Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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崩壊への楔

 先に動き出したのは、カレンだった。繰り出されるのは、左の回し蹴り。それはレミエルの脇腹に命中し、コロシアムの縁の壁にその華奢な体を叩きつけた。レミエルに痛みはない。ブルーミングバトルにおいて、プログレスは痛みを感じない。αドライバーが彼女らに代わってそれを受けるからだ。だが、体の芯に受ける衝撃は何も変わらない。叩きつけられた状態のまま、咽せる。

 

「秀さん!」

 

 レミエルは、落ち着いてから、錫杖を支えにして態勢を整えると、秀に顔を向けた。彼は見たところ平静であるが、必死に痛みに耐えていることはすぐ分かった。無理もない。カレンの蹴りを食らったのと、壁に叩きつけられる痛みを味わったのだ。額からは脂汗も出ている。レミエルが、駆け寄ろうとすると、秀はそれを制した。

 

「今は来るな……! 俺のことはいい。それよりもリンクする時間を稼げ……!」

 

「でも……それだと秀さんが……」

 

「大丈夫だ。この程度の痛み、大したことはない。さ、早く行動しろ。リンクすれば、多少はあいつと張り合えるだろうから」

 

 秀が、無理をして作ったような笑みを浮かべて言う。レミエルは酷だと思いつつも、彼に頷いた。彼を勝たせてあげたい。だが、そのためには、彼を辛い目に合わせなければならない。本心では、このバトルを投了したい。しかし、秀はそれを許さないだろうし、何より彼が満足できない。なら、そうするよりも、たとえ負けても、全力でカレンにぶつかっていく方が、自分も、秀も満ち足りることができるだろう。

 レミエルは、秀から視線を外した。カレンを探す。だが、自分の視界の中には見当たらない。この開けたコロシアムでは、隠れ場所は殆どない。だから、隠れているという線はない。また、壁を背にしているため、背後にいるということもない。ということは——

 

「そこです……!」

 

 レミエルは、魔剣の模造を魔法で行うと、それを頭上に投擲した。狙った先にはレミエルの予想通り、カレンが飛んでいた。カレンは、眉ひとつ動かさずその魔剣を素手で容易く砕くとレミエルに向かって急降下してきた。レミエルは身構えたが、カレンはレミエルの目の前に着地した。そして、左の蹴りを繰り出した。レミエルは結界を張ってそれを受ける。だが、今度は右方向から右ストレートが飛んできた。対応できずに、脇腹に拳を受ける。吹き飛ばされそうになったところで、カレンがレミエルの胸倉を掴んだ。そして、腹に鈍重な拳を食らい、地面に叩きつけられる。レミエルの体が地面に跳ね返されて浮いたところに、すかさずカレンが一撃を入れる。その繰り返しだった。

 

「あなた達はリンクを狙っているようですが、そのようなことはさせません。ガブリエラ様からは本気で、手加減なしでやれと言われました。だから、馬の骨様がダウンするまで、私は殴り続けます」

 

 カレンは、殴りながらそんなことを言った。

 レミエルはカレンの攻撃を受けながら、横目で秀の方を見た。涙で滲んだ視界の中で、秀が腹を抑えて膝をついている。もう限界が近いのだろう。何とかこの状況を脱しなければ、秀が倒れる。自分が弱いせいで、彼が苦しい思いをする。そんなのは、嫌だった。

 レミエルは視線を戻した。一撃と一撃の間に、脱出する隙を幾つか見つけた。慎重に攻撃を見極め、カレンが拳を振り上げたその瞬間、レミエルは地面に手をついて体を支え、カレンの拳にに頭突きを食らわした。脳が激しく揺れ、脳震盪を起こしそうになる。だが、頭突きのおかげで、カレンが一瞬だけ動きを止めた。その隙に横に転がって離脱し、錫杖を使って、棒高跳びの要領で高く跳躍した。

 

「秀さん! 今です!」

 

「……ああ! リンク……!」

 

 秀が低く唸るように叫ぶと、レミエルは、体に糸のような物が入ってくるような感覚を覚えた。その糸は、レミエルに奔る血液を通して全身へと行き渡り、レミエルの五感を活性化させ、魔力を増大させる。そして、それが脳まで達した時、秀と、リンク——繋がった——そう感じた。

 レミエルは、上空からカレンを見据え、錫杖を薙ぐ。その軌道にそって、造られた魔剣が扇状に並べられる。そして、その夥しい数の魔剣が、カレンに襲いかかる。レミエルは魔剣を一つ造って、それを持って、魔剣の雨の中に紛れるように降下する。本命の攻撃はこれだ。他はカモフラージュでしかない。

 魔剣がカレンの周りに降り注ぎ、土埃を舞い上がらせる。その中で、レミエルはカレンと思しき影を見つけた。錫杖を地面に投げ捨て、魔剣を両手で持って肩に担いで、魔法で一気に降下速度を上昇させる。この攻撃が本命だ。剣技はたいした腕があるわけではないが、リンクしたことで上昇した筋力と、位置エネルギーがあれば、大打撃を与えられる可能性はある。

 土埃が晴れかかる。その時、土煙の中に緑黄色の稲光を見た。土埃が晴れると、カレンが両腕にその稲妻を纏わせて、レミエルを見つめていた。あれだけ投げた魔剣は、全て砕かれてしまっている。

 

(あれが、全部防がれるなんて……。でも、まだ私には攻撃が残ってる……!)

 

 レミエルは、魔剣を握る手に、少しだけ力を込める。対するカレンがレミエルに向かって跳躍した。レミエルの魔剣と、カレンの拳がぶつかり合う、その瞬間——急に、ブザー音がコロシアムに鳴り響いた。そして、

 

『——αドライバーのダウンにより、戦闘続行不可。ブルーミングバトルを強制終了します』

 

 という、無機質な音声が流れた。レミエルは、慌てて秀の方に向くと、彼がそこでうつ伏せに倒れていた。

 

「しゅ、秀さん!」

 

 レミエルは弾かれるように、彼の元に走った。秀を抱き上げて安否を確認すると、彼は眠っていただけであった。恐らく、αドライバーとして受ける痛みと、リンクによる精神的疲労が重なって、限界になったのだろう。とりあえず、レミエルは秀を保健室に連れて行くことにした。背中に彼を乗せて、歩み出す。すると、カレンが寄ってきた。

 

「あ、カレンさん……。その、バトル、ありがとうございました」

 

「いえ、いいのです。私はガブリエラ様に頼まれてやっただけなのですから。それに、あなたのう……αドライバーに無理をさせてしまいましたし」

 

「そのことはいいです。仕方のないことですし」

 

 レミエルは、そこまで言って、カレンのαドライバーと思われる人がいないことに気づいた。ここにいる男性は、秀一人だけだ。そのことを尋ねると、

 

「先のバトルにおいて、私はαドライバーを使っていません。アルドラは無しだと、ガブリエラ様が仰られたものですから」

 

 その言葉に、レミエルは驚愕した。αドライバーがいなければ、プログレスの力は半減すると言っていい。痛覚の無効もなければ、リンクも出来ないからだ。その状態で、自分を圧倒したのだ。驚きを通り越して、恐怖さえ感じた。

 

「早くお行きなさい。貴重な時間を無駄にするものではありません」

 

「は、はい! ありがとうございました!」

 

 レミエルは一礼すると、秀を乗せたまま保健室へ走った。

 

        ***

 

 カレンはレミエルを見送ると、一つ息を吐いた。ようやく終わった。嫌ではない時間だったが、そう思った。

 

「お姉ちゃん、かっこ良かったです」

 

 セニアが褒めながら駆け寄ってきた。カレンは彼女に朗らかな笑顔をみせ、

 

「ありがとうございます。セニア。抱きついてキスしてもいいのですよ」

 

「お姉ちゃん、ガブリエラさんの手前です。そういうのは二人っきりの時にしましょう」

 

「そうだ。イチャつくのは公衆の面前でするものではない。今は我しかいないがな」

 

 ガブリエラが呆れながらに言った。カレンは、彼女に幾つか尋ねたいことがあった。レミエルについてだ。先のブルーミングバトルが有益であったかどうかもそうだが、彼女自身についても興味があった。バトルする前に、レミエルについては何も聞かされず、ただ彼女とバトルしてくれ、と言われただけだったからだ。

 

「ガブリエラ様。先のバトルは価値のあるものでしたか?」

 

「ああ。貴殿のおかげで、今のレミエルの実力と、上山秀のαドライバーとしての能力が分かった。感謝している」

 

「そうですか。それは良かったです。では——」

 

 レミエル様とは、一体どのような人なのですか?——そう聞こうとしたところ、

 

「すまない。私は今から用事があるのだ。また今度、その問いを聞こう」

 

 と言って、ガブリエラは空を飛んで去ってしまった。残されたカレンは、セニアに向いて、

 

「さあセニア、熱烈なスキンシップを——」

 

 そこまで言った時、カレンは異様な空気を感じた。実験室棟の方から、それはした。まるで、何かを隠そうとして覆ったはいいが、その中の物がはみ出してしまったような感じだ。

 

「セニア、悪いですが、スキンシップは今度です。友人と共に帰りなさい」

 

 カレンが告げると、セニアは引き締めた表情で頷いた。危険なことだと、カレンの言い方から悟ったようだ。

 

「いい子です。では!」

 

 カレンはセニアに振り返らずに駆け出した。胸がモヤモヤする。何か良くないことが起きる時、カレンは決まってそうなっていた。人工物がそんなことを感じるのもおかしなことだが、本当に感じるのだから仕方がない。

 カレンは、実験室棟一階の、倉庫の前で立ち止まった。そこから、微かに魔力を感じる。結界か何かで上手く隠蔽したつもりだろうが、元の魔力がよほど強力なのだろう。そこにいるのが丸分かりだ。

 カレンは、倉庫の戸を開けた。その面積は目測で測ったところ、約十平方メートルと広かったが、中は段ボール箱で一杯で、実際窮屈だと感じた。その段ボール箱の奥に、回転イスに座っている、金髪のツインテールに冠のようなものを乗せ、白と水色の服を着た、少し背の低い人形のような女がいた。彼女はゆっくりと回転イスにを回して体をカレンに向けると、微笑を湛えて口を開いた。

 

「あなた……何の用かしら? 私は倉庫の整理をしていただけよ。そんなに殺気立たせないでくれないかしら」

 

「とぼけないでください。あなたの尻の下にある物は何なのです? 地球製の、軍用の通信機のようなものと見受けられます。誰と連絡を取っていたのですか?」

 

 カレンが問うと、女は急に笑い出した。そして、椅子から立ち上がると、邪悪な笑みを浮かべて、

 

「……バレてしまっては仕方ないわね。どうせアンドロイド相手に誤魔化せやしないのだし」

 

 女は呟き、カレンに一礼する。その瞬間、倉庫の箱という箱から二頭身の、幼子が持っていそうな人形が大量に出てきた。その一部がカレンを囲み、残りは女を守るように並んだ。その可愛らしい容姿とは裏腹に、それらの手には、鉈、包丁、斧などの刃物が握られていた。

 

「……! これは……!」

 

 カレンが少し動揺したところに、女は人形たちの奥で告げた。

 

「私の名前はジュリア。黒の世界(ダークネス・エンブレイス)の人形使いよ」

 

 ジュリアはそう言うと、諦観にも似た愉悦の笑みを浮かべて、呟いた。

 

 私を殺してみせなさい、と——。


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