東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ライオネルが境界を越えて天界へと移動し、私は待ちぼうける事となった。

 一人は慣れている。ただじっと待つくらい、危険な夜と比べればなんということはない。

 それに、厳密に言えば、今は私一人というわけでもなかった。

 

「……うーむ」

 

 ドラゴン。

 ライオネルが作りだしたという、有翼有知の生物。

 驚くべきことに、彼らドラゴンは私よりも遥かに長生きであるのだとか。

 

 とはいえ、失礼ながら、彼らがそれほど賢そうには見えない。

 私を背に乗せて大人しくしてはいるが、ライオネルの指示を聞いて、それを忠実に守っているという様子でもないのである。

 

 その証拠に、ドラゴンの何匹かは群れを離れ、勝手に飛び去っている。

 私は部外者であるし、彼らの事情については何も聞いていないので、それを止めることもできない。

 飛び去る何匹かの雄々しい後ろ姿を、ただ見送るのみ。

 

「ん……」

 

 風が吹き、髪が流れる。

 私の翼が風を掴まなくなってから、こうして不意に吹き付ける風には疎くなってしまった。

 時にはその隙が仇となり、身の危険を被った事もある。

 

 だが、私は今日まで生き延びた。

 闘いに闘い続け、今日まで生き残ってこられた。

 

 こうして私がのんびりと待っていられるのも、外界で生きることをやめなかったからこそのものである。

 

 少し、休んでも良いのかもしれんな。

 私は、小休止に入ったからこそ見える自らの疲労を思い、心のうちで密かに甘えを享受した。

 

 

 

「ただいまー」

「早いな」

 

 ほとんど間を空けずして、ライオネルは帰ってきた。

 彼の用事は、到底これほどの時間で済むものではなかったはずだが。

 

「まだ昼にもなっていないぞ」

「ああ、魔術を使ったからね」

 

 理由になっていないのだが……。

 

「……ところで、天界の様子はどうだった。何か、変わった様子は……と、お前に聞いてもわからないことだったか」

「うん。生憎と、見て回ったわけではないから。でも、メタトロンには会ってきた」

「なっ!?」

 

 いきなりメタトロンに会っただと!?

 そ、それならこの時間で帰ってくることにも納得できるが……。

 

「……そもそも、メタトロンの神殿は最上層部だぞ。そこへ行くまでに何人の天使団や大天使に遭遇すると……」

「いやだから、直接会ったからそういうのは無くて」

「……」

 

 ……あまり考えないようにしよう。話が進まん。

 

「メタトロンが言う感じでは、天界の様子はあまり変わってないはず。特別、変な気配も無かった」

「そうか、それは何より……」

「魔界へのお誘いもしてみたら、わりと好意的な返事も貰ったしね。あの羽根……あの人主導なら、話もちゃんと進むでしょう」

「……」

 

 そんなことのために、わざわざメタトロンへ直接出向いたのか。

 あの方もあの方で、よく騒ぎを起こさずに応対できたものだ……いや、メタトロンならば、既にライオネルの本質を見抜いているのかもしれん。

 

 ライオネル、魔導書、それら全てを見抜いた上で、メタトロンはあの時私を堕天させたのだとすれば……。

 あの裁きの場で私にライオネルの名を出さなかったのは、熾天使達にさえその存在を秘匿すべきだった……という事なのだろうか。

 

「あ、そうだ。メタトロンから言葉を預かっていてね」

「むっ、何!? なんだそれは!」

「ヤゴコロの事を聞いたら、まぁ……結構丁寧に答えてくれたんだよ」

「おお!」

 

 なんと、メタトロンの言葉であれば間違いはない。

 あの方ならば、ヤゴコロの現状を最も正確に把握していることだろう

 

「それで、ヤゴコロは今、どのように!?」

「“それだから堕天に処したのだ”」

「えっ」

「“それだから堕天に処したのだ”」

「……そう、です、か……」

 

 ああ……メタトロンよ、どうかお許し下さい。

 いや、しかし、ヤゴコロは私の気懸かりで……。

 

「“それだから堕天に処したのだ”」

「うおおおおお許し下さい! 自らの罪を認めなかった私をお許し下さいッ!」

 

 私はドラゴンの背の上で勢い良く五体投地し、その衝撃を煩わしく思ったドラゴンによって地面に振り落とされた。

 

「ぎゃふっ」

「……サリエルって、退屈しない性格してるなぁ」

「ど、どういう意味だ……」

「いや、結構そのまま」

「ぐぬぬ……」

 

 “それだから堕天に処したのだ”、か……。

 確かに、私はヤゴコロに気を奪われすぎたが故に過ちを犯したと言える。

 こうして彼女の安否を気遣うことは、私の罪に罪を上塗りするようなもの。

 

 私は今まで、地上で何をしてきたのか……。

 自らの罪を考える時間など、いくらでもあったというのに……。

 

「……“お前よりはずっと立派でいる”」

「え?」

「メタトロンは、“お前よりはずっと立派でいる”とも言っていた」

「……」

 

 不意に、私の目から涙がこぼれ落ちた。

 

「あ……」

 

 それは、久しく見ることのなかった……堕天した時でさえ見ることのなかった、己の涙である。

 ……気づけば、私の胸は張り裂けそうなほどに熱く、燃えているようだった。

 

「そう、か。ヤゴコロは、立派でいるのか」

 

 メタトロンは、私のこんな未熟な心を叱責したのだ。

 女一人の安否を気遣い、涙する……その如きの心では、秘密など守りようもないのだと。

 

 でも、私は今、素直に喜ばしいと思う。

 ヤゴコロが無事であることに。

 そして、こんな未熟な私に、メタトロンが未だ言葉を与えてくださるということに。

 

「はは……」

 

 私は土の上で、涙を流しながら小さく笑った。

 

 

 

 

「おお、つまり魔界に来るってことかい? サリエル」

「ああ」

 

 しばらく泣いて落ち着いた後に、私は彼らに頭を下げた。

 暗い骸の魔界人ライオネルと、有翼有知のドラゴン達に。

 

「私の気懸かりは晴れた。天界は安泰であり、ヤゴコロも息災である……それがわかれば、もはや私が、地上で要らぬ節介を焼くこともないのだ」

 

 長い前髪を掻き分け、西に沈み始めた陽光を眺める。

 茜空に黄金の輝き。地上の世界は絶え間なく移ろい、いくつもの美しい姿を私に見せてくれる。

 だがそれも、今日で終わりだ。

 

「ライオネル……ライオネル・ブラックモアよ」

「はい」

 

 私が姿勢を正して彼に向き合うと、彼はおどけているのか本気なのか、私以上に姿勢を改めた。

 

「私は魔界へ移り、新たな世界を見てみたい。様々な魔術を編み出し、遥か古代を見つめてきたライオネル……お前の故郷を」

「おお……」

 

 聞けば、ライオネルは天界と魔界との間に繋がりを作りたがっているのだという。

 メタトロンはその話に、乗ったのだか乗ってないのだかは知らないが、色良い返事をしたというではないか。

 ならば私が先んじて魔界へと移り、彼らを安全に出迎える手はずを整える必要があるだろう。

 堕天した私にできるのは、もはや、そのくらいのものだ。

 

「どうか……私を魔界の民として、迎え入れてはくれないだろうか」

 

 私は両手で生命の杖を握り、頭を下げた。

 

「もちろんだとも! 魔界は……私と神綺は、いや、魔界の全ての生命は、喜んで君を受け入れよう! サリエル!」

「……ありがとう」

 

 それに、私個人の興味というものもある。

 魔界という新たな世界を見たいという気持ちは本当だ。

 私は未だ、天界に対する誇りを失ってはいないが……ライオネルが長い時間をかけて魔界を整備したというのだ。

 

 地球から月にかけて奔走して回るほどの世界。

 間接的にではあるが、私が堕天するきっかけともなった世界。

 これは、見なければ損というものである。

 

「そういうことなら、早速魔界への扉を開こう! 記念すべき第一移民だ、もう、すぐにでも!」

 

 私が頷くや、ライオネルは手を掲げ、目にも止まらぬ速さで周囲の魔力を収奪し始めた。

 魔力を一箇所に集め、凝集し、空間に歪みを与える。

 

 理屈の上では簡単ではあるが、行おうとすれば非常に難しい技術だ。

 それを一瞬のうちにやってみせるのだから、やはりこの者の底は計り知れない。

 

 次第に集まる魔力は現実の風を作り、妖しい光を放ちはじめた。

 通常、穢れが己の内の魔力を制御できなくなった時にのみ起こる、魔の者の死。

 その大規模な儀式が、今ここで、人為的に行われようとしているのだ。

 

「……さあ、サリエル。そろそろ扉も入れるはずだ。準備が整っているなら、ここを潜ってくれ」

「ああ」

 

 眩い白の異空間が、目の前に広がる。

 ここに向かって進んでゆけば、もはや外界は遠い場所となるだろう。

 天界も、すぐ近くに存在する場所ではなくなる。

 

 だが私の心は動き出した。

 もはやここに留まる理由は無いのである。

 

「……さらばだ、外界よ」

 

 私は一歩を踏み出した。

 

 天界から、顕界へ。

 顕界から、魔界へ。

 

 堕ちて堕ちて、きっとここが、私の終着点となるだろう。

 

 だけど、それはただの終わりではない。

 これは同時に、私の始まりでもあるのだ。

 

 魔界文明との遭遇。

 天界人の記念すべき最初の一人として、魔界にて最善の行いをしなければ。

 

 

 

 

「ゆゆっ! まっさおなおようふくなんて、あなたゆっくりできないゆっくりね!」

 

 足元で、私のような銀髪の、ふっくらと肥えた生首生物が喋っている。

 

「ゲベベベ、ゲベベベベ……グジュルグジュル……」

 

 巨大な青いナメクジのような生き物が、遠くのほうで木々をなぎ倒しながら進んでいる。

 

「あ、丁度観光名所が上に……」

 

 私の真上で、おどろおどろしい珍妙な建築物がぐるりと反転している。

 

「きゃー! やめてー! その森は蹴らないでー!」

 

 銀色の髪を生やした、十五メートルはあろう巨大な生足が疾走し、その後ろから六枚羽根の女が飛んでゆく。

 

「……こ……ここは一体……」

 

 私の手から、杖が離れたのだろう。

 床を打ってからんと高い音が、異音の集まる世界の中に虚しく響いた。

 

「いらっしゃい、サリエル! 魔界へよおこそ!」

「ゆっくりしていってね!!!」

 

 どうしよう……帰りたい……。

 

 


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