか?』
もう一度、クインは言った。
それに奏は一つの問いを投げかける。彼女に聞くことでしか意味をなさない問いを。
「お前ってさ、俺のために死ねるか?」
『…死んだらそこでおしまい。自分のこれから先の人生を全て投げ打ってまで、自分じゃない人間のために命を捨てれるか、か。
<冒険者>は生き返れるって前提を含めれば死ねると断言してやることもやぶさかではないが、お前が聞きたいのは復活を前提にした話じゃないだろう?』
「ああ、一度死んだらおしまいの世界でお前は俺のために死ねるか?」
『すごい口説き文句だな。
傲慢でナルシスト。告白だとしたら下の下だ。かの暴君ネロでも愛を告げる言葉にそんな言葉は使わなかっただろうな』
「茶化すなよ、割と真面目に聞いてんだ」
『ふふ、すまない。
それでも真面目に答えるとすれば、わからない。
本来ならそれくらいのことやすやすと言ってのけれればかっちょいいんだろうが、断言なんてできない。
そのときになってみなければわからない、というのが本音だ。不満か?』
「いや、満足だ。女に守られて生き残ったなんて、男として恥でしかねぇよ。死ぬなら俺がお前を守って死んでやる」
『…その答えは気に入らんよ、ばかなで』
「え?」
さっきのような冗談まかしたやりとりとは違って真剣な声色で諭すかのような口調でクインは奏の言葉を否定した。
「死ぬなんてお前が言うな。
お前はその言葉を軽々しく使うのを誰よりも嫌う人間だろ、自分も生きて周りも助けることくらいの根拠もない大口を叩くやつだ。
お前はいつもここぞというときにそう言って馬鹿みたいに笑ってきただろ」
「その笑いだって嘘でしかなかったんだよ。
俺が笑ってきたのは誤魔化してきただけなんだ。俺は別に本気で誰かを助けたいなんて思ったことはないし、なにか強い信念があったわけでもなかった。
俺の行為は所詮はただの偽善だった」
『違う。
確かに誤魔化しだったかもしれない。
それでも誤魔化していたのは押しつぶされそうな重圧をだ、誤魔化してでも逃げたくなかったから。嫌われたくなかった、ただそれだけの思いだけで。
これを信念と呼ばすになんというか!
浅くて構わない、誤魔化しでだってかまいやしない!お前がそれで行動を起こせたんだろ、それなら悩む必要なんてどこにもない!』
「ただそれだけのことで誇っていいわけがない。お前やシロエやカナミ、千菜はそれ以上のことをしてきてるだろ」
『それだけのことでお前に助けられた人間が何人いる?
わたしたちはお前と同じことだけをしてお前以上の成果を出したのか?違う、お前がやってきたことはお前だけのものだ、他の誰のものでもない。
浅い気持ちだったかもしれない、偽善だったかもしれない。
それでも、偽善でもわたしたちはそんなお前に救われたんだ。
たかだか姉一人に否定されたからっていじけるな、お前を認めている人間はもっとたくさんいるんだから』
『千菜も、マリエールさんも、ヘンリエッタさんも、にゃん太老師も、シロエ殿も、直継も、アカツキも、ミノリちゃんも、トウヤくんも、ルンデルハウスも、五十鈴ちゃんも、セララちゃんも、小竜も、飛燕も、明日果も、ソウジロウ殿も、三佐さんも、リーゼも、クラスティ殿も、カラシン殿も、ミチタカ殿も、アイザック殿も、、レイネシア姫も、エリッサさんも、エルノも、…そしてわたしも。
みんなお前のことを好きで、認めていて、信頼していて、お前が帰ってくるのを待っている。これだけの人数がいれば誰かが誰かの為に死ぬなんてそんなことあるわけない。みんながいるからどんなことでもなんとかなる』
強い強い思いが偽ることも、取り繕うこともなくただ真っ直ぐに伝えられる。
紅き名探偵と呼ばれる彼女は嘘をつかない。
自分の正義を貫く探偵は自分の思いには嘘をつけない人種だから。
これが奏の望んでいたもの。あるべき姿は夢の中で見いだせていた。ただそれに自信が欲しかった。他人じゃなくて自分が知っている中で最も自分の信念に正直な彼女に認めて欲しかった。
「やっぱり、ヒメに聞いて正解だった。ヒメ、お前はいつも見透かしてくれるな」
久しく呼んでいなかった現実世界での呼び方が口にでる。奏にとっては彼女しかこんなふうに呼び捨てにするような対等な関係にある年下はいなかった。そこは良くも悪くも年上だというのに敬称なんて微塵もつける気になれないカナミと通ずるところがある。
『お前にだから言えるんだ。私はお前が思ってるほどすごい人間じゃないよ、わたしなんかよりもすごいやつなんてもっといるさ』
なんとも言えない沈黙がふたりの間に流れる、お互いに顔を見れない念話だからこそ気づいて感じる僅かな息遣いすらその沈黙の中では浜辺の押しては引いていく白波のようで、お互いの存在を僅かに感じてただそこにいることを気にもとめないでいられるような感覚が奏にとって心地よいものだった。
『奏、最後だ。私の言える最後の言葉だ。よく聞いておけよ』
その沈黙を破るようにしてクインから声がかけられる。その声はどこかこわばっていてなにか大事なことを伝えようとしているのだと、本題はここからだということを物語っていた。
なにも理由のないクインから奏に念話をよこしてきたのだから本来の要件はこちらだったのだろうとあたりをつけて静かにクインの次の言葉を待った。
『八枝、わたしはね、あなたのことが大好きです。
だから、がんばれ。
ずっと待ってるから』
ぷつり、静かに念話の切れる音が奏の頭の中に聞こえてきた。
「奏ー!終わったか!?待ちくたびれて儂からきたぞ!
奏、顔がゆでダコみたいに真っ赤じゃぞ。なにかあったのか?」
勢いよくふすまが開け放たれ返事も待たずに大きな声をあげて早足に部屋へと侵入してくるアサハナ。奏はそんな彼女に文句を言うでもなくただぼーっとどこか空を眺めることを続けていた。その表情はどうしようもなく惚けていてアサハナもそんな彼の表情を見てなにかあったのかと問いを投げかける。
それにも、奏は頭の中の整理が追いつかないのか軽いパニックになったような言葉しか返せなかった。
「ほぉう?ほう、ほう、ほう。そうか、とりあえずはおめでとうじゃなぁ。
老婆心ながら言わせてもらうとあまり女子を待たせるのは感心せんよ。」
なにかに勘付いたのかアサハナはニヤニヤと愉快そうな笑みを浮かべるとさっきまでの雰囲気を消して奏の頬を両方ともつねって部屋から庭へと引っ張り出した。
「さあ、刀を抜け。時間はないがお主の実力を本来のものまで引っ張り上げるぞ。
もともとお主は十分に強い。ただ、今までは己の内側だけを見ることに固執してきた。
だが、視点が変わった。今ならよく見えるであろう?
おのが弱さも、惰弱さも、強さも、己にできることがなんなのかも。
今ならきっと進めるぞ、お主の祖父が示した真髄へ」
その言葉には最初に向けられた濃厚な神気がどっぷりと滴るように込められていた。