東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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魔女の薬品工房

 

 眼の前の光景に思考が凍りつく。

 

 青白い顔で横たわるレイラと、二人の実体化した霊。

 そしてベッドの上に無造作に転がった万華鏡(カレイドスコープ)

 

 何が起こったのかなど、二人に聞くまでもない。

 

「レイラ」

 

 私は自分の体調が最悪なことも忘れ、彼女のすぐ側に駆け寄った。

 か細い手を取り、その冷たい肌に指を当て……その奥で弱々しく鼓動する命の感触に、ひとまずは安堵する。

 

『メ、メルラン。ごめん、私達は……レイラから“それを壊してはいけない”と言われているせいで』

『ごめんなさい! でも、どうしよう、レイラが……!』

「わかってる。ルナサもリリカも、霊魂の主であるレイラの命令に縛られているのでしょう。……気絶する前に私がこれを壊すべきだった。私の落ち度だわ」

 

 脈はある。意識は無いけど呼吸はしてる。眠っているのか気を失っているのか。半々といったところでしょうね。

 

 レイラはまた、万華鏡を覗き込んだのだろう。

 ただでさえ自分の存在力が低下しているというのに、重ねて霊魂をルナサとリリカに分け与えてしまったのだ。無事であるはずもない。

 

「ルナサ。燭台」

『え?』

「燭台を持ってきて」

『う、うん。わかった、ここにあるよ』

『あの! 私も何かできることがあったら!』

「リリカは雪の塊をできるだけ持ってきて頂戴」

『雪ね! わかった!』

 

 リリカが慌ただしく飛び去り、私のすぐ隣に古びた真鍮の燭台が置かれる。

 私はそこに指先から炎を灯し、魔力を注いで火力を大きくしてゆく。

 

 このくらいでいいか。部屋の温度が一気に上がる。

 寒い季節だ。衰弱したレイラの身体をより良く保つには少し暑いくらいが良い。

 もちろん急激な温度変化は害にもなり得る。けど今は、そんなリスクさえも見過ごさなければならないところにきていた。

 

『……メルラン、レイラは』

「助ける」

 

 何かを訊かれる前に私は即答した。

 

「この子はまだ死ぬべきじゃない」

 

 ルナサに指示を出し、とにかく今必要なものをありったけ持ってこさせる。

 その間に私はリリカが抱えてきた雪を溶かし水にして、壺の中で浄化させ、宙に浮遊させる。

 古く不潔な容器を使うべきではない。魔法の火が灯る燭台の真上は、温度も高く実に衛生的なポジションだ。空中でぶくぶくと沸騰する水塊は、同時に部屋の湿度もコントロールしてくれるだろう。

 

『蒐集品棚から持ってきたけど……こんなの、どうするの?』

「いいからそこに並べて。薬に変えるのよ」

 

 金属にも雲母にも似た石を手に取り、魔力を込めて砕く。

 

「“穏やかな土針”」

 

 呪文の発動と共に手中に生成された極細の針が五本。

 小柄なレイラ一人に対して使うならばこれで十分。取り急ぎ、針の一本をレイラの手の甲に刺しておく。これで肉体的な最悪のいくつかを除外できるはず。

 

「“風の循環、”“迅風の乳鉢”、“偽りの水瓶”」

 

 レイラの周囲の風の流れを封じ、悪い気の侵入を拒む。ひとまず外的要因による危険は排除。

 次に空中に風魔法による不可視の乳鉢を設置。これで材料を放り込むだけで粉砕と撹拌ができるようになった。

 そして沸かせた水塊から架空の小瓶をいくつか生成し、空中に浮かべる。

 

『すごい、これが……魔法使い……』

『メルランって、こんなことまでできたんだ……』

 

 プリズムリバー伯爵の蒐集癖に助けられた。

 世界各地の珍品はたとえ集めた本人にその真実の価値がわかっていなくとも、私にはよくわかる。

 伯爵の集めたガラクタとも言える品々は、それを丁寧に分解してやれば魔法の薬にもなってくれる希少な素材で出来たものばかり。

 見知らぬ動物の牙も、毛皮も、凝固した血液も、石も、食器も、金物も。

 砕いて混ぜて結合させてを繰り返してゆけば、レイラを救う手段に早変わりする。

 

 伯爵はもうここにいない。でも彼の積み重ねてきたことが今、レイラの命を繋ぐ希望になってくれている。

 

「“速やかな還元”」

 

 複数の素材制作を経て、最終工程が完了する。

 高速で回る炎の中で生成された物質は、無色透明な一本の細い針。

 それがゆっくりと下に降りて、私の手の上に落ちる。

 

「これを刺すけど、二人は驚かないで。あと止めないでくれる?」

『わかってる。さっきの黒い針みたいなものだよね』

『信じてるよ。平気』

「ありがとう」

 

 私は今しがた作られたばかりのガラスのような針を、躊躇なくレイラの胸へと突き刺した。

 

『ちょ、ちょちょちょっ』

『うわぁ!? ちょっとそこしかも心臓……!?』

「刺すと言ったでしょ。うるさいわね」

『だってそんなとこ深く刺すなんてッ!?』

 

 針には魔法が込められている。こうして刺した瞬間から、薬効成分はレイラの身体をめぐり始めるだろう。

 傷もすぐに塞がるし、全く問題はない。魔法使いの治療に騒ぎすぎだ。まあ想像はできてたけど。

 

『……それで、メルラン。大丈夫なの? レイラは』

「もちろん大丈夫ではないわ。けど、ひとまず現状維持ができる程度にはなっているはずよ。衰弱した肉体を起こして、体調を整える程度にはね」

 

 今のレイラは、霊魂が深く傷つき欠けた状態にある。

 私がやったのは彼女の繊細な魂に他の霊魂が侵入しないように保護したのと、霊魂失調による急激な肉体感覚の喪失を修繕した程度に過ぎない。

 不安定さによる最悪のショック死は回避したものの、この措置はレイラを完治させる類のものではないのだ。

 

 ……私が持つ“虹色の書”の知識を動員しても結果はこれ。

 

 確かに“虹色の書”は万能だ。ライオネル・ブラックモアが先んじて生み出した数々の属性魔法は、医薬品を作るにも大いに役立っている。

 

 ……でも、今このレイラを救えるのは“虹色の書”ではない。

 今この瞬間に必要とされている知識は、私がかつて二者択一のうち捨てたもう一方の書物……属性魔法を極めるために手放した“生命の書”の知識だった。

 

 霊魂。擬似的。その要素を考えれば今必要なのは属性魔法よりも“生命の書”に記された魔法の数々だろう。

 でも、私の“生命の書”に対する知識は中途半端なもの。決して深く読み込んでいるとはいえない。

 

 ……なんてこと。歯がゆい。悔しい。どうしていつもこうなんだ。

 解決の手立ては持っていたはずなのに。時間配分をどうにかすれば、必要な知識は手に入っていたかもしれないのに。

 昔の私はその行為を優先できなかった。そして今この時、手立てを思いつけずにいる。

 

 最悪だ。どうして私が賽を振るといつも1が出る。

 私のためではないんだ。レイラのためなのに。それすら許されないというのか。

 

「お姉、さま……」

 

 か細い声が、レイラの口から漏れ出た。

 

『レイラ!』

『目を覚ましたの! よかった、レイラ……大丈夫よ! 私たちは、ここにいるからね!』

「お姉さま……ルナ姉……リリ姉……手、握ってくれる……?」

 

 二人の霊はレイラのベッドの側でしゃがみ込み、か細い彼女の手を取った。

 かつて実体を持たなかったゴーストの手。今やそれは擬似的な肉を持ち、感触を生むまでになっている。

 

「……えへへ。お姉さまの手だ……」

『! レイラ……!』

『うん、いるよ。私達、ここにいる……!』

 

 ……盲目のレイラは。

 そう。見えないのなら、求めたくなってしまったのね。

 

 いなくなった姉妹たちの存在を。声を。そして手のぬくもりを。

 だからこの子は、命を賭けてまで……自分の霊魂を削ってまで、二人のゴーストに分け与えようとしていたのね。

 

「ごめんなさい、危ないことして……でもね、私、みんなと一緒になりたかったの。ごめんなさい……」

『良いの。レイラは悪くない。悪くないんだ……』

 

 今はまだ、満たされている。

 しかしレイラは人恋しくなれば、またあの万華鏡を覗き込むだろう。

 常には見えない景色を覗き込み、自分の霊を分割して、さらなるぬくもりを追い求めてしまうだろう。

 

 ……万華鏡はまだ壊していない。

 ルナサとリリカは、レイラの縛りによって壊せないからだ。

 

 この屋敷の中で万華鏡を自らの意思で破壊できるのはレイラと、私のみ。

 

 

 

 ……私が、壊すのか?

 

 壊せるのか? 壊して良いのか?

 

 レイラの意志を踏みにじって、孤独を齎して。そんな生を送らせて、それで良しと頷けるのか?

 

 

 いいえ。違う。そうじゃない。

 

 それは私の求めていた結末ではない。

 

 

 この万華鏡が忌々しくとも、憎たらしくとも。

 私はこの魔道具を壊すことなく、レイラを救ってみせよう。

 

 もとより私は、そのためにこの部屋に足を運んだのだから。

 

 


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