Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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当惑のマユカ

 ソフィーナとユーフィリアが体育館に着いたころには、既に講堂で発生していた気運が伝播していた。

 ソフィーナが美海の方を見ると、美海はまだ気づいていないかのようにその場にいる。恐らくは眠っているのだろう。当然、美海の近くにも生徒が寄ってきた。

 

「ユフィ、行くわよ」

 

 ユーフィリアが頷く。それを確認すると、ソフィーナは全速力で駆け出した。できるだけ手荒なことはしたくない。ユーフィリアには、万が一その手荒なことをすることになったら、力を貸してくれと頼んである。

 

「どきなさいよ、あんた達!」

 

 ソフィーナは美海の周りに群れる生徒を掻き分け、なんとか美海に辿り着いた。そして、美海を抱きかかえると、一目散に走っていこうとしたが、それは人の壁に阻まれた。その立ち止まった隙に、あっという間に男子生徒に囲まれてしまった。

 

「ちっ、ユフィ!」

 

「分かりました。……え?」

 

 ユーフィリアの顔に焦燥感が浮かび上がる。息が荒くなり、目は見開いている。

 

「エクシードが使えない……。どうして……」

 

 ユーフィリアの言葉を受けて、ソフィーナは魔法的な感覚を集中させる。すると、エクシードの発動だけでなく、魔法や祈りも妨害する役割を果たす結界が発動していたことが分かった。しかも、かなり強力で、大規模と思える。

 

(こんなのを張れるの、魔女王様以外にはアルバディーナしか考えられないわね。まさかと思ったけど、本当にT.w.dにいるなんて)

 

 絶体絶命——プログレスは一般的な人間よりも体力があったり力が強かったりもするが、所詮は人間だ。アンドロイドならともかく、少なくともソフィーナには鍛えた人間並みの身体能力しかない。この男子生徒の包囲を切り抜けられるとは思えない。

 

「それでも、力づくで行くしか……きゃっ!?」

 

 急に服を引っ張られた。思わず美海を落としてしまう。しかし、美海は起きない。この図太い所は尊敬に値する。ソフィーナは状況に反してそんなことを思った。

 意識を切り替え、ソフィーナは男たちを睨む。

 

「離しなさいよ! こんなことして……」

 

 反抗する間に、ソフィーナは、気力を削がれた。男たちの視線は、何かに飢えている獣のようだった。

 服を掴む男が口を開く。

 

「エクシードが使えないプログレスなんて怖くないね。慰み者にはぴったりだ」

 

 慰み者——その言葉で、ソフィーナの背筋が凍りついた。ゴシックロリータ調の服を破られ、下着を着けた肌が露出するが、ソフィーナは目を見開いたままその場にへたり込んだ。そして、絶望に開かれた目から、涙がとめどなく流れてくる。この男たちは本気で、ソフィーナを嬲ろうとしている。嬲るだけ嬲ったら、あとは殺すのが目に見えている。処女を失うかもしれないという絶望と、そして何より、このような人たちのためにも歌ったり、戦っていたという失望が、ソフィーナから反抗する気勢が奪われた。

 視界の端で、ユーフィリアや、他のこの場にいる女子生徒が大勢の男に抑えられていた。

 そして、美海にも魔の手がかかろうとしていた。しかし、そこでちょうど、美海が目覚める。が、その顔は瞬時に恐怖で強張って、また動けずにいた。一人の男が美海の肢体に触れた。その時、美海が悲痛な絶叫を上げた。

 

        ***

 

 シルトらが現れてから、真っ先に動き出したのはマユカだった。ルビーやシルトには目もくれず、アゲハに襲いかかる。

 

「グリム・フォーゲル! 行けええっ!」

 

 マユカは大剣状態のグリム・フォーゲルでアゲハに斬りかかるが、アゲハはそれを彼女の武器、二丁の軽機関銃であるグリム・ベスティアで受け止めた。

 

「目を覚ましなさいマユカ! 緑の世界を救いたいと思わないの!?」

 

 アゲハが悲痛な声で呼びかけるが、マユカはそれを跳ね除けるように柄を握る手に力を一層込めた。

 

「目を覚ますのはお姉ちゃんだ! 他の世界を犠牲にするくらいなら緑の世界なんて滅べばいい!」

 

 マユカはアゲハを押し切ろうとするが、アゲハは後退して距離をとる。マユカはバランスを崩したが、その姿勢から跳び、今一度アゲハに斬りかかろうとした——だが、マユカがそうしようと爪先に力を入れた時に、アゲハの体が、彼女の背後から巨大な槍に貫かれた。左胸を貫かれている。即死だ。

 マユカが呆然としている間に、アゲハの体から槍が引き抜かれ、アゲハの体が支えを失った人形のように前に倒れる。その槍はヴィヒター・リッタ、リーリヤ・ザクシードの槍だ。しかしこの場でそれを持つのは、シルトだ。彼女の目からは何の感情も感じられない。シルトは槍を携えたまま、アゲハの遺体を見ることなく、マユカに向かって歩み出す。足音がひとつ、またひとつとする度に、マユカの内にある感情が沸々と湧いてくる。姉を無感情に殺された怒りだ。マユカは雄叫びを上げた。そして、シルトの側面に回りこみながらグリム・フォーゲルでシルトの体を叩き斬ろうとする。だが、それはシルトが咄嗟に召喚した、ルルーナ・ゼンティアの武装である盾、シュッツ・リッタに阻まれた。盾の向こうから、シルトが話しかけてくる。

 

「どうして怒ってるの? アゲハを殺すつもりだったんじゃないの? 私とあなた、両方に利益があったと思うんだけど」

 

「だからこそだ……だからこそ、私は他人にお姉ちゃんを殺されたくなかったんだ! 私は青蘭学園との決別の、最後の仕上げとして、それを完璧なものにするためにお姉ちゃんをこの手で殺さなきゃいけなかったんだ……」

 

 マユカは静かに、しかし激情を込めて呟く。そして、グリム・フォーゲルに全体重をかける。

 

「私は、最後の心残りを解決できなかったんだ! だから、シルト・リーヴェリンゲン……あなたが、憎い!」

 

 マユカはシルトから少し離れると、そこから跳躍し、グリム・フォーゲルを大きく振りかぶる。マユカの眼下で、シルトが斬撃に備えて盾を持ち上げる。それで、シルトの顔が見えなくなった。そのことを確認したマユカは、グリム・フォーゲルから手を離した。そして、グリム・フォーゲルの鎬を蹴った。彼女の体が頭から落ちていく。そこから、二丁拳銃のグリム・フォーゲルを手に持つ。シルトはマユカの行動にまだ気づいていない。絶好の機会だ。

 マユカの視界に、シルトの体が映り始めた。しかし、マユカは何もしない。ここは我慢のしどころだ。そして、シルトの腹が見えた瞬間——マユカはシルトの体に銃弾を撃ち込みまくった。

 

        ***

 

 アイリスは、マユカが動き出したのを確認すると、ミギリに向かって一歩踏み出した。そうすると、ミギリと共に逃げようとしていた、統合軍兵士数名がミギリを守るように立ち塞がった。しかし、アイリスは彼女らをゴミを払うように、左手に召喚したブルーティガー・ストースザンで一蹴する。そして、ミギリにその鉤爪で斬りかかる。

 

「やられるものか……! アブソリューティア!」

 

 ミギリは剣を召喚し、アイリスの攻撃を受け止めた。アイリスのブルーティガー・ストースザンとミギリのアブソリューティアが金属音を奏で、火花を散らす。

 

「なかなかやるね、ミギリ。参謀だっていうから戦闘能力はあまりないと思ってたよ」

 

「私だって誇り高き統合軍の一員よ。舐めてもらっては困るわね!」

 

 ミギリがアイリスを押し切ろうとする。が、一瞬ハッとしたように目を見開くと、バックステップで下がった。前につんのめったアイリスは、自分の視界の外で何が起ころうとしているのかを悟った。

 アイリスはつんのめった姿勢からミギリに飛び込んだ。このアイリスの動きは予測していたのか、ミギリは体をアイリスの右手側に回ることで躱した。

 

(もらった!)

 

 アイリスはミギリの前を横切るその瞬間に右手でミギリの首を鷲掴みにした。そして、そうしたまま右足を軸にして反転した。すると、アイリスの目の前には、案の定、大刀で何時でも突けるように構えたクレナイがいた。そして、アイリスの反転直後の隙をついて、大刀をアイリスの喉をめがけて真っ直ぐに突いてきた。

 アイリスはすぐ身を低くした。と同時に、その勢いを利用してミギリの体を掲げた。そしてそれを、クレナイの大刀に突き刺した。大刀の太刀筋が止まった。クレナイにとっては危機的状況のはずだが、クレナイはアイリス以外のことに気を向けているように見える。

 この千載一遇の機会に、アイリスは一気に距離を詰め、クレナイの左胸を狙う。肋骨に当たるだろうが、ブルーティガー・ストースザンの刃は鉄塊をもバターのように切り裂く。骨を貫通することなど訳ないことだ。

 しかしクレナイはアイリスの想定していた動きをはるかに上回る早業で、ミギリの体を大刀を振って払い、背を向けてシルトの方に走った。

 アイリスの鉤爪が、空を突く。

 

「待って! 逃げないで!」

 

 しかし、クレナイは瞬間移動をしているのかと思わせるような速さでシルトのところに移動し、彼女に対峙しているマユカを弾き飛ばした。そして、全身から血を流しているシルトを抱き抱える。

 

「クレナイ……。悪いね」

 

「お前が気にすることではない。我らは似たような存在であり、かつ協力しあっている。我らの悲願の成就のためにはどちらか一方が欠けても成り立たぬ。そういうことだ」

 

 二人はそんなことを言って、その場から文字通り消えた。今回は本当に瞬間移動でも使ったのだろう。

 

「悲願、ねえ」

 

 前にシルトと遭遇した時に彼女が言っていたことを思い出す。人間への復讐は肯定できると言っていた。ということは、シルトとあのクレナイとか言う男にとって、今は人間は敵なのだろう。その理由は容易に想像できる。グリューネシルトの世界水晶の力の衰退は、人間の活動によるものという説もある。それに、最近は各世界の世界水晶も衰退しているとの噂もまことしやかに流れている。

 

「多分あの子たちの目的は世界水晶の力の回復と保存。今は人間がそれを阻んでいるかもしれないって感じかな」

 

 アイリスは一人で納得すると、マユカに歩み寄った。マユカは、凛とした表情で屹立している。アイリスには、無理してそうしているようにしか見えなかった。

 

「マユカ、辛いなら、無理しなくてもいいんだよ?」

 

「大丈夫です。それよりも、早く作戦を完遂する方が先決です」

 

 マユカはアイリスを見据えて言った。マユカの瞳からは悲壮な覚悟が伝わる。下手に同情じみた感情を抱いて擦り寄るよりも、マユカの言うようにした方が彼女にとっても楽だろう。

 

「うん、そうだね。とっくにルビーも逃げちゃったようだし」

 

 アイリスは適当なマイクの前に立った。そして、学校中に音声が流れるようにセッティングし、マイクに向かって告げる。

 

「司令室は私たち、T.w.dが占領したよ。投降を勧める。戦い続けるって人は……まあ、頑張って。(ハイロゥ)の周りは押さえてあるってことも言っとくよ」

 

 そこでマイクを切ると、アイリスは状況確認のためにモニターに目を向けた。すると、体育館の映像に目が止まった。マユカも真っ青な顔で釘付けになっている。

 

「あいつら……! 殺してやる!」

 

 アイリスは激情に燃えた。エクシードの発動を阻害する結界をアルバディーナに張らせているのは自分の指示だが、それでもこの戦いもせずに状況を利用するような卑劣な輩を、アイリスは許せずにはいられなかった。

 

「この場は任せたよ、マユカ。誰か残らなくちゃいけないから」

 

 マユカは何か言いたげにしていたが、固く頷いた。アイリスは耐えるような表情をするマユカに親指を立てる。

 

「安心して。私があなたの友達を守るから。それに、私は死なない。絶対に」

 

「……私ならともかく、激情に任せて行動したら、ダメです。リーダーであるあなたがそれでどう部下に示しをつけろというのですか。だから、私に行かせてください」

 

 アイリスはマユカに目を見つめられる。マユカはアイリスを諌めるように言ったが——実際、そういう意味もあるのだろうが、マユカも怒りに震えているというのは目に見えていた。

 

「そうだね。私が浅はかだった。行って、そしてあの子たちを助けてあげて」

 

 マユカは当然、というように頷いてみせると、エレベーターのある方に向かって駆け出していった。その姿を見届けると、アイリスはふう、とため息を吐いた。

 

「甘いな、私たち。あの子たちは敵なんだから、あの状況は好都合なはずなのに」

 

 しかしとても許せるものではなかった。あのような人を見捨てることなど、アイリスには出来なかった。

 

「せめて、他のところは徹底しようか」

 

 アイリスはそう呟くと、アルバディーナに無線を繋いだ。

 

「抵抗する意志のある青蘭学園の生徒は駆逐して、徹底的にね」

 

「分かったわ。みんなにもそう伝えておく」

 

「うん、ありがと」

 

 アイリスは無線を切った。そしてそれをポケットにしまうと、適当な椅子に腰掛けた。この場の構成員にも見張りを残して座るように合図を送り、アイリスは背もたれに体重をかけてリラックスする。ぼんやりと天井を眺めていると、誰のかも知らない悲鳴が聞こえた。上ではまだ戦っている。

 

        ***

 

 マユカは廊下を駆ける。エレベーターが壊れていたために上に上がるのにかなりの体力を消耗したが、休んではいられない。

 道中で、体育館に向かっていると思われるルビーを発見した。気づいたルビーはぎょっとしたように声を上げた。

 

「マユカ!? 私を追ってきたっていうわけ!?」

 

「今はあなたのことは後回しです。美海さんたちを助けないと……!」

 

 何かを聞こうとするルビーを追い越して、体育館に到着した。ペース配分を全く考えていなかったせいか、息切れが酷い。だが、休んでいる暇はない。閉まっている体育館の鉄扉を蹴破った。一斉にその場の男たちに視線が集まる。それを気にせずに、マユカは美海、ソフィーナ、ユーフィリアを探す。ソフィーナと美海は互いに近い位置いた。助け出す順序は、ソフィーナ、美海、ユーフィリアの順が効率がいいだろう。

 そう判断すると、全速力で野獣の群れに突っ込んだ。ソフィーナは下着姿のまま、男たちに弄ばれていた。

 

(エクシードは使えない。けどただの銃なら!)

 

 マユカは腰のベルトに付いているホルダーから拳銃を取り出す。そして、まずソフィーナの周りの男のうちの一人を、一発の弾で撃ち殺した。それで、男たちはマユカに怯えたように一目散に逃げ出して、体育館の外に出た。恐らくあの者たちは投降するだろうが、あのような者と共闘する気はマユカには全くなかった。

 マユカはソフィーナに走り寄る。見たところ、服を剥かれたのはソフィーナだけのようだ。

 

「……立てますか?」

 

 マユカは泣き腫らした顔のソフィーナに、手を差し伸べる。ソフィーナは暫しそれを呆然と見つめていたが、やがて堰を切ったように声を上げて泣き出し、マユカに抱きついた。

 

「マユカああああ! 私、怖かったよおおおお!」

 

 マユカは一瞬迷った。今なら、ソフィーナを簡単に始末できる。しかし、意地っ張りで、殆ど涙を人前で見せなかったソフィーナが、今こうして、羞恥を気にせずに慟哭している。

 

「甘いな、私。——いいですよ、今この場では、L.I.N.K.sのマユカ・サナギでいます。だから、思い切り泣いてくださいね」

 

 マユカはソフィーナの背中を撫でた。ソフィーナは更に泣き続ける。そうしている間に、美海とユーフィリアが近づいて来た。

 

「マユカさん。助けてくれたことには礼を言います。本当にありがとうございました」

 

 ユーフィリアが深々と頭を下げる。それは心の底からの感謝の表れだった。マユカは微笑みながらユーフィリアに声をかけた。

 

「顔を上げてください。私は人として当然のことをしたまでです。頭を下げられるほどのことでもありません」

 

 ユーフィリアが渋々、面をあげる。それと入れ替わりに、美海が尋ねてきた。

 

「ねえマユカちゃん。あなたは、本当に、T.w.dの一員なの?」

 

「はい。そうです」

 

 マユカは、ソフィーナを抱きながら即答した。美海の瞳に、若干ながら失望の色が宿る。

 

「迷わないでください。心に迷いのある人には隙が出来ます。あなたがたの死は私も望みません」

 

 マユカは淡々と美海を諭した。すると、美海は涙ぐみながらマユカを責めるように告げた。

 

「じゃあなんで! あの時私やソフィーナちゃんを殺そうとしたの!? 私たちが死ぬのが嫌なら、なんで!?」

 

「……あの時は殺そうとはしていませんでした。ただ、身も心も再起不能にまで追い込んで、戦いから遠ざけたかった」

 

 マユカは美海の剣幕から目を背けて答えた。そして、美海から逃げようと、ソフィーナに声をかける。

 

「ソフィーナさん、立てますか?」

 

「……ええ、もう大丈夫よ」

 

 ソフィーナは自分から進んでマユカから離れ、腕を組んだ。その顔には泣き腫らした跡がくっきり見えるが、すっきりしていた。

 

「では、私はこれで」

 

 マユカは逃げるように来た道を戻った。すれ違ったルビーに呼び止められるが、振り切って走った。後ろ髪引かれる思いだったが、歯を食いしばって走り続けた。

 そうしていると、曲がり角で、人とぶつかってしまった。

 

「マユカ? どうかした?」

 

 激突した相手は、フィアだった。同じT.w.dの構成員で、少しホッとした。

 フィアはじっと、不思議そうにマユカの顔を覗き込む。そしてそのまま、人差し指でマユカの目尻を拭った。

 

「マユカ、泣いてた。戦うのが辛いなら、アイリスに頼んで休ませてもらうといい」

 

 マユカはそこで初めて、自分が泣いていたことに気づいた。

 

(私、あの人たちのこと、そんなに愛していたんだ。……覚悟、決めないと)

 

 恐らく、この先戦いを続けるうち、あの四人と遭遇することもあるだろう。その度に、このような、辛い思いを抱いたらいつか壊れてしまう気がしてならなかった。

 

「次は殺す……」

 

 その言葉が自然に口から発せられた。フィアが不思議そうに顔を覗く。それに気づいて、マユカは残った涙を払って取り繕う。

 

「あ、もう大丈夫です。戦えます」

 

「そう、ならいい。私は任務に戻る」

 

 フィアは無表情に言うと、マユカに背を向けた。が、思い出したように振り返った。相変わらず無表情だが、その顔から、どこか孤独で、虚ろなものを感じる。

 

「私のような生き方を選ばないようにして。それだけ」

 

 フィアはそう忠告すると、また踵を返して、廊下の奥に消えていった。

 残ったマユカは、フィアの言葉を反芻していた。そうして、フィアの生き方を思い出す。

 

(戦いが全てと、確か統合軍にいた頃は口癖のように言ってたっけ)

 

 自分も、美海たちを失ったら、そうなってしまうのだろうか。マユカはぼんやりと思う。

 

「そうならないように、って言っても、どうするべきだろう?」

 

 考えても答えは見つからなかった。途方に暮れたマユカは、思考を切り替えてアイリスのいる司令室に戻って行った。

 

        ***

 

 フィアは、廊下を歩きながら、アイリスに誘われる前の自分を思い出す。戦うことが生きる全てであり、またその場を与える統合軍は正義だと信じていた頃だ。今から思えば、後者の考えは馬鹿だったと笑い飛ばせる。しかし、前者の考えはまだ変わっていない。だが、悲しい生き方ということを、自覚している。

 まだT.w.dが緑の世界の、小規模なレジスタンスだった時に、その掃討作戦があった。フィアは、それに参加していた。その時の苛烈な攻防は今でも鮮明に覚えている。初めは、所詮はただの人間しかいないレジスタンスと舐めきって、物量で押せば勝てると誰もが思っていた。しかし、先発部隊が全滅したとの報が伝えられてから、腰の入れ様が変わった。作戦を大幅に見直し、綿密に練られた。

 しかし、それでもT.w.dの抵抗は激しかった。その時のT.w.dの本拠地は枯れた森林にあったのだが、その地形を利用したゲリラ戦で、訓練された統合軍を圧倒した。双方、大勢の死者を出した。

 そして、この作戦の中、唯一アイリスまで辿り着いたのが、フィアだった。その時、もうフィアのいる部隊は全滅してしまっていた。

 月夜の下。スマッシュ・ファウストを向けるフィアに、アイリスは尋ねた。その姿は月の影に隠れてよく見えない。

 

「ねえ、あなたの戦う理由は何?」

 

 フィアはこの声を聞いたとき、拍子抜けした気分だった。小規模とはいえレジスタンスをまとめるトップの者の声にしては、あまりにも幼かった。が、不思議な畏れを感じた。

 

「私の戦う理由は、私が私であるため。それ以外にはない」

 

 気がつくとフィアはそう答えていた。答えないといけない気がしてならなかった。

 

「戦うことがあなたのアイデンティティなんだね。悪くないと思うよ、私」

 

 そうして、アイリスは姿を現した。この時は今の軍人のような姿ではなく、みすぼらしい格好をしていた。

 アイリスはフィアよりもひと回り小さかった。にも関わらず、フィアを圧倒してくる。初めて、恐怖を味わったのもこの時だ。喉が乾く。体全体が信号を発している。この女は危険だと。

 警戒するフィアを、アイリスは銀色の月明かりの映える長髪を揺らしながら、コロコロ笑った。

 

「やだなあ、そんなに怖がらないでよ。私、あなたのこと気に入ってるんだよ? だから私はあなたを殺さない。むしろ私の元に来て欲しいくらいだよ」

 

 フィアはアイリスへの警戒を解かなかった。油断させるための罠かもしれない。軍からはアイリスは狡猾な人物と聞いている。いくら友好的にしてきても、裏で何を考えているか分からない。

 

「まあいいや。あなたの帰り道は開けておくから、今日のところは帰ってもいいよ。あなたの信念が揺らいだら、もう一度私のところに尋ねてきてね」

 

 アイリスは諦めたように言った。フィアは動かなかった。これも罠の可能性がある。道は開けたと言っておいて、道中で仕掛けてくる。可能性だってある。

 フィアが仁王立ちしていると、しびれを切らしたかのようにアイリスがため息をついた。そして、フィアに駆け寄ってきた。

 

「しょうがないなあ。私がエスコートしてあげるよ。さあ、行こ?」

 

 アイリスがフィアの手を握る。フィアは反射的にその手を払いのけ、距離をとった。すると、不意にアイリスが手を叩いた。

 

「素晴らしいよ! その反応は戦士として訓練されている証拠! ……でもね」

 

 アイリスはふっと表情を消すと、軽く深呼吸をして——その(丶丶)名を告げた。

 

「ブルーティガー・ストースザン」

 

 その瞬間、アイリスの左腕が銀の風を纏った。やがてそれはある形を形成していく。手首から手の甲までを包む風は落ち着いた色の鋼の手甲に、そして手首のあたりから体の外側に伸びるのは、ダマスカス鋼を思わせる、波模様の、微かに赤黒さを帯びた三本の刃。それらが、フィアに向けられた。

 

「私と戦う気なら、命がいくつあっても足りないと思った方がいいよ」

 

 心臓を鷲掴みにされた気分だった。フィアは、おとなしくアイリスに従うことにした。

 

        ***

 

 それから、何事もなかったように時が過ぎた。あの時の作戦は失敗して、フィア以外は全員戦死した。面子を潰された統合軍は、腹いせにレジスタンスを片っ端から潰していくという方針を立てた。

 あるレジスタンスの撲滅作戦に、フィアが参加した時のことだった。アジトの制圧後、軍の誰かが偶然発見した隠し扉の中に、まだ十にも満たない子供達が、体を寄せ合って震えていた。

 彼らを見て、この作戦の司令官はこう告げた。……殺せ、と。反乱分子の種は、今のうちに刈り取っておかねばならない、とも言った。

 そして、その子供たちは、フィアの目の前で射殺された。フィアの心が、激しく揺れた。

 その晩のうちに、フィアは宿舎から抜け出した。統合軍は戦う場所ではない。人を殺すだけなのは戦いではない。今日のあの命令は、全く合理的ではなかった。統合軍の上層部の鬱憤を晴らすためにやったとしか思えなかった。

 やがて、夜の緑の世界を走り抜け、フィアはT.w.dのアジトに辿り着いた。するとすぐに、アイリスが姿を現した。

 

「どうしたの? 統合軍が嫌になった?」

 

「あそこは私が身を置く場所ではない。ここが身を置く場所かはまだ分からないが、少なくとも、もう統合軍にいる気がないのは確か」

 

 フィアは拳を握りしめ、そう告げた。すると、アイリスが手を差し伸べた。口元は笑っているが、瞳は真剣そのものだ。

 

「T.w.dに入るための条件はただ一つ。私を信頼して。私もあなたを信頼するから」

 

 フィアは、アイリスの小さな手の平を見つめ——迷うことなくその手を取った。アイリスが微笑む。その笑顔は、子供のように純真で、真っ直ぐだった。

 この微笑を見た時、フィアは決心した。闘うという行為を、この少女に捧げようと。

 

「じゃあ今日からあなたはT.w.dの一員だ。早速頼みがあるんだけど、あなたには、内通者をやってほしい。統合軍の情勢を、教えてほしいんだ」

 

 アイリスが手を握ったまま、フィアに告げる。フィアは固く頷く。そして、ポケットから一つの携帯端末をアイリスに差し出した。

 

「これを渡す。この端末に連絡を入れる」

 

「うん、ありがとう。今日は、これでお別れかな?」

 

「そういうことになる。けど、定期的にここに来ることにする」

 

「分かった。ばいばい」

 

 アイリスが手を振った。フィアにはそれが何を示すのか分からず、戸惑ったが、どうやら別れを示しているようだということを悟った。見よう見まねで、手を振り返して、また統合軍の宿舎に戻っていった。

 

        ***

 

 マユカと入れ違いに体育館に入ったルビーは、美海たちに司令室での出来事を説明した。ここで何が起こったかについては、触れないようにした。

 

「なるほど、さっきのアナウンスはハッタリじゃなかったってことね」

 

 制服の上着だけを着たソフィーナが、顎に手を当てて呟いた。

 

「うん。だけど、今の私たちにはT.w.dから青蘭学園を奪い返すだけの力は無い。あいつらが青蘭学園から大人しく出してくれるとは考えにくいから、逃げるとしたら、赤の世界、黒の世界、緑の世界ね。白の世界はあいつらの仲間が多いから無理ね」

 

 ルビーはそう言いながら、あの謎の男、クレナイのことを思い出した。あの男が戦うと、ルビーも戦意高揚して、戦闘意欲が増してきた気がしたのだ。それが恐ろしかったというのも、あの場から逃げ出した理由のひとつだ。その他の理由は、単に自分の手に負えないと思ったからである。

 

「とにかく、それならまずはどこに行くか決めないと!」

 

 美海は急かすように言う。ルビーはそれを受けて、

 

「そうね、早く決めないと。私は赤の世界に行くわ」

 

 ルビーは赤の世界出身だ。それに、故郷には姉もいる。あまり心配をかけさせたくない。

 続いて、ソフィーナが意外なことを口にした。

 

「私も赤の世界に行くわ」

 

 ソフィーナの発言に、三人にどよめきが起きた。ソフィーナはさらに続けて言う。

 

「醜態晒した後だもの……! 今のままじゃ、とても魔女王様に顔向けできるもんじゃないわ。もっと強くなって、こんな結界を張られても魔法が使えるようにしてやるわ!」

 

 ソフィーナは、強く歯を食いしばり、拳を爪が食い込んで血が出るほど強く握りしめた。必死に、受けた辱めに対して復讐心を燃やす様子が目に見える。

 

「ソフィーナちゃんとルビーちゃんが行くなら、私も行くよ。ユフィちゃんもそうでしょ?」

 

「はい。この四人は、できるだけ揃っていた方がいいでしょうし」

 

 美海とユーフィリアが口々に言う。それを聞いて、ルビーは、外に通ずる道を少し行って、振り返った。

 

「そうと決まれば、早く行きましょう? ここに留まっていても、することなんてないし」

 

 三人が、強く頷く。そして、すぐルビーに追いついてきた。それを合図として、四人は外へ飛び出した。戦うための逃走が始まる。


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