Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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覚醒

 アインスは、今の状況に苛立ちを感じていた。ジュリア本体は人形によるガードで守られていて、その人形をいくら潰してもキリがない。どうやら、壊れても人の形を保っていれば操れるらしく、ミリアルディアを刺した程度では人形の動きを止めることはできなかった。しかし、アインスはそれよりも、銃のグリム・フォーゲルでちまちま人形を撃っているマユカに対しての苛立ちの方が強かった。

 

(なんで大剣のグリム・フォーゲルを使わないの……!? あれなら人形の守りを突破できる可能性があるのに!)

 

 だが、その不満をマユカにぶつけるわけにはいかない。そうしてしまえば、不和が生じていることをジュリアに悟らせてしまうことになる。そうなれば、相手は一人殺してももう片方に復讐される心配が少なくなるという安心感が生まれ、心の余裕を持たせてしまう。ジュリアは元から余裕が有り余っているようだが、それでも仲違いを気取らせるわけにはいかなかった。

 

「頑張るわね。あのユニという子が援軍を引き連れてくるなんて保証はないのに」

 

 ジュリアが声をかけるが、アインスは無視する。自分は、ユニを信頼して助力を頼みに行ってもらった。援軍が来るまで、引くわけにはいかない。

 しかし、その間にも、マユカに対する苛立ちはつのっていった。とうとう我慢しきれなくなって、アインスはマユカに怒鳴りつけた。

 

「マユカ・サナギ! グリム・フォーゲルを大剣で出して! 早く!」

 

 するとマユカは、怯えたように答えた。

 

「あ、あれを使ったら、ジュリアさんを、こ――」

 

「あいつはこっちを殺す気でいる! あいつの命を気遣ってる余裕なんてない!」

 

「アインス・エクスアウラの言う通りよ。そんな様で戦闘に参加する気かしら?」

 

 マユカの言葉にかぶせるように言ったアインスに続いて、ジュリアがマユカに訊いた。ジュリアのマユカを見るその目は、敵を見る目でないような気がした。

 

「……わ、私は……」

 

 マユカは、それだけ言って俯いてしまった。アインスはマユカから戦意が喪失したと判断すると、ジュリアに向き直って、マユカに告げた。

 

「マユカ・サナギ。あなたは日向美海とソフィーナ、ルビーを安全な場所に連れてって。私一人でこいつを壊して、ユーフィリアを助ける」

 

 窓に映るマユカを見ると、彼女は自分の指示通りに三人を担ぎ上げて、離れていった。だが、不審なことが起きた。てっきり、ユニの時のように、マユカの背後に攻撃を仕掛けると思ったのだが、ジュリアは人形でできた壁の隙間からその姿を見送るだけだった。

 

「どうしてマユカ・サナギは攻撃しないの! ユニの時は攻撃したくせに!」

 

 アインスが問うと、ジュリアははぐらかすように答えた。

 

「さあ、なぜでしょうね? 忘れちゃってたのかしらね」

 

 アインスは、これは嘘だと確信した。問い詰めても、ジュリアは真面目に答えないだろう。なら、会話を続けても意味がない。

 アインスは、懐からエクシードを無理矢理強化する装置、エンハンストを取り出すと、右手の甲につけた。装着する場所はどこでもいい。つけた場所から、エンハンストが体内に根を張り、リンクした時と同等の強化がなされる。エンハンストが根を張る感覚ははっきり言って悍ましいもの以外の何物でもないが、その嫌なあえて感覚を味わうだけの見返りは十分にある代物だ。

 

「ミリアルディア!」

 

 アインスは、100を超える数のミリアルディアを、一瞬で出現させた。そして、それらを全てジュリアに向け、飛ばした。ミリアルディアの軌道は変幻自在。これまでは人形の数がミリアルディアの数に対して以上に多かったということもあって、攻撃が阻まれてしまっていたが、今回は違う。ほぼ同等だと思われる。そして何より、今は廊下で戦っている。片側が壁、片側は窓ガラス。逃げる手段はそう多くない。

 ジュリアは、先ほどまでと同じように人形を動かして防御していたが、何本か捌き切れなかったようで、5本程度だが、人形の壁を突破した。そして、確かな手応えを感じた。だが、ジュリアにどのような負傷を負わせたのか、確認できなかったため、アインスは一旦攻撃をやめた。すると、ジュリアが自ら人形の壁を解いて、姿を現した。彼女の人形は、もう殆どボロボロになっていた。防御能力も攻撃能力も殆ど残されていないだろう。そして、ジュリア本人には、右肩に一本、右腕に二本、腹部に一本、右胸に一本のミリアルディアが刺さっていた。ジュリアは、それらを抜きながら、無理に作ったような余裕の笑みを見せて言った。

 

「……やるわね。六割本気の私にこれだけやれるとは、少し甘く見ていたようね」

 

 アインスは、その言葉に戦慄を覚えた。ブラフという可能性もあるが、それはないと、軍人としての感が告げていた。

 

「さっきまでは守りが中心で迎撃を目的としてたけど、今からは違うわ。一割増しで七割本気よ。こっちから攻めに転じてあげる。私から攻めるなんて滅多にないことだから、ありがたく思いなさい」

 

 ジュリアはそう言うと、抜いたミリアルディア五本の柄をを人形を操るためのものと思われる糸でくくった。そして、それをアインスに見せてきた。

 

「ねえ、私のエクシードって、人形を操る能力なの。そしてこれ。この結んだ五つのナイフ、柄が胴体、出てる四本の刃が両腕両足、残りの一本の刃が頭って考えたら、人の形に見えない?」

 

「何が言いたいの」

 

「簡単なことよ。人形っていうのは人の形って書くわ。だから、これも人形になるわよねっていうことよ」

 

 そのジュリアの言葉で、アインスは彼女が何をしようとしているのかを悟った。

 

「戻って! ミリアルディア!」

 

 アインスが叫ぶが、ミリアルディアは一向に帰ってくる気配がない。ジュリアの手の上で弄ばれているだけだ。

 

「どうして!? エンハンストも使ってるのに!」

 

 疲れや焦りもあって、頭が混乱してきた。その様を見かねたように、ジュリアがため息をつくと、胸元をはだけさせた。そこに見えたのは、確かに自分のものと同じ、エンハンストだった。

 

(どうしてあいつがエンハンストを……? あれはグリューネシルトの、それも限られた人間しか持っていないはずなのに……)

 

 どうやら、ジュリアの背後に緑の世界がいるようだ。とすると、先まで不審な行動が幾つも見られたマユカもその一員である可能性が高い。だが、それをジュリアに訊いたところで答えるはずが無いと、アインスは分かっていた。だから、敢えて訊こうとしなかった。

 ジュリアは、はだけさせた胸元を戻しながら、目を細めて言った。

 

「これで分かったでしょう? こちらもエンハンストを使ってるから、第一条件は対等。じゃあ、どうしてあなたが制御できないのかは、分かるわよね」

 

 アインスは、ぎこちなく頷いた。答えは簡単だ。単純に、ジュリアのエクシードの方が自分のものより強大だということ。

 

(……迂闊に攻撃できなくなった。多分、ジュリアのエクシードは、人形を操るんじゃなくて、正確にはジュリアが人の形をして(丶丶丶丶丶丶)いると認識した(丶丶丶丶丶丶丶)もの(丶丶)を操る能力。それが無生物であるとは限らない……。私だって、操られるかもしれない)

 

 アインスは、唇を噛んだ。さっきまで形成逆転したつもりだったが、今では逆に危機だ。いつ自分が操られるのかも分からない。ジュリアは、そのようなアインスを見て、くすくすと笑った。

 

「安心なさい。まだ七割本気でしか相手する気ないから、あなたを操ることなんてしないわ。人間を操るのはよっぽどの時くらいよ」

 

 アインスは、その言葉を信じることにした。信じないと、余計に考えることが増えて錯乱してしまうような気がした。もしマユカに裏切られたら、その時はその時――そう考えることにした。

 ジュリアが、髪の毛を弄りながら訊いてきた。

 

「考え事は済んだかしら?」

 

「うん。おかげさまでね」

 

「そう。ならこれ。返してあげるわ」

 

 ジュリアはそう告げると、ミリアルディアで作った人形を投げてきた。速い。あと二秒後には、軌道から予測するにアインスの左胸に刺さっているだろう。ミリアルディアで反撃する余裕はない。逃げても、追尾してくるに決まっている。ならば、と、アインスは体を楽にした。ミリアルディア人形が迫る。しかし、アインスは動かない。そして、ミリアルディアで出来た人形と左胸までの距離が、手がギリギリ入る程度になった瞬間、そこに左手を差し込んだ。ミリアルディアの刃の一本が左の手のひらに刺さり、流血する。だが、ミリアルディアの人形の動きは止まった。アインスは、左手にミリアルディアを柄が手のひらに引っかかるまで押し込むと、それを掴んだ。

 

「これで止めた……ッ!」

 

 アインスが、そのまま左手に刺さっていない、二本のミリアルディアをジュリアに向けた。一本はジュリアの心臓を狙うため、もう一本は人形を操っている糸を切断するため。使うミリアルディアを二本にしたのは、先ほどよりは人形の数が少なくなったのと、ジュリアに奪われる可能性があるため、その本数をなるべく少なくするためだ。

 アインスが、攻撃しようとした所で、突然ジュリアが笑い出した。

 

「あなた、頭悪いの? そんなので私のナイフ人形を止めたつもり? ――自分の武器の切れ味、その身で味わいなさい」

 

 アインスは、ぎょっとして左手を見る。すると、左手に激痛が走った。ミリアルディアが、反時計回りに回ろうとしている。アインスは慌てて手のひらから抜こうとしたが、遅かった。手のひらが、中指と薬指を境にして二つに割れた。そしてさらに、ミリアルディアは腕まで切り進んで行った。そのこれまで感じたことのない、地獄のような痛みに、アインスは絶叫した。ミリアルディアは肩まで切り進んだところで、ジュリアの元に戻っていった。恐る恐る左腕を見ると、肩骨の下から中指と薬指の間のヒダまで、真っ二つに裂けていた。

 

「終わりね」

 

 そのジュリアの声が遠く聞こえた。大量の失血のせいか、だんだんと意識が朦朧としてきている。膝が床に着いた。霞んだ視界の中、日本刀を持った人形がこちらに迫ってきていた。アインスは、死を覚悟し、目を閉じた。だが、その瞬間、ガラスを割る音が聞こえ、衝撃波を感じた。目を開けると、アインスの前に、金髪長身のアンドロイドが、威風堂々たる様で佇んでいた。先の人形は、廊下の隅に日本刀諸共、バラバラになっていた。

 

「遅くなって申し訳ありません。私たちに任せて、退避してください」

 

 そのアンドロイドが告げる。アインスは「私たち?」と、周りを見回すと、二人の天使と、一人の男が、アンドロイドが割った窓から入ってきた。天使の一人は翼が右にしかなかった。その片翼の天使が、こちらにゆっくり近づいてきた。

 

「完全にその怪我を治すことはできませんが、止血はできます。……祈りよ、届いて」

 

 すると、アインスの左腕が優しげな光に包まれ、流血と痛みが止まった。

 

「……ありがとう」

 

 アインスが、唖然としたまま礼を言うと、もう一人の天使が、

 

「汝、歩けるか?」

 

「な、なんとか……」

 

 アインスは、よろめきながら立ち上がった。血は止まったものの、多量の失血のせいか、まだ意識がぼんやりとしている。

 

「悪いが、自力で安全な場所に行ってもらえるか? 我らは早急に此奴を始末せねばならない」

 

「うん。分かった。気を付けて」

 

 アインスはそう言うと、足が縺れさせそうになりながら、ジュリアに背を向けて歩いて行った。すると、背後から何かが飛来してくるような音がしたが、物が何かに弾かれるような音もした。あの四人の内の誰かが自分を守ってくれたのだろう。アインスは、すっかり安堵して、そのまま歩き続けた。

 

        ***

 

 レミエルの魔剣がジュリアが飛ばした鋸を弾いたのを秀が確認した時、目の前にいる、体の一部に傷を負いながらも、そうとは感じさせない笑みを浮かべているジュリアが、自分等を一人一人見つめながら口を開いた。

 

「コードΩ33カレン、導きの大天使ガブリエラ、この前の片翼の天使に、上山秀」

 

 ジュリアは最後に秀の名を告げると、からかうような視線を秀に向けてきた。

 

「やはり、サングリア=カミュのところで訓練していた上山秀はあなたね。生きていたとは心外だったわ。ねえ、どうだった? あの子に可愛がってもらえて幸せだった?」

 

 秀は、ジュリアの言い方から、カミュと過ごした三ヶ月間の一部始終を、ジュリアは知っていると確信した。

 

「どうしてそのことをお前が知っている」

 

「風の便りよ」

 

 ジュリアは、秀の怒りなど意にも介さずに、含み笑いをして答えた。そのようなジュリアの態度が、秀を苛立たせた。

 

「ふざけるな! 本当のことを言え!」

 

「言っていいの? 言ったらあなた、間違いなく戦意喪失して真っ先に私に殺されると思うけど。それなら、知らないままの方がいいんじゃないかしら。まあ、どうしてもって言うなら、教えてあげなくも、ないけれど?」

 

 挑発するようなジュリアの言い方に、秀は完全に頭に血が上った。秀が亜空間収納庫からハンドガンを取り出そうとしたところに、ガブリエラに頭を軽く殴られた。

 

「何をする!」

 

「落ち着け愚か者。相手のペースに乗せられるな。明鏡止水。これを心掛けろ。でなければ、いくら技術があったとて戦いで生き残れんぞ」

 

「……分かった」

 

 秀は、深呼吸して心を落ち着けると、ガブリエラに返事をした。

 

「一応、言われれば、だけど、感情のコントロールは出来るみたいね。えらいえらい」

 

 ジュリアがころころと笑った。そして、その笑みのまま、レミエルに体を向けた。

 

「ねえ、そこの片翼の天使さん、名前は?」

 

「レミエル、です」

 

 レミエルは固い表情で答えた。その様を見つつ、秀は無駄と分かっていたが、一応αフィールドが展開できるか試してみたが、分かっていた通り駄目だった。

 

「緊張してるの? 肩の力、抜いた方がいいわよ。せっかくそんな能力を底上げするような服を着ているのに、体に力が入ってちゃ、能力を存分に活かせないわ」

 

 ジュリアは、笑みを絶やさず忠告した。おそらく、それくらいしてやっても勝てる、という絶対的な自信があるのだろう。

 

「アドバイス、ありがとうございます。ですが、それで後悔することのないように」

 

 レミエルは、ジュリアを射抜くような視線で見つめて言った。ジュリアは、その視線に表情を崩さずに応えた。

 

「いい目ね。余程の覚悟があるようね。いいわ。掛かって来なさい」

 

 ジュリアはそう言うと、魔法の詠唱を始めた。その隙に、カレンとガブリエラが、多少の時間差を以って跳躍した。一瞬後、カレンの蹴撃がジュリアを襲うが、ジュリアは紙一重でそれを躱してみせた。しかし、その躱した先には、ガブリエラが剣を振りかぶっていて、今まさに斬りかからんとしていた。だが、その瞬間、ジュリアの詠唱が終わった。とても数えられないほど大量の新品同様人形が召喚され、それにガブリエラの斬撃が止められた。ガブリエラが後退し、ジュリアは人形の中に身を隠す。そこで、秀はレミエルに叫んだ。

 

「レミエル、ようやく俺らの仕事が入ったぞ!」

 

「はい!」

 

 秀は、亜空間収納庫からマシンガンを取り出し、とにかく撃ちまくった。狙うは人形。数が多いため、特に狙いをつけなくとも当たってくれる。

 

「祈りよ!」

 

 レミエルは、錫杖を掲げた。何本もの魔剣の創造。レミエルは、カレンやガブリエラに当たらないようにしながら人形たちに対して剣雨を降らせた。

 実験棟に乗り込む前、秀たちは役割をそれぞれ決めていた。秀とレミエルは人形の撃破、カレンとガブリエラはヒットアンドアウェイでジュリアにダメージを与える。手練れであり、尚且つ一対一の戦いに強いカレンとガブリエラなら、ジュリアに決定的な一撃は与えられなくとも、ジュリアの体力を消費させることができるだろうという考えだ。

 実際、その目論見は当たったようで、穴を開けては攻撃し、穴を開けては攻撃し、としていると、人形の壁の中から、ジュリアの荒れた息が聞こえてきた。

 

「流石にキヌエとフルフェイスやファントムとは違うわね。七割半の本気でいくわ」

 

(ファントム……? なんでこいつ、ファントムと戦った風に言うんだ?)

 

 ジュリアはそう言うと、五本のナイフで出来た人形のようなものを取り出し、人形の壁の隙間からガブリエラに投げた。

 

「こんなもの!」

 

 ガブリエラは、そう言って大剣でナイフ人形を弾いた。だが、そのナイフ人形はまたガブリエラを襲った。その軌道は、ガブリエラの顔面を狙うもの。ガブリエラはそれを紙一重の差で躱したが、それがいけなかった。ナイフ人形が急に軌道を変え、ガブリエラの右肩に突き刺さった。その右肩から血が噴出する。レミエルが血相を変えて、ジュリアへの攻撃を中断してガブリエラに駆け寄ろうとした。

 

「ガブリエラ様!」

 

「来るなレミエル! 汝まで食らいたいか! そんなことよりも、どうせ奴への攻撃を止めるのなら、このナイフ人形のジュリアと繋がっている糸を切れ!」

 

 レミエルがはっとした様子で頷く。そして、魔剣を造り、構え、見定めるようにガブリエラとジュリアの間の空間を睨んだ。

 だが、瞬間、ナイフ人形が回転し始めた。ガブリエラが膝をつく。ナイフ人形が、ガブリエラの体の中に埋まっていく。

 秀は、助けたくても助けられないジレンマに襲われた。ここでレミエルと同じように攻撃を止めれば、ジュリアの人形を攻撃する者が誰も居なくなる。カレン一人では、いずれ限界に達するだろう。レミエルがなんとかしてくれる——そう思って、ガブリエラを横目に、ジュリアの人形への攻撃を続行しようとしたその時、信じられないものを見た。

 

        ***

 

 レミエルは、ガブリエラの苦しげな呻き声を耳にしながら、ガブリエラとジュリアの間の空間を注視していた。だが、いくら見極めようとしても、ナイフ人形を操っていると思われる糸は、一向に見つからなかった。息が荒くなり、汗がとめどなく流れ、焦燥感に襲われる。

 

(早く見つけないと。ガブリエラ様が——!)

 

 焦りで気が変になりそうになっていたその時、何か重いものが落ちるような音が聞こえた。それと同時に、全ての人形が床に落ちて、ナイフ人形の刃の進行が止まった。何だかよく分からなかったが、これは好機とガブリエラの体からナイフ人形を引っこ抜き、ジュリアの方を見てみると、そこには、メルトのパンダのような乗り物のばさしと、それに乗ったレボ部の面々がいた。

 

「どうして来た。人殺しをする覚悟がないんじゃなかったのか」

 

 秀があずさを睨んだ。だが、あずさは全く怯まずに、ばさしから降りて秀に素っ気なく言った。

 

「覚悟はできたわ。レボ部のみんなもね。じゃなきゃ、ジュリアの真上にユノに瞬間移動してもらうなんてことしないわ。それと、ユニには留守番頼んであるから」

 

 あずさの言葉に、ユノ、シャティー、メルトが頷いた。

 

「……そうか」

 

 秀は納得したように呟いた。すると、カレンがジュリアに寄った。

 

「死体確認をせねばなりません。これで死んだとは限りませんし」

 

 そう言って、カレンがジュリアに触れようとした、その瞬間。床の上の人形に突如として魔法陣が描かれた。

 

「逃げろ……!」

 

 血塗れのガブリエラが、掠れた声で叫ぶ。それに気付いた秀が、レミエルを突き飛ばした。そして、レミエルとガブリエラを除く全員の体を、魔術的な光が貫いた。レミエルと秀を繋ぐ何かが、切れそうなくらいほつれた。

 

「はあ、はあ……。危なかったわ。九割本気。ここであなた達を殺すわ」

 

 ジュリアが、息を切らしながら、ばさしを押しのけた。その時、キヌエの死体が見えた。それをクッションにして、ばさしからのダメージを軽減したのだろう。

 レミエルは、ジュリアの攻撃を食らった彼らの様を見た。誰もが床に倒れ伏し、体に大きな穴を開けて血、又は体液の水たまりを作っている。

 

「秀さん、皆さん……ごめんなさい。私が、勝手な行動をしたばかりに……」

 

「あなたのせいではないわ。レミエル、あなたがガブリエラに構おうと構わまいと、結局こうなる運命だったのよ」

 

 ジュリアが優しげな声で告げると、人形たちが魔法陣を描いた。

 

「死になさい」

 

 その言葉と同時に、人形から光線が放たれた。だが、その瞬間、レミエルは、バックステップをしてそれを回避した。だが——背後から、魔法陣が発生するのを感じた。人形を数体背後に回したのだろう。もう着地してしまう。そうしたら、一瞬は必ず硬直する。回避することは叶わない。レミエルの死への恐怖が急激に膨れ上がる。

 

(いやだ。いやだいやだ! 死にたくない、死にたくないよ! だって私はまだ、何も言えてないのに!)

 

 その時、時間の進みが遅くなった気がした。同時に、何かの意思のようなものが、直接精神に語りかけてきた。

 

 ——力を欲すらば、祈れ。さすれば、何処までも強くなるだろう。我と共にある限り。

 

 レミエルは、この意思が今自分が着ている服の意思だと直感的に分かった。今はこれを信じるほかない。まだ、微かではあるが、秀との繋がりも感じる。これならできる、そう感じた。

 

(祈りよ……届いて!)

 

 瞬間、レミエルは己の魔力が増大するのを感じ、そして左眼の奥が熱くなった。痛みにも、快感にも似た感覚が、左眼に発生した。それは一瞬のことで、また、握っている杖の上部の円状になっている部分が、翼を広げたように開いていた。そして何より、左肩に何か異質なものが現れた。直接見たわけではないが、それが何なのかレミエルは分かっていた。翼だ。体から生えてきた、というようなものでなく、魔術的に構成されたもののようだ。

 レミエルは、その翼を使い、方向転換して、光線を回避した。そして、杖を床に突き立てた。すると、それを中心に波動が広がり、秀たちの傷を癒していった。

 ジュリアを見る。すると、彼女は見惚れたようにレミエルを見つめていた。殺気はとうに消え失せ、美術作品を見ているかのようだった。何だか知らないが、チャンスだ——そう思って、二本の魔剣を造り、両手に持ち、大きく振りかぶり、感情を殺してジュリアに振り下ろした。その時、ジュリアの口角が上がったように見えた。だが、レミエルはそれを全く気にせず、ジュリアの両腕を切断した。ジュリアがバランスを崩して床に仰向けに倒れる。そこで、レミエルはジュリアの左胸に魔剣の剣先を突き付けた。起き上がったガブリエラが、奥で倒れたままのユーフィリアのところに向かう。

 

「殺さないの?」

 

 ジュリアが訝しげな目でレミエルを見てきた。

 

「殺す前に、ちゃんと尋問はしなければなりませんので」

 

「ちゃんとやるべきことをやるなんて、素晴らしいわね。いいわ。何でも聞きなさい」

 

 ジュリアは、相変わらずの笑みでそう言ったが、顔から血の気が失せつつあった。無理もない。両腕を斬られているのだ。早く、できるだけ多くの質問をせねばならないだろう。

 

「まず聞きます。あなたは何者ですか?」

 

「私は、黒の世界の人形使いよ」

 

 肩を大きく動かしながら、ジュリアは話し始めた。

 

「私、自分で言うのもどうかと思うけど、結構魔法に関しての才能があったのよ。昔は魔女王様や、異変解決のための力になりたいって、青蘭学園で頑張ってた頃もあったわ。だけどね」

 

「どうなったんですか……?」

 

「私は才能のない者から疎まれたわ。同じプログレスで、共に同じ目標を持っているにも関わらず、ね。それから、彼女らの大半が、異変解決に本気になってないってことを悟って、プログレスに絶望したのよ」

 

「それで、どうしたんですか?」

 

「青蘭学園を退学したわ。でも、故郷に帰っても仕事がなかった。私の才能を活かせる場が、私を必要としてくれる場がなかったのよ。もう死にたくなったわ。そんな時だったわね。T.w.dからの勧誘を受けたのは」

 

「ティー、ダブリュ、ディー?」

 

 初めて耳にする単語だった。話振りからするに、何らかの組織名だということは分かった。

 

「反プログレス、αドライバーと、それらを生み出した世界を滅ぼすことを目的としているわ。その足掛かりとして、青蘭島の世界水晶の位置の特定と、青蘭学園の動向を探るために私は諜報員として、ここに来たのよ。戦闘になったら相手は殺せとも言われたわね。あの時はエンハンストを使ってなかったし、カレンは無理そうだったから退いたけどね」

 

 レミエルは、それで、以前に秀が攻撃されて自分がされなかった訳を理解した。あの時、自分とは交戦状態になっていなかった。そういう訳で、攻撃されなかったのだろう。そう自己完結すると、レミエルは質問を重ねた。

 

「あなたもプログレスなのに、その組織に入ったんですか?」

 

 ジュリアは、レミエルに当然だと言うように頷きを返した。

 

「私にとって目的なんてどうでもいいわ。私を必要としてくれるかどうか、それだけだった。もしそうしてくれるならば、かつての同胞を殺しても構わないって思ったのよ」

 

 レミエルは、ジュリアの淡々と情報を提供する様に、とうとう言葉を失った。あまりにも諜報員らしからぬ態度だ。何か裏があるのでは、とレミエルが考えていると、ジュリアがそれを見透かしたようにふっと笑った。

 

「何でこんなに話すのかって顔してるわね。どうせ、自殺しようとしてもあなたは止めて、風紀委員にでも引き渡すつもりでしょう? そしたらスレイ・ティルダインに頭の中をほじくられるだけ。それが嫌なのよ」

 

 ジュリアはそう言ったが、レミエルにはその言葉がよく分からず、唖然としていた。その様を見たジュリアが、

 

「質問は終わりかしら? なら早く——」

 

「待て。俺からも質問がある」

 

 秀の声が、ジュリアに被さるように響いた。

 

        ***

 

「お前、戦っている時にファントムがどうとか言っていたな。奴らと交戦したことがあるのか?」

 

 秀が尋ねると、ジュリアは小さく首を縦に振った。

 

「ええ。私が全滅させたもの。T.w.dの邪魔になるからね。ついでに言えば教務課と執行部の連中も。流石に奴らは十割の本気じゃないと私でも死んでたかもね」

 

 ジュリアがあっさりと言ったことに、秀はあまり驚かなかった。寧ろ、なるほど、と納得できてしまった。あの実力を見たら、ファントムどころか、教務課や執行部も、圧倒することも出来そうだと思った。

 

「じゃあふたつ目の質問だ。T.w.dはいつここに来る? 規模はどのくらいだ?」

 

「知らないわ。どのくらいの戦力を送り込んでくるかも、いつ来るかもまだ決定はしていない。分かっているのは、緑の世界と、白の世界の一部が彼らに加担しているということ。それと、あくまでこれは予測だけど、春休みかそれ以降には来るんじゃないかしら?」

 

 ジュリアは本当に分からないようで、頭をひねりながら答えた。しかし、彼女からもたらされた、緑と白の世界が関わっているという情報は、秀にとって信じがたいことだった。

 

(待てよ。じゃあカミュもT.w.dにいる可能性があるということか)

 

 その場合は考えたくなかったが、一理はある。秀は、恐る恐るだが聞いてみようと思った。

 

「じゃ、最後だ。お前はカミュとどういう関係だ?」

 

「知らぬが仏よ」

 

 秀の問いに、ジュリアは即答した。もう虫の息といってもいいくらいに弱っているのに、鋭い眼光で、秀を威圧してくる。

 

「……分かった」

 

 気圧されて、秀はおとなしく引き下がった。だが、ジュリアの言葉で、察しはついてしまった。複雑な気分だった。ジュリアはその秀を目を細めて見つめると、首を回して見回しながら言った。

 

「他の人たちも質問はないかしら?」

 

 まだ起き上がったばかりのカレンたちとユーフィリアを担いだガブリエラは、首を横に振った。

 

「無いのね。なら、レミエル。殺してちょうだい——と言いたいけど、その前に、ひとつ」

 

「何でしょうか」

 

 レミエルは訝しげに尋ねた。それを、ジュリアは微笑みで返した。

 

「怖い顔しないで。ただ、あなたの今の姿が、美しいって思っているだけよ」

 

「……ありがとう、ございます。では」

 

 レミエルは一瞬だけ表情を緩めたが、すぐ無表情になって、魔剣を握る手の力を強めた。ジュリアが恍惚感に溢れたように目を閉じる。

 魔剣が、軽い音を立ててジュリアの左胸に刺さった。そこから血が流れ出す。あっけないものだった。その時、ジュリアは、満ち足りた顔をしていた。

 純白の翼とと淡く金に輝くそれを若干緊張させ、ジュリアに魔剣を突き立て、蒼と金の瞳を持った、秀の知らないレミエルの感情の無い表情に、秀は少し不安になった。これから先、レミエルはこんな風に無表情で敵を殺していくのだろうか。仕方が無いこととはいえ、そのことを秀は恐ろしく感じていた。

 レミエルは瞑目すると、周りを見ながら、いつものように恥ずかしそうに、頬を朱に染めて告げた。

 

「あの、皆さん。少し、秀さんと二人きりにさせてくれませんか……?」

 

        ***

 

 ジュリアとキヌエの遺体を持っていって、カレンたちが出て行くのを確認すると、秀は改めてレミエルを見つめた。携える錫杖は翼を広げたかのように変形し、左に新たな金の翼を持ち、左眼は金色に輝いている。その表情は、年頃の少女然とした、どこか恥じらいが感じられるようなものだった。レミエルは何かを言おうとしているようだが、上手く言葉に出来ていないようだった。それを見かねたのもあって、秀が話しかけたところ、

 

「あのさ、レミエル」

 

「あ、あの!」

 

 二人の声が重なった。秀は頭を掻きながら、レミエルに言う。

 

「レミエルが先に言えよ」

 

「いえいえ、秀さんの方が先に」

 

「いやレミエルが」

 

「いえいえ、どうか遠慮なさらずに」

 

 秀は「仕方ないな」とため息をつくと、

 

「ひとつは、その、さっき、ジュリアが魔法で光線を撃ってきた時、俺はお前しか眼中になかったんだ。カレンや椎名を助けようなんてちっぽけも思わなかった。ただ、お前だけを助けたかったんだ」

 

 秀の言葉に、レミエルは目を丸くした。

 

「秀さん、それって……」

 

「うん。お前が思っていることの通りだろうな。さっきのような戦いの後にこんなことを言うのもどうかと思うが……これから、一緒に戦おう。αドライバーとプログレスとしてじゃなく、男と、女として」

 

 これらの言葉は、思いの外すんなりと口から出た。しかし、先の戦闘の時に感じていたものとは違うが、断られたらどうしよう、というような緊張はしていた。

 ふと、レミエルが微笑した。その笑みは、ジュリアを殺した者と同一人物とは思えなかった。

 

「私も秀さんと同じようなこと、言おうと思ってました」

 

「じゃあ、これで、付き合ってるってことになるのかな」

 

 秀はどぎまぎしながら言った。すると、レミエルも同じように、

 

「は、はい。そう……ですね」

 

 お互いに恥ずかしくなってしまったようで、なかなか目を合わせられないでいた。だが、秀はどうしても聞いておきたいことがあったのを思い出して、咳払いをし、頰を自分で張って尋ねた。

 

「レミエル。お前、ジュリアを殺した時、何を思った?」

 

 レミエルは、答え辛そうにしたが、迷いを吹っ切ったように、真っ直ぐに秀の目を見つめた。

 

「何も思いませんでした。感情を消さないと、罪悪感に飲み込まれる気がしたから」

 

 秀は、その言葉に、涙が溢れてきた。そして、衝動的にレミエルを抱きしめた。

 

「どうして、抱きしめるんですか? どうして、泣くんですか?」

 

「ごめん……本当は、汚れ仕事なんか、お前がやることじゃないのに……俺みたいなやつがやらなきゃいけないのに!」

 

 言葉を紡ぐごとに、涙が川のように流れる。情けなくて、不甲斐なくて。許せなくて。

 

「本当に、ごめん……!」

 

「いいんですよ、秀さん」

 

 何が——! そう声を大にして言おうとしたが、それは喉の奥まで出かかって、止まった。レミエルが、笑顔でいたからだ。その笑顔の裏に、悲壮な覚悟が秘められていることは、すぐに分かった。

 

「私が、誰かを殺すことで、私以外の人が救われるなら、私は、何人殺したって、大丈夫です」

 

「それは俺が言う台詞だ! お前のようなやつは、救われる側に居なきゃ駄目なんだよ! ——だけど」

 

 秀はなお涙を流して、告げた。

 

「お前は、もう殺す側に立ってしまった。これからは、何人も殺さなくてはいけない。だから、せめて、俺も、お前の負担を共に背負おう。ふたりで、ずっと」

 

 レミエルが笑みをたたえたまま頷く。それから、レミエルを放すまで、秀の涙が止まることはなかった。

 

        ***

 

「ああ、ジュリア、死んじゃったのか」

 

 青蘭学園の中庭で、ふたつの遺体を運び出す少女の集団を見て、少女は呟いた。すると、一匹の蝿が少女の肩に止まった。ああ、今回は蝿なのか——そう、少女は思った。

 

「どうするの、アイリス? ジュリアは大分ペラペラ喋ったようだけど」

 

 どこからともなく聞こえてきた別の少女の声に、少女——アイリスは口角を上げて答えた。

 

「別にいいよ。ジュリアのおかげでこの島の情報は大分手に入った。青蘭学園側がいくらこっちの情報を入手したとて、何も変わらない。そうよね、アルバディーナ」

 

 アイリスは蝿に話しかけるように言った。

 

「……そうね。じゃあ、そろそろ戻りましょうか」

 

「うん。そうだね。戻って、準備して——ええと、春休みくらいはあげようかな。最後の春休みなんだし、楽しんでもらおうっと。それで、明けたら——」

 

 ——破滅への鐘を、響かせよう——。

 

 アイリスは、アルバディーナと呼ばれた蝿を肩に乗せたまま、笑いながら去っていった。


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