東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 翼が風を掴まなくなったために、私の飛行能力は激減した。

 月魔術によって“浮遊”することは可能であるが、それだけでは少々不安定なのである。

 

 浮かぶにしても力を浪費するし、集中力を削る。そして困ったことに、強い“穢れ”が存在するせいで、空は危険だ。

 

 私の長い旅路は、そのほとんどが陸上であった。

 

「はあっ!」

 

 杖の先に月の力を込め、振るう。

 

『ギャンッ!?』

 

 反発力と保護力を増した殴打は駆け寄る狗型の穢れの胴に直撃し、見た目以上の衝撃によってその身体を吹き飛ばした。

 

 黒い狗が樹木に叩きつけられて、一瞬動きが止まったのを見逃さない。

 力を込めたままの杖から魔力を手繰り寄せ、杖を握らない左手へと移動させる。

 

「“月の槍”!」

『ギャッ……!』

 

 魔力消費は最小限に。かつ、相手を確実に仕留める程度で。

 左手から鋭い輝きが放射され、それは地面に堕ちようとしていた狗の頭部を撃ち、樹木まで貫通する。

 

 狗は静かに土の上を転がって、それきり動かなくなった。

 

「……」

 

 敵を倒したら、次は状況確認だ。一体倒しても、まだ他に潜んでいるかもしれない。

 

 森の中に、影の中に。はたまた、土の中に。

 奴らはどこにでも潜み、こちらの隙を伺っている。

 そう思わなければ、地上で生き延びることは不可能だ。

 

「……ふう」

 

 慢心ではない。魔力を張り巡らせて探知した結果、周囲に敵が潜んでいないことを確認した。

 この様子なら、しばらくは休憩できるだろう。

 

 だが、そろそろ夕暮れになり、夜が来る。

 今は太陽も登っているが、暗闇が訪れれば、地上の穢れ達は活発化するだろう。とても危険で、朝まで一睡もできなくなる。

 その頃までぼんやりしてはいられない。休憩は、短めで切り上げておかなければ。

 

 ただでさえこの辺りには、“空の悪魔”が出るという噂が広まっていて、危険なのだから。

 

 ……噂といっても、出所は穢れ達なのだがね。

 

「やれやれだ……」

 

 大岩の陰に背を預け、座り込む。

 

 少し歩いては闘い、少し歩いては闘った。

 日の出に休みを入れて、歩き始めてから……さっきの奴で、八体目だろうか。今日はまだ少ない方だろう。

 多い日には徒党を組んだ穢れが襲いかかってくる事もあるのだ。それと比べれば、なんということもない、平穏な一日である。

 歩いた距離もそこそこだ。このまま、奴ら穢れが言うところの“空の悪魔”が支配する領域から脱出できれば良いのだが……。

 

 ……魔界に堕ちる寸前の巨大で強大な穢れほど、恐ろしいものはない。

 奴らと闘えば、魔術を扱えるとはいえ、私でも身の危険があるほどだ。

 

 噂の“空の悪魔”とやらが巨大な穢れであるかは定かではないが、安全は第一だ。

 万が一にも遭遇しないよう、現在はコソコソと隠れながら、ゆっくり森を離れている次第である。

 

「……天界にいた頃のように全力で闘えれば、ここまでの危険もなかったのだが……」

 

 実は今現在の私は、ただ翼の能力を失っただけではない。

 私は数百年前に堕天し、この地上へ降り立ってから、翼の他にももう一つのものを失ってしまったのである。

 

「……この身体ではな」

 

 私は自分の肩に触れ、そっと身を撫でた。

 丸みを帯びた、小柄な身体。長く伸びてしまった髪に、細い手足。

 

 私は堕天と同時に、男という性別までも失い、女にされてしまったのだ。

 

「ううむ……やはり、ヤゴコロに気を許しすぎたことへの罰なのだろうか……」

 

 男の身体とは違い、女の身体は非常に不便だ。

 歩幅にしろ腕のリーチにしろ、男の頃と比べると格段に能力まで劣る上、胸には邪魔なものまで付いている。

 最近はある程度慣れてきたとはいえ、長年身につけてきた魔術の使用感が異なるというのは、正直、翼が使えないこと以上に辛かった。

 

 男から女への変容。これもまた、メタトロンの意志なのだろう……しかし、その意図については未だ、確信が持てない……。

 

 私がヤゴコロに対して気を緩めた事への戒めなのか、以降女に好意を抱くことを禁ずるための処置なのか、単純に能力を引き下げるための処罰なのか……。

 別段、この身体に嫌悪感を覚えるわけでもないのだが、そういった部分が気になって仕方ないのである。

 

「……ヤゴコロ、今頃どうしているだろうか」

 

 とはいえ、心配なものは心配だ。

 私は堕天した。それはもっともなことであるので、別に良い。だが、累はどこまで及んだのだろうか。

 “新月の書”を読んでしまったヤゴコロは、神の裁きを受けてしまったのだろうか。

 

 いつか私が死ぬ時までに、どうかそのことだけは知りたいものだ。

 つまり、それを知るまでは、絶対に死ねない。

 

 あまりあり得ることではないが、もしもヤゴコロまで堕天の裁きを受けていたとするならば……地上へ堕ちた彼女は、私が守ってやらなければならないだろう。

 それが事を引き起こした私の責任で、命を賭してでも遂行すべき義務である。

 

 

 

 

 夜が来た。

 穢れが支配する夜が来た。

 

 この時ばかりは、一時ですら気を抜いてはいられない。確かに私は百戦錬磨ではあるが、不意を突かれても平気なように出来ているわけではないのだ。

 夜が明けて朝が来るまでは静かに移動するか、できることなら身を隠せて迎撃も容易な場所に隠れた方がいい。

 月下において私が引けを取ることなどはあり得ないのだが、同じく力を強めた穢れを複数体相手取るにはリスクが高い。

 

「早く平坦な場所ヘ移らなければ……」

 

 しばらくの目標は、森を脱して平原へと移ること。

 そうすれば、開けた視界が不意打ちをされるリスクを減らしてくれる。怖いのは敵に見つかることそのものではない。見えない場所から一方的に攻撃されることが怖いのだ。

 

「!」

 

 草むらの中で、物音が聞こえた。

 


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