Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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今こそ目覚めの刻! 究極の超新星!

「アイリスは、世界を造り直すつもりなのよ。人間への復讐だとか、世界水晶の破壊だとかは、客寄せの口実に過ぎないと言い放ったのよ!」

 

 アルバディーナは、ジュリアに、彼女が死んでからの事の顛末を話し、最後には激昂しながらそう言った。しかし、話し終えても頭に血が上っているアルバディーナに対し、ジュリアはけろりとしていた。

 

「これは人間への復讐を目標にする多くの構成員たちへの、重大な裏切りよ。それで、私はT.w.dを乗っ取ろうと思うの」

 

 アルバディーナは、ジュリアが関心を持つと考え、あわよくば協力して欲しいと思っていた。しかし、当のジュリアは関心なさげに、ぶっきらぼうに言った。

 

「今アイリスはいないって言ってたでしょう。檄文飛ばして仲間を集めて、それで今いるアイリス派を駆逐すれば済むことじゃない。なんでそんな下らないことを、私を冥界から呼び出してまで、相談する必要があるのよ」

 

 ジュリアは笑みを消し、非常に不愉快そうであった。しかし、アルバディーナは引き下がれなかった。アルバディーナにとって、ジュリアの言うような単純な問題ではなかったのだ。

 

「そう簡単には決行に移れないの。もしかしたら、誰も応じないかもしれない。そうなれば、私は裏切り者として粛清される。そしてそれを実行するのは、アイリス。私を実の姉のように慕ってくれるあの子を、傷付けるのが怖いのよ」

 

「じゃあ、諦めなさい。それに新しい方針、多数決で可決か否決かを決めるんでしょう? 謀反の決意はその時でいいんじゃないかしら」

 

 ジュリアは間違ったことを言っていない。彼女の言うやり方が、理にかなっているのは、アルバディーナにも分かっていた。しかし、アルバディーナにはそれを認められない蟠りがあった。

 

「それは、私の気持ちとして無理なのよ。たとえアイリスの打ち出した方針が却下になっても、一度私たちの思いを客寄せと言い切ったあの子を、総帥として仰ぐことはできない」

 

 声を震えさせて、その言葉を絞り出したアルバディーナを、ジュリアは黙って見つめた。しばらくその状態が続いたため、アルバディーナは、ジュリアが自分に呆れているのだと考えた。アイリスに対する反乱を企みながら、そのアイリスを傷つけることを恐れている。矛盾した自分に呆れるのも無理はないと思ったのだった。

 そして、アルバディーナは己の悩みの愚かしさを悟った。アイリスに対して蟠りがあるのなら、この先アイリスと上手く協調するのは困難だろう。そして彼女に対するアルバディーナの激情は、拾ってくれた恩義と、彼女へ向けていた友愛以上のものだと、同時に確信した。

 

「ごめんなさいね。わざわざ愚痴るために呼び出したようになってしまって。すぐ送り返してあげるから」

 

「待ちなさい」

 

 ジュリアが語気を強めて言った。そして、

 

「結局、謀反は起こすか、起こさないか、どっちなの」

 

「起こすわ。このまま何もしなければあなたに申し訳が立たないもの。それに、私はもう、あの子の下で戦えないから」

 

「たとえ一人でやることになったとしても?」

 

「私の結界魔法と蟲への変化があれば、私は一騎当千の力を得られる。その気になれば一人でだってできるわ! そして私一人ででも、人間を滅ぼし、この世界を終焉に導いてみせる!」

 

 アルバディーナは言い放った。結局、彼女の目的は人間への復讐なのだ。これまではアイリスの元でその目的を果たすため、T.w.dの組織力を強くすることに力を注いできた。そして、そのうち、復讐という垣根を超え、アイリスを守ろうと錯覚したこともあった。しかし、アルバディーナの怒りは、アイリスという枷を外した。彼女の悲願は、もはやアイリスと共には無い。

 

「その目、その声、その覇気。なるほど、それなら可能性はあるわね。私があなたに呼ばれたおかげかしら?」

 

「そうね。あなたが突き放してくれなかったら、ここまで決意は固まらなかったわ。イレーネスだったら、きっと私に寄り添うでしょうし」

 

「私が呼ばれた意味はあったわけね」

 

 ジュリアの顔に笑みが戻った。そして、棘のない口ぶりでアルバディーナに言った。

 

「親友のよしみで、あなたを手助けしてあげる。別に、今さら私がこのまま現世にとどまると言ったところで、あなたの覚悟は揺らがないでしょう?」

 

「それもそうね。あなたがいれば心強いことこの上ないのは事実だけれど」

 

 アルバディーナは、ジュリアに微笑みかけた。久方ぶりの笑顔だった。今まで感じていた不安が解消されたようで、アルバディーナは非常に爽やかな気分になっていた。

 

「そうそう、言っておかなくちゃいけないことがあるわ」

 

 ジュリアはそう言うと、アルバディーナから少し距離を取った。

 

「私、アイリスの言うことに反対していない、というか、寧ろ全面的に賛成なのよ。私がT.w.dに入ったのは、異変の解決に、怠惰な態度を見せる連中を目の当たりにしたから。アイリスが世界を作り直せば、世界水晶の状態も、リセットされる可能性がある。そうなれば、世界水晶の力の減衰によって引き起こされている異変も解決する可能性がある」

 

「つまり、全面的な手助けはしない、ということかしら」

 

「そうなるわね。そういう訳で、私は自由に動かせてもらうわ。手を下すのは、発起した当人のあなたじゃなきゃね」

 

「うん、分かったわ。私があなたを無理矢理この世に戻してしまったのだから、あなたの力をあてにするのは、更に失礼を重ねてしまいそうだもの」

 

 アルバディーナは、ジュリアの意志を快諾した。すると、ジュリアは満足気に頷き、そこから姿を消した。気配は感じるため、単に彼女の姿が見えなくなっただけだろうと、アルバディーナは解釈した。

 アルバディーナは、これ以上自室にこもっていると、副総帥という立場のために疑われてしまうかもしれないと、結界を消して自室から出た。すると、丁度目の前をフィアが通り過ぎた。

 フィアは立ち止まってアルバディーナに敬礼をした。上官にそうしろという規則は無いのだが、彼女の軍人としての性だろう。敬礼された以上、アルバディーナもそれを返さねばならない。アルバディーナは、返礼としての敬礼をしている間、フィアをまじまじと見つめていた。

 

(フィアは古参でアイリスに近い。こちら側への勧誘は間違いなく失敗するわね)

 

 アルバディーナは敬礼を解くと、フィアに向くこと無くそのまま執務室に向かった。軍靴を響かせながら、彼女はクーデターの作戦を練り始めていた。

 

        ***

 

 フィアは、アルバディーナの姿が見えなくなったのを確認すると、すぐさま自室へ駆け込んだ。そして、とある人物に軍務用の携帯電話で電話をかけた。

 

「アルバディーナが怪しい。彼女の行動には注意するように」

 

        ***

 

 カレンは、セニアと共にレミエルの討伐をする部隊に入って行軍していた。その理由は、人手不足から、客将の身分であるカレンとセニアが協力を請われたためだった。しかし、この時了承したのはカレンたちだけで、あずさとユノ、アインスは拒否し、秀とシャティーは姿を消していた。

 もっとも、カレンたちとてレミエルを殺すのは望まない。邪気の塊のようになっているレミエルを倒すことで、彼女が救われたら、と考えていたのだった。

 しかし、この時最も気になっていたことは、姿を消した秀とシャティーのことだった。特に秀が、レミエルの危機に黙っているはずはない。だから、レミエルのもとに向かえば会えるやも、ということも、要請を聞き入れた理由の一つだった。

 

「どういうつもりだ!? そこをどけ!」

 

 先頭を行くグラディーサの怒号が、カレンの思考を遮った。カレンがグラディーサのいる辺りを見てみると、レミエルを取り囲むようにして、T.w.dの部隊が配置されていた。カレンは、セニアと共にグラディーサのいるところまで駆け寄ってみると、そこには目を疑うような光景が有った。

 

「カミュ様!? それにジャッジメンティスまで! T.w.dがレミエルを包囲しているのですか!」

 

 カレンが驚きのあまり、思わず大声をあげてしまった。すると、それまでグラディーサに注目していたカミュが、カレンの方に向いた。

 

「貴様のような、血の通わぬ機械人形に名前を呼ばれる筋合いは無いな。早く失せるがいい」

 

 カミュの口から、カレンには信じられないような冷たい言葉が発せられた。アンドロイドの指導教官であった彼女は、厳しくも思いやりに溢れた指導に定評があったのだ。だから、カミュのこの言葉は、カレンにはあまりにも衝撃が大きかった。

 

「カミュ様! 昔のあなたは、アンドロイドにも人間にも分け隔てなく接し、私たちアンドロイドを温かく指導して下さったではありませんか! なのに何故!」

 

「今も昔も、私は変わらん。ただ、猫をかぶっていただけだ。生物ですらないアンドロイドが、人間と平等足り得るなどと、思い上がった口をきくな」

 

「カミュ様! あなたは——」

 

「しつこいぞ! アンドロイド風情がそれ以上、カミュ教官に話し掛けるんじゃない!」

 

 ジャッジメンティスから、女性の怒号が聞こえた。その操縦士が言ったのだろうが、カミュとの会話に横槍を入れられたことに、カレンは大変不服であった。

 

「私はカミュ様と話しているのです。邪魔はなさらないでください」

 

「アンドロイドが人間に上から物を言うな! 停戦協定が無ければスクラップにしていたところだぞ」

 

 カレンはジャッジメンティスの操縦士の反駁から、自分だけでなく、アンドロイド全体に対する激しい憎悪を感じ取った。そうして、カレンは悲しくなった。カレンが思うに、恐らく彼女、そしてカミュにさえも、カレンと、その隣に立つセニアは等しくアンドロイドと一纏めにされて見られているに違いない。白の世界にアンドロイドを良しとしない勢力が存在することは分かりきっていたことだが、実際に目の当たりにすると、心が痛んだ。

 

「話は済んだようだな」

 

 カレンが茫然自失としていたところに、グラディーサが、カレンとT.w.dの間に割って入った。

 

「貴様ら、そこをどけ」

 

「嫌だと言ったらどうする?」

 

 カミュが、挑発するように笑いながら答えた。すると、すぐさまグラディーサは剣を構えた。

 

「力づくでも通るのみよ! 停戦協定など知ったことかぁっ!」

 

 グラディーサは猛然とカミュに向かっていった。それに続き、彼女の部下も突撃していく。

 

「愚かなり、赤の女神!」

 

 カミュが嘲ると、突如グラディーサたちを雷撃が襲った。それを食らったものはその場に倒れ伏し、痙攣していた。

 

「き、貴様、何をした!?」

 

 グラディーサが、呻きながらカミュに怒鳴った。対し、カミュは嘲笑するように静かに笑ってから、グラディーサを見下しながら答えた。

 

「あの停戦協定は魔術契約だ。私たちとて例外ではないが、破ったものには自動的に裁きが下る。死にたくなければ、総統たちが事を終えるまで、そこで大人しくしていることだ」

 

 カレンは悔しく思いながらも、その場での待機を決め込んだ。

 すると、カレンはカミュへの注目をやめたせいか、すぐ隣で、セニアが固くなっていたことに気づいた。何も言わず、ただ優しく抱き寄せると、カミュたちが囲む禍々しい塊を見た。これは機械でないからこそなせるのかと考えると、唐突にカレンは寂寥感に襲われた。

 

        ***

 

「全員、いるか?」

 

 レミエルの体内に入った秀は、振り返ってアイリスたちも入れたかどうか確認した。体内へは意外とあっさり入れた。近づくとあっという間に吸い込まれたのだった。

 

「大丈夫だよ。全員いる」

 

 アイリスが代表して答えた。アイリスとエクスシア、そしてシャティーには、秀から見て、体の不調があるようには感じられなかった。

 それから秀は、辺りを見回した。秀たちが今いるのは、レミエルの体内——正確には、レミエルの感情が魔術的な力によって、具現化したものと思われるものの内部だ。外から見た、不気味な感じとは違い、雲の上の、柔らかな陽光に包まれた空の上にいた。そして、半透明な板が、秀たちを待っていたかのように、足場と道を作っていた。しかし、道は見渡す限り続いており、どこから入ったのか、分からなくなっていた。秀たちは塊の底の方から入ったので、この空間が、外の空間とは違うものだということは、はっきりと分かった。

 

「秀さん。レミエルがどこにいるか、分かります?」

 

 エクスシアが尋ねた。それで、秀は、いつもレミエルの危機の時に疼く、右の小指を抑えた。すると、レミエルの居場所が、ぼんやりとだが、分かった気がした。

 

「多分、ここを今の俺らから見て後ろに進んだ方だ」

 

「レミエルの場所分かるなら、秀が前行った方がいいよね」

 

 アイリスに押されるがままに、秀は先頭に立った。しかし、アイリスの言うことに、少しも間違ったことはないので、秀は少し早歩き気味に歩き出した。

 暫く歩いていると、肉の壁のようなものが現れた。そして、そこを起点にして、平坦な道と、階段とに分かれていた。

 

「困ったな。レミエルはこの肉壁の向こうにいるのに」

 

 傷つけるわけにもいかず、どっちに行けばいいかも分からず、秀が途方に暮れていると、

 

「誰!?」

 

 そう叫んだシャティーが、臨戦態勢を取っていた。秀たちもシャティーの向いている方に向くと、確かに見知らぬ人影があった。

 

「いや、そう構えるな。我は敵ではない。姿を現そう」

 

 そう言って、その影は翼を広げて飛び、秀たちのところへ降り立った。そして、その姿を見て、秀らの誰もが絶句した。かろうじて、エクスシアが掠れた声で、その者の名を口にした。

 

「ガ、ガブリエラ様……?」

 

 確かに、彼女はガブリエラであった。しかし、訃報を聞いただけのエクスシアと、現場を見たかは分からないアイリスはともかく、秀とシャティーは、ガブリエラが死ぬ様をその目で直に見ている。

 唖然とする秀たちに対し、ガブリエラは申し訳無さそうに言った。

 

「時間のない時に時間を取らせて申し訳なく思うが、ここに我がいる理由と、この空間について話してもいいか?」

 

「それは、ここにいる全員が疑問に思っていることだろう。ぜひ話してくれ」

 

「分かった。まず我がここにいる理由だが、あの時、我がレミエルに全ての力を託した時だった。彼奴は、力だけでなく、我が精神をも吸収したのだ。恐らくは寂しさが由来の、無意識のうちのことだろう。そういうわけで、ここにいる我は、ガブリエラの残滓だ。残滓ゆえ、長くは保たん。汝らの前に姿を現したのも、はっきり言えば、あの予言を完遂するため、汝らを利用するためだ」

 

「利用とはこれはまたはっきり言うね」

 

 アイリスが皮肉ったような笑みを浮かべた。対し、ガブリエラも微笑しながら言った。

 

「予め利用するつもりだ、と言っておけば、汝らも信用できるだろう? それに、汝らは知る由も無かったろうが、これまでも散々利用させてもらっている。もう少しくらい利用させてくれ」

 

「ガブリエラ、それはどういうこと?」

 

 シャティーがガブリエラを睨んだ。すると、ガブリエラはシャティーの反応が意外だったのか、慌てた調子で答えた。

 

「私が言ったのは、これまでに起こった、主にT.w.dが引き起こした様々な状況を、レミエルの堕天、そして彼奴の予言の完遂に至るために利用したということだ。決して、我が意図的にここに至るまでの状況を作ったというわけでは無い」

 

「私たち、まんまと利用されてたんだね。まあレミエルもこっち側についたことだし、結果的には悪くはないのだけれど。そういえば、あの時に感じた、レミエルじゃない誰かは君か」

 

 アイリスはわざとらしく、大きめの声で呟いた。すると、ガブリエラは目線だけをアイリスに移した。

 

「ああ。それに、汝がタイミングよくユラを殺害したおかげで、レミエルが一足飛び的に堕天できた。それに我がレミエルの中にいたのも大きかった。あの戦闘装束に込めた私の意志だけでは、堕天は難しかっただろう。実はあれを織ったのは本当は我だったのだが、もはやどうでも良いことだ」

 

「なんだか複雑な気分ですが、これまでのガブリエラ様がしたことの経緯は分かりました。では、この空間について教えていただけますか?」

 

 エクスシアは、複雑な表情のままそう聞いた。ガブリエラは軽く頷くと、少しの間を以って話し始めた。

 

「この空間は、レミエルの魔力の許容量が、他人の精力、いや魂を吸収しすぎてオーバーし、その吸収できなかった部分がレミエルの心と接触し、魔術的な力によって具現化したものだ」

 

「ということは、さっきから感じるレミエルの感覚は、本体のものか」

 

 秀は、依然として疼く右の小指を見つめながら呟いた。それを見たガブリエラが、おもむろに歩み寄ると、秀のその小指に触れた。

 

「なるほどな、そういう契約か」

 

「何が分かったんだ」

 

「汝も気付いていなかったのか。これは、汝とレミエル、どちらかが危機に陥った時、いの一番の救援を強要するものだ。もっとも、レミエルも無意識のうちに契約したようだがな」

 

「なるほどな。しかし俺には多少便利なくらいだ。それに、強要されなくても、あいつの危機にはは俺がいの一番に駆けつける。そう約束したからな」

 

「それは殊勝な心がけだな。さて、話は終わりだ。レミエルのいるところへの行き方を示す。ついてこい」

 

 ガブリエラはやや急ぎ気味に会話を切ると、秀の手を引いて階段の方に歩き出した。秀は、ガブリエラが手を引くのがレミエルとの契約を意識してのことだと理解すると、その手を優しく払ってガブリエラの隣を歩いた。遅れて、アイリスたちがついてきた。それを一度振り返って確認すると、秀は前を向いて階段を一歩ずつ踏みしめた。

 階段をしばらく登っていると、突如野蛮な叫び声が聞こえた。暫く登ると、両側の壁に人面が浮かび上がって、お互いに叫びあっていた。

 

「これは、少し精神に来るな」

 

「うん、少し気持ち悪いかも」

 

 秀とアイリスが嘆息した。すると、エクスシアが話し出した。

 

「恐らく、あの人面はレミエルの吸収した人の魂で、ここには七女神の結界の影響が及ばない故にあのような蛮声を上げているのでしょう。結界によって抑制されていましたが、赤の世界の住人というのは、もともとはああいう人ばかりなのです。今日の昼の騒ぎなどはおとなしい方です」

 

「結界を張っていたのは、七女神の保身のためだけじゃなく、秩序を守るためってのもあったんだろうな。もっとも、こんな洗脳じみたやり方は、褒められたものではないが」

 

 秀は、実際の赤の世界の住人の本性を目にして、七女神の結界について考え直したことをそのまま口にした。

 

「ああ。だからこそ、七女神は誅滅せねばならん。もっとも、残滓たる今の我には、そのような力は残されてはいないが」

 

 ガブリエラの口調こそは冷静だったが、明らかに彼女の感情は昂ぶっていた。見れば、彼女の翼は白いままだ。ガブリエラとエクスシアが、七女神に対する激情を隠したまま、七女神の臣下として過ごしたのは、かなりの苦痛であったことだろう。しかし、そのことを今労わるべきではないと、秀は思った。彼女らは、まだ何も成していない。ガブリエラとエクスシアとしては、行動を起こしてすらいない。労わるのは、全てが終わった時にしようと、秀は一瞬だけ瞑目した。

 秀の体感的に、一時間ほど階段を登ると、ようやく階段が終わった。しかし、そこから先に道は無く、あるのは暗く深い、底の見えぬ穴だった。だが、レミエルはこの先にいる。

 

「飛び降りるしかないか」

 

 秀は、そう言ってから横目でガブリエラを見ると、彼女は首を縦に振った。それを見てから、秀は躊躇無く飛び込んだ。数秒の落下の後、足から着地した。カミュのくれた靴のお陰で、特に問題は生じなかった。

 辺りは暗闇の中で、何も見えない。そこで秀は、このまま待つわけにもいかぬと、アイリスたちが無事降りられたかの確認を待たず、レミエルの気配を頼りに歩き出した。

 暫く歩いて、レミエルの気配がかなり強くなってきた頃合いである。不意に手を引っ張られたかと思うと、そのまま正面から抱きしめられた。

 

「レミエルか」

 

「よく、分かりましたね」

 

 少し嬉しそうな、彼女の声が聞こえた。すると、急に周囲が明るくなった。辺り一面真っ白である。

 ふと、秀がすぐ目線を落とすと、そこには上目遣いのレミエルの顔があった。少し潤んだ、赤い月のような左眼と、黄金の至極とされる閻浮檀金の如き右眼が、秀の顔を捕らえて離さない。見た目とは違い、視線から感じるレミエルの心は、無垢そのものだった。初めて会った時と同質のもの。これまでの歩みの中で、それはずっと変わらなかったのか——そうではなく、最初に戻ったとも言える。もしそうだとしたら、ここまでの道程は、きっとそういうことだろう。

 

「私、考えたんですよ。ここで」

 

 レミエルは、顔を少し下に向けて語り出した。秀には、彼女の俯くその様が、以前のものとは違うと、はっきりと分かった。

 

「今まで、私が成そうとしたことで、うまくいったのなんて殆ど無かったんですよ。それ以外は全部うまくいかなかった。結界を割ろうとしたときも、ユラの仇を取ろうとしたときも、この世界を救うためにアウロラを討とうとしたときも、うまくいかなかった」

 

 秀には、レミエルの言葉の中に自虐的な感情を感じなかった。秀の知る、以前のレミエルならば、同じ言葉を発すれば、必ずと言っていいほど自嘲していた。しかし今は、そうではなかった。

 

「うまくいったのは、ジュリアさんを倒したときと、カミュさん達を追い払ったときだけ。何がそうさせたのか、考えて、分かったんです」

 

 レミエルは、秀から体を離した。そして、両の瞳で秀を見据え、清々しい表情で言った。

 

「結界や、ユラや、アウロラの時は、私は私じゃない何かのために、命を賭して戦いました。でも、ジュリアさんやカミュさんの時は、前者は私が秀さんの隣にいるために、後者は私の怒りを晴らすために戦ったんです。つまり、私自身のために戦ったんですよ」

 

 秀は、固唾を飲んで話を聞いていた。恐らく、レミエルの次の言葉は、これまでの彼女の人生から導き出した、人生の方針の最適解となる。何を語るのかと、秀は期待と不安に胸を膨らませていた。

 

「だから、決めました。堕天しても変わらず、自分を卑下するあまり自分をぞんざいに扱った私でしたが、これから先は、私を犠牲に他のことに尽くすんじゃなく、私を第一に考えて、その上で他のことに尽くします。自己中心的と言われればそうですが、でも私はこの生き方をしようと決めたんです」

 

 晴れ晴れとした爽やかな顔で、レミエルは言った。秀は、何と言えばいいのか分からなかった。この答えは成長の結果だ。レミエルから劣等感という足枷が取れたのだから。秀もその答えに文句をつけたいわけでもない。だが、うまい肯定の言葉が、何も思い浮かばなかった。

 

「それが汝の本心か、レミエル」

 

 ふと、頭上から声がした。秀が顔を上げると、そこにはガブリエラと、エクスシアとシャティーに抱きかかえられたアイリスがいた。ガブリエラの視線は厳しいものだった。その目線がレミエルを非難するものなのか、或いは見定めるものなのかは、秀には分からなかった。

 

「はい、その通りです」

 

 レミエルは、秀に背を向けてガブリエラの方に向くと、はっきりとした声で答えた。すると、ガブリエラの表情が、ふっと和らいだ。

 

「それで良い。汝は己の卑屈さゆえに、無意識に己を縛っていた。それは戦いに身を投じる者としては致命的だ。しかし、今の汝は違う。汝が力を縛ることなく、最大限に発揮できる。即ち、予言を果たすべきは今!」

 

「私と、ガブリエラ様でですか?」

 

 レミエルの問いに、ガブリエラは間を置かずに頷いた。そして、レミエルは、黙って見守っていた秀たちに向くと、深々と頭を下げた。

 

「ありがとう、エクス、シャティー、アイリス、そして秀さん。あなた達が助けにくるって分かった時、とっても嬉しかった。予言を果たして、私が捕らえてしまった魂を解放したら、あなた達と合流するよ。では、一旦さようなら」

 

 レミエルが言い終えた瞬間、秀が何かを言う暇も与えずに秀たちの周りを光が包み、その光が消えた時には、秀たちはユラの墓標まで飛ばされていた。

 秀がすぐさま、あの塊の方を見ると、その塊は徐々に形を崩していっていた。

 

        ***

 

 レミエルは秀たちを送り出した後、ガブリエラと向き合った。しかし、彼女の、この世を離れるはずだった魂を無理矢理引き止めていたことへの罪悪感から、すぐに目を背けてしまった。

 

「どうした、レミエル」

 

「私、ガブリエラ様にかなり道理に反したことをしてしまいました。あなたの魂がここにあるからこそ、エクスやシャティーを予言のための犠牲にせずに済むというのは分かっています。でもそれは結果論です」

 

「この場合は、結果さえ良ければいい。我は、汝に託された予言を果たすために行動していたのだ。こうなるのならば、むしろ本望だ」

 

「でも、それは……いえ、何でもないです。その通りですね」

 

 レミエルは、反駁したい気持ちを抑えた。ここで反駁しては、以前と何も変わらない。生き方を変える、そう誓ったのだからと、レミエルは深呼吸を繰り返した。

 

「しかし、残滓たる今の我だけでは予言を果たすだけの力は足りぬ。汝が吸収した魂の中に、アウロラのものがあったな。その力を使うか」

 

「量は気をつけてくださいね。取りすぎると、私のようなことになってしまいますから」

 

「分かっている。それに、使うのはアウロラの力の一部だけだ。我にも汝にも、彼女の力の全てを使うことは困難だろう」

 

 ガブリエラは口角を少し上げて、レミエルを見つめた。レミエルは意を決して頷くと、アウロラの魂の一部を取り、ガブリエラに与えた。

 

「じゃあ、いきましょうか」

 

 レミエルは、震える手でガブリエラの手に指を絡めた。そして、ガブリエラとひとつになる瞬間を待つ。しかし、何も起こらない。ガブリエラも焦った様子で、目を見開いていた。

 

「まだ、足りぬと言うのか。力が」

 

 ガブリエラの絶望したような声。レミエルも諦めかけたその時だった。レミエルの肩に触れる者がいた。その者の顔を見た時、レミエルははっとして、思わず一条の涙をこぼした。

 

「お、お母さん……」

 

 レミエルの母は柔和な笑みを見せると、そのままガブリエラの中に入っていった。そしてその刹那、絡めた指から、レミエルとガブリエラが、光となって融合し始めた。みるみる光に溶けていく体を見つめながら、レミエルは悟った。なぜ予言の最後が超新星の輝きなのか。その意味が分かった時、レミエルの心から、予言への恐怖は消え去っていた。

 二人が完全に溶け合う直前に、レミエルが目にしたもの。満足げな、それでいて少し寂しそうな、ガブリエラの笑顔だった。

 

        ***

 

 崩れゆく塊から、ひとつの光が飛び出した。そしてそれが、闇に包まれたテラ・ルビリ・アウロラの空で、人間大の、赤き水晶の結晶を形成する。

 

「あれは、赤の世界水晶!? ……いや、違う。でもそれに、限りなく近いものだ」

 

 アイリスは、心底驚いて腰を抜かしていた。そうしていると、水晶に変化が訪れた。小さなヒビが入ったのだ。やがて、それは瞬く間に巨大な亀裂となり、水晶は砕かれた。それとともに、強烈な光を、水晶は放った。その光は、アイリスが今まで感じたことのないほどの、温かみを伴っていた。そしてその光が何なのか、アイリスも、エクスシアも、シャティーも、秀も、瞬時に悟った。

 光が消えた時、赤の世界に立ち込めていた瘴気は消え去り、周りの空気が美味しく感じられた。そして水晶のあった場所には、一人の天使がいた。右に白と黒、そして左に閻浮檀金のごとき紫金と、純金の、計四枚の翼を広げ、微風にそのブロンドの長髪をなびかせている。その目は右が青、左が赤のオッドアイ。その身に纏うのは、薄紫と血赤色のツートンカラーの装束で、左手にはガブリエラの諸刃の剣が握られている。そしてその顔立ちは、皆がよく知るレミエルそのものであった。

 突如、レミエルが咆哮し始めた。それはまるで赤児の産声のようで、苦しみや、猛りからくるものとは、違っていた。

 

「みんな、こっち見てください! ユラの剣が!」

 

 エクスシアが、慌てた様子で呼び掛けた。アイリスたちがそちらを見てみると、墓標がわりとなっていたユラの剣が、レミエルの咆哮に合わせて、小刻みに震えていた。そして、十秒もしない間に、ユラの剣は、地面から抜け、レミエルの元へ、回転し勢いを増しながら飛んでいった。

 

「ユラ、レミエルに力を貸してくれるんですか……」

 

 エクスシアは泣いていた。死してなお、友のために力を貸す。その熱き友情を目の当たりにして、アイリスにも、心にぐっとくるものがあった。

 

        ***

 

 レミエルは、飛んできたユラの剣の柄を掴み、その刀身を眺め、ふっと微笑んだ。

 

「ありがとう、ユラ。一緒に戦おう」

 

 そう呟いて下を見ると、塊から触手が伸びていた。その塊の核であったレミエルを、再び取り込むためだろうと判断したレミエルは、その塊の方に飛び込んでいった。

 

「光の翼を使う!」

 

 レミエルは襲いかかる触手を光の翼で切り裂きながら、急降下していく。そうしながら、レミエルは今の自分の力の強大さに驚いていた。体の奥から湧いてくる力が、堕天使であった時と比べても段違いだ。かつての自分よりも、体が軽く思え、速く動けた。

 数秒もしないうちに、塊は目前といったところまで近づいた。そこで一旦速度を緩めると、レミエルは二刀を構え、より一層の加速をした。

 

「他の誰でもない、あなた達の剣で、この世界の人たちを解放する! ガブリエラ様、ユラ!」

 

 レミエルは、塊へ降下し、突進しながら二振りの剣に魔力を注いだ。すると、左手に握ったガブリエラの剣には黄金の、右手に握ったユラの剣には紫金の輝きが宿った。そしてそれを、勢いのまま塊に突き刺した。すると、塊は一気に爆ぜ飛び、赤の世界の各地へ飛び立っていった。そして、軽やかな動きで着地し、すぐそばにいたカミュに目配せすると、彼女の軍勢と共に、ユラの遺体を埋めたところへ転移した。

 

「レミエル!」

 

 転移した直後に聞こえたのは、嬉々とした秀の声だった。その声がした方を向くと、すぐ目の前に秀がいた。彼はやや興奮気味になって、レミエルに尋ねた。

 

「予言、果たしたのか?」

 

「うん。実は、記憶が消えちゃわないか、とか、姿が大幅に変わっちゃわないか、とか気にしてたんだけど、そんなことなくて良かったよ、秀さん」

 

「俺に対しての丁寧語、抜けたんだな」

 

 秀が驚いた様子で呟いた。そう言われてから、レミエルもそのことに気がついた。しかし、そうなった理由は、少し考えただけで容易に分かった。

 

「きっと、我……じゃなくて私が今まで秀さんに丁寧語だったのは、秀さんのパートナーとして、自信が無かったからだと思う。でも、そういう生き方を変えるって決めたから。それでじゃないかな」

 

 レミエルは、照れ臭くなって、剣を亜空間に放り込むと、秀から目を逸らしながら頰をかいた。そうしながら、レミエルは改めて己の変化を顧みた。外観ではなく、レミエル自身の心の変化だ。あの決意も関与しているのは間違いないが、それ以上に、ガブリエラと融合したことが絡んでいるだろうと、レミエルは思った。

 そう考えたのは、つい先ほど、自分のことを我、と呼びそうになってしまったからだ。もしかしたら、ガブリエラの性格も混じってしまったのかもしれない。

 しかし、逸らした目を戻せば、何も気にしていない様子の秀がいた。彼に不安は無い。そう確信すると、レミエルはほっと胸をなでおろし、胸を張って秀を見ることができた。

 

「古きものを素材に、その素材の良い部分を継承しつつ、新たな境地に至る。正しく超新星。そして、そういう君は、まさに私の理想に相違ない」

 

 恍惚とした声を震わせてそう言うのは、アイリスだった。彼女はレミエルに近付くと、目を輝かせて、レミエルをまじまじと見回した。

 

「あの、ちょっと恥ずかしいんだけど」

 

「あっごめんごめん。ちょっと興奮しすぎちゃった」

 

 アイリスは悪びれた様子無しに、朗らかな笑顔を見せた。レミエルはそのような彼女の様子にため息をつき、そしてすぐに微笑を浮かべた。そして、レミエルはエクスシアを一瞥すると、アイリスとエクスシア、二人に向いて告げた。

 

「私、T.w.dに入るよ。もうこの世界にはいられないし、アイリスが世界を変えれば、私と、ガブリエラ様とエクスの悲願は果たされるし、そして何より、秀さんの隣で戦い続けられるから」

 

「心残りはありませんか?」

 

 エクスシアが尋ねる。対し、レミエルは即座に頷いた。すると、アイリスとエクスシアはふっと笑い、二人とも、ひとつずつ手を差し伸べた。レミエルは迷わずそのふたつの手を取り、二人と並んだ。周りを見回すと、秀、シャティー、カミュ、リーナと、他のT.w.dの構成員が、暖かな目で笑いかけている。それは、まるでレミエルを祝福しているかのようだった。

 引き揚げの準備が完了し、(ハイロゥ)へ向かおうとした、ちょうどその時。朝陽が昇り始めた。多くの白雲に遮られながらも、朝陽は煌々と輝いて、レミエルたちを赤々と照らしていた。




 今回で第3部「超新星」は終了となり、次回から第4部、「ヴィクトリー・クロス」が始まります。これからも拙作をお読みいただけたら幸いです。

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