東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 月の魔術による加護と、神より授かった六枚の翼があれば、宇宙の航行は難しいことではない。むしろ月への航路よりも、我々がいる地上の重力圏から離脱することの方が面倒なくらいだ。

 

 光の障壁を身に纏い、暗黒の世界を突き進み続ける。

 焦燥をある程度の猶予の間に落ち着ければ、すぐに白銀に輝く月の大地は見えてきた。

 

 そして、そこに一人のシルエットが佇んでいる。

 迫り来るこちらに対して隠れようとも、身構えようともしていない。丸っきり無防備な、ローブ姿の人影……。

 

 魔界人、ライオネルだ。

 

「そこで何をしている」

 

 私は月の大地に降り立って、“生命の杖”をライオネルに差し向ける。

 着地した距離は離れているが、奴の眼窩はしっかり私を確認し、首を動かしていた。

 

 ライオネルがこちらに気付いている以上、私は最大限の警戒を敷く必要がある。

 手にした杖には、既に豊富な魔力を帯びさせ、魔術を打ち出す待機状態を整えていた。

 

「おお、サリエルか。久しぶり」

 

 だが私が身構えていることなど何かの冗談であるかのように、奴は気さくな素振りで手を上げた。

 

「ずっと待ってても面白いくらい誰も来なかったから、こっちから天界の人を誘おうと思って来たんだよ」

 

 意味がわからない。

 

「けど前と同じ場所に天界が無かったもんだから、どこにあるかなーと思ってね」

「……それと月に何の関係がある」

「ほら、月からだと地球の様子がよく見えるでしょうよ。久々の全貌も確認しておきたいから、来たわけ」

「……つまり、地球を見るためだけに、月へ?」

「そうそう」

 

 驚いた。

 いや、月へ移動するだけの力があるであろう事は、最初からわかっていたことだ。そう驚くことでもない。

 

 だがこうして正面から、そのような些事のために月へ来たなどと言われるとは、予想外であり……。

 やはり私はこの者の底知れぬ力を畏れているのだと、実感させられてしまう。

 

「ところでサリエル、翼の数増えた? 前は確か一対だったと思うけど」

「私も……以前と同じままではないということだ。時を経て成長もするし、強くもなる」

「なるほど……随分と時間が経ったみたいだし、当然か」

 

 ライオネルは小さく“これからは時間も気にしなきゃいけないな”と零したが、私はその真意に気付けなかった。

 

「で、サリエルはどうして月に?」

「……私は、神より月の守護を命じられている。お前は知っているだろうから隠すつもりはないが、月とは魔の力に満ちた神秘なる場所だ。ここを、そして魔術を悪用されては、世界の平和が脅かされる。だから私は、月と魔術の番人として、ここを守らねばならないのだ」

 

 そう、月と魔術には密接な繋がりがある。

 

「ライオネル、お前もまた例外ではない。神はお前でさえ、月への立ち入りを許可されていないのだ」

 

 月に存在する豊富な魔力を悪用されないためにも、私は月の守り手として存在し続けなければならない。

 相対的な力の差は関係無いことだ。相手が強かろうとも、守る事には変わりないのだから。

 

「そうか……貴方達の神は、そういう考えを」

 

 ライオネルは下顎に手を添えて、しばらく神妙に考え込んだ。

 彼の唸り声は低く、重い。まるで地上に跋扈する獣たちの、血に飢えた声を聞いているような気分になる。

 

「うん、魔導書を作っておいて良かった」

「何?」

 

 魔導書だと?

 

「貴方達のような善き一族が“慧智の書”を手に取ったことは、偶然なのかもしれないけど……もしかしたら、それもアマノの残滓の導きなのかもしれないね」

「“慧智の書”だと……お前、何を……」

 

 魔導書。そして慧智の書。それは、私を含む極僅かな者にしか存在を知らされていないはずだ。

 この世にはいくつかの魔導書が存在しているため、ライオネルが他のまだ見つかっていない書物を持っていたとしても不思議ではないが……。

 

 魔導書は基本的に、それぞれ一冊ずつしか存在しない。だというのに、何故こいつはメタトロンが持っている“慧智の書”の存在を知っているのだ。

 

「まあ、私がライオネルだからね。ライオネル・ブラックモア……ああ、そういえば署名文字には魔力を込めていなかったんだっけ」

「何の話だ!? お前は……!」

「本を見ればわかる。魔力的な補助無しに読めるかはわからないが……そこには書いてあるはずだよ。私の名前が」

 

 馬鹿な。名前だと。

 魔導書に、名前……しかし、つまり、ということは、この者が……。

 

 思考が困惑に濁り、杖を落としそうになる。だが、堪える。考えなければ。しかし……。

 

 ……本の表紙に、名前だと?

 確かに、魔導書には題名の他に、同じ文字だが読めないものが一行分だけ備わっていた。

 

 あれが、ライオネルだと?

 いや、ありえない……ありえないが……だが……。

 

「文字がわからないか。じゃあ、これでどうだろう。こんな文字が書いてあるはずだけど」

 

 そう言い、ライオネルは指を立てて、そこから輝く月の魔力を文字に変えて私に見せてきた。

 ……言われてみれば、その文字はどこかで見たことがある。覚えはある。

 だが確信はない。

 

 ……そうだ、本を見れば良い。私の持つ“新月の書”を見て、それを確認すれば良いだけの……。

 

 私はそう思いついて、懐にあるはずの書物を確認するが……。

 

「あっ」

 

 私は本を持っていなかった。

 

「あーっ!?」

「えっ、なにどうしたの」

「も、戻らねば! うわぁあああああ!」

「えええちょっと!? サリエル君!? せめて天界への行き方――」

 

 ライオネルが何か叫んでいたが、私はいてもたってもいられず、月を飛び立った。

 

 本が手元に無い。それは私にとって、目の前のライオネル以上に、重大な問題であったのだ。

 


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