東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 神より周辺警備の任を授かった私、サリエルは、“新月の書”と“生命の杖”を手に、天界を飛び回っていた。

 警備とはいえ、力の差が如実に現れてきた今更になって下々の勢力が歯向かうことはないので、下層に気を使っているわけではない。むしろ仲間内、メタトロンの下に集った私達最上層の者達こそが、一番に警戒すべき相手である。

 私は神より周辺警備という役目を与えられてはいるが、実際は仲間内の監視と呼ぶのが正しいだろう。

 神の秩序に背き、他の勢力に迎合しようとする愚か者や、外界の穢れ多き世界に堕天しようと考える者を捕縛すること。それが、事実上の私の役目である。

 

 私が長年に渡って“新月の書”から解読した戦闘能力は他の者の追随を許さず、また、私が持つ眼術によって、広範囲の監視も行える。

 怪しい者がいれば天界のどこにいても察知できるし、相手が何人いようとも遅れを取ることはない。

 

 私はもう既に、月にさえ赴くことも可能だし、実際に月の土地を支配するだけの力を持っている。

 警戒はやめていない。だが、それでも私が張り詰めるような警戒をやめるには、あまり時間がかからなかった。

 事実それで、私の警備は十二分に成り立つものだったのだから。

 

 

 

「来たぞ、ヤゴコロ」

「あら、これはこれは。サリエル様」

「久しぶりだな」

 

 私は三対の翼をはためかせることなく、“浮遊”によって静かに着地した。

 すぐ傍には銀髪の女が一人、篝火にくべようとしていた骨を土の上に置き、こちらに向き直っている。

 

「お会いできて光栄です」

「なに、こうして巡回することも、神より与えられし私の役目の一つだ。気にすることはない」

 

 ここは高天原。

 天界の下層、その辺境に位置する、呑気な連中が住まう土地だ。

 そして私が降り立った場所にいた彼女の名は、ヤゴコロオモイカネノカミという、彼らの派閥に属する参謀役である。

 

 下層や中層にも派閥はあり、そこには組織の頭脳たる参謀役や丞相役と呼ばれる連中がいる。

 だがそれらの大半は、実際には大したことがない。頭脳とは口ばかりで、組織を誤った道へと誘う害虫がほとんどだ。

 

 だが彼女、ヤゴコロだけは別である。

 彼女には元より高度な知慧が備わっており、それは私に引けを取らぬどころか、それ以上のものを伺わせる。

 時々、抜けているような言葉を漏らす事もあるが、それもまた、彼女の魅力なのかもしれない。

 

 ……魅力というのは、知慧とは関係のないことだったか。

 だが、事実だ。彼女は麗しく、魅力的な女性であったのだ。

 

 それは、この私が“なぜ神の下に従わないのか”と悩むほどに。

 

「卜骨の最中だったか」

「いえ、これから行おうかと思っていたところです。まだ一つも投じていませんよ」

 

 彼女は火の中に骨を投じ、走った亀裂の場所や数、形や長さによって吉凶を占うことができる。

 その結果を見て、高天原の行く末を判断するのだという。

 

 最初は私も疑わしいものだと思っていたのだが、現在の高天原の平穏を見るに、あながち適当とも言い切れないのだろう。

 それに彼女も占いだけに判断を委ねているわけではなく、ほとんどの決断は自己の判断なのだそうだ。つまり、占いは彼女でも決断しかねるような問題を決するための、最後のひと押しということである。

 

 今は占いの最中ではないようだ。

 重要な仕事を邪魔していないようで、良かった。

 

「そうだ、サリエル様。以前お話してくださった空のこと……」

「ああ、宇宙の話か」

「はい。月のお話は出来ないということでしたが……」

「そうだな、私は月の秘密を守護しなくてはならない。月についての秘密を明かすわけにはいかないが……そうだな。私が宇宙を飛んでいた時の話でもしようか」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 

 こうして私が話すのを、彼女は心底楽しそうに聞いてくれる。

 彼女は非常に賢く、様々な物を知っているが、当然、全知であるわけではない。

 だが知らない物事を前にした時の彼女はとても純粋で、無邪気だ。

 

 普段は物静かで落ち着いている彼女が、私の前では純朴な表情を見せてくれる。

 私はそれが嬉しくて、時々こうして高天原を訪れては、彼女に智慧を授けてしまうのだ。

 

 もちろん、それは神より与えられた戒律を破らない範囲での話である。

 彼女は魅力的ではあっても、それが神を裏切る理由にはならない。

 

「まず、宇宙というものはほとんどが暗闇であるが、その闇とは……」

 

 高天原に通うようになり、彼女と話すようになり、もう随分と経つ。

 ヤゴコロは高天原でかなりの高い地位に当たる者の娘であり、そんな事情もあってか、最初の事は私の存在も警戒されていた。

 だが、今ではこうして一人、何の伝えもなしに訪れても、誰も出てこようとはしない。

 それが慣れか諦めかはわからないが、私という存在が彼らの中に馴染んでいることは確かだった。

 

 高天原の彼らに馴染む。

 ……まぁ、下層、下々の連中とはいえ、悪い気はしないものだ。

 

 

 

「……む」

「それで、サリエル様。その後、地球に降る流星はどうなったのですか?」

「待て」

 

 盛り上がる話を……彼女が好みそうな話をしている最中だった。

 ここで話を途絶えるには、確かに酷である。それはわかる。

 

 だが、私は両目に走った違和感に、会話を中断せざるを得なかった。

 

「……!」

 

 そして悪寒は気のせいではなかった。

 私の邪眼が月空間への異物の介入を察知し、警報を鳴らしている。

 

 守護すべき月に、侵入者が現れたのだ。

 

「すまない! ヤゴコロ、私はしばらくここを離れる!」

「な、ど、どうされたのです? 緊急事態ですか」

「ああ。不味いことになった……一体何故……!」

 

 月は魔力の源。悪用されれば、平穏な世界は力によって脅かされるだろう。

 

 ただちに侵入者を排除する必要がある!

 

 私は六枚の翼を広げ、“生命の杖”を両手で握り込み、“浮遊”のための魔力を溜め込んだ。

 今すぐにでも月へ向かわねばならないのだ。

 

「……ヤゴコロ、戻ってきた時に続きを話す。それまでここで待っていてくれるか?」

「ええ、当然です。このままでは続きが気になって、眠れぬ夜を過ごすことになりそうですから」

「ふっ……それは良いことではない。急いで終わらせるとしよう」

 

 軽口を叩き、内心の焦りを誤魔化した。

 

 

 

 月へ現れる侵入者など、今まで聞いたことがない。

 それは、誰も月まで行くことができなかったためである。

 

 つまり今現れた侵入者は、月へ届くほどの力や技術を持っている……ということだ。

 単純な力によって月まで来れる者がいるとは思えない。当然、私と同じで魔術に精通した相手である可能性が高いだろう。

 

 そのような相手に心当たりは……一人しかいない。

 

「……お前が何者であれ……月は私の守護すべき星だ」

 

 ライオネル。謎の魔界人。

 私は一人の異形の者を想いながら、速度ある“浮遊”によって月を目指した。

 

 

 

 

「……サリエル様、行ってしまったわね。早く帰ってきてくれると、嬉しいんだけど……話の続き、とても気になるし……」

 

「……って、あら、これは……サリエル様が忘れていった本かしら?」

 


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