東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 “浮遊”を使っているのだろう。サリエルは、私と同じ原理で宙に浮かんでいるようだった。

 しかし月魔術を用いたその飛行技術はまだ未熟と言う他なく、推進など動力は全て背中に生えた翼に頼っているらしい。

 上昇と下降を“浮遊”で、それ以外を翼で賄っている、といったところか。

 

 そんなサリエルの斜め後ろで、私はほとんど完成されきっている“浮遊”にて自由移動を行っているのだから、彼からしてみれば、私は異質なものに見えていることだろう。

 

 だが、今はサリエルが私を案内しなければならない立場。

 既に見せつけられた力の差もある。

 彼は自らの疑問を胸中に収めながら、私の疑問の解決に務めていた。

 

「天界は大昔、地上に存在した陸地が浮き上がって出来たものだ」

「地上に存在した、陸地……」

 

 私は宙を飛びながら、辺りに浮いた島々を見やる。

 まぁ、確かに自然に生まれたと呼ぶには無理がある光景だ。

 現在の地上とは植物の形態が異なるとはいえ、この天界で生い茂るものたちは、かつて私が見てきた植物だったのだから。

 

「神は、それを“地上の栓が抜かれた”と言われている。そのせいで、地上に災いが起こり、世界が混沌に包まれたのだ、とも」

 

 地上の栓が抜かれた。つまり、その栓とやらがこの天界だということか。

 

 ……いや、違うな。

 神だかなんだか知らないけど、彼らの言うこと全てを真に受けてはならない。

 

 確かに、かつて地球上には巨大な塔が天高く聳え、世界の安定と平和のために存在していた。

 その塔が地上から消えたと共に災いが起こり、こうして原始魔獣が世に蔓延ったのも、また事実。

 

 ……だが、サリエルの言葉の通りだとすると、その“栓”とやらはまるでアマノそのものを指しているように思えてしまう。

 アマノが地上を離れて天界になったのだと、そう言っているかのように。

 

 けれど、ここはアマノそのものとは違う。

 アマノは骨そのものであり、大地ではなかった。そして何より、アマノは巨大隕石を砕くためにその身を捧げ、砕け散ってしまった。

 このように広大な浮遊群島として存在できるわけがない。また、私自身が彼女の強い気配を感知できていない。

 

 サリエルの言うところの神とやらが、根っからの嘘をついているとも思えないけど……。

 

 

 

 いや……もしかしたら、ここはアマノが建っていた土地の名残なのだろうか。

 

 竜骨の塔、アマノ。そこはかつて、地球上の全ての生物にとっての聖地であり、その土地は見上げるアマノと共に、平伏すべき神聖な場所でもあった。

 ふむ、そう考えると、土地自体が不思議な力を有していたとしてもおかしくはない。

 アマノを支える大地が、長い時間をかけて神聖を得て、それがアマノという押さえを無くしたと同時に、浮かび上がって島となった……。

 

 ……それが、天界。

 なるほど。栓そのものとは言えないかもしれないが、サリエルの言うところの神が言い伝えている予想は、あながち間違いでもないかもしれぬ。

 

 

 

「天界は地上を離れると共に、地上の穢れを嫌って姿を隠した。それが、この天界が外界と隔絶されている理由だ」

「穢れを嫌う、か。ここは綺麗好きなんだね」

「喰らい合う者の未来には破滅しか残されていない。誰がそのような場所に留まりたいと考えるだろう」

「ふむ……うん? 喰らい合う者というのは、原始魔獣を指しているのかい? それが穢れていると?」

「原始魔獣? ……地上に存在する、姿を真似る連中のことだろう」

「そうそう、それ」

「それが、穢れさ」

 

 サリエルはその時、忌々しげな表情で吐き捨てていた。

 

「そして、それらは我々と近しい存在でもある」

 

 

 

 サリエルに導かれて辿り着いた場所は、小さな川が棚田のような大地を伝って無数の滝を作る、幻想的な浮島だった。

 絶え間なく落ちて弾ける飛沫は霧となり、島を白っぽく覆っている。

 水はどこへ向かうのかと下を見れば、滝は島から溢れ落ちているらしい。

 美しい光景であったが、それよりも島の水はどこからやってくるのかという疑問に、私はしばらく黙り込んでいた。

 

「言葉も出ないだろう?」

 

 多分そんな意図を汲み取ったわけではないサリエルは、私にドヤ顔を向けていた。

 

「天界は下層でも、こういった美しい景観に富んでいるのさ」

「……けど、上はもっと美しい?」

「そうだとも、そうだとも」

 

 よほど誇らしいのだろう。サリエルは自分のことのように得意げだ。

 そこまで自慢されるとちょっと見てみたくなるけど、立ち入り禁止だと言うのだから、なんとも煮え切らない気持ちになってしまう。

 

「でも、ここだってこんなに美しいのに、人の気配は感じないなぁ」

 

 私は辺りを見回し、気配を探る。

 が、ここには鳥もいなければ、猿っぽいものもいない。川には魚らしい影も泳いでおらず、生物といえば植物だけの、寂しい土地だった。

 

「そんなこと、答えは簡単だ。ここにはまだ、誰も住んでいない、ただそれだけのこと」

「誰も住んでいない……みんな上の方にいるから?」

「そうでもあるし……単純に、天界に住まう我々のような者が少ないということでもある」

 

 サリエルの表情から笑みが消えて、真面目なものへと変わった。

 

「……それは、サリエルが外界の原始魔獣……穢れと近い、ということに関係がある?」

 

 私が訊くと、サリエルはしばらく躊躇うように押し黙った後、静かに頷いた。

 

「私も元々は、地上を彷徨う穢れのひとつに過ぎなかったのだ」

「……ほう」

「私は、穢れだが、翼を持っていた。空を飛び、世界を彷徨う穢れ……地上において、空を飛べるということは、穢れにとっては優位だった。そうそう奴らの争いに巻き込まれることもないからな」

 

 サリエルは自分の白い翼をいじり、羽根を毟り取る。

 すると羽根が白い光の玉に変わり、すぐにサリエルの翼へと戻って、同じ羽根として再生した。

 

「だが、その時の私には、今の私のような知能は無く……愚かだった。意味もなく世界を彷徨い、飛び回る。地上の争いにこそ巻き込まれることはなかったが、ただそれだけ。無意味な存在であることには変わりない。あの頃の事は薄ぼんやりと覚えているが……実に汚らわしい時期だったよ」

「しかし、今の君には知性が備わっているように見える」

「……神が授けてくださったのだ」

「知性を?」

「そうだ」

 

 信じられない。知性を授ける。それがどれほど難しいことか、私は知っているのだから。

 それ故に、私は彼の言う“神”とやらが、まさか本物の創世神なのではないかと思ってしまった。

 宇宙を創り、地球を創り……全てを創造した、正真正銘、本物の神なのではないかと。

 

「その知性を与えてくださった存在というのが……」

「これはこれは、外来の方とは珍しい」

 

 その時、サリエルの言葉を遮るようにして、幼気な声が空から舞い降りてきた。

 

 また、言葉を扱う存在だ。

 私は途中まで続けていた思考を放棄して見上げると、そこにはサリエルと同じ、有翼の人影が浮かんでいた。

 

「あなたは……」

 

 サリエルが言葉らしい言葉をかけようとする前に、私達の近くに舞い降りてきた子供は笑みを浮かべ、私のもとに近づいてくる。

 紅い髪に、白い肌。灰色の貫頭衣。そして、サリエルと同じ一対の白い翼。彼もまた、天使のような見た目をしていた。

 

「はじめまして、外界のお方。僕はサリエル様の下で書記官をさせていただいている、ミトと申します」

「私は魔界の遣いライオネル。……書記官、そんなものまであったのか!」

 

 私は新しい人が来たことよりも、そんな高度な役職まであることの方に驚いた。

 書記官があるということは、もっと沢山の役職もあるに違いない。

 すると、天上にあるという神が住まう領域とは、一体どれほど高度なのだろうか。

 

「ええ、神の計画を記す役目です。サリエル様のように大いなる存在を司っているわけではありませんが、僕はこの役目を誇りに思っています」

 

 ミトと名乗る少年はそう言って、入試や就職なら一発合格間違いなしの朗らかな笑みを浮かべた。

 

「……」

 

 そんなミトの後ろでは、サリエルが真顔で黙りこんでいる。

 まるで一対一で話すなら饒舌だけど、三人以上の集まりになると押し黙ってしまう人のようであった。つまりかつての私みたいだった。

 サリエル、君の気持ちはよくわかるよ。よく喋る人と一緒にいると会話に入れなくなっちゃうよね。

 

「じゃあ、君の抱えているそれは本なんだね」

「はい! これに今までの出来事などを記しているのです。とても大切なものなので、お見せすることはできませんけどね」

 

 ミトは小脇にしっかりと一冊の本を抱えていた。

 分厚く、カバーもしっかりした、立派な本である。

 紫色の表紙、きめ細やかで均一な、芸術的とすら言える紙の束。

 

「おおー……」

 

 題は見えなかった。

 けど、表紙の美しい色合いを見て、私は硬直した。

 

 

 

 私は、この本を知っている。というより、覚えている。

 これが神の計画表? 出来事を記す書物?

 

 それは、嘘だ。私にはわかった。

 

 だって、ミトが抱えているそれは、紛れも無く私の作った魔導書……“慧智の書”に相違ないのだから。

 

「サリエル様、主より言葉がありました。世界設計の事について話さねばならないことがあるので、ただちに戻るように、とのことです」

「……そうか。それは、今すぐでなければならないのか」

「はい。なので、こちらにいらっしゃった方には申し訳ないのですが……」

 

 ミトとサリエルが、私に目をやる。

 サリエルは、どこか感情を消しているかのような、能面じみた表情で。

 ミトは、実に申し訳ないといった感情を表したような顔で。

 

 私は直感する。

 彼らにとって、ここにいる私は不都合な存在なのだと。

 

 それは、“慧智の書”を持った者が自らを偽り、隣に立つサリエルが緊張するほどに。

 

「今日のところは……私、帰った方がいいだろうか?」

「申し訳ございません。せっかく外界からいらしてくださったのに」

 

 このミトとかいう子供は、なかなかの演技力を持っている。

 しかし、そんな書物を小脇にして、よくもまぁ書記官などと。その書物には、私が記す文字以外は受け付けず、油性のインクでさえ弾いてしまうというのに。

 隣のサリエルも冷静さを繕ってはいるが、お前が一言を発する度に身を固めているじゃあないか。

 

「そうか。忙しそうだし……それなら仕方ない。私は魔界に戻るとしよう」

 

 だが、その嘘のおかげで色々とわかったぞ。

 サリエル達の存在や、彼らが知能を得た理由も。……おぼろげではあるが。

 

 ならば無理に問い詰めることはすまい。

 ミト、彼の抱える書物、そして彼がついた嘘。それは、私が求めてやまなかった“知能ある生命”そのものの姿であるからだ。

 彼らの生やこれからの行いに、今ここにいる私が不都合であるというならば……いいだろう。私は喜んで立ち去ろうとも。

 

 私は支配者になりたいわけではない。あくまで、平穏で平和な世界がほしいだけ。

 君たちの行いによってそれが達成するならば、その世界に乗っかるのもやぶさかではない。

 

「申し訳ございません、魔界のお方」

「いやいや、いいんだ。こちらにもこちらの事情があるだろうし、それに干渉しすぎるのは良いことじゃない。すぐにでも帰らせてもらうさ」

 

 これ以上の長居は不要と、私は“浮遊”を発動させて浮かび上がった。

 高く高く飛翔して、私のローブの影がミトとサリエルの二人に重なる。

 

「ああ、でも最後にひとつだけ」

「なんでしょう?」

 

 ミトは可愛らしく首を傾げた。

 

「あまり外界を……地球を壊さないようにね。そうしたら魔界の方も、きっと穏やかではいられなくなると思うから」

「……」

 

 私は最後に言い残し、最大出力の“浮遊”によってその場から飛び去った。

 それまでの空中移動を遥かに凌駕するスピードで離脱する瞬間、サリエルの口を半開きにした間抜け面と、ミトの動かない笑顔がちらりと見えた。

 

 

 

 

「……神よ」

 

 視界の彼方へ消え去った影が、空間に亀裂を作って去ったのを見届けて、サリエルが小さく零した。

 

「狼狽える必要はない」

 

 声に答えたのは、傍らに立つ少年。しかし先ほどまでの笑みは消え、顔には無表情が張り付いている。

 

「……あの、ライオネルとかいう魔界の手先は……」

「私の指示通りに動けば良い。これまで通り“あの力”を修め、この天界の上層を守護してさえいれば」

「……私の力が、全く及びませんでした」

「“書物”の力は、全てを読み解かない限り万全には与えられぬ。修練を積むことだ」

 

 少年、ミトは背中から更に翼を生やす。

 二対、三対、五対。翼はまるで植物の成長を早送りに見るかのように、次々と生えてくる。

 

 やがて少年が体中から合計で三十六対の翼を生やし終えると、その姿は翼によって完全に隠れ、真っ白な球体となっていた。

 

「臆することはない。私の言葉は神の言葉。我々を生み出した根源たる神が“善き世界”を望んでいることは疑いようもないのだ」

「……は」

「“善き世界”のために、今は力を蓄えよ。外界を治めるためには、まずはそれこそが必要であり、避けようの無い道なのだから」

 

 翼の球体は宙に浮かび、ゆっくりと天高く登って、見えなくなった。

 

「……仰せのままに」

 

 サリエルは決意するように零し、深く目を閉じた。

 

 


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