ログ・ホライズン ~高笑いするおーるらうんだーな神祇官~ 作:となりのせとろ
<円卓会議>で堂々と今回の事件の犯人であるエンバート=ネルレスを捕まえると宣言し、最上階の広さだけは充実した会議室から飛び出してきた紅き名探偵はひとまずはアキバの街を歩きながら一人の女のもとへと歩みを進めていた。
『構いはしないけど、わたしじゃあの殺人鬼は止められないからね。あくまでクイン、あなたが<円卓>の後ろ盾を持っていることが前提条件。最悪の状況に陥った時に組織の戦力を向けることができることが必要条件だからね。むやみやたらに突っ走らないで』
念話の相手は淀みのない口調で自身が協力する条件を提示する。あくまで自分は手段の一つとして、自信を切り札として扱うような無謀はしてはいけないとあらかじめ釘を刺す。
「いや、それでいい。今回は顔合わせみたいなものだけだから、千菜じゃなくても捕まえるのは私なんかじゃ無理だよ。殺人鬼なんて言葉が通じるような相手じゃない。
ただ推理に確証を得たいんだ。正直今回の一件は自分でもあまり信じきれないから」
クインは千菜の要求に是非もないといった様子で答える。あくまで今回は様子見。問題を一から十まですべて理解するための一手でしかない。一を聞いて五を理解するのは探偵としての得意分野であったとしても十を理解するには証明しなければならない。
そして解決するのは理解することとはまた別の問題だ。
『どんなに不条理な可能性でも可能性を排除し続けた末にそれしか可能性が残らないのならそれがどんなに突飛なものであろうとそれが真実である、だっけ?シャーロック・・ホームズの』
「そのとおりだ。正確にはまた違って三パターン程あるのだが、聞きたくはないだろう?」
『あんたのその手の話は長いからもちろんパスよ』
「だが、女というのはあまりこういうのは読みたがらないからなぁ、素直にびっくりだ」
『シャーロック・ホームズくらいなら学生時代に手始めに読んでみたりするもんでしょ。当時のシャーロック・ホームズだって今で言うところのライトノベルと同じ枠組みだったわけだし。他の推理小説に比べれば読みやすい小説でしょう?』
「ところで千菜、コナン=ドナイルはもともと壮大な歴史小説を愛して書いていたのを知っているか?言い方はアレな気もするがシャーロック・ホームズはあくまでも彼の本命のジャンルではなかったという話なのだが』
『え!そうなの?』
『もともとは本命の歴史小説を書くための資金調達のつもりで書いたお軽い大衆娯楽小説が『シャーロックホームズ』という作品なんだ。
小遣い稼ぎのつもりで書いたシャーロック・ホームズが思いの外売れすぎてしまって本筋の歴史小説よりもお遊びの大衆娯楽小説の方で有名になってしまった。今では”シャーロック・ホームズの生みの親”コナン=ドナイルだ。ご本人も大層不服であったろうよ」
そこにいらないダメ押しな一言を付け加えることをクインは忘れない。
「おまけに本筋な歴史小説はおもしろいのにホームズの巨大な影に隠されて知名度はかなり低い」
『うわぁ…』
報われない恋。というのは表現がまた異なるものなのかもしれないが作者の伝えたい思いや考えが正しく読み手に伝わることなんてことはめったにない。あくまで文字という
「大きな光は目はほかの光もくらませるというやつかな。
書き手の思惑なんて半分も読者には伝わらないものなのだよ。読者のイメージは身勝手にも作者の存在まで固定化するってな。
文字という媒体を使う以上はどうしようもないことではあるし、物語を創る代償のひとつとしては安いものだと知り合いの作家は言っていたがな」
「今回の事件はそれと同じ感じがするんだよ。殺人鬼の一件も私たちが思っている以上に入り組んでいるだろうし殺人鬼という大きな目に付きやすい事件の影でなにか別の見過ごしてはいけないものが動いている気が私はする。
だから<円卓>にも深入りさせすぎないよう曖昧にぼかすようにして問題の選択肢を広げるだけ広げてきた。末端が下手を打って取り返しがつかなくなってはたまらない。
クラスティ殿がいなくて正直助かったよ、あの人を騙すのは骨が折れるからな」
あくまでも<円卓会議>は切り札でなければならない。いつでも切り札はきれるようにしておかなければならないが、いつも見せびらかしておくのは滑稽だ。大は小を兼ねるかもしれないが小で済むものをわざわざ大で済ませる必要はないし、代えが利かない究極の一手である大よりも代えが利いて小回りの利く小の方が序盤の手探りとしては正解だ。
「そんなわけで、これから下水道に潜るからとりあえずアキバの南口の近くにある用水路の橋の上で待ち合わせな」
『は?なんで下水道の探索なんてしなくちゃいけないの?』
「犯人は
あと探していない場所といばせいぜいこの街の地下だろう。なら下水だろう。汚らしい下水がお似合いだ」
『わたしたちも下水がお似合いなの!?』
「毒を食らうは皿までというじゃないか」
『下水をテーブルに出されたら一目で食べ物じゃないってわかるじゃない!?』
「はははは」
『笑うな!』
「まあ、冗談はさておき、千菜のことを”<冒険者>”と呼んだなら、大地人しかありえないだろう。そして大地人の被害者が出ていないのなら衛士以外にないだろう」
衛士は街の治安を守る。大地人を守るための存在。
言い換えるならば治安を乱す
「変なところでゲームだからな、この世界」
常識にとらわれすぎないことも大切ではあっても、この世界はどうにも都合よくルールが出来すぎている。根底のところがゲームのところと変わりなくてその上に現実の常識を上澄みしたかのようでこの世界はひどく歪な形をしているようにクインには見えた。
◇◇
男は眠りについていた。
そこは人が本来住まうような栄誉ある人類が文明としての誇りを持って作り上げた住居とはとてもいえないような場所。汚臭ともいえないような臭いが漂い、外からの光など届くわけもなくか細いランプの光だけがそこを照らしている。
身に着けるのは無骨な青銅の鎧と白の仮面。そして眠りにつく男が抱きすくめるように支える一振りの刀。
座り込んだ体勢で眠る大男は夜に向けて眠っている。昼のうちは傷がうずく。身の丈も超える大きな薙刀を振り回し見たこともない動きをする女に傷つけられた右腕は完治するまでに幾分もの時間がかかっていた。元来の強大な防御力を前提とした
夜になれば傷の痛みも感じることはなくなる。なにかに飲まれるような沈み込む感覚に酔えばそんなものなんの障害でもなくなるのだ。間の抜けた、愚かしい
ぽつ、ぽつ、ぽつ、規則正しい水の落ちる音だけが男の鼓膜を揺らしていく。
ぽつ、ぽつ、……、水の音がほんの一瞬だけ途絶えた。その僅かな変化に男はその仮面に隠された瞼をゆっくりとあげる。
どうやらついにここにたどり着く害虫が現れたらしい、それならそれで殺してしまえばいい。ただ殺す対象が変わっただけで、殺す時間帯が変わっただけ。男にとってなんの不利益も利益もない。ただ崇高な使命を果たすだけであると、その腰をあげ鞘に収まった刀を引き抜く。
刀はランプの僅かな光さえも喰らいこみ鈍色の冷たい光だけを反射する。男が刀を抜いただけで辺りに冷気が吹き込み先ほどまでどこからか聞こえてきていた水音も刀から吹き出す冷気の風の音にその僅かな音さえもかき消される。
「寒いな…、どうもボクはあまり歓迎はされていないらしい。まぁ当たり前といえば当たり前の反応か、所詮はこんなところに身をひそめる殺人鬼だもの」
そんな緊張感もかけらもないような舐めきったような声に男はいらだちを覚えた。姿はよく見ることはできない、<冒険者>が好んで使う灯の魔法の姿はなく、この場を照らしているのは男が使っていたランプの光だけだからだ。
「舐めているんじゃないよ、これは余裕というんだ」
その声は女のもの。どこかで聞いた声に似ている。その声を聞くと右腕の傷が疼きズキズキと燃えるような熱が男の腕をむしばんでいく。その痛みから逆算するようにその声の主を思い出す。顔を見るまでもなくそれは憎しみの対象であり、この煩わしい痛みの元凶を植え付けた張本人。
ならば男のとる行動は一つしかなく、なんのためらいも容赦のかけらもなく女を殺すことだけだった。そのふざけた存在を静かにさせるために男は女に飛び掛かった。
……つもりだった。
男のその巨体は殺すという意思とは真逆に背後へと跳び下がっていた。
「へぇ、野生の勘ってやつなのか、英雄の経験則ってやつなのか、自分が勝てない相手くらいはわかるのか。
なんにしても、情けないなエッゾの英雄。こんな未練がましく凡百に無理矢理引っ付いて現界して情けないったらありゃしない。衛士の方も着せられてるようなものじゃないか、そんなんじゃすぐに意識を飲まれるぞ」
さして心配した風でもなく女の声は男を見て語る。何が見えているのか、何もかも見透かしたようなことを言ってのける。
それに返事を返すことをしない男は低い獣のような唸り声を上げるだけで身じろぎの一つもしなかった。目の前にいる女が自身を傷つけた女ではないことはすでにわかったが、それよりもずっと恐ろしい存在であることだけがわかっただけだった。今、男の頭の中にあるのはどうやれば生き延びられるかのただ一点のみ。近づいた瞬間にわかった目の前のこれは自身が勝てるような存在ではなく圧倒的な力を得た自身よりもずっと埒外の存在であることを。
「ほれ、なにをぼさっとしてんだ。さっさと逃げなよ。見逃してやるからさ、ボクの前からさっさと失せろ」
女の視線は男の持つ冷気を発する狂気の刃よりもずっと冷たい冷気を帯びていた。なぜこの化け物が自分を見逃すのかましてや自分の身のうちにいる怨霊の存在を知っているのかは定かではないし、理解はできないがもとよりこの存在は理解の外にある。理解できないから埒外なのだ。男は素直に女の言葉通りに
「む…、この感じは一姫ちゃん……?今度はボクが出迎えることになる番なのか。
一姫ちゃんめ、もうボクのところまで嗅ぎつけてきやがったな。おまけに千菜まで連れてきて、まったくあの子はこういうことやらせたらつくづくめんどうだなぁ」
百恵は彼女にしては珍しい悪態をつく。
クインに会うこと事態は別に面倒なことではあっても構いはしないことではある。彼女自体は自分を止めるような頭の方はともかく物理的に百恵を止める力がないからだ。そして何より彼女には止めるだけの言葉が足りていない。ただし、千菜の方は会いたくない。自分がやっていることを知られたくないし、邪魔をされたくないから。もしかしたら、万が一とはいわなくとも億が一にでも決心が揺らいでしまってはいけないから。
「腹を決めて探偵さんのお説教を受けるとしようかな、そしてビンタくらいなら素直に受けよう」
<帰巣呪文>で逃げることもできないこともない。
だが、それは百恵にとっては必要性のないことだ。千菜と会うことは面倒でしかたないけれども会わない理由が百恵にない。これからの
そうして百恵は紅き名探偵と覇姫を待ち受ける準備をする。準備といっても先ほどまで出しもしなかった
それでもそれ以外は何かここに近づいてくる彼女らのための気遣いをするでもなく、むしろ長い長い白銀の太刀を
わざわざ腰を落ち着かせて二人を出迎えるつもりなんてものは彼女に毛頭なかった。
シャーロック・ホームズの逸話に関してはざっくりとまとめた感じなので気になる方は調べてみると面白いかもしれません。