Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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秀の帰還

 快晴の冬の昼空の下、青蘭島の大地に降り立った秀は、そのまま女子寮のレミエルの元へ向かおうとした。だが、

 

「待ちなさい、貴方。学校敷地内への不法進入の疑いで、風紀委員会の執務室へ連行するわ」

 

 声がした方を向くと、そこには風紀委員の腕章を付けた何人かの生徒がいて、その中心に、声を掛けてきたと思われる人物、キヌエ・カンナミラがいた。彼女は、こちらを強い視線で睨んでくる。どうやら見逃してはくれないらしい。秀は、両手を上げて、降参の意を示した。

 

        ***

 

「上山秀。青蘭学園高等部1年2組。両親なし。保証人として、青蘭市警察署の仲嶺達也(なかみねたつや)巡査がいる。親しい友人なし。所属部活なし。所属委員会なし。学校敷地内の深夜徘徊で、警備員からの注意が一回。11月18日午後4時頃、ジュリアの襲撃により重傷を負い、SWEの病院に搬送された」

 

 風紀委員会の執務室で、キヌエは秀のデータらしき書類の内容を淡々と述べた。

 

「特に危害は無さそうなので、今回は厳重注意ということにするから、帰っていいわ。空から落ちて無事だったのも、その靴の仕掛けでしょう? SWEにはそういうものもあるという情報があるし、貴方への疑いはないわ」

 

 秀は、キヌエのその言葉にポカンとした。何かしら追求されると思ったのだが、あまりにもあっさりとしていた。

 キヌエは、呆気にとられている秀を鬱陶しげな視線で睨んできた。

 

「私たちは今、貴方なんかに構っている暇はないのよ。さっさと立ち去りなさい」

 

「ファントム絡みか?」

 

 ファントムというのは、仮面をつけたプログレスの犯罪集団だ。彼女らへの対策が、風紀委員での最も大きな仕事だ。実際、戦闘になることもあるらしい。

 

「違うわ。ファントムが絡む事件はここ一ヶ月近く起きていない。とにかく、あなたは関わらない方がいいことよ」

 

 キヌエの眼光に気圧されて、秀は慌てて退室しようとしたが、

 

「仲嶺巡査が、貴方のことを心配していたわ。行けるときに会いに行きなさい」

 

「……あ、ああ」

 

 先ほどとは打って変わった優しい声に、秀は戸惑いながら返事をして、退室した。すると、廊下に大きく張り紙が出されていることに気付いた。

 

「2月15日から行方不明。現在捜索中、か」

 

 張り紙には、二人の写真が貼ってあり、彼女らの捜索の協力願いが出されていた。今日は2月20日だから、5日間行方知らずになっていることになる。写真の2人は、片方がクルキアータ、もう片方がタイプX=01アン、とある。恐らく、自分に構っている暇がないというのは、このことだろう。

 

(まあ、今はレミエルに会いに行くことが先決だ)

 

 秀は、その張り紙を尻目に、今度こそ女子寮に向かった。

 

        ***

 

 秀が女子寮の玄関前に着くと、そこには秀が来るのを待っていたかのように、カレン、ガブリエラ、そしてレボ部の面々がいた。

 

「おかえりなさいませ、秀様。特訓は、終わりましたか?」

 

 カレンが微笑みかけてきた。すると、あの夜のことが思い出された。思えば、訓練に夢中で、カレンに対する答えを全く用意できていなかった。その事が気まずくて、思わずカレンから目線をそらしてしまった。

 

「どうしましたか?」

 

 カレンが、不思議そうに自分を見てくる。

 

「いや、あの時のお前に対する答え、何も用意できてないから……」

 

 秀がそう告げると、カレンは小さく笑って言った。

 

「大丈夫ですよ。私は、いつまでも待ってますから」

 

 そのカレンの笑顔は、秀には眩しすぎた。秀は、俯きがちになりながら、「……ああ」とだけ答えた。

 

「じゃ、じゃあ、行くぞ」

 

 ごまかすようにそう言うと、あずさに脇腹を肘でつつかれた。

 

「なに照れてんのよ」

 

「照れてない」

 

 秀は努めて冷静に答えた。すると、あずさはにやにやしながら見つめてきた。

 

「ふーん、まあそういうことにしておいてあげるわ」

 

(だから照れてないって)

 

 面白がるように言ったあずさに、秀は心の中で毒づいた。

 

「ああ、そうだ、上山」

 

 入れ替わりに、ガブリエラが声をかけてきた。彼女は、右手に鞄を一つ携えている。その鞄を、秀に差し出した。

 

「これを、レミエルに渡してほしい」

 

「なんだ、これ? 中、見てもいいか?」

 

 ガブリエラが頷いた。了承されたようなので、しゃがんで、開けてみる。すると、そこには綺麗に畳まれた、菱形の紋様や、フリル、リボンが目を引く、紫色の装束があった。また、ティアラに猫の耳みたいなものがくっついたような髪飾りもあった。

 

「服か。なんでこんなものを?」

 

彼奴(あやつ)が嫌でも戦わねばならぬ状況に置かれる可能性が高まったからだ。その服は、女神達が選りすぐりの素材で織った、世界に二つと無い、彼奴だけの戦闘装束だ。これを着ることで、彼奴の力を引き出すことが容易になる」

 

 そのガブリエラの言葉に、秀は疑問を覚えた。その疑問を、しゃがんだまま、秀はそのままにぶつけた。

 

「おい、ガブリエラ。この服は、レミエルだけのために織られたっていうのか?」

 

 秀の問いに、ガブリエラは呆れ気味に答えた。

 

「汝は私の話を聞いていたのか? そうだと言っただろうが」

 

「そういうことじゃない。わざわざそうする理由があるのか? 片翼っていう事以外に、あいつに何かあるのか?」

 

「ああ。彼奴は汝も知っている通り、あんな性格だ。周りから揶揄されただけで、自分は駄目な奴だと勝手に思い込んで、己の力を全て発揮できていない。いや、自ら封印してしまっている。これは、それを少しでも解くためのものだ」

 

 ガブリエラもしゃがんで、紫色の装束を触る。

 

「これにはある種の魔法が最初から掛けられていてな。それだけでも十分レミエルの力を引き出せるが、リンクすれば、更に引き出せる。奇跡すら起こせるかもしれんぞ」

 

「……奇跡」

 

 秀は考える。レミエルにとっての奇跡を。彼女が奇跡だと思う、最高のことは——。

 

「レミエルが、飛べるようになる可能性も、あるのか?」

 

「あるかもしれんな。もしそうなったら、その姿、見てみたいものだ」

 

 ガブリエラは、空を見つめて答えた。秀も空を見つめ、レミエルが空を飛ぶ姿を想像する。レミエルが、双翼を羽ばたかせ、飛ぶ。きっと、一生忘れられない、素晴らしい笑顔を浮かべていることだろう。嗚呼、なんと美しいことだろうか。なんと嬉しいことだろうか。

 

「じゃあ、飛べるようになるかはともかくとして、さっさとあいつを部屋から出してやるか」

 

 秀は、鞄を閉じ立ち上がって、歩み出した。

 

        ***

 

 秀は、皆に案内されてレミエルの部屋のドアの前にたどり着いた。秀の住む男子寮と違って、部屋は屋内にあり、部屋のドアとドアで通路を挟んでいて、それが5階ほどまである。レミエルの部屋は、その2階にあった。

 秀はドアノブを捻って開けようとしたが、案の定鍵がかかっていた。

 

「鍵がかかっているか……。おーい、レミエル!」

 

 呼びかけてみるが、返事がない。何度も呼んでも、ただ秀の声が響くだけで、レミエルの声はなかった。

 

「おい」

 

 秀は、振り返って、カレン達を睨みつけた。

 

「レミエルは生きているんだろうな」

 

「その点については問題ありません。この部屋の中から、生体反応も確認できています」

 

 カレンは諭すように言った。

 

「そうか。なら、開けるか」

 

 秀は、亜空間収納庫からハンドガンを取り出した。サイレンサーを付けてから、弾を込め、銃口をドアノブの脇に付ける。

 

「ちょっと、なにそれ!?」

 

 あずさが慌てて聞いてきた。秀は、それにあずさの顔を見ずに答えた。

 

「見て分からないか? 鍵を壊すんだよ」

 

「そういう意味じゃないわよ! なんであんたがそんな物騒なもの持ってんのよ!」

 

 あずさは秀の持つハンドガンを指差して言った。秀は、呆れながら深くため息をついた。

 

「これは、SWEでの訓練終了の証だ。俺の恩師が、これをくれたんだ。俺に、戦う力を与えるために」

 

 秀は、カミュと共に過ごした時間を思い出しながら告げた。すると、あずさは急にしおらしくなって、

 

「れっきとしたわけがあるのね。ごめん、怒鳴ったりしちゃって」

 

「分かってくれればいいさ」

 

 秀は、あえて素っ気なく答えて、意識をハンドガンの方に切り替えた。一瞬だけ思考を止め、無我の境地に入る。余計な考え事は一切切り捨て、引き金を引くことだけに集中する。それは、相手が何であろうと関係ない。

 

「——ッ!」

 

 サイレンサーによって抑えられた銃声。それと共に、空薬莢が、軽く音を廊下に響かせて落ちる。ドアの方は、ロックされている部分が、抉られたように破壊されている。それを確認すると、秀はハンドガンをしまい、左手に鞄を持ち、ドアを開けた。

 真っ暗な部屋に、廊下の電気の光が差し込む。それが照らし出した、一番奥に、レミエルはいた。皺くちゃの制服を着て、ベッドの上で、膝を抱えてうずくまっている。ドアが開いたことにすら気付いてないのか、レミエルは全く動かない。秀は、部屋の床に鞄を置くと、彼女に近付き、その肩を揺さぶりながら、出すことのできる声色で一番優しい声で言った。

 

「おーい、レミエル。起きろ」

 

 何回か揺らしてやると、ようやくレミエルはその顔を上げた。久しぶりに見るその顔は、大分痩せこけていて、秀をぼんやりと見つめる蒼の瞳は、深い海の底のように、暗く沈んでいた。秀は、できる限り微笑んで、レミエルを見つめ返した。そのうちに、レミエルの目に光が宿ってきた。そして、ぽろぽろと涙を流しながら、何かを言おうとするように口を動かすが、それは言葉になっていなかった。何秒か経って、やっとレミエルが声を出した。

 

「……秀、さん……?」

 

「ああ。俺だ。お前のαドライバーの、上山秀だ」

 

「生きて、いたんですか……?」

 

 レミエルの言葉に、秀は苦笑した。

 

「勝手に殺すな。俺はこうしてお前の前にいるだろうが」

 

 秀が言うと、レミエルはしばらく驚いたように瞠目していたが、

 

「生きてる。秀さんが、生きてる!」

 

 喜びに満ちた声。レミエルは、か細い体で秀の体に抱き付いてきた。秀は、その重みを全く感じなかったことに驚いた。言葉通り、抱いたら折れてしまいそうだった。だが、それでも秀は、レミエルの背中に手を回した。

 

「秀さん、秀さん!」

 

 レミエルは、秀の顔の横で泣きながら秀の名を叫ぶ。秀は柔らかく笑って、

 

「ああ。俺はここにいるぞ」

 

 レミエルは抱く力を強めた。殆ど骨と皮だというのに、それには確かに力が込められていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 レミエルは、嗚咽しながら謝る。秀は、それを最後まで聞くことにした。

 

「私、何もできませんでした。あの時、私だって何かしてたら、秀さんに大怪我を負わせずに済んだかもしれないのに!」

 

「そうだな。でも、それを言うなら俺だって、あの時ジュリアにカレンに俺が力を貸していることを気取られた。だから、お互い様だ」

 

「でも!」

 

 秀は、反駁するレミエルの顔を正面に持ってくると、

 

「止めよう。せっかく3ヶ月ぶりに会えたんだ。謝ってばかりじゃなくて、笑おう」

 

 レミエルはしばし目を丸くしていたが、やがて、

 

「はい」

 

 と、泣き笑いを見せた。それを確認すると、秀はレミエルから手を放して告げた。

 

「そうだ。お前にプレゼントがあるんだ。そこの鞄の中にある。受け取ってほしい」

 

「プレゼント……。はい、分かりました!」

 

 レミエルは、無邪気に鞄に近付き、それを開けた。

 

「服ですか。これ、雑誌とかでは見たことないですね。秀さんが作ったんですか?」

 

「まさか。俺にはこんなもの作れやしないさ。なんでも、女神達が選りすぐりの素材で織った、お前のための戦闘装束とかなんとか」

 

「……私の、ため」

 

 レミエルは呟くと、鞄からその服を取り出した。そして、顔を赤くして消え入るような声で、

 

「あの、着替えるので、部屋から……出て行ってもらえませんか?」

 

 秀は、言われるままに部屋を出た。入れ替わりに、女性陣がぞろぞろと部屋に入る。その時、ガブリエラが一瞬だけ目配せをしてきた。その目線は、どこか鋭いものがあった。秀には、その意味がよく分からなかった。

 待つこと数分、部屋に入る許可が下りたので、秀は部屋の中に入った。すると、すぐ目の前にさっきよりも顔を赤くしたレミエルがいた。先ほどまでの制服とは違い、例の薄紫色の衣装を身にまとっている。服の構成としては、ワンピースのような感じで、腰から出ている足首まであるスカートは、前が開けていて、一応短いスカートがあるものの、太ももが殆ど丸見えになっている。レミエルが顔を真っ赤にしているのはそのためだろう。靴はブーツのような感じで、服と同じ薄紫色だ。また、袖は分割されていて、二の腕が見えてしまうような格好になっていて、頭には、例のティアラのような髪飾りをつけている。

 

「あの、似合って……いますか?」

 

 レミエルが、恥じらいを感じさせる声で訊く。

 

「うん。とても」

 

 秀は、感じたことを素直に言った。すると、レミエルは嬉しそうに目を細めて、

 

「ありがとうございます……! えへへ」

 

 そう頬を綻ばせるレミエルを見ていると、秀も幸せな気分になってきた。

 

「着心地はどうだ、レミエル」

 

 ガブリエラがレミエルに尋ねた。

 

「ええと、なんだかよく分かりませんが、力がみなぎってくるような気がします」

 

「そうか。では、もう一つ訊くぞ。レミエル、汝は、ジュリアとやらと、戦うつもりか?」

 

 レミエルは、真摯な表情で頷いた。すると、ガブリエラは、険しい表情で、

 

「では加えて訊こう。汝は、人を殺す覚悟があるか?」

 

 ガブリエラの言葉で、その場に重苦しい沈黙が出来た。

 

「こ、殺す覚悟って、何よ……? アタシたちプログレスの力は世界を救うためにあるのよ!? 人殺しをするためじゃないわ!」

 

 口を開いたのはあずさだった。ガブリエラは、彼女を冷たい目線で睨んだ。

 

「汝は関係ないだろう。命が惜しくば余計なことに関わらぬことだ」

 

 きつく言われ、唇を噛むあずさを、ガブリエラは一瞬見て、すぐレミエルと向き合った。

 

「さて、答えは出せるか?」

 

「はい。私の答えは、もう決まっています」

 

 レミエルが、藍玉の瞳を真っ直ぐにする。秀は、唾を飲み込んだ。適当な答えは、一つに決まってしまっている。仕方ないとはいえ、レミエルの口からは、そのような言葉を聞きたくない。そのようなことを言うのは、自分の役目のはずだ。

 

「私は、色々な人に迷惑をかけました。引きこもっていた3ヶ月間も、それより前も。だから、私が誰かを殺す事が、他の誰かの役に立つというのなら、せめてもの罪滅ぼしとして、私は悪鬼にだってなってみせます」

 

「そうか。分かった。上山はどうなんだ?」

 

 ガブリエラは秀に向き直って訊いた。

 

「その覚悟ならできている。だが、ジュリアのように、殺らなきゃ殺られるような相手なら、の話だがな」

 

 秀の言葉に、ガブリエラは満足気に頷いた。

 秀は、彼女に対し気になる事があって、訊いてみることにした。

 

「なあ、ガブリエラ」

 

「うん? どうした?」

 

「さっきあずさに関係ないとか言ってたが、それを言うならお前もじゃないか?」

 

 ガブリエラは、秀にため息をついて返答した。

 

「能力のある者が、知人の命が危険なときに手を貸さないでどうする。指を咥えて見ていろとでも言うのか?」

 

 ガブリエラの言ったことは、もっともだと秀は思った。確かに、秀でもガブリエラ並みの力があれば、そうしていただろう。

 

「では、こうして意見も一致したことですし……あずさ様」

 

「え、アタシ!?」

 

 カレンに突然呼ばれ、あずさがたじろぐ。

 

「腹ごしらえといきましょう。鍋、よろしくお願いしますよ」

 

        ***

 

 レミエルの部屋の中心に、カセットコンロの上に置かれた鍋の中の汁が、ぐつぐつと音を立てている。鍋の具は、ニラやモヤシとモツだ。

 

「そろそろいいわね。じゃあ、せーの」

 

 皆で、いただきます、と唱和する。秀は、れんげで具をすくって取り皿に入れる。口に入れてみると、普通に美味しかった。可もなく不可もなく、といったような素朴な味だが、カミュのところで食べさせられたレーションに比べれば抜群に美味しい。

 皿を置いて周りを見てみると、レボ部は、あずさとユノは普通に食べていたが、由唯はメルトと密着しそうな距離で食べていて、メルトは、由唯をうっとうしそうにしつつ、なぜかメルトのところにだけある、ハンバーグを鍋を無視してばくばくと食べている。カレンは腕以外動かしていないし、ガブリエラは周囲がくだけた座り方をしている中、彼女だけ正座をしている。そしてなにより、今日渡した服を着たままのレミエルが、思いの外勢いよく食べているのが意外だった。秀がその様をじっと見ていると、その視線に気付いたのか、レミエルは頭を掻きながら、照れたように笑った。

 

「3ヶ月近く、ほとんど何も食べてなかったので……。あはは、お恥ずかしい話です」

 

 その笑顔は、本当に素敵だと思った。レミエルは自分にとって特別な存在だと、秀は初めて思った。レミエルに対して、自分のプログレスだとしか感じていないと思ったが、それは違ったのかもしれない。あるいは、久しぶりに会って、レミエルに対する気持ちが強くなっただけなのかもしれない。どちらにせよ、レミエルが、今の秀の中で一番大事な人だった。

 

(多分、カミュよりも、俺はレミエルを大事に想ってるんだろうな)

 

 そう思うと、カミュのことが思い出された。別れたのはほんの今朝なのに、もう何日も前のように思える。この場にカミュもいたら、どれだけ良かったろうか。さらに達也もいたら、どんなに幸せだろうか。だが、それは叶わぬ願いだ。カミュに今会いに行く訳には行かないし、達也は警察官の仕事が忙しい。いつか会わないといけないが、それはジュリアの一件が片付いてからにしようと思った。下手に会ってジュリアの事件に巻き込まれでもしたら、そちらの方が迷惑になるからだ。

 

「……秀さん?」

 

 秀が気がつくと、レミエルが自分の顔を覗き込んでいた。レミエルの顔と秀の顔は、凄く近くなっていた。その距離は10センチメートルもないだろう。胸の鼓動が高まる。秀は、顔が紅潮していくのを感じながら、

 

「なんでもない」

 

 と顔を体ごと逸らした。すると、変に体を逸らしたせいか、秀は倒れそうになってきた。慌てて何か掴むもの——レミエルの手首を掴んで立て直そうとしたが、掴んだ時に、レミエルも倒れてきた。それにびっくりして、秀は態勢を立て直すことが出来ずに、レミエル共々倒れてしまった。秀が仰向けに倒れ、レミエルがうつ伏せに秀の上に倒れた。

 

「……」

 

「……」

 

 レミエルの顔がすぐ近くにあった。ちょっと顔を上げればキスできそうな、そんな距離だ。それと、レミエルの小さな胸が、秀の胸板に当たって、結構性的な快感を感じた。

 

「あの、秀さん……」

 

 レミエルが、顔を茹でダコのように真っ赤にして訊いてきた。

 

「な、なんだ?」

 

 秀も、心臓をばくばくさせて答えた。すると、レミエルは言いづらそうに、

 

「あの、その……。ええと、秀さんの、お、お、お……いえ、こ、股間が……ぼ、ぼ、ぼ、ぼ」

 

 その時、秀の心の中に、レミエルをちょっとからかいたいという、いたずらごころが生まれた。あえて表情を消して、秀は訊いてみる。

 

「ぼ?」

 

「ぼ、ぼ、ぼ、ぼぼぼ勃起を! ……なさっている……よう、ですぅ……はうぅ……」

 

 秀は口元が緩むのを抑えるのに必死になった。まさかレミエルの口からこんなに卑猥な言葉が聞けるなんて思っていなかった。言わせたのは秀だが。本当は、何かを言いかけたのも追求してやりたかったが、そこまでいじめるとレミエルが拗ねそうだったので止めた。

 

(しかし、かわいいじゃないか。下ネタで弄ってやるのもいいかもしれないな)

 

「ふむ。分かった。で、なんでわざわざそんなこと言ったんだ?」

 

「え!? いや、その、えと、えと、照れ隠し……です……」

 

 秀は、その答えは想像していなかった。もっとも、答えを特に想定していなかったのだが。だとしても、この答えは意外だった。照れ隠しでああいうことを言うのだとすれば、レミエルはあのことを言うこと以上に恥ずかしさを感じていたということになる。

 

「照れ隠しって、なんの照れ隠しだ?」

 

「いや、その……はうぅ」

 

 どうやらレミエルの口からは聞けないようだ。秀は、思い当たったのを言ってみることにした。

 

「まさか、お前も興奮したのか?」

 

「……はい。恥ずかしながら、全くもってその通り……ですぅ」

 

 そう言い切ったレミエルが、火照ったような顔で、何かを求めるように秀を見た。

 流石に、秀もその視線には応えようがなかった。すると、レミエルの目線とは別の、異様な威圧感を持った目線を、いくつも感じた。体を少し起こして周りを見てみると、ユノとメルトを除いた全員が、秀を形容しがたい迫力で見下していた。ユノはオロオロしていて、メルトはどんなことが起こっているのか分かっていないようだ。

 

「失望しました、秀様。いえ、駄犬様。まさか貴方が、あのような卑しいことを純真なレミエル様に言わせるとは……」

 

 と、カレン。

 

「汝を見込んだ我が馬鹿であった。汝をレミエルの側にいさせていると、何をしでかすか分かったものではない。よって処罰を与える」

 

 と、ガブリエラ。

 

「最低よ、アンタ。アンタなんか、レボ部に入れさせるものですか」

 

 と、あずさ。

 

「あずさに同意する。信頼しようと思ってたけど、してあげない」

 

 と、シャティー。

 

「アンタ、メルトちゃんの前で何卑猥なこと言わせてんのよ! メルトちゃんの教育に悪いでしょ!」

 

 と、一人だけ三人と怒るところが違う気がする由唯。

 四人に詰め寄られ、もはやこれまでか、と思ったその時、ドアが勢いよく開けられた。その場の空気がリセットされ、皆がドアに注目する。その隙に秀とレミエルは離れた。ドアには、眼帯をし、黒を基調としたグリューネシルトの軍服を着た、右肩から血を流して荒く息をしている少女がいた。

 

「助けてくれ……! アインスが、風紀委員の皆が!」

 

 少女は、悲痛な声で叫んだ。ガブリエラが駆け寄り、左肩に手をついて告げた。

 

「落ち着け。焦って主張しても、何も状況は変わらんぞ」

 

「あ、ああ。その通りだな。済まない。私としたことが、彼女らの身を案じるあまり、取り乱してしまったようだ」

 

 ガブリエラに諭され、少女は先ほどまでの姿からは考えられないほど、毅然として言った。

 

「私は、グリューネシルト統合軍所属、ユニ・ジェミナスだ。貴殿らの力を借りたく思い、ここに参った」

 

「何があった?」

 

 秀は尋ねた。ユニは頷くと、この場にいる全員に向かって話し始めた。

 

「順を追って話そう。まず、例の失踪事件について、実験棟に事件に関わった可能性のある人物がいる、という情報が入った。その名をジュリアという。貴殿らには馴染みの深い名だろう」

 

「ジュリアは実験棟から動いていないようですね。貴方に関しての捜査が行われていないはずがありませんのに」

 

 カレンが耳打ちしてきた。秀は、それに小さく首を縦に振った。

 

「そのようだな。多分、風紀委員に立ち入られた時には行方をくらましたんじゃないのか。暫くして戻ってきて、失踪事件を起こしたんだろう」

 

「恐らくそうでしょうね。……話の続きを聞きましょう」

 

 カレンに言われ、秀はユニに顔を向け直した。

 

「それで、上山秀の事件もある。問答無用で成敗することになった。それで、そのための部隊というのが、キヌエ委員長を隊長に、私と、アインス・エクスアウラ。あとは、L.I.N.K.sの五人だ。今日、上山、貴殿が去った後に、これらのメンバーで立ち入って、ジュリアを発見した。それからは、情けないが、色々驚くことばかりだった」

 

        ***

 

「貴方が、ジュリアね」

 

 実験棟の廊下。キヌエは威圧感を放ちながら、ジュリアに歩み寄った。他の風紀委員も、強張った顔で戦闘態勢をとる。対し、ジュリアは臆しているそぶりを全く見せずに、薄笑いを浮かべて、

 

「あら、怖いわね。そんなにあの二人が気になるのかしら?」

 

「やはり、関係があるのね」

 

「関係も何も、当事者だもの。知ってて当然でしょう?」

 

 全く自分の罪を隠そうとせず、堂々とひけらかすジュリアの姿に、皆は驚きを隠せなかった。

 

「あの二人なら、もうとっくに壊したわよ。クルキアータとアンは厄介だから。過程を省略するだの、概念を砕くだの、厄介にもほどがあるわ」

 

「貴方は、何が目的!?」

 

 キヌエが、威嚇のために電撃を一瞬放った。ジュリアは、ため息をつくと、今までの笑みを消して告げた。

 

「——私はただ、死にたいだけよ。だけど、せめて私の才能を認めてくれた彼らのために、一仕事するだけ。……行くわよ」

 

 ジュリアが人形を飛ばした。数は五体。それぞれが、手に斧を持っている。キヌエは、それを電撃で全て焼き尽くした。そして、風紀委員の腕章に手をかける。

 

「ブルーミングバトルフィールド、展開」

 

 しかし、フィールドは発生しなかった。何度やっても、それは同じことだった。その様をじっと見ていたジュリアは、本当におかしなものを見ているかのように笑い出した。

 

「馬鹿ね。ここにはフィールドを打ち消す結界がすでに張ってあったのよ。そんなものに頼ることでしか戦えない貴方達など、私の足元にも及ばないわ!」

 

「そちらこそ、人形に頼らなければ満足に戦えないくせに、よく言うわ。ジェミナスとエクスアウラ、サナギはジュリアを挟撃、日向、ルビー、ソフィーナ、はサポートを。コードΩ00は、私の合図で仕掛けて」

 

 ユニとアインス、サナギは、了解、と返すと、駆け出した。ユニは、アインスが仕掛けるのと同時に光線鞭、フラゲルムノウンをジュリアに放った。ジュリアが、防御のために人形を魔法陣から出して周囲を固めた。その守りは固く、アインスの、敵を永遠に追尾するナイフ、ミリアルディアですら、防御を突破できないでいた。マユカもそこに、グリム・フォーゲルによる銃撃を加えるが、焼け石に水だった。と、その時、ソフィーナが炎弾を放った。それは、美海が発生させた風と、ルビーの魔法により、かなり強力になっているようだった。それは、ジュリアの人形を数体燃やしただけだったが、一瞬だけ、確かな隙間ができた。それを、キヌエは逃さなかった。

 

「今よ!」

 

 キヌエは叫ぶと、手に赤き雷を纏わせ、ジュリアに向かって跳躍した。人形と人形の間にできた隙間に入った。また、その時ユーフィリアの姿が消えたかと思うと、ジュリアの脇に突如現れた。キヌエとユーフィリアが同時に拳を入れる。これが決まれば、かなりの大打撃になる。

 と、その時、ユニは、ジュリアの口角が微かに上がったのを視認した。すると、ジュリアがユーフィリアを蹴飛ばしつつ、キヌエの拳を回避し、その右手首を掴んだ。

 

「こんなのが風紀委員最強の力かしら? 貴方一人でこの程度なら、αドライバーでも連れてこれば良かったじゃない。もっとも、それを考慮しても、カレンの方が早かったけどね」

 

 キヌエの顔が歪むのが見え、骨が軋む音が聞こえた。恐らく、ジュリアはキヌエの手首を握り潰そうとしているのだろう。

 

「人形に頼らなければ満足に戦えない? 思い込みも程々にすることね。己を過信して、不用意に突っ込んできた貴方の負けよ。後悔の中で死になさい」

 

 ユニとアインスが、やらせるまいとそれぞれ攻撃をしたが、人形に阻まれてしまった。

 ジュリアは、そう攻撃を防ぎ、キヌエの手首を潰した。ぐしゃっ、と、血が飛び散る。そして、ジュリアは空いているもう片方の手で、キヌエの左胸を手刀で刺し貫いた。

 美海の顔が真っ青になった。ソフィーナは呆然としていて、ルビーは口元を押さえていた。マユカも瞠目している。ただ、ユニとアインスは、役職上、このような場面は山ほど見てきたため、冷静さを保つことができた。

 ジュリアは、キヌエをまるでゴミのように廊下の隅に捨てると、ユーフィリアの方に向かった。ユーフィリアは、先の蹴りで右肩が破壊され、殆ど戦えなくなっていた。

 

「やらせ、ない!」

 

 突如、冷静さを欠いたように美海が駆け出した。それに、ソフィーナとルビーも続く。

 

「待て! 早まるな!」

 

 ユニが注意するが、美海たちは聞かなかった。美海が剣で、ジュリアの人形の壁を切り裂いて突破し、背後から突こうとしたが、その剣が止まった。

 

「どうしたの? 背後を取った今、貴方は私を突き殺す絶好の機会なのよ?」

 

 ジュリアが不思議そうに美海に訊いた。

 美海の手は震えていた。顔からは汗が大量に垂れている。明らかに、殺すことをためらっていた。

 美海の様子に、ジュリアがため息をついて告げた。

 

「友達を助けるのに人一人殺せないなんて、脳が幸せなのね」

 

 ジュリアが嘲るように言うと、美海の腹に背後蹴りを入れた。美海が悲鳴の代わりのように血を吐き出し、飛ばされた。ソフィーナが彼女を受け止めようとしたが、ともに吹き飛ばされてしまい、壁に激突した。

 

「美海! ソフィ——」

 

 そう叫んだルビーの声が途絶えた。斧を持った人形に左肩を切られたのだった。ルビーは力を無くしたように床に落ちた。

 これらの光景を見たユニは、深呼吸をしてアインスに尋ねた。

 

「アインス、マユカ。救援は呼べるか?」

 

「無線が使えない。呼びに行かないと」

 

 アインスが答えた。マユカの方を見ても、彼女は首を振った。

 

「分かった。じゃあ、アインス。悪いが行ってきて——」

 

「ユニが行って。ユニのフラゲルムノウンより、私のミリアルディアの方がこいつに強い」

 

 アインスはユニの言葉に重ねるように言った。確かに、ただひとつの鞭であるフラゲルムノウンよりは、手数のあるミリアルディアの方がジュリアに対して有効だろう。そう考え、ユニはその言葉に従うことした。

 

「わかった、アインス、マユカ。任せたぞ」

 

 ユニは、振り向きざまにアインスが頷いたのを確認して、全速力で走り出した。

 

「行かせないわよ」

 

 ジュリアの声。何かが飛んで来る。

 

「ミリアルディア!」

 

 アインスの叫び声。弾かれるような音がしたかと思うと、その弾かれたものが、ユニの右肩に刺さった。ユニは、その刺さったもの——斧を抜いた。恐らく、アインスが弾いてくれなければ、脳天を真っ二つにされていたことだろう。アインスに感謝しながら斧を捨てると、また走りだし、ジュリアから大分離れたところで、窓を割って外に出た。

 

(確か、ジュリアはカレンがどうこうとか言っていたな。キヌエ委員長が敗れた今、他の風紀委員は当てにならない。彼女を呼ぼう)

 

 ユニは、そう判断して、EGMAにアクセスし、カレンの位置を確認すると、そこに向かって駆けて行った。

 

        ***

 

「と、こういう状況だ」

 

 ユニは、語り終えると、秀たちに頭を下げて、

 

「どうか、皆を助けてやってくれ」

 

 すると、カレンが屈んでユニに言った。

 

「もとよりそのつもりです。生きているものは全員助けて見せましょう」

 

「私も行こう。四大天使と呼ばれるものが、友の危機を見逃すわけには行かぬからな」

 

 ガブリエラが、凛とした声で言った。

 

「俺も行く。あいつには借りがある」

 

 秀が立ち上がって言うと、追随するように、レミエルもいきり立った。

 

「わ、私も行きます。あの時、何も出来なかった弱い私を、越えたいから」

 

 レミエルの瞳に、揺らぎはなかった。覚悟はできているようだ。

 

「私もすぐ復帰したいが、このザマだ。足手まといになるだけだろう。私は休ませてもらう」

 

 ユニは、そう言うとそこに座り込んだ。それを見て、秀はレボ部の方に向いた。

 

「お前たち、悪いがユニを頼む。危険だから、ここを動かないでくれ」

 

 秀の言葉に、あずさが何かを言いかけたが、渋い表情で頷いて、

 

「分かった。……死なないでよね」

 

「保証は出来ないけど、努力はしよう」

 

 秀は、微笑して告げた。そして、あずさの表情は見ずに、カレン、ガブリエラ、レミエルに向き直った。

 

「今のうちにリンクしておこう。あいつに隙を見せるわけにはいかないからな」

 

 三人とも同意したようで、秀に頷いた。それを視認すると、秀は目を閉じ、三人と繋がることだけに集中した。複数人とリンクするのは初めてだったが、なんとか出来た。

 

「よし、じゃあ行くか!」

 

 秀は、ドアを開け放ち、振り返らずに全力で駆け出していった。


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