Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

20 / 38
揺らぎ

 雨の日の、夜の青蘭学園の講堂。そこに、T.w.dに、何かしらの手土産(丶丶丶)を持って、参入してきた青蘭学園の元生徒が集められていた。その数はおおよそ800。中等部から大学部までの人間のみだ。どのようなことを言われるか、という話題を中心に、彼らは互いに雑談をしていた。

 午後9時ぴったりに、舞台袖からアイリスが壇上に現れ、マイクの前に立った。そして、どこか侮蔑を含んだ目で元生徒を見渡しながら、口を開いた。

 

「青蘭学園を裏切ってまで私について生き延びようとした青蘭学園の元生徒さんたち。過去の経歴は一切問わないから、私は君たちを歓迎するよ」

 

 アイリスの目の前の元生徒たちの表情が固い。先ほどのざわめきが嘘のように、生徒たちは静かだ。雨の音が大きく聞こえる。

 アイリスは、一旦間をおいて、わざと張り付いたような笑みを浮かべて告げた。

 

「大恩あるはずの自分たちの学校を裏切ってまで、私についたわけだから、当然、これから私に尽くしてくれるだろうなあ」

 

 皮肉るように、アイリスは続ける。

 

「というわけで、次は、準備が整い次第、色々考えた結果テラ・ルビリ・アウロラに侵攻するわけだけど、君たちだけを先発部隊に使ってあげる。私への忠誠心がどれだけ表れるか、期待してるよ」

 

 そこまで言うと、アイリスはマイクの電源を切って、舞台袖に戻ろうとして、立ち止まった。そして、青蘭学園の元生徒たちを睨みつけ、ブルーティガー・ストースザンを召喚し、見せつけた。

 

「そうそう、言うの忘れてたけど、もし私を裏切るようなことがあったり、私を信じられないようなら、コレだからね」

 

 話の終わり際に、アイリスは舞台のカーテンをブルーティガー・ストースザンで切り裂くと、今度こそ舞台袖に消えていった。

 それから、元生徒たちは、気まずそうに互いの顔を見合わせるだけで、誰も動こうとせず、また誰も言葉を交わさなかった。

 

        ***

 

 講堂の薄暗い舞台袖で、アイリスの話を聞いていたアルバディーナは、アイリスが戻ってくるや否や、元生徒たちに聞こえないように声を潜めて尋ねた。

 

「ねえ、アイリス。本気で彼らだけを使う気なの? 戦闘指揮する者くらい付けた方がいいんじゃない?」

 

「大丈夫だよ。あの子たちはテラ・ルビリ・アウロラの子たちにT.w.dに対する認識を甘くするために先発部隊に使うんだから。装備も不良品を与えるつもり。大した理由もないくせに裏切るような人に、生きる価値なんて無いんだから」

 

 淡々と話すアイリスの姿に、アルバディーナは息を呑んだ。アイリスが「裏切り」という行為に対して嫌悪感を抱いているのは既知のことであったが、彼女に縁もゆかりも無いような者にまでそれが及ぶとは、思っていなかった。

 

「私が怖い? ちょっと顔色悪いし、手震えてるよ、アルバディーナ」

 

 アイリスは、からかうようにコロコロと笑った。彼女の本質は無邪気で元気発剌な少女ということを、アルバディーナは誰よりも理解しているという自負がある。だがそれでも、アイリスに恐れを抱いてしまう。アルバディーナは、そのような自分がアイリスに申し訳ないと思いながらも、手の震えは止まらなかった。もしかしたら、この震えは別のところから来ているかもしれない。そうにも思えた。

 

「冗談のつもりだったのだけれど。本気で怖がってる?」

 

「本能的な恐怖じゃないかしら。一応、あなたは私たち人間の天敵なのだし」

 

 アルバディーナが誤魔化すように告げると、アイリスは思い出したように唸った。

 

「そういえば、私は食人鬼だったね。最近人肉を食べてないから忘れかけてた」

 

「一応、人を食べなくても死にはしないのよね、確か」

 

 アルバディーナの問いに、アイリスは頷いた。そして、ため息をついて天井を仰ぎ、不満げに言った。

 

「死なないけど人間のご飯は私たちの口にとってはまずいし、力は出ないしで良いことないよ。定期的に食べないと弱っちゃう」

 

 アイリスは一瞬だけ眉をひそめ、しかしすぐに笑い顔を作るとアルバディーナに背を向けた。

 

「まあ、そんなことはいいからさっさとここから出よう。ここにいたって意味無いし」

 

 アイリスが小股でゆっくり歩いて外に出ていく。アルバディーナはそれを、小走りで追った。まだ色々と聞き足りなかったからだ。

 

「待って、アイリス。まだ聞きたいことがあるのよ」

 

 アイリスは不思議そうな顔で、アルバディーナに向かって振り返った。ほんの少し、アイリスが顰めっ面を向けている。早くして、ということだろうか。

 アルバディーナは咳払いをして、口を開いた。

 

「世界水晶はいつ壊すの? すぐには壊さないとは聞いているけれど」

 

「あれ、言ってなかったっけ。五つ、同時刻にきっかり壊す予定だよ。世界水晶を破壊した時に何が起こるか分かんないからね。SWEに私たちの大きな拠点が無い以上、ここに何かあると後が困るし、(ハイロゥ)が、水晶を壊した後も残るとは限らないからね」

 

 アイリスは淡々と、早口気味に答えた。アルバディーナは、その内容に少しの不安を覚えたが、何も言わないことにした。安全策としてはそれが最適だろうと思ったからだ。

 アイリスが、「質問はそれだけ?」と尋ねた。相も変わらず微妙な笑顔を浮かべている。付き合いの長いアルバディーナですら、ほぼ絶やしたことの無いその笑顔の裏に、アイリスが何を考えているのか見当もつかない。

 

(純粋な子だから、深いことは考えてなさそうだけど)

 

 アルバディーナはとりあえずアイリスに頷いた。そうすると、アイリスは踵を返して、アルバディーナに外へ出ることを促した。

 講堂の外へ出ると、アルバディーナの目の前で、アイリスの黒マントが風ではためく。それは、たとえ揺れても、陰影がつくことが無く堂々としていた。

 

        ***

 

 秀とレミエルが共寝した夜が明けて、朝。秀は、服を着ながら、彼のベッドで布団に入って寝そべっているレミエルに声をかけた。

 

「レミエル。今日、親御さんと話してみたらどうだ? ちゃんと向き合って話さないと、分からないこともあるだろう」

 

 その時、レミエルは露骨に嫌そうな顔を見せたが、渋々、と言った感じで呟いた。

 

「秀さんがそう言うなら」

 

 レミエルが言い終えると同時に秀は着替えを終えた。レミエルはそう言ったものの、布団から出ようとしない。それで、レミエルから布団を引き剥がして、裸のレミエルに無理矢理ネグリジェを着せた。

 

「そんなに嫌なのか」

 

 朝日が差す部屋の中、レミエルの髪を解いてやりながら、秀は尋ねた。レミエルは小さく頷く。長い金髪が、小さく揺れた。

 

「また、私の闇を見せたくないです」

 

「今回は、最初から対面すると分かってる。心構えができるから、昨日みたいになることは無いだろう」

 

 レミエルは「そうだといいですけど」と目を伏せて言って、着替えて来る、と部屋から出た。一人残された秀は、ベッドに腰を下ろして、ユラから聞いたレミエルの真実を思い出していた。

 

(あれが本当なら、多分レミエルは怒るだろうな。だけど、知らないままじゃレミエルはずっとどこかに闇を抱え込んだままだ。それを解決できるとは思わないが、あいつには刺激を与えた方がいいだろう)

 

 ガブリエラは、道の途中でレミエルについての占いを良い意味に捉え直した。その理由は、恐らく抑え込んだままでは、レミエルを死なせてしまうと判断したからだろうと、秀は推測する。レミエルに対する思い入れが無ければ、レミエルを生かす選択を、ガブリエラは取らなかっただろう。

 

(レミエルが理解を示してくれればいいが)

 

 ちょうどその時、レミエルが戻ってきた。杖を持って、ワンピース型の、質素な感じのする私服を着ている。秀は立ち上がって、レミエルの真正面に立って告げた。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 レミエルは、躊躇いがちに小さく頷くことをもって返事とした。

 

        ***

 

 レミエルの案内で、彼女の家に着いた。他のテラ・ルビリ・アウロラの民家と同じように、飾り気のない、白い石造りの家だ。歩いている間、足を遅めることはなかった。ただ、秀と一言も交わさなかった。きっと、何を話すか、こう言われたらこう返そうかと、心の準備をしていたのだろう。

 レミエルがドアノブに手をかけるが、そのまま固まってしまった。秀はそれを見守る。手は出さない。レミエルがやることであって、秀がやることではないからだ。

 やがて、決心がついたようで、勢いよくドアノブを押し込んで、ドアを開けた。それと同時に、ドアにつけてあった鈴が鳴った。

 それで中央にテーブルがあるだけの、質素な部屋の奥のドアから小走りで出てきたのは、レミエルの母だった。彼女は呆然としていた。秀ならともかく、レミエルが来るとは思っていなかったのだろう。

 レミエルの母が口を開けている間に、レミエルは頭を下げた。ますますレミエルの母が困惑する。

 

「この間は、ごめんなさい。自分を抑えることができなかった」

 

「い、いいんだよ。お前が無事でいてくれるだけで、私は幸せだ」

 

 レミエルの突然の謝罪に、彼女の母は戸惑いながら返答した。そして、秀とレミエルに椅子に座ることを促した。

 秀とレミエル、そしてレミエルの母が椅子に腰掛け、テーブルを挟んで二人と一人で向かい合う。レミエルが杖をテーブルに立てかけると、辺りを見回し始めた。

 

「お父さんは?」

 

 レミエルが何気なく尋ねると、彼女の母は表情を曇らせた。そして、重たげに口を開いた。

 

「あの人は、死んでしまったよ。大型の魔物の討伐の際に、深い傷を負ってしまってね」

 

 レミエルの母が涙を見せるが、レミエルの表情は揺らがない。そこに、レミエルの母が涙声で告げた。

 

「あの人は、死の際でずっとお前に謝ってたんだ。このようなことで許されることでもないが、せめて面と向かって謝りたかったって、何度も言ってた」

 

 その言葉を聞いた瞬間、レミエルがいきなりテーブルを殴った。歯を食いしばって、体を震わせている。そして、母を睨みつけ、レミエルは怒りのままに、母に言葉をぶつける。

 

「どうして、私が家にいた時は私を虐めて、私が離れた途端に親みたいに振る舞うの!? どっちかにしてよ! 最初から愛情を向けてくれれば、私は幸せな過去を手に入れることができたのに。今でも私を虐めてくれれば、私はこんなに混乱することもなかったのに!」

 

 嘆きをぶつけるレミエルを、彼女の母はただ悲しい瞳で見つめていた。そして、おもむろに口を開いた。

 

「これを言ったところで許されることではないけれど、本当のことを言おう。お前が辛い境遇で生きていかねばならかった、理由を」

 

 そして、レミエルの母は、秀がユラから聞いた真実を語り出した。全て言い終えたとき、レミエルは茫然自失としていた。そしてその双眸から、はらはらと涙が零れ落ちた。

 

「それが本当なら、私は何なの? それなら、今の私は、決められた人生に従って動いただけの、ただの人形じゃない」

 

 レミエルは、立てかけておいた杖を握りしめた。困惑する彼女の母をよそに、レミエルは涙ながらに続ける。

 

「信じてたのに。ガブリエラ様も、ユラも、エクスも。みんな、私を大切な人と思ってくれてるって信じてたのに」

 

「レミエル、それは違うよ。確かに、最初はガブリエラもお前を仕事の一環としか見ていなかったし、ユラやエクスもそうだった。でも、みんなだんだんとお前に愛着を持って、心からの師弟関係や、友人関係を築いたんだよ!」

 

 不信感に苛まれるレミエルに、母は訴えかけた。秀から見れば、母はしっかりと愛情を以ってレミエルに言葉を投げかけているようだった。だが。

 

「もう、赤の世界の人は信じられない。お母さんと、いや、ユラやエクスとも、これで絶縁しよう」

 

 母の言葉がまるで耳に入っていないような言葉だった。それを呟くと、レミエルは家を飛び出していった。それを見て、秀は反射的に、勢いよく立ち上がった。

 

「レミエル!」

 

 秀もドアに向かった。家を出る瞬間、一瞬だけレミエルの母に振り返った。彼女は、口を半開きにして、魂が抜けたように動かなかった。

 

        ***

 

 ユラの神殿の入り口付近まで来たとき、ちょうどそこから出るユラと目が合った。すると、ユラは切羽詰まった様子で秀に駆け寄った。

 

「上山秀! レミエルに何があったの!?」

 

 ユラは、丁寧語も抜けていて、半泣きになっていた。彼女曰く、たまたますれ違ったレミエルに睨みつけられ、「あなたとは絶縁する」と告げられたとのことだ。

 

「あいつを母親のところに連れて行って、話をさせたんだ。そしたら、あのことを告げられて」

 

 秀は簡潔にわけを話した。ユラは、なかなか口を開かなかったが、しばらくして苦しげに呟いた。

 

「例えあの子が真実を知っても、私との友情は無くならない。そう、思っていたのに」

 

 ユラはそこから膝をついて、顔を押さえて泣き出した。

 秀はどのような声をかければ分からず、ユラを見つめていた。しかし、ふとレミエルの顔が浮かんで、神殿に付随している宿舎に目を向けた。

 

「ごめん、ユラ。俺はレミエルのそばにいる。だから、この場を離れる」

 

 秀が告げると、背後から背中を押された。振り返ってみると、既に立ち上がっていたユラが、微笑んでいた。まだ目元に涙の跡が残るが、もう泣き止んだようだ。

 

「行ってください。あなたの言葉なら、あの子も聞くでしょう」

 

 秀はユラの言葉に頷きを返すと、宿舎の方に走っていった。途中、周りを見回しながら走っていたが、レミエルの姿はなかった。

 宿舎に着いて、秀はまずレミエルの部屋を見てみたが、誰もいなかった。次に可能性のありそうな部屋として、秀自身の部屋を見た。明かりは消され、カーテンも閉められているため、中は真っ暗だった。明かりは出かける前に消したが、カーテンまで閉めた覚えは無かった。

 用心しながら入っていくと、急に戸が閉められ、そして誰かに股間を触られたような感触があった。

 

「秀さん。私、もう秀さんがいないとダメなんです。秀さんだけが、私の生きる意味ですから」

 

 レミエルの声だ。ぞっとするくらい落ち着いた声。秀がその声から感じたのは、狂気だった。寂しさや怒り、悲しみなどがレミエルを蝕んだ結果だろう。

 

(俺は、こんなレミエルにはしたくなかった。ただ、成長することを願って、こいつの母親と話をさせただけなのに)

 

 レミエルが股間に手を触れたまま体を寄せる。感触からすると、レミエルは裸でいるようだ。

 レミエルが、甘美な声で耳元で囁く。抱いて、と。秀は嫌だった。このような心苦しい状況で、レミエルを抱きたくなかった。しかし、それをしなければ、レミエルが完全に壊れてしまうという予感もしている。

 秀は、心の中でレミエルとガブリエラに詫びながら、レミエルを押し倒した。

 

        ***

 

 それから、秀とレミエルは、行為を終えたら部屋に備え付けられているシャワーを浴びて寝て、起きたらまた愛し合って、というような生活を送っていた。カーテンは閉めきったままで、外の光は一切入ってこない。何日経ったかも分からず、昼夜の区別はもはや無く、心配して尋ねてくるユラやエクスシアたちを一切無視して、ただひたすらにお互いに抱き合っていた。

 ある時、秀は決心して、シャワーを浴びだあと、手探りで床に脱ぎ捨てられた自分の服を着た。

 

「ちょっと外に出てくる。待っててくれ」

 

 秀はそう告げると、快楽に惚けたままのレミエルを置いて、外に出た。瞬間、眩しい日の光が目を刺した。

 秀は、疲労感から意識を朦朧とさせていたが、日の光のおかげではっきりしてきた。光を浴びているうちに、だんだんと自分のやっていたことを思い返して、自分の部屋から少し離れたところにある柱に、思い切り頭を打ち付けた。

 

「俺は、今まで何をやっていたんだ。あれじゃあ、何の解決にもならないじゃないか」

 

 秀は、何度も何度も頭を打ち付けた。額を切ったところで、背後から声をかけられた。

 

「あの、お困りですか? 恋の相談でしたら、私が乗りますわよ?」

 

 秀はハッとして振り向くと、そこにはスタイルのいい、気品ある雰囲気を醸し出している、赤髪の女性がいた。その姿には見覚えがある。T.w.dが青蘭学園を攻めてきた時に、共闘していた記憶があった。

 

「あんたの名前、フェルノ・ガーディーヴァだっけ?」

 

「そう言うあなたは、上山秀君ですわね? 誰かに頼り辛いことでも、勇気を出して頼れば解決することもありますわよ?」

 

 フェルノに言われて、秀はハッとさせられた。思い返せば、赤の世界に来てから、青蘭学園で出会ったレミエル以外の仲間と話すらしていない。そもそも姿を見ていなかった。あずさ達がいるということは分かっているのだが。

 

(何で今まで、あいつらに相談しようと思わなかったのだろう。あいつらも、レミエルが信頼できる人たちだろうに)

 

「ありがとう、ガーディーヴァ。俺は、レミエルのことで頭がいっぱいで、少し盲目になっていたようだ」

 

「いえいえ。困っている方を助けるのは当然でしてよ」

 

 フェルノが胸を張る。秀が別れを告げてその場を立ち去ろうとした時、フェルノが悪戯っぽい笑顔を見せて言った。

 

「レミエルちゃんとの関係、後で詳しく聞かせてくださいましー」

 

 秀は赤面しながらその言葉を無視。早足で、レボリューション部のいる部屋に行った。その頃には、もう顔も元の色に戻っていた。

 秀が部屋のドアをノックすると、あずさの返事が聞こえて、ドアが開けられた。目の前にあずさが現れ、彼女の後ろにはレボリューション部の面々と、セニアとカレン、そしてアインスがいる。あずさは一瞬目を丸くしていたが、ごまかすように笑顔を浮かべた。

 

「あれ、秀じゃない。今トランプで遊んでるのよ。秀もやらない? レミエル呼んでさ」

 

 あずさが背後を見やりながら秀に言う。トランプ遊びは魅力的ではあるが、秀にとって今はそれどころではない。

 秀は息を吐いて、あずさを見つめて告げる。

 

「そのレミエルのことで、相談があるんだ。皆、力になってくれないか」

 

        ***

 

 あずさの部屋の床で胡座をかく秀を囲むようにして、あずさ達が床に座る。できるだけ声が漏れないように、ドアは閉めてある。シャティーは、座るとすぐさま口を開いた。

 

「レミエルについての相談って、ガブリエラ様の企てが絡んでる?」

 

 秀はぎょっとして、シャティーに詰め寄った。まさか事情を知っている者がいるとは、夢にも思わなかったからだ。

 

「お前も関係してるのか?」

 

 秀の問いに、シャティーは首を横に振った。そして、「噂話を聞いただけ」と言った。二人の間に、あずさが割って入って尋ねた。

 

「ねえ、その企てってなに?」

 

 あずさ達に、秀は要点をかいつまんで、ガブリエラのしていたことと、それを知ったことによるレミエルの変化を話した。

 

「俺は、あいつを助けたい。でも、俺から言おうとしても、あいつは、もう都合の悪いことは耳に入れようとしない。だから、俺以外の誰かに頼りたいんだ」

 

 秀が言うと、その場に重苦しい沈黙が漂う。説得できる自信が無いのだろうか。誰も下を向くばかりで、顔を上げて立候補しようとしない。

 

(仲間と言えど、この相談は難しかったか)

 

 秀がそっと立ち上がろうとした瞬間、アインスが手を挙げた。その場の誰もが、彼女に注目した。一番立候補する可能性の無さそうな者が立候補したからだろうか。

 

「恩を返すのは今まさにこの時。それに、私も最初のエクスペンドとして、途中まで統合軍に作られた人生を歩んできた。似た境遇を持つ私なら、レミエルを説得できると思う。だから、私にやらせて」

 

 そう訴えるアインスの瞳を、秀は見つめる。その奥から、強固な意志を感じ取った。

 秀は立ち上がって、アインスに手を差し伸べた。

 

「助けに行くぞ」

 

 秀が告げると、アインスは頷いて、迷うことなくその手を取った。小さな手だった。とても、最強のエクスペンド——統合軍によって人工的にエクシードを付与された存在——とは思えないくらいに、華奢で、柔らかかった。

 

        ***

 

 秀とアインスが去った後、誰も言葉を発さなかった。その中で、あずさは考える。なぜ、レミエルを説得すると名乗り出ることができなかったのか。いくら考えても見当がつかない。

 

(自信がなかったから? それも違うな。いつものあたしなら、それでもレミエルを助けようとしたはず。なのになんで?)

 

 いくら自問しても答えは出ない。他の要因が無いか視点を変えてみることにした。

 

(レミエルは大事な友達。気弱だけど、やる時はちゃんとやる。敵を圧倒できる力も持ってる。それが少し羨ましい)

 

 あずさは、レミエルと自分の関係を再確認すると、次は秀のことを思い浮かべた。

 

(秀は、世間知らずで、人をからかいたがる悪い癖が有って。でも、根は優しくて、自分より他の人のことをいつも考えていて。そんなあいつがかっこ良く思えていたんだ)

 

 そこまで考えて、ようやく、あずさはレミエルを助けようとしなかった理由がわかった。秀に横恋慕している。秀のことを考えると、胸が高鳴ってしまう。思えば、初めて会って秀をレボリューション部に勧誘し、断られた時に感じたやるせなさは、恋心の前兆だったのかもしれない。

 

(初対面で惚れるなんて、あたし軽いのかな)

 

 あずさは自嘲するように笑った。そうすることでしか、気を紛らすことができなかった。私情で友達を見捨てるような真似をした自分が、恥ずかしく思えたからだ。

 あずさは、心の中でレミエルに詫び続けた。しかし、そうしている自分もまた、情けなく思えてきた。

 

「やっぱり、あたしもレミエルを説得しに行こう」

 

 無意識にあずさの体が立ち上がっていた。その場の皆の視線が、あずさに集中する。

 

「あたしたちとレミエルは友達だ。困ってたら、自信なくても助けに行くべきじゃないかな、みんな」

 

 あずさはユノたちにそう告げた。すると、ばらばらと皆々が立ち上がった。

 

「私は、アンドロイド故、想定されていない状況には対処できないと、言いだせませんでした。しかし、説得はダメでも、拳で伝えることはできます。だから私はそれをしようと思います」

 

 カレンが拳を鳴らしながら言った。側でセニアも頷いている。どうやら彼女もカレンと同じ考えのようだ。

 

「私も、失敗することばかり考えて、どうしようって空回りしてた。だけど、それじゃダメだよね」

 

 ユノが目を伏せて呟いた。ユノがレミエルを見捨てたわけじゃないと分かって、あずさは少し安心した。

 

「私は言葉下手だからって、逃げてた。だけど、あずさの勇気に心を打たれた。だから助けに行く」

 

 シャティーがいつもの仏頂面で言った。けれど、その瞳には強い意志が宿っていた。

 

「私は、一度目の前で大切な人を亡くした。助けられなかった。下手したら今回も生死が関わってくる。助けられるなら助けたい」

 

 由唯は拳を握り締めて言った。メルトの死という、由唯にとって最も悲しい出来事が、由唯を強くしていた。

 それぞれ、言い分は違えど、考えていることは同じようだ。あずさは何も言わずにドアに向かった。あずさは、彼女の背中に皆が付いていくのを感じとった。

 

        ***

 

 レミエルは、未だ無くならない、快感の海に溺れていた。秀が一旦部屋から出たことくらいは認識できたが、それ以上の思考は、快楽が邪魔してできなかった。

 体中がゾワゾワしている。レミエルはこの上ない幸福感と満足感を覚えていた。

 そのまま眠りに落ちそうになった時だった。部屋のドアが、勢い良く解放された。眩しい光が差し込んでくる。ドアのところには、ひとつの人影があった。逆光で誰かはよく分からない。その人影はドアを閉めると、ゆっくりと歩み寄って来た。まだ頭がぼんやりしていて、誰か分からない。

 その人影が、すぐそばまで来ると、いきなり首を掴まれ、ベッドから引き摺り下ろされた。

 

「あなたは何をしているの!」

 

 蹴られる感触と共に聞こえた怒鳴り声で、レミエルは覚めた。そして、その人影の判別もついた。

 

(アインス、さん?)

 

 暴力を受けたことよりも、まず何故アインスがここにいるのかという疑問がわいた。レミエルにとって、ここは自分と秀だけの領域。他人が入ってはいけない場所だ。

 そんなことを考えていると、アインスがまた首を掴んで、今度は持ち上げた。

 

「今のあなた、とても臭い。私の知ってるレミエルは、気が弱いけど根はしっかりした強い人だった。だけど、今私の目の前にいるのは、ただの抜け殻」

 

 レミエルには、アインスの言葉は聞こえていなかった。ただ、邪魔をされたといういらつきしかなかった。レミエルは窒息しそうになりながらも、絞り出すように声を出した。

 

「邪魔を、しないで。この部屋は私と秀さんだけの場所なんです。他の人が土足で上がる余地は無いんですよ」

 

 レミエルが言い終えた刹那、アインスの表情が消えていく。レミエルは、彼女に本能的な恐怖を覚えていた。アインスは最強のエクスペンドだということを、レミエルは彼女の雰囲気だけで思い知らされた。

 アインスは、レミエルの頭を、首を掴んだまま床に叩きつけた。そして手を離すと、その血で赤く染まった金髪の頭を、軍靴を履いた足で踏みつけた。レミエルは否応なしに床の味を感じた。それは、まごうことなき鉄の味、つまり血の味だった。

 アインスが踏みつけたまま告げる。

 

「現実逃避を続けるなら、このまま死んでしまった方がまし。あなたが死ぬまで、ずっとこうして頭を押さえてあげるから」

 

 この時、レミエルは怒りを覚えた。自分のことを知らないはずのアインスに、このようなことを言われる筋合いは無いと。

 

「何も知らないくせに。今の私は本当の私ではなかったんです。私は作られた人生を歩まされてたんです。そうされなければ、もっと幸せな人生を送れたかもしれない。こんな性格になることもなかったかもしれなかったのに」

 

「そのことは知ってる。聞いたから」

 

 レミエルが、誰からかと問う前に、アインスが続けた。

 

「私も、気づいた時にはエクスペンドだった。改造を受ける前の記憶は無い。それで、最初のエクスペンドとして、統合軍の用意した人生を歩んできた。私もあなたとほぼ同じ」

 

 そう言うアインスに対し、レミエルは反駁しようとするが、アインスはその前に言葉を重ねた。

 

「今の私が本当の私じゃないと知った時、私は絶望なんかしなかった。特に気にも留めなかった。その時の境遇に満足していたわけではないけど、その時の自分を否定しても、もう私という人間は、作られてた。だから、否定したら立ち止まるだけで、前進することも後退することもできなかった。私は自分を受け入れる道を取った」

 

 アインスが淡々と語る。レミエルは、床に頭を押し付けられたまま、黙ってそれを聞いていた。

 少しの静寂の後、アインスは先ほどと同じ調子で話し始めた。

 

「私の選択が絶対に正しいとは思わない。だけど、レミエルの選択は絶対に間違っている。もう一度考え直して」

 

 そう言われて、レミエルは己を顧みる。考えてみれば、レミエルは他の自分を知らない。定められた人生を歩んだ自分が、他でもないレミエル自身だ。それに、青蘭学園に来てから仲良くなった人たちは、その作られた自分しか知らない。秀もそうだ。

 そう考えると、己の存在意義を無くしたわけではないと思えた。レミエル自身は人形と思っているが、秀たちは、レミエルという一個人として見ている。秀の恋人で、レボリューション部の皆や、カレン、セニア、アインスたちの友人であることが、存在意義であっても良いではないか。

 

(じゃあ、こうして悩むことも、無駄だったんだ。あの人の意志とは関係なしに、私が私の意志で作った友達がいる。私のアイデンティティがそれじゃダメなんてことは無いはず!)

 

 レミエルは、アインスの足首を掴んだ。そして、強引にそれを頭から退かした。

 

「改心しました。私は、今の私を受け入れる。ガブリエラ様達のことは絶対に許さないけど、今の私が生きる意味を見つけられた。だから、私はもう自分を見失ってない。私は私として、みんなと頑張りたいです」

 

 レミエルはそう言いながら立ち上がった。そして、ドアの方にゆっくりと近づいていく。

 

「まず、一番迷惑をかけた秀さんに謝らなきゃ」

 

「レミエル、待った。そのまま出ちゃいけない」

 

 アインスが警告するが、レミエルにはその意味が分からない。ゆえに、「嫌です!」と振り切った。今すぐ謝りに行かなければ気が済まない。

 レミエルは、ドアノブを強く押し込んで、勢いよく解放した。するとそこには、あずさたちレボリューション部と、カレンとセニアが目を丸くして立っていた。顔も赤くしている。

 レミエルは不思議に思っていると、肌で直に空気の流れを感じた。それで、レミエルは自分が裸であることに気づいた。急いで部屋に戻って、アインスを追い出して服をせっせと着た。焦っていたせいか、パンツに足を通すことさえ一苦労した。

 十五分くらいかけて、やっと着終わって、ドアノブに手をかけると、「いつものレミエルだ」と扉の向こうで談笑しているのが聞こえた。

 

(本当に戻ることができたんだ。いつもの私に)

 

 レミエルは、ゆっくりとドアを開けた。先ほどの面子に加えて、アインス、そして秀がレミエルに微笑みかけていた。そして、彼らが一斉に息を吸って、

 

「おかえり、レミエル」

 

 温かみを感じさせる、柔らかなハーモニーだった。それを受けて、レミエルは思わず泣きそうになってしまったが、涙と嗚咽を堪え、精一杯の笑顔で秀たちに告げた。

 

「ただいま、みんな」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。