東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 魔界へと転送される原始魔獣は多い。

 そのため、魔界での研究は常に大忙しだ。

 

 年月を経るにつれ、迷い込む魔獣の数は増加し続け、私と神綺はその対処に追われる。

 原始魔獣達は魔界のどこにでも現れるので、下手な場所で長時間放置し続けると、そのまま死ぬこともあるのが困りものだ。

 特別足が早いわけでもないが、回収しなくては無駄死にさせることになる。

 彼ら大型の原始魔獣達の数には限りがあるし、貴重な資料だ。できることなら、命を持ったまま、無傷で移送したい。

 

 そんな彼らを相手に奔走していると、地球の探索は疎かになりがちだ。

 魔界に閉じこもって原始魔獣のデータを集めている間に、おそらくは時間をかけて進化したのだろう。久々に地球へ行くと、どことなく猿っぽい哺乳類を見かけるようになったのには驚きである。

 猿っぽくなる前はどのような姿だったのか、ちょっとずつ生き物が変化してゆく様子を見たかったのだが……。

 とても大事なものを見過ごしてしまった気がして、数日間は悔しさのあまりに、宇宙旅行に出かけてしまったほどだ。

 金星は地獄です。

 

 

 

 しかし、私が見過ごしていたのは生物進化の過程だけではなかった。

 

 もはやこれ以上は何も見過ごしようがないだろうと思っていた矢先、私は地球にて、大きな異変を目にしたのである。

 

 

 

 きっかけは単純。

 私が原始魔獣を求め、“浮遊”で空を飛びながら“望遠”で地上を見ている最中のことだった。

 

「うん?」

 

 過ぎった違和感は些細なものだ。

 一瞬だったし、気に留めるほどのものでもない。“気のせいか”と自分に言い聞かせれば、知らぬ振りして数秒後には忘れられるような、小さなものである。

 

 しかし鮮明な記憶を反復させると、やはり違和感は確かなものだった。

 小さかろうとも確かに感じる、視界の端に黒くテカテカする虫を捉えてしまった時のような確信が、からっぽの胸を締め付ける。

 

「今のは何だ」

 

 私は途中で止まり、引き返すようにして飛んだ。

 その道中は慎重に、ゆっくりと。違和感を探るように、神経を研ぎ澄ませながら。

 

「おおお?」

 

 すると、やはり気のせいではなかったのだろう。

 飛んでいる途中で、何か薄い膜を通り抜けるような感覚に襲われた。

 

 オーロラを突き破ったわけでも、ダウンバーストにぶつかったわけでもない。

 もっと魔力的なものに触れたのを、私は感じ取った。

 

「何かあるみたいだけど」

 

 何度か往復してみて、間違いでないことを確信する。

 空間に境目らしきものが存在し、そこを通る度に感じる魔力的な違和感。

 更に広範囲に渡って動いてみれば、境目は湾曲した立体的なものであることも判明した。

 

 まるで壁のように平面的ではあるが、僅かながら湾曲している。ペシャンコに潰したコンタクトレンズ、とでも表現すればいいだろうか。

 

「……どれ」

 

 不可視の境界から距離を置き、手のひらの上に魔力を集める。

 渦巻く魔力の球体は青く輝き、物理的なエネルギーを持つ光弾と化した。

 

「魔力をぶつけたら、何か反応があるだろうか」

 

 まずは弱めの魔力弾で、小手調べ。

 魔力弾をぽいっと軽く放り投げ、見えざる境界をじっと見守る。

 

 そして弾と境界が触れたその瞬間、魔力弾は弾け、いびつな割れ方をして霧散した。

 

「ほお」

 

 魔力弾が壊れた。これは、なかなか見られない現象である。

 魔力弾は頑丈というわけではないが、何もない空中で壊れるほど軟なものでもない。

 少なくとも先ほど生成した魔力弾は、同じ径の樹木を破壊できる程度の力を持っていたのだ。

 何もない空中で壊れることがあるとすれば、相応の強い風が吹くか、それ以外の要因しか考えられない。

 

「さらに威力を高めてみるか」

 

 私は未知という珍さを目の当たりにし、調子に乗って更に強い魔術を練り始めた。

 右手を掲げ、魔力を集中。昼間の上空は魔力も薄いが、少しだけ時間をかければなんてことはない。

 

 力を込めてすぐにバランスボール大の魔力球が出来上がり、禍々しい紫色のオーラを内部に渦巻かせながら、それは真球の形へと整えられた。

 

「ほい」

 

 そして特に何も考えず、私は魔力球を投擲した。

 

 球が境界へと衝突し、魔力の弾ける音が辺りに轟く。

 漏れ出た魔力は迸り、紫の風を巻き起こしながら、散ってゆく。

 

 ああ、この攻撃でも割れてしまうのか。

 私は、じゃあ次はもうちょっと強い攻撃を当ててみようかな、とか、一体この境界はどのような現象なのだろう、とか。呑気にそんなことを考えながら、辺りへ拡散する魔力の風を受けていた。

 

「えっ」

 

 ところが魔力の風が止むと、そこにあったのは大きな亀裂であった。

 空間に砕けたような穴が空き、向こう側には見知らぬ自然の景色が広がっていたのである。

 

 割れた? 空間が?

 どうして? 何故?

 

 というより、これは一体何が?

 

「あ」

 

 思いつく限りの疑問を浮かべている間に、空間に入ったヒビはどのような力か、ふさがり始めてゆく。

 

「ちょ、乗ります乗ります」

 

 私はつい人間だった頃の癖で、閉じる寸前の亀裂へと飛び込んでしまった。

 

「あっ!?」

 

 なんとなく取り返しのつかないかもしれないことだと気付いた頃には、もう遅い。

 私の背後で亀裂は完全に修復され、私は異空間へと閉じ込められてしまった。

 

 

 

「……なんで入っちゃったんだろう」

 

 反射的に謎の空間に飛び込むなど、我ながら正気の沙汰とは思えない。

 しかし、こうして未だに宙に浮いてられるところを見るに、私は無事なのだろう。予想外の出来事には見舞われたが、そう深刻な状態でもなさそうだ。

 

「……それにしても、ここは?」

 

 私は一旦心を整理して、ひとまず辺りを見回した。

 

 一見すると、ここは地球と何ら変わりのない世界である。

 ここは空中で、上には青空が広がり、下には陸地が存在している。

 

「うん!?」

 

 と思ったけどちょっと違った。

 陸地はある。でも陸地というよりも、それは上空から見下ろした時、島に近いものであった。

 

 島が、空中に浮かんでいるのだ。島の端には水がなく、陸地だけの岩の塊だ。

 その下には真っ白な靄のような空間が広がっており、見通すことはできない。奈落を彷彿とさせる真っ暗闇ではないだけ気が楽だが、島の下は未知である。

 

「……なんだろう、ここ」

 

 視線を動かしてみると、同じような浮島がいくつも点在している。

 白い雲の上に浮かんだ島々には細々と木々が生えており、それらはどこか、中国っぽい雰囲気が感じられた。

 

 まるで、ファンタジーの世界である。

 ……魔界に住んでる私が言うのも何だけどね。

 

 

 

 魔界ならば、こうした浮島を作ることも可能だろう。

 帰ったら一度、ここのような浮島を作って立体的な世界を構築することも視野に入れてみたいところだ。

 

 しかし、ここは魔界ではない。

 原初の力は私の中に感じられるが、発動する兆しは見られない。

 

 はて、それではこの空間、一体何なのだろうか。

 

 ……そもそも私、ここから出られるのかな。

 

 


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