Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

23 / 38
世界の真実! 打つべき敵は七女神!

 赤の世界と、T.w.dとの間に休戦協定が結ばれてから、二日が経った。休戦期間は五十日間。戦闘開始から数時間で休戦という異例の事態ではあったが、劣勢だった赤の世界としてはこれを受け入れ、体制を整えることが最善の選択だった。

 住民に出されていた疎開令は一時的に解除され、住民はしばらくの間自由に行動することを許された。しかし、秀、レミエル、ユノの三人は、先の戦闘で、敵戦力が来る前に戻らなかった、ということで謹慎処分を受け、外に自由に出歩けない状態にあった。とはいえ、宿舎の中ならば自由に行動できるため、そこまでの不自由は無かった。

 ただ宿舎の中にいても、することが無いので、謹慎生活一日目は、秀とレミエルはあずさの見舞いに行ったり、二人で部屋の中で愛を深めたりしていた。

 そしてこの日、部屋の中に秀とレミエルで二人きりの時だった。ベッドに腰掛けている秀は、前日に聞けなかったことについて、すぐ隣にいるレミエルに尋ねた。

 

「なあ、レミエル。堕天って、何だ?」

 

 今のレミエルの姿は、顔立ちや髪型、肌の色こそ秀の知るものと変わらない。しかし、青の右目は赤くなり、右肩から伸びる翼は真っ黒になっている。更に紫の装束は血のように赤黒くなり、そして何より、左目と左の翼は、閻浮檀金の話に伝え聞くような、紫を帯びた赤っぽい金色となり、背中には、いつも持っていた杖の環状の部分が、六本の剣に囲まれて浮いている。レミエル曰く、この剣の実体化のオンオフは自由にできるとのこと。

 それに、秀はレミエルの落ち着きぶりにも違和感を感じていた。以前のレミエルなら、ユラを失った悲しみに耽り、ずっと落ち込んでいたはずだった。しかし今は、かなり落ち着いていて、時折笑顔さえ見せる。秀はこれを、レミエルが成長したか、堕天による影響か、はたまた両方か、どのように取ればいいのか分からなかった。

 

「やっぱり、気になりますよね。この姿を見れば」

 

 そう言って、レミエルは躊躇無く語り出した。まず堕天とは、広義には、赤の世界の住人が赤の世界の理から外れることを言うのだという。その中でも、堕天した天使のことを特に堕天使という。

 

「理から外れるというのは、赤の世界に張られてる結界の影響を受けなくなるのです。ですから、七女神による精神への干渉も受けませんし、また祈りを介さずに私の力全てを発揮できます。私が戦闘を終えたあとも、ずっとこの光の翼があるのはそういうことです」

 

「それなら、良いことづくめじゃないか」

 

 秀は単純に思ったことを口にしたが、レミエルは悲しそうに目を伏せた。

 

「確かに、堕天することで、そのようなメリットもあります。だけど、堕天使は赤の世界の社会では生きていけません。堕天することは、最大の悪徳だと、七女神に刷り込まれているからです」

 

 秀は言葉を失った。この状況において、それは赤の世界の人々に信用されないままT.w.dと戦わねばならないことを意味する。守るものから信頼されずに戦うということは、かなりの苦痛のはずだ。

 

「でも、私は後悔してませんよ。堕天して、色々分かったこともありますから」

 

 レミエルは晴れ晴れとした表情で言った。秀はそれに驚き、困惑した。あまりにも、今のレミエルは今までの彼女とは違っていた。無理をして明るく振舞っている様子も無かった。

 

「じゃあ、次は堕天する方法についてですが……」

 

 惑っている秀を余所に、レミエルは話し始めた。彼女曰く、堕天する方法については、みっつある。ひとつには、赤の世界に反逆するような行動を、堂々と行った時。ふたつ目は、祈りによって、あまりにも巨大な力を得ようとした時。みっつ目は、堕天使の子として生まれること。レミエルはふたつ目の方法で、エクスシアは恐らくひとつ目の方法で堕天したとのことだ。

 

「エクスシアが?」

 

 秀は喫驚した。秀が最後に見たエクスシアは、堕天などしていなかった。それに、赤の世界に反逆するような人物にも見えなかった。

 レミエルは頷くと、顔を上げて天井を見つめながら言った。

 

「でもあの子が堕天していたのは事実です。何があったか、聞けるといいのですけど」

 

 レミエルがそう言い終えてから、お互いに口を開かなくなってしまった。秀としては、何を言えばいいのか分からない、ということだった。レミエルについては、話すことがなくなったから、と秀は捉えていた。

 そのような空気の中にいるのは苦痛であったので、雰囲気を変えようと、秀はレミエルを抱き寄せた。レミエルは拒まず、秀に身を任せてきた。そのまま、秀は目を閉じてレミエルに口付けをしようとした。しかし、その直前に、すぐ近くにふと妙な気配を感じた。それで、キスすることを止めて、顔を横に向けると——。

 

「やっほー」

 

 顔の右側を包帯で覆った、毒気の全く無い、明るい笑顔の銀髪の少女がいた。その少女と見つめ合うこと数秒。秀は思わず飛びのいて、彼女を指差して喚いた。

 

「だ、誰だお前は!?」

 

「んー? 見覚えないかなあ。あっ秀は覚えてないかもね。でもレミエルは覚えてるんじゃない?」

 

 その少女は飄々とした感じで言った。言われて、秀はこのような風貌をした少女を、先の戦闘で見たことを思い出した。レミエルに追われていた、あの銀髪の少女だ。そして、その名は。

 

「アイリス」

 

 レミエルは、はっとした風に言った。アイリスはふっと微笑すると、部屋の机に腰掛けて、足を投げ出した。

 

「よく名前までわかったね。あの時が初対面で、名乗ってなかったのに」

 

「声でわかります。あなたの声だけは、何度か聞いていたから」

 

 レミエルと会話しているうちに、少女——アイリスが、段々と眉間にしわを寄せていた。理由は明白だった。秀から見ても、レミエルに異常さを感じることを禁じえなかった。

 

「ねえ、気になるんだけど」

 

 アイリスが怪訝な表情で切り出した。彼女の目を、レミエルは真っ直ぐに見つめている。

 

「私はユラの——ううん、それだけじゃない。T.w.dの頭として、鶴谷由唯や、メルト、それにガブリエラの仇でしょ。どうして君は、そんなに落ち着いていられるの?」

 

 そのアイリスの言葉に、秀は思わず頷いていた。それは秀も感じていたことで、レミエルに感じていた異常の原因だった。T.w.d総統であり、仲間たちの仇。そのような彼女を前にして、平気でいられるレミエルの精神が理解できなかった。

 秀の動揺をよそに、レミエルは微笑を浮かべて答えた。

 

「わかりませんよ。この瞬間にも、私はあなたを殺す算段を、頭の中でしているかもしれない」

 

「見え透いた嘘はつくもんじゃないよ。そんな顔もしてないし、心拍数もいたって平常じゃない」

 

 レミエルは、参りましたと舌を出した。そして、アイリスを真っ直ぐに見据えて、一度深呼吸をしてから口を開いた。

 

「憎しみが無いとはいいません。でも、怒ることも、悲しむことも、もう十分にしましたから。あとは、ユラを始めとした、亡くなった人の冥福を祈り、前に進むだけです」

 

 秀はレミエルの言葉に息を呑み、そして感動していた。秀の知らない間に、レミエルは立派に成長していたのだ。恐らく、ガブリエラの死と、ユラとの不和と死別が、短い間隔で起きたゆえのことだろう。秀はそう判断した。

 

「それよりも、アイリス、あなたがここに来た目的は何です? 私たちを殺すためではないでしょう?」

 

 アイリスは、レミエルの問いに頷いた。しかし、その後アイリスは急に部屋のドアに向いて、少し大きめの声で、誰かに呼びかけるように言った。

 

「そこでコソコソ聞いてるの、出て来なよ。話を聞きたいなら私に姿を見せなさいよ」

 

 ややあって、入室してきた人物はシャティーであった。ばつの悪い顔をしながらも、その目はアイリスを睨んでいる。

 

「まあまあ落ち着きなよ。それに、赤の世界の天使なら、ぜひ聞いて欲しい話だしね」

 

 シャティーの眉がぴくりと動いた。アイリスはにやりと笑い、レミエル、シャティー、秀の顔を順に見つめると、大きく息を吸って告げた。

 

「君たち、T.w.dに入らないかい?」

 

 秀は、空気が静止したような錯覚に襲われた。アイリスから殺気が殆ど感じられなかった時点で何かおかしいとは思っていたが、ここまでおかしなことを言ってくるとは思いもよらなかった。

 

「そのことにあたって、赤の世界について聞いてほしいことがあるけど、私じゃない子に話してもらうから、その子が来るまでちょっと待っててね」

 

 アイリスはそう言うと、息を吐いて、秀たち三人の視線が交わる位置に、雑にあぐらをかいた。そして手をパンっと鳴らして、両腕を広げてみせた。まるで空気が読めていない。

 

「さあ! 例の子が来るまで質問タイム! 聞きたいことあれば遠慮なく聞いてね!」

 

 しかし誰も声を出すことはなかった。秀とレミエル、シャティーは三人とも口をアングリと開けている。対し、アイリスは両腕を広げたまま動かなかった。

 しばらくして、ようやく自己を取り戻した秀が、意を決して訊いた。

 

「聞きたいことがある。お前と、T.w.dの目的は、人間への復讐と、世界の破壊なのか?」

 

「まあ確かに、T.w.dの表向きの目的はそうだよ。でも、私の目的は違う。私の目標は世界の破壊の先にある。人間への復讐については、人間への憎しみはあるけど、復讐するほどのものじゃない」

 

 秀は「そうか」と呟いた。もしもアイリスの目的も、人間への復讐と世界の破壊で止まるのであれば、秀は問答無用でアイリスの誘いを断るつもりだった。だがその先があるというのなら、アイリスの話に耳を傾ける価値もある。

 秀が横にいるレミエルとシャティーに目配せすると、二人とも頷いた。二人が質問するのはアイリスの話を聞いてからにするようだ。

 

「ならアイリス。その目的とはなんだ?」

 

「世界を造り直す。この五世界の、曲がったこともそうでないことも全て無に帰して、再びやり直すのさ」

 

「それは七女神のしたことと、どう違うんだ」

 

 秀は、即答したアイリスに間髪入れずに問うた。アイリスはニッと笑うと、立ち上がって、胸を張りさも自信ありげに答えた。

 

「七女神は己の保身しか考えていない。だけど私は違う。私が、世界を牽引する! やり直した世界で道標そのものになるんだ!」

 

 アイリスの口から紡がれる言葉は、正しく野心そのものだ。しかし、彼女の猛り、姿勢、覇気が、悪とは感じさせなかった。秀には、アイリスの若さゆえか、それらのことが一層強く感じられた。どう見ても秀と同年代のこの少女が、T.w.dという一大武装組織の総統として君臨していることにも納得がいった。

 そして、秀はアイリスと戦う意義を見失い始めていた。秀が戦う理由は、世界を守るためであった。しかし、アイリスは世界を造り直すと言った。そのことで、世界、ひいては国々に脈々と流れる血液の如き誇りと文化は、果たして失われるのだろうか。秀は、すっかり分からなくなってしまった。

 とはいえ、聞きたいことは山ほどある。秀は、その問題は後回しにすることにした。

 

「牽引すると言ったが、どういう方向に引っ張っていくつもりだ?」

 

「その前に、今世界で起きていることについて話そうか」

 

 秀は頷いた。青の世界のことでさえ、秀は生まれた村と青蘭島以外の世界を知らない。ましてや他の世界などなおさらだ。またこれを聞くことによって、先の問題の解決の糸口も掴めるかもしれない。そのように考えると、ここでアイリスの話を聞いておいて損はないと思えた。

 

「まず、赤の世界については例の子に話してもらうとして、各世界の情勢について語ろうか」

 

 アイリスの言うことには、黒の世界ではT.w.dに対抗するために軍隊を組織し、その訓練を行っている最中であり、緑の世界では、先日の青蘭島での戦闘での損失を受けて、軍の再編成と、青の世界に対する政策の見直しをしているとのことだ。そして、青の世界では。

 

「とりあえず、日本も含めて世界の国々は私たちを様子見するようだよ。青蘭島は私たちが占領していることになってる。世界的な思想的な動きとしては、プログレスやαドライバーの排斥運動の気運が高まっているね」

 

 秀は唾を飲んだ。もしアイリスの言ったことが本当なら、秀たちはT.w.dを打ち破って帰還しても、青の世界で四面楚歌の状態になってしまう。そうなった時、秀は己の行いが正義であると確信できるとは思えなかった。

 アイリスは、秀を一瞬だけ見つめると、言葉を続けた。

 

「理由としては、各国が多額を投じた、プログレスとαドライバー、及び異変の研究が、全く成果を上げなかったことが一番のようだよ」

 

「成果を上げていない? どういうことだ?」

 

 気づいた時には、秀はアイリスに詰め寄っていた。

 

「順調に成果を上げていると、学園では常々……」

 

 秀はそこまで言って、ジュリアの言っていたことを思い出した。

 

——彼女らの大半が、異変解決に本気になってないってことを悟って——

 

 当時は、秀が聞きたかったことと、その発言の後に、ジュリアが口にしたT.w.dのことで頭がいっぱいになって、たわいもないこととして忘れてしまっていた。だが、今から思い返せば、ジュリアがかなり重要なことを語っていたということに気付いた。

 

「そうか、一部の人は、気付いてたんだな」

 

「うん。更に、青蘭島はプログレスのための島として造られた。入ってくる情報はプログレスに聞こえのいい情報しかないし、異変の影響も九割方はカットできるように、あの島は設計されている。これに関しては、他の世界の知恵とかも借りたようだけど」

 

 だから、青蘭島に住んでいると、あたかも異変は順調に解決されているように思える——アイリスは、秀を哀れむような目で見つめてそう言った。

 この時点で、秀の心はほとんど完全にアイリスに傾いていた。もし、これから語られるであろうアイリスの方針に正義があれば、T.w.dに入ると言うつもりだった。

 

「だから、ヘイトの対象になっていた青蘭学園を攻撃したわけよ。一番の目的は世界水晶だったけど。……まあ、世界の情勢はこんなとこかな。次は方針ね」

 

 アイリス曰く、まず、現在製造の準備を始めている、方舟なるものに人々を乗せ、いつつの世界をひとつに造り直す。そして、何も人工物の無い新たな世界で、また再出発をさせるとのことだ。

 

「流石に原始時代からやり直せって言うつもりは無いから、重機とかは持ち込むつもりだよ。造り直した後でも石油なんかは出るみたいだから燃料には困らないはず。別に最初っからやり方が間違っているなんて思ってないから、青の世界程度のテクノロジーの産物は、バンバン使っていくつもりだよ。白の世界は大失敗してるとこだからあまり使わないけどね」

 

「じゃあ、お前はどこから手を加えるつもりなんだ?」

 

「大きな国が形成されて、教育機関が出来始めた頃かな」

 

 それからアイリスが言うことには、所謂愛国心を育み、国を作った時の精神を忘れないような教育をする教師を育成する環境を作るとのことだ。更に、自然に対して謙虚になるようにもしたいのだという。

 

「前者については、せっかく世界や国を造り直しても、世代が変わるにつれその時の精神を忘れて腐敗したら意味が無いからね。秀の世界だと、中国の歴史なんか知ってるとよくわかるんじゃない?」

 

 秀は頷いた。しかし、納得したのは前者の方で、後者の方には疑問があった。アイリスが、青の世界でよく言われた、資源の無駄遣いとか、地球温暖化がどうこうとか言うつもりならば、石油を掘り出してテクノロジーを多用するなど言うはずがない。

 秀がそう言った感じで思考を巡らせていると、アイリスは秀の考えを見透かしたように言った。

 

「後者に関しては、君の世界でよく言われることじゃなくて、完全に私の私情がらみなんだけどね。今までの話は、あくまで私が、ああしたいこうしたいっていうだけ。これからT.w.dの方で議会を作るつもりなんだ。そこで、組織全体で造り直すって方針になったら、みんなの意見を取り入れて、より良いものにする予定」

 

 アイリスは一息つくと、秀たち三人の顔を見回し、再び座って尋ねた。

 

「私が造り直す世界の話は終わったけど、もう聞くことはない?」

 

 秀には先の話題とは違うことで、訊きたいことがふたつあった。しかし、ひとつは些末なことなので、訊こうかどうか迷ったが、結局両方訊くことにした。

 

「ふたつある。ひとつ目は、なぜ武力を用いる必要があった? 言論のみじゃダメだったのか?」

 

 秀が尋ねると、アイリスはわざとらしくため息をついた。続けて、アイリスは秀を小馬鹿にしたように答えた。

 

「武力が後ろになかったら、誰も私の言うことなんか聞かないでしょ? ただの頭おかしいことをぬかすヤツって思われるだけだよ」

 

 そう言われて、秀はイラっとしたが、よく考えてみればその通りなので、納得することにした。そして、もうひとつの、些末な方のことを尋ねた。

 

「次だ。俺を虐待していた連中の行方は分かるか?」

 

「恨みを晴らそうってわけね。でもそれは無理だ」

 

 アイリスは秀を慮ってか、目を伏せて秀の問いに答えた。

 

「彼らの村は、異変によると思われる突発的なマグマの噴出で消滅してしまったんだ。復讐するつもりだったのなら、残念だったね」

 

「いや、いい。因果応報だと思うさ。それより、村が消滅するような出来事なら、多分村の者は全滅だろう。あそこは外界との接触を絶っていたから、弔いすらされていないはずだ」

 

 アイリスは、秀の言うことがピンと来ないらしく、可愛らしく小首を傾げていた。先程とは打って変わった少女らしい仕草に、秀は苦笑すると、自分の目線をアイリスの目線に合わせて、少しゆっくりめに告げた。

 

「あいつらの墓を作ってやってくれないか? 俺を虐待していた村とはいえ、あそこは俺の故郷で、あいつらはそこの住人だ。今生きている最後のあの村の出身者として、あの連中を弔う義務がある」

 

 アイリスはポカンとしていたが、やがて納得したように何度か頷いた。

 

「なるほど、君の言うことは至極もっともだ。そのように手配しておくよ」

 

 秀は、このアイリスという少女を、概ね理解できたかもしれないと感じた。性格は、一概に良いとは言えない。基本やや傲慢な態度で、自信家で、空気が読めない等の粗はある。しかし、それらの点は、まとめて超然としているとも言える。組織のリーダーとして、重要な要素となりうる。また、先程の話題で、彼女が、秀が復讐すると真っ先に思ったあたり、心が歪んでしまっているのかもしれない。

 

(もしT.w.dに入ることになったら、俺はこいつの指示を仰ぐことになるのか)

 

 しかし、それは悪い気はしなかった。むしろ、それもありか、と思った。その気になれば、命も預けられるとさえ思った。

 秀は、これ以上質問する気はないという趣旨を伝えようと、アイリスの名を呼びかけた。しかし、ちょうどその時、部屋の戸が大きな音を立てて開けられた。そして入ってきたのは、目を虚ろにし、黒翼を両肩から生やした、エクスシアであった。

 この時、秀はレミエルを一瞥した。レミエルは唖然としていたが、その彼女の口角は微妙につり上がっていた。

 

「エクス。私、何となくだけど、あなたの堕天した真意とかが、分かった気がしたよ」

 

 レミエルは、開口一番にそう言った。しかし、エクスシアは戸を閉めると、険しい目でレミエルを見つめながら、低めの声で告げた。

 

「堕天してから、この世界をこの部屋から見ていないあなたには、赤の世界の狂気の表面すら見えていませんよ」

 

 秀は息を呑んだ。これがエクスシアかと。初対面の時とは、まるで別人だ。エクスシアから発せられる、背筋が凍るような威圧感は、秀に恐怖を抱かせるには十分すぎた。

 秀の心中をよそに、エクスシアは語り出した。それは追憶の話。秀の知らない、レミエルと、エクスシアと、ユラが、互いに机を並べていた時の——。

 

        ***

 

 その日、エクスシアやユラが通ってた学校に、新たに共に勉学に励む仲間として編入されたのは、レミエルという名の、小汚い服を着た片翼の天使だった。教師に自己紹介を促されても、ただただ戸惑うばかりで、結局教師が代わりに紹介したのだった。その時のレミエルの様子は、完全に他人に怯えていた。恥ずかしいからとかそういうことではなく、本能的なものに近かった。

 その後、エクスシアはユラと共に、ガブリエラに呼び出された。そして、ガブリエラは無表情に告げた。

 

「二人には、レミエルと仲良くして欲しい。これは七女神の名の下に下された命だ」

 

 エクスシアとユラは、何の疑いもなく承諾した。七女神の言うことは絶対であった。それが例えどんなことであろうと、それが赤の世界の正義であった。

 また、エクスシアは、当時は明るく溌剌とした性格で、また困っていそうな人を放っておけない性分だった。そのおかげで、ガブリエラにわざわざ言われなくても、いつも困っている感じがするレミエルと、親密になりたいと考えていたのだ。

 その次の日にレミエルの背中を見た直後に、エクスシアは彼女に話しかけた。

 

「私、エクスシアっていうんです。親しい人はみんなエクスって呼んでるから、貴方もエクスって呼んでください!」

 

 急に話しかけられたレミエルは、怯えて固まっていた。そのような彼女の手を取って、エクスシアは微笑みかけた。爽やかな笑顔で話しかければ、敵意は無いと思わせられるだろうという考えからのことだった。

 

「友達になりましょうって、言ってるんですよ」

 

「友達に?」

 

「はい。友達です!」

 

 レミエルは戸惑っていた。しかし、ややあって、満面の笑顔で頷いた。その時の、レミエルの煌々とした笑顔を、エクスシアは失いたくないと思った。己の目の届く限り、守り続けたいと願った。

 その日のうちに、ユラともレミエルは友達となった。それから始まった、新しい日々。エクスシアは、出来るだけレミエルの側にいるようにした。命令のことが念頭にあるからではなくて、彼女のことが気に入っていたから。三人で、いつまでも仲良くやれたらいいな、と、エクスシアは子供心に思っていた。しかし、それはある出来事を発端に、エクスシアの中から崩れ去った。

 ある日、エクスシアが学校で用事を頼まれて、一旦レミエルから離れた。戻ってくる頃にはレミエルは教室にいなかった。帰ったのだろうと思って、エクスシアも帰ろうと考えた時だった。微かに悲鳴が聞こえた。その悲鳴は聞き間違えようもなくレミエルのものだった。

 エクスシアは、悲鳴の聞こえた方向に走った。猛烈に嫌な予感がしていた。ゴキブリを見た、程度のものであって欲しかった。しかし、現場に着いたエクスシアが見たのは、五、六人の、クラスメイトの女神見習いや天使からリンチされている、レミエルの姿だった。

 

「レミ——!?」

 

 エクスシアがその名を叫ぼうとすると、突然背後から腕を引っ張られ、口を押さえられた。

 

「やめなさいエクス。これは七女神様の意志なんだ」

 

 聞き慣れた声にハッとなって振り返ると、そこにいたのは、小さい子をあやすような微笑を浮かべたユラだった。

 

「何を、言ってるんですか。こんなのが正義だとでも言うんですか」

 

「七女神様の意志は常に正義じゃないか」

 

 ユラは、何を言ってるんだ、という感じで、呆れたように言った。エクスシアは信じられなかった。そして、赤の世界の本当の姿の、片鱗を見た気がした。七女神が愛を与えて、この世界が平和なのではない。七女神が争いを起こすなと言うから、平和なのだ。この世界の住人は、殆どが七女神の意志に従っているだけで、自分の意志で動いているのはほんの僅かだろう。つまり、生ける屍ばかりだということだ。

 エクスシアはユラを振り払うと、エクスシアの家に代々受け継がれてきたハンマー、ヘカトンケイルを手にした。そして、レミエルをリンチしている者らに向かって疾走した。

 

「レミエルから離れなさい! この不埒者!」

 

 レミエルを取り囲んでいた者らの視線が、エクスシアに向いた。その瞬間に、エクスシアはヘカトンケイルで彼女らのうちの一人を殴打しようとした。しかし、その直前に、

 

「やめんか汝ら!」

 

 凛とした怒号。その場の全員の視線が声の主——ガブリエラに注目した。

 

「即刻散れ。ユラはレミエルを頼む。エクスシアは、私と来い」

 

 ガブリエラは早口気味に告げると、エクスシアの腕を強引に引っ張った。エクスシアは躓きそうになりながらも、ガブリエラに従った。ちらりと振り向くと、何事もなかったかのように去っていく皆の姿があった。ただ、ユラに連れられているレミエルだけは、疲れ切った表情で俯いていた。

 

        ***

 

 エクスシアが、四方を壁で囲まれた空き部屋に通されると、ガブリエラはすぐさま鍵を閉め、エクスシアを見つめた。深刻に思い詰めたような表情で、口が開きかかっては閉じて、というのを繰り返していた。しかし、やがて意を決したようにエクスシアの肩を持つと、小声で切り出した。

 

「汝は、堕天する覚悟は有るか?」

 

 唐突な問いに、エクスシアは少し考え込んだ。堕天するということは、赤の世界の社会で肩身を狭くして生活しなければならなくなる。しかし、赤の世界に失望したばかりのエクスシアにとって、それはどうでも良いことだった。

 

「構いません。レミエルを守れるのなら」

 

「ならば、七女神に反逆し、誅殺することはできるか?」

 

「当然です!」

 

 続けられたガブリエラの問いに、エクスシアは即答した。すると、ガブリエラは手を離し、一瞬だけ表情を和らげた。しかしすぐに、顔を引き締め直した。

 

「レミエルのあの境遇の原因は、彼奴が誕生した時の予言で、『赤の世界に災厄が訪れるとき、ふたつの強大な力がひとつになって超新星の輝きを灯す』というものがあったからなんだ」

 

 ガブリエラは、少し俯きがちになって続けた。

 

「我は、その予言について、七女神に助言を頼んだ。そうしたら、七女神は『父母に虐待させ、学校で仮初めの友人と、彼女を脅かす脅威を作ればよろしい。さすれば彼女は自信を無くし、強大な力とやらも発現しない』ということを、我の提案として、天使どもに伝えよと言ったのだ」

 

 エクスシアは、拳を強く握り締めた。そのような提案をするということは、やはり七女神は悪玉だったのだ。彼女らに激しい怒りを覚えると同時に、自分の正義が正しかったという優越感も感じた。

 

「情けないことに、当時はそれが正しいと信じていた。だが、レミエルを学校に入れる段階で気づいたのだ。七女神だけでなく、レミエルへの虐待をよしとするこの世界はおかしいのだと。だから、レミエルについての予言の認識を訂正するよう、何度も上奏した。だが、七女神は聞く耳を持たなかった。だから、我は反逆することを心に決めたのだ」

 

「だったらすぐやりましょう!」

 

「今はダメだ」

 

 逸るエクスシアを、ガブリエラは制止した。エクスシアは、その理由を問い詰めようとしたが、ガブリエラが先に口を開いた。

 

「今反逆すれば、我々は堕天使の烙印を押される。そうなれば、我々は社会から追放され、レミエルを守るものがいなくなる」

 

「ユラがいるじゃないですか。あの子は、今は七女神を信じていますけど、話せばきっと」

 

 エクスシアの反論に、ガブリエラは首を横に振った。

 

「彼奴は見習いとはいえ女神だ。七女神への信心を覆すことはできない」

 

 それからガブリエラの言うことには、この世界において、女神という種族は元々七女神しかおらず、世界を造り直した際、住人がまた反乱を起こさぬよう、至る所に配置された七女神の分身が、七女神以外の女神だとのことだ。当の女神には七女神の分身という意識は無いが、彼女らの精神は七女神と繋がっており、七女神の忠実な手下となっているという。

 

「それじゃあ、ユラも敵ですか」

 

 ガブリエラは、表情をこわばらせて頷いた。この瞬間、エクスシアは人生を賭して遂行すべきことを心に決めた。七女神を一掃し、この世界を救うと。

 

「分かりました。話を元に戻すと、今は雌伏の時だというのですね」

 

「その通りだ。それと、ついさっき、我はレミエルを連れて、青の世界——青蘭学園に向かうことを上奏し、承諾された。表向きの理由は、更に効率よくレミエルの力を封じ込めるためだが、真の理由は、そこでレミエルの力を覚醒させることにある」

 

「私はどうしましょう」

 

「これまで通りの自分を演じながら、情報収集をしてもらいたい。ある程度の独断行動も許すが、目立つ行為は避けよ。決起の時は、我とレミエルが青蘭学園から帰還した時だ」

 

 エクスシアは、大きくかぶりを振って頷いた。蛮勇しか持ち合わせていないエクスシアには、ガブリエラの指示に従うのが最上に思えた。

 不意に、ガブリエラが手を差し出した。エクスシアを見つめる彼女の目からは、剛直な意志がありありと感じられた。

 

「絶対に、成し遂げるぞ」

 

「はい、ガブリエラ様」

 

 ガブリエラが差し出した手を、エクスシアは強く握った。この時、エクスシアの肚の中では、憤怒と正義の、ふたつの炎が激越に燃え盛っていた。

 

        ***

 

「それから私は、ガブリエラ様が去った後、独断でT.w.dと接触し、『アイリスの目の届く範囲では、レミエルを生かす』『決起の時にいくらか兵を借りる』という条件でT.w.dに入りました。しかし、ガブリエラ様は亡くなってしまいました」

 

 エクスシアはそこで一息つくと、レミエルの肩を掴んだ。この部屋に入ってきた時は虚ろだったエクスシアの瞳に、一条の光が宿ったのがレミエルには見えた。

 

「レミエル、共に七女神を滅ぼしましょう。あなただけじゃない。この世界のために。停戦協定のことなら心配ご無用です。反乱の間だけ脱退すれば問題ありません」

 

 ガブリエラとユラが死に、エクスシアが堕天した今、赤の世界の住人でまだ七女神の影響下にある、レミエルと近しいものはレミエルの母のみだ。その母と和解できていないことが、レミエルの唯一の心残りだった。

 そのことを思い出し、レミエルはエクスシアの手を自分の肩からどけて、エクスシアの瞳を真っ直ぐ見据えて答えた。

 

「分かった。協力するよ、エクス。でも、ひとつだけやらなきゃいけないことがあるから、それが済んでからでいいかな」

 

「それで構いませんよ。アイリスも、兵力を手配するのに時間がかかるでしょうし」

 

 そう言いながら、エクスシアはレミエルが協力してくれることに胸を撫で下ろしたのか、大きなため息をついた。そして、エクスシアの視線がレミエルからシャティーに向いた瞬間、ドアが蹴破られた。そこから入ってきたのは、肩まで伸ばした緑髪の、グリューネシルト統合軍の制服を着た、小柄な少女だった。

 

「シルト!? 何しに来たの? あとクレナイは今日いないんだね。喧嘩でもしたの? 私にとっちゃ嬉しいことこの上ないけど」

 

 そう喚くアイリスに、シルトと呼ばれた少女は軽蔑するような眼差しを向けた。そして、シルトは眉を潜め、舌打ちをしてから答えた。

 

「いちいちうるさいなあ。クレナイなら、元の体に帰ったよ。それに、今回はあなたじゃなくて、そこのレミエルに用があるの」

 

「元の体? もしかして、あいつは七女神の誰かの分身だったの?」

 

「そうだけど、今回はあなたに用はないんだって」

 

 シルトは、アイリスに対し露骨に嫌悪感を匂わせながら、レミエルの方を向いた。

 

「初対面でこう言うのもどうかと思うけど、その反乱計画から手を引いて」

 

「嫌です。私はこの世界をあまり快く思ってませんし、余所者にとやかく言われる筋はありません」

 

 レミエルはシルトの言を真っ向から否定した。すると、シルトはわざとらしく大きなため息をついた。

 

「仕方ない。強硬手段に出ようか。アーンヴァリウス」

 

 シルトは、両手に白い手袋のようなものを召喚した。その手がレミエルに伸びる。

 しかし、即座にアイリスが二人の間に割って入り、シルトの顔面を殴った。不意打ちを食らったシルトは、そのまま床に倒れた。その顔は鼻がひしゃげて鼻血がでていた。

 アイリスはシルトを見つめたまま、レミエルに言う。

 

「この部屋から出て。シルトは私たちがなんとかするから」

 

「停戦協定的には大丈夫なんですか?」

 

「シルトは、正式に赤の世界の軍として参加していない。だから大丈夫」

 

 レミエルはそれを聞くと、振り返ることなく窓に走り、大きく翼を広げて飛び立っていった。その瞬間、レミエルはユラ神殿の正門の方から、何か邪悪なものを感じ取った。

 

        ***

 

「待って! 逃げないでレミエル!」

 

 シルトは立ち上がるやいなや、窓に向かって駆け出した。だが、アイリスが、彼女の軍服の襟を掴み、そのままシルトを壁に叩きつけた。

 

「邪魔をするなら、あなたから!」

 

 シルトが態勢を立て直し、アーンヴァリウスを嵌めた手を、アイリスに伸ばしながら走る。しかし、対するアイリスは余裕の表情で告げた。

 

「死人の武器も使えるとは大したものだけど、そのキレやすい性格は褒められたものじゃあないな」

 

「減らず口を! 今にあなたの記憶を奪ってやる!」

 

 シルトは怒り心頭に発したように突進してきた。だが、すんでの所でアイリスに届くといった時に、シルトはエクスシアのヘカトンケイルに後頭部を殴打され、あっけなくその場に倒れた。

 アイリスはシルトをつついてみたが、反応は無かった。それから、アイリスは警戒しながら、シルトの呼吸と心拍を確認した。どちらも正常で、まだ生きている。気絶しただけのようだ。

 

「とりあえず縛っておこうか。聞きたいことは山ほどあるし、捕虜にしとこう」

 

 アイリスはどこからともなく縄を取り出すと、シルトを滑らかな手つきで捕縄した。

 アイリスがシルトを殴ってから、シルトを縛るまでの一部始終を見ていた秀とシャティーは、あっけに取られて口を開けていた。その様子を見たアイリスは、不思議そうに二人に聞いてきた。

 

「何? どうしたの?」

 

「沢山のことが同時に起きたもので、処理が追いつかない」

 

 秀がそう答えると、アイリスは「はあ?」とあきれ顔で聞き返した。

 

「いや、だから——」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! レミエルを追うよ。何が起きたかは走りながら説明してあげる!」

 

 そう言って、アイリスはシルトと秀を抱えた。そして、同じようにシャティーを抱えたエクスシアと、一緒に部屋の窓から飛び出した。

 その瞬間、四人は、ユラの神殿の正門の方から、天を衝くような蛮声を聞いた。秀は、二階にある部屋から飛び降りていることも忘れそうな衝撃を覚えた。秀には、何を言っているかは分からないが、少なくとも怒りと憎しみに塗れていることは容易に理解できた。

 着地すると、アイリスは秀を離して耳を澄ませた。そして、放心した様子で呟いた。

 

「赤の世界の民衆が、暴走した?」

 

「多分、強制疎開で溜まった、普段感じないようなストレスに加え、レミエルがユラを殺した、という噂が引き金となったんです。これまで七女神の結界で無理矢理抑え込まれてた感情が、彼女らが抑えられないくらいに爆発したんですよ。そうとしか考えられません」

 

 エクスシアは、冷静な口ぶりで言った。しかし、こめかみの辺りに冷や汗を流している。

 

「行きましょう! この憎悪の対象はレミエルです!」

 

 そう告げて、踵を返し駆け出したエクスシアに続いて、三人は、胸のざわつきを感じながらも、全速力で走っていった。

 暫く走って、四人がユラ神殿の正門の方に見た光景——それは、レミエルが空中から民衆を見下ろし、彼らの罵声を一身に浴びている光景だった。

 

        ***

 

 レミエルは息を呑んだ。眼下にいる、ユラ神殿の正門前の、長大な街道だけでなく、街全体の石畳を全て覆い尽くす程の群衆の全ての目が、レミエルを睨んでいる。そして彼らの口から出る言葉は、全てレミエルへのヘイトだ。

 

——殺せ。この平和な世界に争いをもたらしたあの堕天使を殺せ。ユラ様の命を奪ったあの堕天使を殺せ——。

 

 レミエルは、これらの罵詈雑言は意識していなかった。いちいち気にしていてはキリがない。それよりも、この狂った集団の中からたった一人、彼女の母を探し出すことに集中していた。そうしなければ、シルトから逃がしてくれたアイリスに、申し訳ないきがしていた。しかし、彼女の家の方も見てみたが、母とおぼしき姿は見当たらなかった。

 レミエルは、空から母を捜すことを諦めた。そして、群衆の中に突っ込んでいって探そうと決意した瞬間だった。本当に微かであったが、彼女を呼ぶ母の声がした。

 気のせいかとも思ったが、確かに母の声であった。レミエルは、その声のする方に突進した。すると、レミエルの視線の先に母がいた。誰もがレミエルに酷薄な言葉を投げかける中で、ただ一人だけ、必死になって、声を枯らしながらもレミエルを呼び続けている母の姿が、レミエルの脳裏に鮮明に焼きついた。

 

「お母さん!」

 

 レミエルが叫び、母に向かって手を伸ばした。母の方もレミエルに手を伸ばした。

 レミエルがその手を掴み、この有象無象の中から引っ張り出す。そして、レミエルの心情を全て吐露して、母と和解する——このレミエルの理想の未来は、目の前まで近付いていた。しかし、それは寸前のところで粉々に打ち砕かれた。

 

「え」

 

 母の左胸が、血まみれになった手で、背中から貫かれた。貫いた者は、そのまま手を心臓ごと抜き去ると、その心臓を無造作に放り投げた。

 母の亡骸まで到達したレミエルは、周りを気にせず、それを抱いた。その骸から温かみが消えていく。それだけで、母の死をレミエルに認識させるには十分だった。

 

「どうして? お母さんは何も関係ないじゃない!」

 

 レミエルは怒りのままに、彼女を取り囲んでいる群衆に訴えた。しかし、彼らはレミエルを冷笑するように答えた。

 

「その女はお前を産んだ。つまり同罪だ」

 

 その言葉を聞いて、レミエルは激昂し、彼を殺そうとした。しかし、すんでのところで、内なる声が聞こえた。一瞬燃え広がりそうになった、炎の拡大が止まった。

 

——やめろレミエル。本当に討つべき敵を考えろ——

 

 堕天した時に聞いた声と全く同じだった。だが、その声に今は不思議と嫌悪感を抱かなかった。それゆえか、レミエルが冷静になるのも早かった。

 

(そうだ。この人たちも犠牲者なんだ。真の敵は、七女神。特に主神アウロラ。彼女だけは——)

 

「この手で天誅を下す! 力を貸して、お母さん!」

 

 レミエルは、魔法を用いて、母の亡骸を全て魔力に変換し、それを吸収した。そして、再び空へ飛び立った。そして、最大の速力で、七女神の神殿へ突撃していった。

 数分の後、七女神の神殿が見えた。ちょうど、アウロラは中庭に、L.I.N.K.sの少女四人と共に出ている。レミエルはそこに降り立った。中庭の広さは20メートル四方の四角形とほぼ同じで、様々な広葉樹や、華やかな草花を植えてある。

 

「ふたつ、聞かせてください」

 

 開口一番、レミエルはアウロラに問うた。L.I.N.K.sなどは眼中に無かった。

 

「私の出生の時の予言を、悪く解釈したのはあなたたちですか?」

 

「ええ。その通りよ。あなたの様子を見る限り、悪い方の解釈で正解だったみたいね。ガブリエラには残念だけど」

 

 アウロラは、レミエルに警戒して杖を構えながら、そう受け答えた。

 レミエルはアウロラを睨みつけながら、質問を続けた。

 

「次です。今の群衆の様子を見て、あなたはまた世界を作り直そうと思いますか?」

 

「思うわ。こうなったのもあなたのせいでしょうけど。次は、もう少し、民への抑圧を弱くするつもりよ」

 

「そうですか」

 

 レミエルは吐き捨てるように言うと、魔剣を作り、その剣先をアウロラに突き付けた。アウロラは微動だにしない。その様も、レミエルは気に食わなかった。

 レミエルは大きく息を吐き出すと、魔剣を構え直して言い放った。

 

「七女神主神、アウロラ。この世界のため、あなたは私が殺します」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。