東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 それは、大昔の話。

 

 地を這い、獲物を求めて彷徨う。

 敵性的な同族を見つけては返り討ちにし、時に存在の力を奪い、その日を生きる。

 

 私は強かった。地を這いずるのみの凡庸な個体ではあったが、私は他の者に負けること無く、勝ち続けた。

 勝てば勝つほどに私の力は高まり、尚更負けることは無くなった。

 

 私は穢れなりに、生を謳歌していたのだろう。

 存在の重さが膨れ上がるにつれて、自らの身体が顕界から剥がれつつあることを自覚しながらも、私は幸福を実感していたのだ。

 

 

 

 しかし本当の始まりは、天より舞い降りた一冊の書物だった。

 

 私という存在の本格的な生涯は、地を這い闘い続けた四百年間ではなかったのだ。

 四百年後に空から落ちてきた、書物との邂逅。それこそが私という知的生命の創始であり、天界支配の始まりでもあったのである。

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 食料だと思い込んで触れた書物の表紙が偶然開かれたことにより、私の知能は第一次進化を始めた。

 

 開かれた本からは不可解な文様が浮かび上がり、私の力を食らいながら、代わりに情報を流し込んでくる。

 この世界の法則。理由。裏付け。

 考えもしなかった世界の基盤が、次々に私の魂に刻まれてゆく。

 

 私は恐ろしかった。あらゆる未知で私の思考を蹂躙し、めまぐるしい速さで再構築してゆく、この書物の存在が。

 だが私は動けなかった。この書物には不可思議な力があり、読む者を絶対的に拘束するような、恐ろしい能力があったのだ。

 

 だから私は、この書物に向き合い続け、力を貪られ続ける他になかったのだ。

 何日も、何週間も。

 一ページ一ページ、ゆっくりと捲られ続ける書物と向き合い、慧智を植え付けられるしか……。

 

 

 

「……神」

 

 書物を中程まで読み解く頃になると、私はこれと向き合い続けてから二ヶ月が経過していた。

 不眠不休の読書によって私の存在力は大幅に削られ、息も絶え絶えであったことを覚えている。

 

 しかし不思議と後悔はなく、嫌悪も無い。

 私は書物より知能を得たことで、逆にこの書物を読み解く事に喜びを感じていたのである。

 

 力こそ大幅に薄まってしまったが、それ故に異界へ落ちる可能性が遠ざかったことを思えば、むしろそれはメリットでさえあるという考えも芽生えた。

 自分で制御できない過ぎたる力を持つなど、辺りに跋扈する穢れた者と変わらない。

 私は、私に知能を与えたこの書物と、それを授けてくれた“神”に感謝した。

 

 神とは、私を……いや、私を含む穢れどもを作った存在だ。

 神とは全ての始まり。全ての頂点。

 

 私が穢れであった時には何も疑問に思わなかったが、我々の存在は、地上に住まう物質的な生命とは全く異なるルーツを辿っている。そのルーツこそが、神である。

 

 そして神は、我々の中に断片的な力や想い、記憶を残していた。

 それは穢れである時には気付け無い、とても小さなものである。とても小さな想いの揺らぎである。

 

「世界を、平定する……」

 

 神が我々の中に残した微かな使命。

 それは、この世界を治め、管理すること。

 神の如き者となり、この混沌とした世界を平穏のうちに治めることだ。

 

「それこそが、私に与えられた使命」

 

 その時、私は無意識的に姿を変え、書物のいうところの二足歩行と呼ばれる姿へと変化していた。

 腕という名の骨格を仕込んだ触手によって書物を抱きしめ、己の中で決意を新たにする。

 

 この書物は、神が私に与えた大いなる知恵。

 私はこれによって確固たる存在を確立し、管理者の座に侍る権利と力を得た。

 

 だが、書物は、神は言っている。

 この世界にはまだまだ多くの書物があり、そこにはさらなる力が眠り、何者かの中で覚醒する時を待っているのだ。

 

 私が最初に出会った書物が“慧智の書”で良かった。

 もしも他の異なるものであったなら、私は過ぎたる力に呑まれ、消滅していたか……もしくは世界に災いを齎す存在に成り果てていたかもしれない。

 

「書物を……管理しなければ」

 

 書物を集めなくてはならない。

 書物を管理しなくてはならない。

 

 神の意志を遂行し、世界を平穏に導くためには、まずはこの書物を集めることこそが肝要だ。

 

 そしてこの地上に跋扈する神の眷属たる穢れを統率し、彼らにも知能を与えなくてはならないだろう。

 役職を決め、応じた力を得なくてはならない。安全な住処を定め、そこを守らねばならない。

 そして全てが全て、上手くいくとは限らない。

 中には私から離反する者もいるだろうし、私の知らぬ所で勢力を築く者だって現れるだろう。

 

 やるべきことはあまりに多い。

 だが、これも全て、我々を作った原初の神の意志だ。

 

「お任せください、必ずや……」

 

 私は背中に翼を創り、新たな書物を求めて羽ばたいた。

 

 それが、凡庸な穢れのひとつにすぎなかった私が、書記(メタトロン)となる全ての始まりであったのだ。

 

 

 

 長い時を経て、私はいくつかの書物と隔絶された天界を見つけ、多くの眷属を従え、その頂点に君臨することとなる。

 

 私の使命はこれで終わらない。

 全てはここから、また新たに始まってゆくのだ。

 

 これから続々と生まれるであろう、知能を持った眷属達同士による、天上世界の覇権を巡る争いが……。

 

 


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