私はレイラの脆そうな手を取り、花びらを撫ぜるような力加減で握った。
レイラはすぐに反応し、私に見えない目を向ける。
「メルラン、お姉さま……」
「……レイラ。貴女は私を、姉と。そう呼んでくれるのね」
「うん」
純朴な、儚げな笑顔。
それが当然であると信じ切った、無垢な子供の微笑み。
「でもね。本当は私は……血縁ではないの」
「え……」
「親類だなんてね。全部、私の作り話だったのよ。私はただ……プリズムリバーの一族を、育てて、見守って……出ていかれただけの。ただの、一人きりの魔女でしかない」
そう、私はただのメルラン。あなた達プリズムリバーとは異なる存在。
だけど異なるからこそ、私はあなた達のことを知っている。
プリズムリバー伯爵家。
屋敷の中にいくつか掲示された肖像画が、昔の面影をほんの少しだけ思い出させてくれた。
魔法の勉強に熱心で、専門でもない触媒魔法について何度も質問を投げかけてきた、子犬のような青年。
アヴァロンのあちらこちらを歩いて周り、材料になりそうなものを見つけては持ち帰り、散らかった部屋を同居人に怒られていた……。
……あの子の好奇心は、鳥かごの大きさに縛られるものではなかった。
広い世界を見て、いろいろな国に行って、さまざまな人に出会って。
そんな夢を抱いた、プリズムリバーの一人。
……何年経っても、忘れるはずもない。
だって、あのアヴァロンで過ごした日々は、レイラ。貴女にはわからないでしょうけど。あそこでの短い日々の中だけは、間違いなく……。
「家族、だよ」
「!」
レイラのか細い声。
「だって、メルランお姉さま、とっても優しい手をしてるんだもの」
冷たい指が、私の手の甲を撫でる。
「お姉ちゃんたちと一緒。優しい手」
……血縁なんてない。
私に実子はいないし、残したはずのものだって全てどこかへ散らばってしまった。
このか弱い子は、散らばった光の一粒でしかない。
だというのに。
「……それでも私を、家族だと思ってくれるの」
「うん」
「私、ひどい奴よ」
「そんなことない」
「嫌なことしかしない。いつも人をせせら嗤っているだけの……」
「メルランお姉さまは、私のこと、嫌い……なんですか?」
不安げに呟かれたその言葉に、私の中にある人間も、魔族も、強く首を振っていた。
「好きよ。レイラ。貴女は私の……愛おしい家族」
「……よかったぁ」
彼女の目が。
見えないでいて良かった。
だって見せられないもの。今の私の、こんなひどい顔なんて。
『……メルラン。私達も、一緒だよ』
『そうだよ、メルラン。寂しいこと言ったら嫌だよ』
ルナサと、リリカまで。
……良いの。勘違いしちゃっても。
私のような愚かな魔女を、家族だなんて。
私は愚かだから……勘違いしちゃうわよ。
それが、どんなにひどい家族ごっこだとしても。
「レイラ。私はもう、貴女を一人にはさせないわ」
ベッドの上に転がった万華鏡を手に取る。
表面に刻まれた龍のレリーフは、ずっとずっと、東の方から流れてきたものだろう。
この世界のどこにいる誰が、こんなものを作り出したのか。
あるいはこの製作者も、淋しかったのだろうか。己の魂が張り裂けそうなほどに。
「メルランお姉さま……?」
『メルラン? なにを……壊すつもり、なのかな』
「……私は霊魂の操作に秀でていない。学んでいた時期もあったけれど、私はそれを途中で放り投げてしまったから。でも、基礎的な部分は理解しているつもり。“霊魂を無から創り出すことはできない”のだと」
そして霊魂の加工方法はあまりにも複雑で、多岐にわたる。
単純な加工を試みたとしても、少し条件を変えただけで過程も結果も大きく歪む。
だから必要なのは再現性だ。
同じ加工をするのであれば、同じ方法で試みる。
場所も時間も、そして機材も。
『メ、メルラン。ひょっとしてそれ、使うつもり……!? どうして!?』
魂を分割する万華鏡。同じ器具を使えば似たような結果は出せる。
それにこうして手にとってみて構造も概ね把握した。
この万華鏡は使用者の魂を分解し、周囲に分け与えるためのもの。魂を他者に捧げるための、本来であれば忌むべき魔道具。
けどこれがあれば。
これさえあれば、レイラの命を引き伸ばせるかもしれない。
まだ存在力の薄いルナサとリリカを、より長くこの世界に留め置けるかもしれない。
「メルラン、お姉さま……?」
『メルランそれはっ』
「愛しているわ。レイラ」
目元に万華鏡を当て、回す。
――パキ
魂が罅割れる。端の方から、確実に。
私の魂が砕け散った色が、筒を通して向こう側へと投影される。
『うあっ、なに、これ……!』
『熱い……? 暖かい……!?』
「……メルランお姉さま」
私の魂で視る虹色の世界が、回すごとに生まれ変わってゆく。
形を変えて、新たな像を結んでゆく。
そこに私の中にある願望を乗せたまま。
「私の家族を、守ってみせる」
自分の存在が、記憶が、積み上げてきた己の全てにヒビが入ってゆく。
けれど恐怖はない。その先にあるのが虚無だとしても、醜かった私の欠片がこの子たちを未来に繋いでくれるのであれば。
私はそのためだけに、自分の全てを捧げられるんだ。
――パキ
ああ、なんだっけ。
私は……名前は、なんといったっけ。
――パキ
わからないけど、覚えていることがあるわ。
私にとって、彼女たちはとてもかけがえのないもので。
そのために私は、コレを続けなくちゃいけなくて……。
「メルランお姉さま」
その言葉で、私の手から筒が離れた。
いいえ、ひったくられてしまった。
「あ……」
「メルランお姉さま」
眼の前の少女に。メルランと呼んだ私のことを……潤んだ瞳で、“見つめ”ながら。
「……愛してる。メルランお姉さま」
「わっ」
抱きつかれてしまった。
……レイラ。そう、彼女はレイラだ。
私の愛おしい……家族の一人。
「メルラン……もういいんだよ」
「ばか、メルラン。本当にばか。……ありがとう、ごめん、……私も愛してる」
そして、ルナサとリリカまで。二人も一緒に私に飛び込んで、痛いくらいに抱きしめてくる。
痛くて、暖かくて……なんだかとても、満たされた気持ち。
なんでだろう。私はいまいち、あまり、色々なことを覚えてないんだけど。
「……なんだか今日は、幸せな日ね?」
「……うんっ」
家族の顔を見ていると、思わず幸福な笑みが溢れそうになるのだった。