Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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さらば友よ! 秀の決意!

 レミエルは、裂帛の気合いと共に、己の間合いから、アウロラに踏み込んだ。狙いは喉元。美海ら四人の邪魔が入らないうちに、一瞬で突きを入れようという魂胆だった。アウロラが動くような様子は無く、決められるはずだった。

 しかし、唐突に、人間と同じ大きさになったルビーに右から脇腹のあたりを体当たりされて、レミエルの姿勢が崩れた。レミエルは即座に態勢を立て直すと、ルビーに対し啖呵を切った。

 

「邪魔するなら、あなたも殺す!」

 

 レミエルは剣先をルビーに向け、左袈裟に、魔剣をわざと速度を落として斬りつけた。当然、ルビーはそれをいとも容易く躱す。だが、それはレミエルの狙い通りだった。レミエルは余った右手で、即座にルビーの首を鷲掴みにした。

 

「七女神に味方したことを、あの世で後悔してください」

 

 レミエルはルビーを木の幹に押し付けると、魔剣の剣先をルビーの眉間に突き付けた。ルビーの顔に、恐怖の色がありありと浮かび上がる。汗を垂れ流し、顔は真っ青になり、瞳孔は大きく開いている。

 しかし、そのようなルビーの様子など意に介さず、レミエルはルビーの眉間を貫こうとした。だが、その時、魔剣を握る左腕に、魔力を持った鎖が巻きついた。

 

「それ以上ルビーに、手を出さないで!」

 

 鎖の持ち主はソフィーナだった。彼女は、更にみっつの鎖を放ち、レミエルの四肢を拘束した。レミエルの手から、ルビーが落ちた。拘束されたまま舌打ちをしながら、レミエルはアウロラに尋ねた。

 

「あなたが余裕だったのは、この四人が動いてくれるから、私があなたを殺せるはずがない、ということですか」

 

 アウロラは答えなかった。代わりに、彼女は美海たち四人に目配せした。それを受けて、彼女らがレミエルの前に立った。

 

「レミエルちゃん。お願いだよ。クラスメイトの私たちが戦う理由なんて無いよ」

 

 美海が懇願する。目に涙まで溜めている。レミエルは、その頼みが心からのものだと、容易に分かった。友達想いで、優しい美海のことだ。本心から言っているに違いない。しかし、だからこそ、レミエルは彼女を否定しなければならなかった。

 

「戦う理由なら、あなた方が七女神の側に立っているというだけで十分ですよ。それに、クラスメイトだった期間も一日だけでしょう。アイリスたちが来てから、クラスメイトとして、あなた方が私に何をしたって言うんですか」

 

 レミエルが言い放つと、美海は、涙を流し、口元を手で押さえながら膝を地につけた。美海だけでなく、レミエルも心苦しかった。吐いた言葉は紛れもなく本心からのものだが、本気でレミエルを友達として見てくれている人を傷付けるのは、相当にこたえた。

 

「何てことを! 美海さんは、いや、美海さんだけじゃなく、みんな、あなたのことを本気で考えているんですよ!」

 

 ユーフィリアが反駁する。レミエルは、わざとらしく大きなため息をついた。

 

「私のことを本気で考えるのなら、あなたたちは私と共に七女神を討つべきです」

 

「何を言って——」

 

「七女神のおかげで、私は人生を滅茶苦茶にされたんです。それに、七女神のせいで今、赤の世界の住人たちが狂気に陥ってる。討ち滅ぼすのは当然でしょう」

 

 レミエルは、ユーフィリアの言を遮って言った。すると、美海たち四人は衝撃を受けたのか、一斉にアウロラの方を向いた。対し、アウロラは、おもむろに口を開いた。

 

「確かに、あの予言をレミエルに不利なように解釈し、力を抑え込む方策を提案したのは私たちよ。しかし、それを実施したのはガブリエラ。私じゃないわ」

 

「とんでもない屁理屈ですね。自分が手を染めなきゃいいとでも思ってるんですか」

 

「まだ話の途中よ。民が凶暴になっているのは、彼らが、ユラの首級を抱えるあなたを見たからでしょう? 結界による精神への抑圧を引き起こした原因はあなたじゃないかしら?」

 

 大本を正せば七女神たちのせいじゃないですか——レミエルは、アウロラにそう反論しようとしたが、その言葉を喉の奥まで出かかったところで飲み込んだ。このまま言い争いを続けても、平行線のまま解決しない。

 

「あなたとは相容れないみたいですね。やはり殺します」

 

「その様で何ができるのかしら」

 

 レミエルが会話を打ち切ると、アウロラは、レミエルにゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「さあ、大人しく投降なさい。今ならまだ恩赦の余地があるわ」

 

 アウロラはそう言いながら、更に歩みを進める。彼女とレミエルとの距離が、人一人分の隙間くらいになったその時、レミエルは口角を吊り上げた。

 

「この瞬間を待っていました」

 

 レミエルは、背中の六本の魔剣を全て切り離し、それら全てをアウロラに向けて突撃させた。

 アウロラは、ここで初めて焦りの表情を見せた。彼女は杖を振るい、四本の魔剣は叩き落としたが、残りの二本は、それぞれ左肩と右膝に突き刺さった。これはかなり効いたようで、アウロラは地に膝をつけて崩れた。

 

「その様では、満足に動くこともままならないでしょう」

 

 レミエルは鎖をいとも容易く引きちぎって、そう告げた。そして、アウロラの右膝に刺さった魔剣を抜くと、彼女の喉元に突きつけた。

 

「私やエクスの想い、今こそ果たします! そしてこの世界のため、覚悟!」

 

 レミエルは魔剣を両手持ちで振りかぶり、アウロラの脳天めがけて振り下ろした。その太刀筋に迷いは無く、そのまま振り切れば、アウロラを真っ二つにできるはずだった。だが。

 

「させないわ!」

 

 ソフィーナの放った鎖が、レミエルの両腕に絡みついた。さらに、剣を携えた美海が、猛然と突進してしてくるのが、レミエルの目に映った。

 レミエルは、咄嗟にアウロラに弾かれた剣を操って鎖を断ち、五人と距離をとった。

 

「レミエル! もうやめなさいよ。冷静になって考えれば、他の方法も見つかるはずよ。それに、ユラもあなたのお母さんも、七女神様を殺すなんて、望んでないはずよ」

 

 ルビーが前に出て、レミエルを真っ直ぐに見据えて説得してきた。彼女の言い分を聞いた瞬間、レミエルは激烈なほどの怒りを覚えた。そして、考えるよりも先に、レミエルはルビーに怒鳴りつけた。

 

「七女神の傀儡が、お母さんやユラを語らないで!」

 

 たじろぐルビーをよそに、レミエルは更に続ける。

 

「七女神の統治方針の被害者の一人だからと大目に見るつもりでしたが、私の前に立つなら、あなたから——いえ、あなた方四人も始末します!」

 

 レミエルは、そう言い放つ裏で、誰から討つかを考えていた。感情的にはアウロラだが、合理的に考えれば、ユーフィリアが最も妥当であった。彼女は、青蘭島での戦闘で、時間航行能力が故障していると、レミエルは聞いていた。それが修復される前に、破壊するのが最上だ。

 

(手負いがいるとはいえ一対五。この五人の活力を吸収して、力を削ぐしかないかな)

 

 レミエルは、己の精神の末端を、伸ばすように五人に飛ばすと、彼女らの方寸に忍ばせ、精神を掴ませた。そして、それらを無理やりレミエルの活力となるように、レミエルの体内に引き摺り込み、吸収する。

 レミエルは、力が漲るのを全身で感じた。心の内に、彼女を制止しようとしているような意志を感じたが、それは黙殺した。できるだけ優位に立つために、レミエルは有るだけの活力を五人から吸収する必要があったのだ。

 レミエルは目の前のアウロラたち五人を見る。誰もが顔色を悪くし、息を荒くしている。しかし、レミエルの側でも、変調をきたし始めた。彼女は、身体及び精神の内側から、異様な圧迫感を感じ始めた。レミエルは、限界だと悟り、活力の吸収を中断した。だが、それでも圧迫感は消えなかった。堕天している以上、祈りによるパワーアップは望めない。

 やがて、その圧迫感はかなり強大なものと化した。体が引き裂かれるような感覚に襲われ、レミエルは発狂したように絶叫した。

 激痛に苛まれ、薄れゆく意識の中で、レミエルはこの状況を打開するのに、自らを変容させるしかないと考えた。そうしなければ、このままレミエルの身体は破裂してしまう。

 そのためには、かなり強大な力が必要だ。レミエルは、吸収する範囲と勢いを、微かな意識のままに拡大した。

 

        ***

 

 レミエルがアウロラ神殿に突入してしばらくしてからのことだった。アウロラ神殿から、形容しがたい不気味な色をした気が広がっていくのが、秀の目に映った。

 

「この空気、触れたらまずい気がする!」

 

 アイリスはそう言うと、秀たち全員を覆える程の結界を張った。それを見たエクスシアも、それに重ねて結界を作った。

 やがて秀たちのいる所まで瘴気が達すると、視界は一気に悪くなった。近くの方なら見えるが、数十メートル先までは見られない。その中で、結界で覆われていない民衆が、これまで喚いていたのが嘘のように、次々と倒れていくのが見えた。

 

「結界張って正解だったね。多分これの効果、前にレミエルから秀が受けたのと同様、いや、それ以上だ」

 

 アイリスは、冷や汗を垂らしながら言った。世界を語っていた時のような余裕は既になく、彼女の顔には緊張が張り付いている。

 

「俺が受けたのと同様、というと、この気に触れれば活力を吸われるのか。周りを見れば言うまでもないか」

 

 秀は、瘴気が放たれている中心の、アウロラ神殿の方角に視線を移した。この瘴気の大元はレミエルだ、と、何となく秀は感じていた。しかし、だからと言って今は何もできない。瘴気が晴れるのを、ただジッと待つのみだ。

 

「こんな厄災が起こるかもしれなかったから、レミエルの記憶を弄ろうとしてたのに」

 

 目覚めたらしいシルトが、縄に縛られたまま、それを破る仕草も見せずに呟いた。そして、彼女は憎しみの色を隠しもせずに、アイリスの背中を睨んだ。

 

「私は、昔以上にあなたの活動を認めない。神でもないあなたが、世界を作り直すだなんて馬鹿げてる」

 

「あなたが私の活動をどう思ってるとか、今関係ないでしょ。そんなことより、この事態への対処法を練ることが重要でしょうが」

 

 アイリスは、背を向けたままシルトに答えた。すると、シルトは押し黙ってしまった。そのまま沈黙が続き、その間に瘴気が晴れてきた。そして切れ間から見えた異様なモノに、秀は戦慄した。レミエルの翼と同じような、閻浮檀金のような輝きと、黒い気を放つ巨大な塊が、建物が吹き飛ばされたらしい、アウロラ神殿の基礎に鎮座している。

 

「レミエル。あなたの抱いた怒りは、それほどまでだったんですね」

 

 エクスシアが、どこか感心しているかのように呟いた。一方で、シャティーは震えながら、固唾を飲み込んでその塊を見つめていて、アイリスは驚いたり慄いたりしている様子も無く、真顔でそれを眺めていた。

 しかし、シルトは激情を露わにして、縛られたままアイリスに詰め寄った。

 

「どうするつもり? レミエルがああなったのには、あなたにも責任があるよ」

 

「それもそうだね。だから私は——」

 

 秀は、それに続くアイリスの言葉を、息を飲んで待った。もし、アイリスがレミエルを殺すようなら、秀は、この場でアイリスと決裂し、一人ででもレミエルのもとに向かうつもりでいる。しかし、かと言ってアイリスがレミエルを助けるのなら、秀はT.w.dに加入する必要が生じる可能性がある。

 

「私は、レミエルを助ける。今のあの姿は、レミエルの激情を受けて、活力ごと吸収した人の精神が集まって実体化してるだけ。なら、助けられる見込みはある!」

 

 アイリスは、口角を上げて言い切った。その笑みには、成功への確信が見て取れた。

 

「算段はあるんだな」

 

 秀は、アイリスを睨むように見ながら訊いた。それに対し、アイリスは、自信満々な表情で親指を立てた。そして、縛られているシルトを担ぐと、抵抗する彼女をよそに、秀に向き直って告げた。

 

「じゃ、私たち、応援呼ぶために一旦本部に戻るね。それで、秀、シャティー。もし、心の底から私たちの仲間になる気になったら、日が変わる時に、ユラの墓に来て」

 

 そして、アイリスは踵を返した。ところが、一歩進んだところで、彼女は首を秀とシャティーに向けた。

 

「言い忘れてたけど、私は『レミエルを助けるため』なんていう理由だけでT.w.dに入ることなんか認めないからね。今まで戦ってきてた仲間と、それまでの戦う理由を全て捨てるに相応しいワケがなきゃ、軽率に裏切ったと判断するから。それは私の一番嫌う行動だから、私が納得できなきゃ、その場で殺すからね」

 

 突き刺すような視線を向けながら、アイリスは告げた。アイリスの好き嫌いは別としても、秀は彼女の言に納得した。裏切れば、周りの環境は一変し、多くの人の信頼を失う。その覚悟無しに、レミエルを助けられるという一点のみで裏切れば、後悔は避けられない。その手の感情を抱えたまま戦場に出れば、すぐ死んでしまうだろう。

 

「分かった。覚悟が出来たらユラの墓だな」

 

「うん。シャティーは?」

 

「私も了解した。けど、私の肚はもう決まってるから」

 

 シャティーは、静かに告げた。彼女のアイリスの瞳を見る目は、全くぶれていなかった。シャティーのそのような態度に感心したのか、アイリスはフッと笑うと、エクスシアと共に、シルトを担ぎ、秀たちに背を向けて去っていった。秀には、不思議なことに、その背中がこの上なく頼もしく見えた。

 

        ***

 

 日が変わる二時間ほど前。宿舎の部屋で、秀はベッドに腰掛け、未だに悩んでいた。この時点で、秀はT.w.dに入ると決めていた。しかし、アイリスを納得させられるような強い理由が、どうしても見つからなかった。色々思いつくものの、どれも根拠としては不十分だった。

 今、テラ・ルビリ・アウロラ軍は瘴気の影響を免れた兵を集めて、レミエルの討伐隊を組織しているという話だ。このことも、秀を焦らせるもののひとつだった。

 秀は、ぼんやりと、ランプ替わりのランタンを見つめた。その油の残りは少なく、今すぐ油を注がないと消えてしまうくらいだった。秀が、気分転換も兼ねて、その油を足そうと立ち上がった時だった。シャティーが、勢いよくドアを開けて入ってきた。その瞬間、ランタンの火も消えた。

 

「覚悟は決めた? 私はもう裏切ると決めたし、その理由も見出せたけど」

 

 シャティーが問うた。秀には、彼女の顔が眩しいものに見えた気がした。それで、彼女の顔を直視できず、彼女から顔を背けて答えた。

 

「裏切ろうとは思う。だが、その確固たる根拠が見つからない」

 

 そう答えると、シャティーはため息をついた。そして、顔を背けている秀の両の頬を両手で挟み、無理やり顔を向けさせた。

 

「その根拠を求めた時、何を考えてたの?」

 

「レミエルや、世界のことだが……」

 

「じゃあ聞くけど、それは、秀が戦うと決めた、根底にある理由なの?」

 

 秀は、答えに窮した。それもそのはずで、思い返せば、それらは今、秀が戦う理由ではあるが、戦う理由の根底にあるわけではなかった。

 

「そうじゃないなら、そんなことは考えない方がいい。あなたのことなんだから、あなた自身のことを考えればいい」

 

 そう言うと、シャティーは秀を離し、背を向けた。

 

「待ってるから」

 

 シャティーはそう呟いて、部屋を後にした。そこで、秀はシャティーの後ろ姿を見て、彼女の天使の翼が、レミエルやエクスシアと同じように黒く染まりきっていることに気がついた。ドアが閉められると、部屋の外からの光が消え、部屋が真っ暗になった。

 

「俺の、戦うと決めた根拠か」

 

 秀は、青蘭学園にT.w.dが来るよりも更に前の、ジュリアの事件のことを考えた。ジュリアと戦うと決めたのは、彼女から逃げるのは、レミエルやカレンに申し訳ないと思ったからだった。

 

「あの時、俺は何を以ってあいつらに恥ずかしいと思い、逃げたくないと思ったんだっけ」

 

 秀は記憶を片っ端から掘り起こした結果、その感情の元が、秀の故郷の村のことであったことを思い出した。

 外界との関わりを絶って、異変に対する鬱憤を全て秀に押し付けて現実逃避する村民の姿と、ジュリアから逃げようとする様が、秀には重なって見えたのだった。

 

「だから、俺の願いはただひとつだったんだ。ティファールの言う通り、レミエルや世界のことなんて、考えるだけ無駄だったんだな」

 

 秀は暗闇の中で立ち上がると、真っ直ぐドアに向かい、ドアノブに手を掛けた。

 

「青蘭学園は退学だな」

 

 秀はドアを勢いよく開けた。ランプのほのかな明かりが、秀を暖かく照らす。

 秀は、自分の懐中時計を見た。まだまだ余裕はある。そこで、秀は、ユノに関して気になっていたことがあったのを思い出し、彼女の部屋に向かった。

 

        ***

 

 レミエルの発した瘴気の影響を受けたのは、その時野外にいた者のみだった。ユノたちはその時屋内にいたというから、その情報が誤りでなければ、彼女らは無事だ。

 秀は、ユノの部屋の前までいき、軽くノックをした。返事をしたユノがドアを開ける。彼女の姿からは、異変は感じられない。秀は胸をなでおろした。

 

「秀君? こんな時間にどうしたの?」

 

「ちょっと、話したいことがある」

 

「うん、いいよ。中に入ろうか」

 

 秀はユノに促されるままに部屋に入り、彼女とテーブルを挟んで椅子に座った。彼らを照らすのはランプの光だが、秀の部屋とは違い、五個はあった。シャティーに複製してもらったのだろうが、そのおかげで、部屋はだいぶ明るく感じられた。

 秀は、ユノの向こうにあるベッドに目を向けた。そこには、包帯に巻かれたあずさと思わしき人物が横たわっていた。

 

「あいつは椎名か?」

 

「うん。手当は済んでるんだけど、前の戦闘からずっと、目を覚まさないの。命に別状は無いみたいだけど」

 

 あずさの寝ている様に異常は無かった。呼気が荒いとか、そういうのもない。あご骨を砕かれたと聞いたが、手術の痕跡は見られない。魔法で治したのだろう。青の世界では全治半年になることもあると考えると、それをすぐ治せる魔法は、秀には恐ろしいものに思えた。

 秀は咳払いをして、一旦思考をリセットした。そして、予め用意していた話題をユノに振った。

 

「なあ、フォルテシモ。前に思ったんだが、お前、仕方ないから戦ってるんじゃないか?」

 

「どういうこと?」

 

 柔らかかったユノの表情は、一転して怪訝になった。その変化に、秀は少し慌てながらも説明をした。

 

「えっと、つまりだ。何かの信念の元に戦ってるんじゃなくて、T.w.dが攻めて来るから、仕方なしにそれに応戦しているだけなんじゃないかってことだ」

 

 すると、ユラは納得したように数回頷いた。そして、硬い表情で秀を見て告げた。

 

「違うよ。私は、あずさちゃんやシャティーちゃんを始めとした、友達のために戦ってる。出来るだけ、今のみんなと一緒にいたいから」

 

「そうか。それを聞いて安心した」

 

 秀はそれだけ言うと、立ち上がって椅子から立った。そして、おもむろに踵を返し、ドアに向いたその時だった。

 

「待って!」

 

 ユノが、突然大声で呼び止めた。

 

「シャティーちゃんも、さっき同じようなこと言って部屋を出たの。二人で一体何をするつもりなの!?」

 

 ユノの声は震えていた。恐らくは、泣いている。しかし、だからと言って、秀は本当のことを言うわけにはいかなかった。

 

「なんでもない。ティファールと話が被ったのは、単なる偶然だろう」

 

 秀は出来る限り平静を装って答えた。暫く返事が無かったので、秀は納得したと思い、再びドアに向かおうとした。しかし、後ろから急に肩を掴まれ、後ろを向かされた。そしてすぐ目に入ったのは、ユノの泣き顔だった。

 

「嘘。何も無かったら、シャティーちゃんの翼が黒くなったりしない」

 

「気付いてたのか、あいつの翼のこと」

 

「うん。遠目から見えただけだし、本人には言ってないけど」

 

 秀は焦っていた。シャティーが堕天していることが露呈していては、ごまかすのは至難の技となってしまった。

 

「ねえ、教えてよ。そんな気難しい顔してて、何も無いわけない」

 

 ユノが、普段の温和な雰囲気からは考えられないくらいの、鬼気迫る表情で秀に訊いてくる。秀がどう上手く返そうかと悩んでいると、あずさが寝ているベッドから、微かな物音が聞こえた。

 

「待ちなさいよ、ユノ」

 

 そのか細いあずさの声で、ユノの剣幕が収まった。そのまま、あずさはベッドから這い出ると、周囲の物を支えにしながら近づいてきた。

 

「隠し事してるってことはバレバレだけど、秀に口を割らせようったって時間の無駄よ。秀は変なところで頑固だから」

 

「いつから、起きていた?」

 

 秀は唖然としながら尋ねる。対し、あずさは壁にもたれて、一息ついて答えた。

 

「目が覚めたのは、あんたが入ってきた時ね。けど、だるかったし、あたしが入っちゃいけない話かなって思ったの。だからまだ気を失ってるフリしてた」

 

 言い終えると、あずさはユノの方に顔を向けた。

 

「ユノ、メルトと由唯を失って、神経質になるのは分かるわ。あたしだって、これ以上誰にもいなくなって欲しくないし、レミエルがまだ生きている秀を、羨ましく思ったりするもの」

 

「……」

 

「けれど、秀とシャティーが、あたしたちと別の道を歩もうとしていることと、それは違う話よ。秀たちが何をしようとしているか分かったところで、あたしたちにはどうしようもない。なら、秀とシャティーを信じて、送り出してあげるのが、友情ってものじゃないかしら」

 

 あずさの言葉に、ユノは秀から少し離れて、すっかり考え込んでしまった。あずさは困ったように頭を掻くと、再び秀の方に向いた。そして、気恥ずかしそうに髪の毛を弄りながら、口を開いた。

 

「その、ごめん。ずっと足引っ張ってばかりでさ。ジュリアの時も結構噛み付いちゃったし、戦闘の時も、ずっと役に立たなかったし。清々するでしょ、これで」

 

「そんな風に卑下するな。お前は、孤独だった俺に、友と過ごすことの楽しさを教えてくれた。椎名が戦闘が苦手というのは知ってるから、そのことについては不快に思ったりしていないさ」

 

 秀は自嘲気味に話すあずさに、出来るだけ優しい口調でそう言った。すると、あずさは頰を赤らめて、嬉しそうに呟いた。

 

「そっか。こんなあたしでも、秀の役に立てたんだ」

 

 あずさの紅潮した顔は、ランプの作る、淡い橙色の光の中でもよく映えた。彼女の声色や仕草が、一瞬だけレミエルと重なった。秀は、あずさの心の内が分かってしまった気がした。

 

「椎名」

 

「おっと待った。余計な気は回さないでね。あたしにもプライドってもんがあるんだから」

 

 あずさが、強い口調で秀の言葉を遮った。秀は、言葉を続ける代わりにあずさに微笑みかけた。すると、あずさは少しためらうような仕草を見せた。しかし、次の瞬間には、彼女は秀に抱きついていた。

 

「おいおい。プライドがあるんじゃなかったのか」

 

「いいの。あんたからじゃなくて、あたしからしてるんだし。それにこれは友達としてのハグだから」

 

 呆れたように言う秀に、あずさは心底嬉しそうに、弾んだ声で返した。しかし、次いで出た言葉は、寂しげな雰囲気を匂わせていた。

 

「いつか、絶対聞かせてよね。あんたのこれから取る行動の真意を」

 

「分かった。約束しよう」

 

 秀が即答すると、あずさは名残惜しそうに秀から離れた。すると、その瞬間を待っていたかのように、ユノがおもむろに歩み寄って来た。普段の柔和な雰囲気は微塵も感じさせない、先ほどの激情とも違う、真剣そのものの表情だった。

 

「私は、秀君とシャティーちゃんがどういうことをしようとしてるのか分からない。教えてくれないってことは、何かやましい事があるんだと思う」

 

 秀は息を呑んだ。そして、最悪の場合も想定して、制服のポケットに忍ばせてある、小型の亜空間格納庫に手を掛けた。

 

「でも、そうだっていうは確証は無い。だから、今この時は、私が一番信頼してる、あずさちゃんを信じて、あなた達を信じるよ」

 

 秀は、ユノの表情が少し和らいだ気がした。思わず、ポケットから手を出す。しかし、すぐにユノは表情を戻した。

 

「でも、秀君とシャティーちゃんが、間違ったことをしていると私が確信したら、その時は全力で止めるから」

 

「分かった。その時は、俺も全力で迎え撃とう」

 

 秀は、ひとまずこの場を切り抜けられたことに安心しながら、微笑んだ。

 それから、秀は軽く手を振りながら部屋を出た。あずさとユノが、別れの挨拶を背中に告げる。その声に棘はない。秀は、後ろめたさなどは微塵も感じてはいなかった。

 

        ***

 

 秀は、宿舎の裏口に向かってまっすぐ歩き出した。正門よりも、裏口の方が警備は手薄であり、更に、レミエルの瘴気により、外にいた兵士は全滅し、残った兵も討伐隊に回されているため、その手薄さに拍車がかかっている。

 途中、秀はカレンとセニア、そしてアインスの部屋にも寄ろうかと思ったが、やめた。カレンとセニアは、赤の世界に来てからというもの、秀がレミエルに付きっきりだったということもあって、かなり疎遠になってしまっていた。アインスには、レミエルを立ち直らせてくれたという恩もあるが、彼女の前で、己の考えを隠し通す自身が、秀には無かった。

 秀が裏口に着くと、そこで仏頂面のシャティーが腕を組んで待っていた。彼女は秀に気がつくと、おもむろに近寄って来た。そして、秀と見つめ合うと、シャティーは急に顔を崩して微笑んだ。

 

「その様子だと、答えは見つかったみたいね」

 

「お前が助言をくれたおかげだよ、ティファール」

 

「シャティーでいい。これから一緒に裏切る仲だし、ファミリーネームで呼ばれるのは他人行儀くさい」

 

 秀が、シャティーのその発言に呆気にとられていると、彼女は秀の手を引いた。

 

「アイリスが待ってる」

 

「分かってる。行こうか、シャティー」

 

 秀はシャティーの手を優しく払い、彼女に先んじて歩き出した。呆然としていたのか、少し遅れてシャティーも歩き出した。周囲を警戒しながら、特に苦も無くユラの墓に着いた。

 ユラの墓は、レミエルがユラの遺体を埋めたところに、彼女が盛り土をしてユラの遺剣を突き立てたものだ。レミエルが堕天したのは、ユラの死が強く関係している。激情に呑まれたレミエルを助けに行く出発地としては、相応しい場といえる。

 

「やあ、来てくれたんだね。いい目をしてる。こっちについたわけは、聞くまでもないか」

 

 墓にはもうアイリスたちは到着していた。総勢数十名のうち、アイリスとエクスシアの他にも、秀の知っている者がいた。

 

「カミュ! リナーシタ!」

 

 秀は、彼女らを見つけると、シャティーやアイリスの存在も忘れて、思わず駆け寄った。青蘭学園で自爆したはずのジャッジメンティスの足元から、カミュたちの方からも近寄ってくる。

 

「久しいな、秀」

 

 カミュはそう言うと、まるで母親が我が子にするように、秀を力強く抱擁した。

 

「や、止めてくれ。恥ずかしいじゃないか」

 

「そうですよ。愛弟子に味方として再開して喜ぶのはいいですけど、部下の前です。弁えてください」

 

 リーナが顔をしかめながら注意した。すると、カミュはすぐに抱擁を解いて、秀と向き合った。

 

「出立までまだ時間がある。何か聞きたいことがあれば聞いてくれ」

 

「じゃあいつつだ。ひとつは、達也のこと。ふたつ目は、どうして俺を敵対すると分かって鍛えたのか。みっつ目は白の世界の現状。よっつ目は、あのジャッジメンティスのことだ。そして最後に、今回の作戦について」

 

「分かった。まずひとつ目は——」

 

「カミュ、待った」

 

 アイリスが、硬い表情で宿舎の方を見つめながら、カミュの言葉を遮った。彼女の視線の先を見てみると、そこにはよく見知った人影があった。夜の闇に溶け込むような黒い統合軍の軍服を着た、白髪の少女——アインスがいた。

 秀は心臓を鷲掴みにされたような心地だった。アイリスやカミュはともかくとして、他のT.w.dの者には、秀とシャティーが降ったふりをしてアイリスや他の主力を討とうとした、と見られてもおかしくはない。

 見れば、アインスは秀を見て、何かを話し出そうとしていた。秀は咄嗟に、アインスが口を開くよりも先に、大声で話し始めた。

 

「エクスアウラ! 俺は今まで、目の前の難敵から逃げたくないという思いから、ずっと戦ってきた! だが、その思いの大元は、故郷の村の連中のように、異変から逃げ、俺にその全ての責任を押し付けたあいつらみたいに、なりたくないと思ったことだった」

 

 秀の口から、言葉が次々に出てくる。この場の全員が、耳を傾けているかは秀には分からなかったが、誰一人として口を開こうとしていなかったのは分かった。

 

「お前らの親玉が望むのは現状維持だ。それでは、あの村のような連中は蔓延り続けるだろう。俺みたいな思いをする人も、少なくならない。だがアイリスは世界を変える。俺のような経験をする人が減るかは知らん。だが、その可能性はある。俺は、その僅かな可能性に命を賭ける! その邪魔をするなら、かつての仲間だとしても、殺す!」

 

 秀は、清々した気持ちで言い放った。すると、アインスは間を置かずにシャティーの方に視線を向けた。

 

「シャティー、あなたはどうなの」

 

 唐突に話を振られ、シャティーは虚をつかれたようになっていた。しかし、すぐに一度咳払いをして、胸を張り、表情を引き締めた。

 

「私は、これまで戦ってきたのはなんとなくだった。攻めて来たから、やっつけようとした。ただそれだけだった」

 

 終始大声だった秀とは違い、シャティーは平常の声で、淡々と話している。

 

「あずさたちは理由じゃなかった。友達を守るのは当たり前で、それを理由にしちゃいけないと思った。それは今も同じ」

 

 シャティーは、一旦アインスからアイリスに視線を移した。その時の彼女の目は、何かを強く訴えているかのようだった。

 シャティーは、すぐにアインスに注目を戻した。そして紡ぐ言葉からは、決して大きくはないが、その端々から、シャティーの決意が伝わってきた。

 

「だけど、私はアイリスの語る言葉から、生まれて初めて大義を感じた。心を突き動かされた。だから、私はアイリスに仕える。アイリスにこの身命を捧げ、忠義を尽くすことを決めた!」

 

 T.w.dに加入する理由は、秀とは、全く異なっていた。しかし、それも確固たる信念であることは、疑いようもなかった。

 アインスは、暫く秀とシャティーを交互に眺めていたが、やがて背を向けて、宿舎の方に歩き出した。

 

「尾行した結果がこれとはね。友情に免じて、あなたたちのことは黙っておいてあげる」

 

 そう捨て台詞を残して、アインスは夜の闇に消えていった。完全にアインスの気配は無くなると、カミュは秀の正面に立って、話を切り出した。

 

「さっきの質問だが、達也さんだけじゃなく、他の青蘭島の人も無事だ。アイリス殿の野望の実現のためには、人心の掌握は不可欠だから、一般人を殺すのは道理にあっておらん」

 

 カミュは、アインスの来訪は全く気にしていないようだった。他のT.w.dの者たちも、アインスについて気にしている素ぶりはない。

 カミュはそのまま続ける。

 

「なぜ私が貴様を訓練したかというと、嬉しかったんだ。人間の訓練が出来たからな。たとえ敵になるとしても、人間を育成できるということが、貴様を訓練する原動力となった」

 

「話が見えん。どういうことだ?」

 

「それは私が答えましょう」

 

 秀の質問に、リーナが割って入った。彼女がカミュに目配せすると、カミュは首を縦に振った。それを確認したらしいリーナは、再び秀に向いて語り出した。

 

「これを話すと白の世界の現状も話すことになりますが、その前にジャッジメンティスのことについて答えましょう。青蘭学園で自爆したものは、元々不良品だったものを自爆用に使っただけです。今あなたが目にしているのは、そうでない良品ですよ。それに、ジャッジメンティスは私が駆るのが全てではありません」

 

「なるほどな。本題に移ってくれ」

 

 リーナは頷くと、急に拳を握りしめ、強く歯軋りをし始めた。

 

「あれは忘れもしない三年前。あの頃から、私たちの人生は転落していったのです」

 

        ***

 

 リーナ・リナーシタは、代々軍人の家に生まれ、その誇りと共に育ってきた。当時十五歳の彼女は、S=W=E(システム・ホワイト・エグマ)の士官学校の一年生だった。この頃、アンドロイドの研究が急激に進んで、その性能が飛躍的に発展していた。そんな中、ある戦闘用アンドロイドの性能テストの相手として、一年生の中で平均的な成績だったリーナが選ばれたのだった。

 

「将来肩を並べて、S=W=Eのために戦うのです。その実力の見極めも必要でしょう」

 

 この時は、リーナはまだアンドロイドに対して好意的であり、テストにも協力的だった。だが——。

 

「く、強い!」

 

 実戦テストにおいて、そのアンドロイドは、全てにおいてリーナを上回っていた。アンドロイドは、リーナよりも早く反応し、リーナがフェイントをかけても確実に看破し、リーナの攻撃をひとつひとつ潰していった。

 完敗だった。だが、テストが終わった直後のリーナの心情としては、心強い仲間を得ることになったという、期待だった。だが、テストを見ていた開発者の言葉によって、リーナは胸を焼かれるような思いを抱いた。

 

「あのような未熟者に手こずるとは。失敗作だな」

 

(なんだ、あの開発者は! 私に、テストの協力者として敬意を払いもせんとは! 私はモルモットじゃないのだぞ!)

 

 しかし、これは序の口であった。士官学校の一年目の終わりの頃に、教官であったカミュが姿を消し、同時期に、リーナの親族や、カミュすらも含めた軍人を中心とした、EGMAに対する反乱が起こった。これは鎮圧されたのだが、これを受けて、EGMAが軍からの追放の方針を打ち出したため、士官学校は廃校となってしまったのだ。これを機に、軍だけでなく警察からも人間は排斥され、S=W=Eの治安は、アンドロイドに委ねられることとなった。

 このことは、これまでS=W=Eを守ることを誇りとしてきた人の尊厳を、深く傷つけた。リーナとて当然例外でなく、件の実戦テストのこともあり、アンドロイドに対し激しい憎悪を抱くようになった。

 しかし、ちょうど同時期に、ジャッジメンティスと名付けられた、人が搭乗する大型機動兵器がロールアウトした。開発コンセプトからして、強力な戦闘用アンドロイドと、凡人でも対等に渡り合えるように、というものであるから、アンドロイドには無用の長物である。

 廃棄されるところだったのだが、先の反乱軍の残党である人間解放軍が、裏取引で何機かを入手した。そして、彼らは志願者にジャッジメンティスのパイロットとなるための訓練を施した。

 その訓練の指導に当たったのも、またカミュであった。彼女は反乱分子の一員で、そのためにリーナの前から姿を消しのだが、幸いにして、EGMAに反乱軍として認知されておらず、また生身で戦闘用アンドロイド以上の戦闘力を持っていたため、例外的にアンドロイドの指導教官としてEGMAに任命されていた。その立場を生かして、スパイも行なっていたのだった。しかし、職務とはいえ、目の敵にしているアンドロイドを養育することは、カミュにとってかなりのストレスだった。

 また、彼女の、ジャッジメンティスの搭乗者候補としての訓練生の中に、リーナはいた。アンドロイドに対し雪辱を晴らすため、一層の努力に励んだ。そのおかげで、人間解放軍随一のエースパイロットと相成ったのだった。

 

        ***

 

「それから、私たちはあなたが教官の元で訓練を終え、ジュリア殿と交戦していたあたりに、白の世界で行動を起こし、EGMAを掌握するに至りました。今では、S=W=Eの七割は、我々の勢力下に有ります」

 

 最後の部分は、リーナは誇らしげに語った。しかし、これでまた新たな疑問が生じた。

 

「待て、一度失敗を経験しているからって、その口ぶりからするに、あっさりEGMAを掌握できたように聞こえるんだが」

 

「ああ、あっさりできたぞ」

 

 あっけらかんと、カミュが答えた。彼女の言うことには、人間解放軍では、情報のやり取りではコンピュータを一切使わず、全て紙などで行なっているということだった。

 

「先の反乱の時にも名簿などは紙を使っていたのだが、作戦の際に連絡用に使用した、青の世界のトランシーバーの電波を察知されてしまったんだ。私の部隊のものは、たまたま壊れてしまっていて、私たちは難を逃れたのだが、かなり旧式でも電子機器はダメだったのだ。だから、すべて紙にしてしまえ、と思ってな」

 

「それが上手くいったのか」

 

「ああ。不気味なくらい上手くいった。だから、今でもS=W=Eにおける我々の勢力範囲においても警戒を怠っていない。EGMAがいかなる罠を仕掛けてきてもいいようにな」

 

 カミュが言い終えると、アイリスが、いつもの余裕の表情で近づいて来た。

 

「話は終わった? 作戦の話に移ってもいいかな」

 

 秀とカミュ、リーナ、そして側で話を聞いていたシャティーが同意すると、アイリスは全員を集めて話し出した。

 

「まず、あのレミエルだけど、分析の結果、あの塊はレミエルの感情が、魔術によって具現化したものだと分かった。だから、心の壁みたいなものだよ」

 

 アイリスは、ホログラムで地図を表示すると、アウロラ神殿跡を表す光点を取り囲むように、味方を表す光点を並べていった。

 

「カミュの部隊の役目は、レミエルの包囲。と言っても、その目的はテラ・ルビリ・アウロラ軍の妨害。レミエルの籍はこちらに移したから、停戦協定を盾にして、私たちがレミエルを助ける時間を稼いで欲しい」

 

「了解。皆、準備を始めろ」

 

 カミュが命令すると、彼女の部下がそそくさと準備を始めた。秀らを除いた全員が動いたところを見ると、どうやら、アイリスは人間解放軍のメンバーのみを連れて来たようだ。彼女らをよそに、アイリスは残った秀とシャティー、エクスシアに説明を再開した。

 

「私たちは、レミエルに突入する。これはあくまで憶測だけど、レミエルが心を許しているなら、あの中に入れると思うんだ。さっきも言ったけど、あれはレミエルの感情が魔術で具現化したものだと、思われるからね。それで、中に入って何処かにいるレミエルの本体を見つけ出して、救出する。これが私たちの役目だよ」

 

 アイリスの案は、大博打としか言い用がなかった。しかし、秀にはそれ以外にレミエルを救出する案があるとも思えない。だから、秀は何も言わなかった。同じ考えなのか、シャティーとエクスシアも口を開かなかった。

 

「疑問や異論はない? なかったら、準備が出来次第出発するよ。レミエルを救い、この世界の世界水晶を守り、そして私たちの大望を果たすため、皆、その勇気を奮ってほしい」

 

 アイリスの言葉に、鬨の声が上がる。その中に、秀とシャティーの声も混じっていた。秀は、思わず声を出してしまっていたのだ。そして、これが人の元で戦う感覚なのかと、秀は知らないうちに身震いしていた。

 

        ***

 

 アルバディーナは、T.w.dの宿舎の自室の周りに気配を消す結界を張った。これからすることは、絶対に他人に知られてはならぬことであった。

 部屋の床一面に、自らの血で魔法陣を描き、ある女性の、金色の髪の毛を一本中心に置いた。そこまで進めて、アルバディーナは躊躇した。これから行うのは降霊魔法だ。しかも、その対象は、すでに冥府に旅立った霊である。

 地縛霊を対象とした降霊魔法でさえ、ダークネス・エンブレイスの魔術師の間では禁忌とされている。ましてやこの世に無い霊を呼び出そうというのである。これを行うが知られれば、T.w.dに所属している魔術師の信頼を失いかねない。しかし、アルバディーナはやらねばならなかった。

 深く深呼吸をし、魔術の詠唱を始める。降霊魔法は非常に高度な魔術である。それだけ体力の消耗も激しい。アルバディーナが詠唱を終えた時、彼女は床に手をつき、脂汗を垂れ流し、喉はカラカラに乾き、息は相当荒くなっていた。

 

「あら、誰かと思えば。もうこの世に未練の無い霊を呼び出すなんて。随分と無粋な真似をするようになったのね、アルバディーナ」

 

 懐かしい声をかけられ、アルバディーナは顔を上げる。霊であるためか、体は透けて見えるが、その人形のように端正な容姿を、アルバディーナは見間違えようもなかった。

 

「相談したいことが有るの。聞いてくれる、ジュリア」

 

「その様子だと、よっぽど参ってるみたいね。いいわ。聞いてあげる」

 

 アルバディーナの、弱々しい言葉に、ジュリアは生前と変わらぬ様で微笑む。その様は、やはり人形のように優美なのだった。


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