東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 そこは以前に“法界付近にも都市があれば便利ではないか”と提案し、基礎工事を始めた場所であるのだが、着工から数十年ほど経ってから“緊急時の結界として使う法界の近くに都市を作るのはいかがなものだろうか”という極々真っ当なサリエルの言葉により、工事を中止した場所である。

 

 名前はまだ、決まっていない。

 工事を始めていたとはいえ、そのほとんどが基礎工事と建築計画だったので、建造物らしい建造物も出来ていない。

 都市周辺に植林し、水源を生み出して終わっただけの、もはや大きな公園と言っても良いほどに、何もない場所だ。

 

 だから私が魔界の辺境に降り立った時、見晴らしの良いそこにおいて、来客の者をすぐに見つけられたのは、当然の結果であると言える。

 

「おお」

 

 遠方、およそ三百メートル向こう側に佇む人影を見て、私は感嘆の声を漏らした。

 枯れ枝のような細い指で輪を作り、そこに簡易の“望遠”を組み上げて覗いてみれば、なるほど確かに、そこには確かに人型の者がいる。

 

 魔界に来たばかりで、まだ周囲の環境に戸惑っているのだろう。不安げに周囲を見回しながらも、鋭い目つきで警戒しているようだ。

 そのうちに私の姿を認めると、男は更に目を鋭くさせ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。

 

 友好的……では、ない。

 むしろ、今は歩いているものの、あと数秒のうちに段々と走り始め、腰に差した剣を抜き放って襲いかかってもおかしくはない気迫である。

 

 が、それもきっと私の姿が最大の原因だ。

 魔界と呼ばれる地でスケルトンに出会ったら、そりゃ私だって先制攻撃をかますだろう。

 

 こういう時には第一印象を覆すような、親しみを抱かせるジェスチャーが有効だ。

 

「おーい」

 

 私はおもむろに片腕を挙げて、手を振った。

 当然、挨拶である。

 

 挨拶はどんな世界でも、たとえ動物の世界であっても重要なコミュニケーションだ。

 こちらに知性が有り、害意がないことを示すための最低限の証明、それが挨拶である。

 

 するとほら、どうだろう。

 表情の険しかった男は口元をニイィと釣り上げて、鋭い目つきのままこちらに歩いてくるではないか。

 

 ……あれ? おかしいな。あの人、ちょっと怖いぞ。

 

 あ、でも手は振ってるし、大丈夫なのかな……。

 いや、どうだろう、近づいてきたら剣を抜いて斬りかかるってこともあり得なくはない顔をしてるぞアレ……。

 

 ……ま、まぁ、私は不死身みたいなものだから、いざ斬りかかられてもきっと大丈夫だろう。きっと……多分……。

 

 

 

 

「いやぁ、転移を試みた時は不安で仕方がなかったが、無事に魔界に来れたとは、実に僥倖!」

「ははは」

 

 お互いに歩み寄り、いざ言葉を交わしてみれば、男は想像以上に明るい性格だった。

 私やサリエルの予想通り、男は天界の出身で、向こうのお偉いさんから話を聞いて、いてもたっても居られず魔界へとやってきたのだという。

 

 男の身なりは、サリエルのような西洋寄りではなく、もうちょっとエキゾチックな感じがする。

 丁度インドかそこらの僧衣が着るような服装に、錫杖とカンテラを手にした、旅人というよりも修行僧に近い出で立ちだ。

 

 しかしこの男、眼力が強い。

 朗らかに笑っているであろう今この時でも、男の目だけはどうしても怒っているようにしか見えず、ものすごく怖い。

 正直、こうしてのんきに話している今でも、一瞬後には居合さながらの抜刀術で斬り殺されるんじゃないかって疑念が拭い切れない。

 それは言い過ぎだとしても、この男は絶対に既に何人か殺してる。そんな確信を抱かせるような目つきである。

 

「と、ところで、あなたのお名前は?」

 

 つい恐ろしすぎて、私の口調も改まってしまう。

 サリエルやメタトロンにさえ丁寧語なんか使っていないのにこれである。

 けどこのままの口調でいくと相手と上下関係がついてしまいかねないので、自然に戻さなくては。

 

「私か? 私はクベーラという。何、しがない天界の商人だ」

「はあ、商人……」

 

 それは死の商人か何かでしょうか、って冗談めかしたら懐から拳銃取り出されて眉間を撃ちぬかれそうなのでやめておく。

 

「うむ、天界の暮らしは愉快ではあるが、同じ土地に留まっていては娯楽に欠ける。そこで、私は天界を渡り歩きながら、方々の宝や芸術をやりとりしつつ、交易を行っているのだ」

「ほおー、それは本当に、商人らしい」

 

 なるほど、つまり物々交換をして回っているということか……それはなかなか、面白い発想である。

 天界の人々がどう暮らしているのかは知らないが、様々な文化を運ぶ役目というのは貴重だし、重要だ。

 日本も外国からやってきた人々の影響で、技術を急速に発展させていったわけだしね。

 

「ということは、クベーラは魔界へ、商いをしにきたと?」

「いかにも! 魔界とは未知で、暗い噂や話ばかりしか聞かない土地。私もこの地に足をつけるまでは恐ろしい場所だという先入観が拭えなかったが、それでも商売の一番槍を取れるのであれば、賭けてみるのも悪くはないと思ってな!」

「おおー……って、やっぱり魔界の印象って、まだまだ悪いんだ……」

「悪いも何も最悪よ。黄泉の国と何ら変わらぬ場所とも、それそのものとも言われているくらいだからなァ」

「ひどいなぁ」

 

 これまで何百年も、何千年も天界からの人が来なかったのも、そういう印象があるせいなのかもしれない。

 通りで誰も来ないと思ったよ。やっぱりそういう理由があったのね。

 

 しかし、クベーラは自分が死ぬかもしれないというリスクを冒してまでここへやってきた。

 そうまでして先んじようとする商売魂、それは実に素晴らしいと思う。

 

「そういうわけで、えーと、お前、名前は何だ? ここの神か?」

「私はライオネル。神は別に、神綺って子がいるんだけど……」

「よしライオネル、ならばその神綺という奴の所に案内しろ。早速、魔界の品々を見繕いたいのでな!」

「あ、はい。うん」

 

 こうしてこの魔界に、初めての商人がやってきた。

 これから彼を皮切りに、外の世界の神族達が度々行商にやってくるかもしれない。

 

 でも最初からこちらの住人になるつもりできたわけでは無さそうなので、私のテンションはちょっぴり下がった。

 


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