ログ・ホライズン ~高笑いするおーるらうんだーな神祇官~ 作:となりのせとろ
◇5◇
三日月の光が二つの刄に反射してそれぞれ異なった光を生み直す。一方は青白く死人のような冷たさを孕んだ無機質の光、もう一方は陽炎のようにゆらゆらと蠢き虹のような七色へと絶えず変質する鋭い光。二つの光はまるで対照的で真逆の印象を受ける光だった。そんな光が相対してこんなにも間近にあるのはある種異様な光景と言えた。
「あなた、<西風>の娘よね、動ける?」
「え、あ…っそうじゃないっ!今すぐ人を呼んできてください!私なら大丈夫ですから!」
「強がりなら止めときなさいな。あなたが<西風>でどれだけ慣らして、どれだけ腕が立つと信頼されてるかは知らないけどあなたじゃ目の前のアレになんて勝てっこないわよ。
そもそもあなた、震えてるじゃない。」
少女はここで初めて自分の身体の異様さに気づいた。さっきまでの凍ってしまいそうな寒さはもう感じないというのに身体が震えて止まらないことに。勢いあまって尻餅をついてしまったと思っていたけれど立ち上がることができないことに
「大丈夫。
あなたのところのギルマスほど守るのは上手くはないけれど、必ず守ってあげるから。あなたは念話で助けを呼んで。
あとは、そうね…、姫に見惚れて助けが来るまで待ってなさい」
片手でくるくるともてあそぶようにしていた大きな薙刀を両手でとり構える千菜。それと同時に薙刀からリズムをとるようにしてもれていた炎が気迫を具現化したように大きく膨れ上がった。
その大炎に感化されたかのようにはかるように距離を取っていた男が吠えた。男は咆哮と同時に凄まじい速さで距離を詰めその蒼白の太刀を力の限りと言わんばかりに荒々しく振るい、それに合わせて千菜も太刀に向けて薙刀をぶつける。
本来ならこれで相手は吹き飛ぶ。
一撃で戦闘不能かそれに近い状態に持ち込むことができる。それだけの攻撃力を千菜は持ち合わせている。防御力をすべて犠牲にした上での対人ではなく対陣用の攻撃力が千菜の唯一無二の持ち味なのだ。
だが、男はそれに耐えてみせた。
全力ではないにせよそれでも十分に異常と断じて偽りなかった一撃ではあった。
それでも男の太刀を止め身体を宙に浮かせる程度にとどまったのだ。千菜の目が大きく見開かれるが初めての経験に隙を生むほどの動揺を表に出すことはなく薙刀から溢れる紅の炎の鞭で追撃してみせた。
男は顔面の上半分を覆う白い仮面のせいで余裕があるのかどうかも窺い知れず、どうやってか氷の壁を発生させて炎の鞭を防いでみせた。そのまま氷壁を蹴り倒し千菜の方へと無理矢理押し込み距離を詰めた。
「ちっ…めんどいのよ下郎が」
思わず千菜から似つかわしくない舌打ちが漏れる。
薙刀という武器の特性上どうしても近距離はやりづらくなる。近距離での戦い方も石付きの方で薙ぎ払うなどもちろん存在するが氷壁のせいでいかんせん対処としては十全足り得なかった。
そこで千菜は薙刀での攻撃を放棄し全力での蹴りを放った。刃先を男に向けたまま両手から宙へと解き放たれた薙刀は炎を放出しながら自由落下を始め、無手の体勢となり間合いが不得手から得手へと変化したところからはなたれた筋力値極ぶりの蹴りは氷の壁を貫きながら男の身体を確に捉えた。
(浅い…咄嗟に自分から当たりにいったわね)
衝撃が十割伝わるポイントから六割で済むポイントまでわずかではあるがずらされた。戦闘的センスや反応速度が本当に獣のそれだ、がその分攻撃の粗さが目についてしまう。
まるでそれは力に酔っているように力を誇示しているかのように千菜は感じた。
「まったく…衛士はなにしてる。働け税金泥棒」
「衛士はこないよ」
「なに喋れるの?下郎」
「…」
「姫が気を回して口を聞いてやったんだから答えなさいよ、言葉を発することができる畜生なんて珍しいのだからもっと吠えてみせなさい」
「…」
「…いいわ、そのまま末後の言葉を言う間もなく死になさい」
千菜の右手が宙を不規則に踊る。<冒険者>特有のメニュー操作の動きだ。人差し指が最後の舞いを終えた時、無から一本の薙刀が現れた。その薙刀は千菜が左手に持つ薙刀と比べれば半分もない程に短いその長さは刀と比べても変わりない長さかもしれなかった。
「短いからって舐めない方がいいわよ。
熱線
片手で振られたにも関わらずその一閃は男の刀を持たない左手の方を容易く焼いてみせた。元々オーバーキルといって不足すぎる火力が二つに分散されたことでやっとオーバーキルが相応しいレベルまで落ち着いた。理不尽が×2されてやっと言葉として表せるようになった。
焼かれた傷を氷がみるみる覆っていき塞いでいく。しかし男は明らかに警戒のレベルが上がっていた。右手から放たれた熱線への警戒でさらに分厚い氷の壁がいくつも正面から相対しないようにと生まれていった。そのうえ千菜の周囲だけに吹雪まで吹き荒れ始め視界が悪くなっていく。
「どれだけ警戒してくれても構わないのだけれど、街ってのは人がいるから街と呼ぶのよ?」
千菜がそんな風にして妖艶に笑ってみせたときにはもう遅かった。
「僕の大切な人たちに、なにをしている」
この死合の場に新たな影が突風のように乱入してきた。黒髪の武者ポニーテイルがたなびき大男がその影に気づいた時には既にその影は抜刀していた。
「斬っ!!」
不意打ちからの一撃は大男を容易く吹き飛ばし建物の壁をぶち抜いてその巨体を見えなくさせた。
「ソウジロウっ!!引くわよっ手頃なゾーンへ今すぐ飛び込む!」
「駄目です。あれはここで殺します」
「守るべきものを忘れるなっ!仇討ならこの子が迷惑を受けないところで勝手にやれ!!」
千菜の怒声に刀を抜いていたソウジロウは千菜がかばうように一歩も引くことなく守っていた少女へと視線が動く。彼女は今になっても惨めに尻餅をついた体勢から立ち上がることはできていなかった。その表情はあてられた恐怖か助けがきた安心感からか涙でその顔を歪めていた。
「…スミマセン、熱くなってました」
よどみなく力を込めていた刀を納刀し瓦礫に埋もれているであろう大男の方へとは視線を向けずにソウジロウは駆け出した。千菜もそれに合わせて少女を脇に抱えこんで駆け出す。
「謝る相手が違うわ、この子に謝りなさいバカヤロウのウジヤロウ」
「すみません。キョウコさん、あなたの為に動くはずを私情を優先しました。なんとお詫びすればいいか」
「今そんなことを話してる場合か、口より足を動かしなさいアホヤロウ」
いてぞらの空の下、二人の剣士の奮闘により少女は救われた。けれど純粋な殺気にあてられた彼女の身体の震えは自分を救ってくれた二人の剣士が傍にいる道中でも仲間たちの待つギルドホールにたどり着いても止まることはなかった。
そして未遂に終わりはしたもののこの一件からアキバの街を脅かす殺人鬼の噂が駆け巡ることになる。
◇6◇
<西風の旅団>ギルドホーム応接間
「ちょっとソウジロウ、この服なんとかならないわけ?」
「我慢してください。千菜さんが着ていたのは雪のせいでびしょびしょじゃないですか」
「わたしが言っているのは服の種類についてなんだけど」
千菜が身にまとっているのはクインが普段履いているような丈の短いホットパンツに黒のタンクトップの上から翠のカーディガンを羽織り、羽織ったカーディガンでお情け程度に肌の露出を避けたかっこうをしていた。
「すみません、ウチには千菜さん並に背の高い人はナズナくらいしかいなくって、ナズナに聞いたらこれしかないって」
「あの人いつもこんな薄着しか着てないのね…」
千菜としては普段着でこんなかっこうをしなくもないので構いはしないのだが、構いはしないのだが…
「アンタの前でこのかっこうは危機感を覚えるわ」
「僕、べつに変なことはしませんよ?」
「知らない女の子の匂いがするにゃー!!」
千菜がソウジロウに向かって怪訝な目を向けソウジロウがそんなことできるわけがない、と否定の動きをみせたとき、ソウジロウと千菜の二人しかいない応接間のふすまが勢いよく開け放たれ一人の女が弾丸のように飛び出してきた。
弾丸は一直線に千菜へと突進し、ルパンダイブのように飛びついたところで千菜にヒョイとよけられて畳の上を顔面から着地し転がった。
「千菜ー!こっちに
続けざまに今度は浴衣をはだけさせながらナズナが飛び込んできた。男のソウジロウは目のやり場に困りすぐに後ろを向いた。
「なに?これのこと?」
「それだ!千菜いいか、それに不用意に近づくんじゃないぞ?それは見た目は女でも中身は中年のおっさんだ」
「ぐへへへ、花のいい香りだな~。しかも肌もスベスベだ~」
いつの間に復活をはたしていたのか
それにさして動じることもなく千菜はくりのんに体を弄ばれたまま体の向きを翻す。
「手癖の悪い娘にはこの手に限る」
両の手をくりのんの頬に添えてりんごのように赤い唇に自らの唇を押し付けそのまま舌まで押し込んだ。
「んきゅっ!?」
「なんですか?ナズナ、もう振り向いても大丈夫なんですか?」
「いやっダメだよ!ソウジは未来永劫振り向いちゃいけないっ!」
「未来永劫ですか!?」
「んゅーんーーんっ」
ソウジロウが後ろで起こる行動に違和感を感じてナズナへと質問を投げかけるがナズナはソウジロウが後ろを振り向かないように押さえ込んだ。いささかこれは男に見せる光景としては刺激が強すぎる。
そして最初は驚きつつも嬉しそうな顔をしていたくりのんの表情にも変化が現れ始める。舌使いがだんだんとは激しくなっていき呼吸ができずに息が続かなくなってきてしまった。
そして四十秒としないうちに、くりのんはおちた。
「ぷはっ…ああー美味しかった。ソウジロウ、もう振り向いてもいいわよ」
「なんですか?なにがあったんですか?
…ってくりのんさん気絶してるじゃないですか!?」
「幸せそうな顔でしょ?死んでんのよ?」
「死んでない死んでない。昇天はしてるけど」
心底幸せそうな逝き顔を晒したくりのんがそこにはいた。
「…千菜、アンタあんなのどこで覚えたんだい?」
「兄さんにやってるうちに覚えたわ」
「うわっ…うわぁ…、今のは本気で引いたわ…。アイツついに自分の妹に手を出したのかい」
「べろちゅーくらい兄妹なら普通よ。まず兄妹でのキスなんてキスのうちに数える方がバカみたいじゃない」
ケロリとなんともなしにボケてみせる千菜から満足気に彷彿とした表情で気絶するくりのんを受け取りつつ問を投げかけるナズナ。無駄といっても差し支えない特技の出処を千菜は自身の兄とディープなキスをしていると聞いてはいけないようなディープな回答を返した。
「あんまり誰でもそんなことするんじゃないよ?大切なものはきちんととっときな」
「ふふ、大丈夫。姫のファーストキスは兄さんにあげたもの」
「そういうところを言ってるんだよっ!?」
顔を赤らめてさらに爆弾をデッドボールさせる千菜にナズナは兄姉との関係に戦慄を覚える。この兄妹、姉妹の関係はパンドラの箱よりも危険かもしれない。
ナズナはくりのんを抱えて応接間を後にする。ソウジロウからもともとそう言いつかっていたからだ。くりのんなんていう
「千菜さん、あのまま続けていれば勝てましたか?」
「は?なに、さっきのこと?」
「はい。もし後ろにいたキョウコさんを僕が連れて逃げていれば、あの男に勝てましたか?」
唐突なソウジロウの質問に千菜は呆れた表情をして羽織っているカーディガンの右袖を捲る。するとめくられたことで見えるようになった千菜の右手には厳重にぐるぐると包帯が巻かれていた。
「見なさい。最初にアレを殴りつけたときに拳にヒビが入ったのよ。いくら無理矢理割って入ったからってヒビが入るわけがないから、多分カウンターを食らってたわね。アレの反応速度は異常よ。
ふた振り目を出したのも早く決着をつけたかったから抜いたんだけど…、右手にヒビなんか入ってたものだから狙いもブレブレ。刀を持ってた右手を狙ったのに反対の左手に当たったわ。初撃で仕留めきれなかったからあのあとは多分通らなかったでしょうね。片腕じゃ当たり前だけど威力は半減以下であの氷の壁を何枚も貫通できたとはとても思えないわ」
「そうですか。珍しいですね千菜さんがあっさり負けを認めるなんて」
「あんなもの勝負に成り立ってすらいないわよ。
見なかったわけ?アイツのHPバー、わたしの拳と蹴りと熱線を受けても一割いくかいかないかくらいしか減ってなかったわよ」
全部中途半端な状態での攻撃ではあったがそれでも千菜の火力だ。あれ以上続けていてもダメージの入り具合に対して消費の割合が釣り合っていなかったのだからいずれついていけなくなっていただろうと千菜は考えていた。
「言っておくけどアレに挑もうなんてやめときなさい。そして姫の助力なら諦めなさい。そこまでしてやる義理はないわ」
「奏さんも同じことを言うでしょうね。ただ今回は場合が違います。
斬り捨てなければいけないでしょう」
「なぜ兄さんの名前が挙がるのかは知らないけど、これは<円卓会議>が動くべき案件だわ。わきまえなさいこの
「千菜さんは強いですね。強すぎて甘さなんてちっともない。『わたし』の時は優しいと聞きますけど、僕も優しい方と一度お話してみたいです」
「……甘さなんてものはわたしの理解の外。優しさと甘さは違うわ。あんたにはなんだかんだで優しくしている気がしていたのを後悔してたりしたんだけど、そうでもないみたいでよかったわ。甘えたいなら兄さんにでも擦り寄ってなさいよ」
「そういうところは奏さんとは大違いですねぇ。
あの人なら千菜さんと付き合いたいなんて言えばそれこそ「ぶっ殺す」なんて息巻くでしょうに」
「言わないわ。
言わないわよ。兄さんは脅し文句でもジョークでも「殺す」なんてことを人には言えないあまちゃんよ。
兄さんのことは姫も『わたし』も結婚しても構わないくらいに大好き、いえ愛しているけれど、絶対にできないの。だってあの人の甘さを『わたし』も姫も理解なんてすこしもできやしないんだから」
価値観が違いすぎてそこだけは話が合わないわ、千菜は寂しそうにそう口にする。お互いに大事に想い合っているからこそさらに目立つ相容れることの出来ない部分だった。
「あの人は内側に無遠慮に甘すぎて内側をきちんと見えていないの、弱さを受け入れすぎていて外側への警戒にしか意識がない。
だから大事なことにも気づきやしない」
「兄妹であることが一番の障害だということを声を大にして言うべきなんでしょうけど、それをう踏まえてもなんだか理由が一番にならなさそうです。
僕は好きですけどねぇ。奏さんの無警戒の甘さは。助けがいがあるじゃないですか」
「あなたのそういうところが嫌いよ。まるでわたしを見ているみたいで気持ちが悪い」
「そうですか」
「そうよ」
ソウジロウは気持ちが悪いと罵られても満足げに笑みを浮かべていた。
彼女が自分のことを嫌う態度を見せるのは同族嫌悪というのが一番にあるのだろう。似たもの同士だという共感性はソウジロウも感じている。けれど同族嫌悪を抱くというのは自分に対して不満があるがゆえにの結果なのだ。自分に不満がない人間が自分と似た人間を否定するわけがないのだから。
それはひとつの人間的弱さ。彼女は弱さもきっと理解できている。まだ自分では気づいてはいないのかもしれないけれどいずれ気づくだろう。そうなれば自分にも『わたし』で向き合ってくれるかもしれない。
それがとても楽しみでソウジロウはひとりでニコニコと笑うのだった。
「仇討ちはします。これは<西風の旅団>ギルドマスターとしての決断です」
「…姫は知らないわよ」
ぷいっとそっぽを向く千菜を見てソウジロウはまた笑みを浮かべるのだった。この
べろちゅーの件は千菜の冗談です