私は、メルランは、聖女の母と魔族の父との間に生まれた。
母は半神族の教会勤め。父はほとんど悪魔に近い下級魔族。
両者がどのように出会い、どのように情を交わしたのかは今はもう誰にもわからない。父は母を孕ませた後、すぐに姿を消したという。生前の母はその出来事について、深く語ることもなかった。
親子としての時間はすぐに終わった。
物心がついて間もなく、母が私を捨てたのだ。
望まぬ子……であったのは間違いない。
私の中にある魔族としての五割分の魂が、聖女たる母に何を思わせたのか。もう半分の半神半人の私では取り返しが付かないことであったのか。
そんなことも、今や何もわからない。
だが、私は種として優秀だった。
神族としての美しさ。魔族としての狡猾さ。そして人としての生き汚さによって、私は幼くとも一人で生きていくことができた。
あらゆる種族にとって半端者であった私を仲間と思う存在はいない。家族と呼べる存在も見つからない。
そんな絶望的な状態であっても生き延びて来れたのは、私はメルランという頑強な個であったがため。
純血は美しい。だが、脆い。
その点において、雑種は優秀だ。都合のいい部分を活かしてゆけば、己の生をそれなりの軌道に乗せることは造作もなかった。
私は人の社会において孤独だったが、抜きん出た力は常に重用された。
疎まれることは度々あったが、その頃の私にとって他者はことごとくが劣等種に過ぎない。自分よりも劣る存在が喚く姿は、嫉妬に狂った哀れな奴にしか見えなかったのだ。少なくとも、その時はまだ。
数百年も生きた頃、私は魔法の力を操る老人と出会った。
老人は枯れ木のようにやせ衰え、身につけた衣類は古い墓場から掘り起こした襤褸のように古びていた。
およそ俗世というものからかけ離れていたであろうみすぼらしい老人は、どういうわけかそれまでに誰の目にもつかないまま、毒霧の沼地までやってきて、私の前にやってきたのである。
老人は困惑する私を見るや、その枯れ木のような顔が皮で出来たことを思い出させるように不気味に歪み、悪魔のような笑みを作った。
“この本をあなた様に差し上げまする”
老人の異様さは最上級の警戒に値した。
だというのにその瞬間、私が注目を外してしまったのは、彼との間に一冊の魔本が差し出されたためだ。
それは、当時において、あるいは今においても、完璧で、美しく、まさに神秘そのものと呼んで差し支えない物体。
書物としても、魔道具としても、美術品としてもオーパーツであろう謎の奇書。
“この虹色の書にて、我らの国を善く導いてくだされ”
間違いなく神器であろうそれに見とれているうちに、老人は砂となって崩れていた。
およそ人ではない何者かから何重にもかけられた強い呪いが老人をそうさせたことを後の私は調べ上げたが、その時はただただ、本の異様さと老人の不気味さに気圧されるだけの小娘でしかなかったのだ。
それだけならまだ、多少長生きなだけの小娘だったのに。
あるいは、そうして孤独ながらも、まだその尺度で平凡に生き、死ぬことができたかもしれないのに。
少し勘違いしただけのつまらない雑種でいられたはずなのに。
私は“虹色の書”を開き、閉じることができてしまったのだ。
「……最悪な……夢を見たわ……」
目を覚ました時、私はベッドで寝かされていた。
埃っぽい空き室。寝具とさみしげな家具だけが配置された、プリズムリバー家ではどこにでもあるような部屋の一つ。
運んだのはルナサかリリカか。
……人は、死の間際に己の過去を見るらしい。
それかしら? 私の過去……フフッ。まるで拷問のようね。
「私なんてものは……私が回顧するまでもない。誰かが勝手に空想の“マーリン”として語り継ぐのよ……」
だからもう、私は良いんだ。この生を振り返る必要も、意味もない。
父は消え、母からは捨てられた。
友はおらず、配下は離れ、そうでなくとも人は死に、私は何度も何度も誰にとっての何者でもないメルランとなった。
魔法を手に入れてもそれは変わらない。私はこの世で最も偉大な魔法使いではなく、マーリンの名を崇める人は愚かで、本気になって担がれていた私はもっと愚かだったのだ。
私はただ、少し魔法が使えるだけの愚かな魔法使いメルラン。
……私は遠からず、近々死ぬ。
だからその前に、意味のあることをしよう。
私自身に意味がなくとも、他の誰かの意味を残してやろう。
たとえ最後の最後にたったひとつしか残らなくても、たったひとつだけ残せるようにこの生命を使ってやろう。
「レイラ……」
レイラ・プリズムリバー。
盲目の少女の名を呟きながら、壁伝いに這うように部屋を出る。
「貴女はまだ……まだまだ、幼くて、わがままで、ガキで、……子供なのだから。人生に絶望するのも、全てに諦めるのにも、早すぎるわ……」
それは私の役目。私がやるべきこと。
不幸も不運も孤独も滅びも、この愚かな魔法使いにこそ相応しいでしょう。
貴女にはまだまだ、先の話よ。
このメルランを差し置いて……あまりにも滑稽というものだわ。
だから……だから。
「貴女を助けてあげる。レイラ」
万華鏡を覗き込んだ彼女の魂は、既に摩耗して壊れかけている。
存在力の高いルナサとリリカを生み出した分だけ、彼女の余命は削れたと考えて良い。
しかし、私が倒れる前に指示は出してある。
ルナサとリリカには“万華鏡を壊せ”と言ったのだ。あれさえ壊せばそれ以上レイラの症状が悪化することはない。それならばまだ治療の猶予はあるはずだ。
タイムリミットは私の余命。それまでにどうにか、擦れきったレイラの魂を修繕してみせよう。
なに、恐れることはないわ。私の頭の中には、今や誰に使うでもない秘薬のレシピが何千何万と収まっている。
こんな愚かな魔法使いでもね、今際の際に半死半生の子供一人を助けるだけの力は持っているのよ。
「レイラ……」
私は重い体を引きずって、どうにかレイラの部屋の扉を開け放った。
『あ……メルラン……どう、しよう』
『私たちは……どうすれば……』
私が踏み込んだ部屋の中央には、見慣れない“二人の少女”が、ルナサとリリカの声で狼狽えていて。
ベッドの上で眠るレイラは、死人のように青白くなっていた。