Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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新天地へ

——この、悪魔が!

 

 夜の山の農村で、鈍い音がした。鍬や鉄パイプを持った大人たちが、一人の、ボロボロの服を纏った、地面に這いつくばる十代前半の少年を見下ろしている。大人たちは、その少年を手に持っているもので殴る。数分間ほどそうすると、大人たちは満足したように去っていった。

 

 少年は、ゆっくりと立ち上がった。夜の森で兎と狸を捕まえて殺してから、近くの小川に浸かって体の土を落とす。そして、ふと、南の空を見た。そこには、ぼんやりと見える、三つの光があった。少年は、それをじっと見ていた。あそこには、自分のような、人とは違う力を持った者たちの天国がある。少年は、そこに行きたいと、強く願っていた。

 

 世界接続(ワールド・コネクト)。十数年前に突如起きた、四つの異世界が繋がった現象。そして、それに伴い起こった、世界の異変。大地は人を飲み込み、海は人を流し、天空は人を焼き殺した。それらの解決の鍵が、プログレスと呼ばれる少女と、彼女らの力を引き出す、αドライバーと呼ばれる少年。世界中の国々が、彼らを見つけ出すことに尽力した。少年少女を対象にした、大規模な身体検査が行われた。そして、それで素質があると判明した者は、ある所ではおめでとうと祝われ、ある所では世界を救う勇者だと畏敬され、またある所では、この少年のように、世界を破滅させる悪魔だと忌み嫌われた。

 

 少年は、家に戻った。誰一人としていない、閑とした家。少年は、囲炉裏に火をつけ、兎と狸を焼く。その周りだけ、確かな明るさがあった。電気もろくに通っていないため、こうして灯りを確保するしかない。家の中は、何もなかった。家族もいない。母は少年を産んだ時に死に、父は癌で数年前に死んだ。少年はそれを悲しいとは思っていなかった。母はあったことがないし、父は他の人達と同じように、少年を虐待した。そこに愛情などなかった。

 

 少年は、完食すると、火を消して部屋の隅で眠りについた。

 

 明くる日、また少年は殴られた。次の日も、その次の日も、殴られ、蹴られ、溺れさせられ、焼かれた。

 ある日の夜、少年は思った。逃げようと。五、六年前にも、一度彼は逃げようとしたことがあった。その時は失敗した。その時に受けた暴力は、一層酷いものだった。その記憶があったので、少年はそれまで通り暴行を受けることにしたのだが、今なら逃亡が成功する気がした。そうと決まれば、少年は早速走り出した。夜の森に入る。夜にいつも食事をここで確保して慣れていたおかげで、東西南北は直感的に分かっていた。その感覚と、時々空に見える三つの光を頼りに、全速力で森を駆け抜ける。

 

 一時間ほど走って、疲れて近くの木にもたれかかった。耳を澄まして、周りの状況を音で把握する。どうやら追っ手は来ていないらしい。獣もいない。少年は少しは休めるか、と、十五分だけ仮眠をとると、また駆け出した。

 

 走っている間に、朝が来た。夜に慣れた目に陽の光が突き刺さるが、構わず走った。やがて、朝焼けが終わる頃、急に視界が開けた。森を抜けたのだ。そして、目の前に広がるのは、少しビルが建ち並ぶ、都会とはいえないような、街の光景だった。明らかに、あの村ではない。少年は立ち尽くしていたが、暫くしてから大声で笑い始めた。そして、笑ったままはしゃいで走り出した。逃げだせたことが、本当に嬉しかった。

 少年は、そこで親切な人を見つけて一晩泊めてもらうと、すぐその街をを出て海に向かった。今度はもう追っ手は来ないだろうという安心感から、ゆっくり行った。そして、適当な所を見つけると、勢い良く飛び込んだ。そして、三つの光が見えるところに向かって泳ぎだした。出発地点が良かったのか、四時間ほどで、光の真下にある島、青蘭島の海岸に辿り着いた。しかし、そこでもう体力が限界に達していたのか、少年は死んだように眠った。

 

 気が付けば、警察署にいた。そこの警官が、優しく声を少年にかけた。

 

——君、名前は? 僕は仲嶺達也と言うんだ。

 

——上山秀。

 

——お母さんやお父さんは?

 

——いない。とっくに死んだ。

 

——じゃあ、保護者は?

 

——保護者なんかいない。連絡も取らなくていい。

 

——どうして?

 

——俺は逃げてきたんだ。ここで暮らすつもりで。戻る気なんかさらさらない。

 

——何か、あったのかい?

 

——虐待ってやつだ。俺にαドライバーの素質があるかららしい。俺の住んでた村では、αドライバーやプログレスは悪魔なんだとさ。

 

——なるほど、じゃあ、青蘭学園に入らないか? 身寄りのない君でも、快く受け入れてくれるよ。

 

——もとよりそのつもりでここまで来たんだがな。

 

——でも、一人じゃ何も出来ないだろう? 僕が手助けするよ。

 

 

 

 警官の助けで、少年は転校生として、青蘭学園中等部に入学した。初めての学校に、少年は胸を躍らせたが、誰も少年に話しかけることはなかった。自己紹介をしろ、と言われた時に、青蘭島に来た経緯を話してしまったからだろうか。少年にはそのことしか思い当たる節が無かった。そしてそのまま、少年は高等部に進学した。新しいクラスになっても、新たに緑の世界が繋がっても、少年の状況は変わらなかった。

 

 少年は、ただただ退屈な日々を送っていた。


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