靈威の魔界逆撃作戦は今の所上手くいっているとは言い難い。
そもそもこの魔界からの挑発から迎撃を含めた一連の流れが靈威に対する遅延戦闘でもあったので、元々上手くいくはずもないのである。
サリエルが生み出す遠隔魔法、幽玄魔眼による電影体。それは一定量の魔力によって作られた出力に限りのある分身であるものの、操るサリエルの技量も相まってか、靈威は未だに突破に至っていない。
そして撃退される度に靈威の身体には全治まで時間を要する傷を負わされる。
彼女自身も毎回必死に戦ってはいるが、それでも届かない。
怪我の療養中は身体に負担をかけない瞑想修行ばかりになる。
その間、自分の不甲斐なさを何度責めたかわからない。
「……集中」
紅との別れの日は近づいている。
せめてその時までには、魔界との争いに終止符を打たなければ。
靈威は打撲の痛みと雑念を振り払うように、再び霊力を練る修行に没入した。
靈威が博麗の巫女として魔界に掛かりきりになり、幻想郷における妖怪たちのパワーバランスも比較的元通りに復元されつつある。
神出鬼没な鬼も近頃ではその姿が確認されておらず、妖怪の山においては今の所天狗による支配が色濃く、平穏な日々の中で組織としても統率を取り戻していた。
しかし鬼からの支配を脱却し頂点へと上り詰めた天狗でさえ、完全な一枚岩ではない。
社会性の強い彼らの中には、むしろ新体制の構築を目論む個人や派閥も存在する。
長期間に渡る療養により姿を見せなくなった博麗の巫女……。
妖怪たちの中には、その“対博麗の巫女”として頭角を表した新興勢力との接触を目論む者たちがいた。
「魔界へと続く鍾乳洞はここか。ふーむ……」
大天狗率いる天狗の一派。総勢十人程度の小規模の派閥ではあるが、頭を務める大天狗は相応の実力を備え、人望も厚かった。
一大にして最大勢力たる天魔の支配下であっても尚、私兵として付き従う部下がいるということは、天狗社会においては大変に珍しいことである。
「……大僧正。やはりここの結界は異様に厳重です。特に妖怪向けの罠が無数に……おそらく神主と……」
「その名は口にするな。まだ祟りが残っているやもしれぬ」
「……あの御方が施した結界かと。我々が内部に踏み入るのは自殺行為でしょう」
「ふむ。であるならば、侵入は諦めておこう。ひとまずのところは」
博麗の巫女の日課は、探ろうと思えば容易く暴き出すことができた。
靈威は復調すると、博麗神社裏山に存在する鍾乳洞へと入っていく。それからしばらくの間は戻ってくることはなく、再び姿を現すのは怪我を負い気を失った状態であった。
その成り行きに関しては下手に調査や推察をするまでもない。神社の境内には文字通り動かぬ証拠があるのだから。
その結果、天狗たちはあっさりとこの鍾乳洞を発見した。
そして大天狗は今の行き詰まりをどうにかする方法を一つだけ心得ている。
「今、博麗の巫女はこの奥……魔界の者共とやりあっている。……魔界の勢力は強力だ。それは最近の巫女のやられようからも、噂に聞く話でも明らか」
魔界とは。それは日本においてはあまり馴染みのない異界であったが、それでも極々少数存在する召喚された悪魔であったり、神族や魔族の言い伝えによって、その名は語られている。少なくともそこが侮りがたき勢力圏内であることは疑いようもない。
「我々は魔界勢力との繋ぎを手に入れ、あわよくば取り込みたい。さすれば、今後も新たに現れるであろう次代の博麗の巫女に対する対抗手段が増える。……巫女に近づくことなかれという盟約を迫る連中もいるが、外部勢力が手を下す分にはこちらに文句はなかろう」
大僧正と呼ばれたこの大天狗も、いわば過激派に属する天狗の一人であった。
幻想郷の妖怪たちは“賢者”からのお触れにより、博麗の巫女を積極的に害することを禁じられている。その重みは実力差を薄目で見てもはっきりとしているが、それは大僧正らからしてみれば到底甘んじることの許せない状況であった。
かといって、巫女を抹殺したいわけではない。
彼らの目論見は博麗の巫女というシステムの破綻、あるいはその強さの根源たる“陰陽玉”の破壊だ。
「ここで待ち構えていれば、夕暮れ時には博麗の巫女が戻ってくる。その際、魔界の“運び屋”が付き添っていることは把握済み……」
弱った靈威を殺すだけならばいくらでも可能だが、それでは後に続かない。
大僧正らが鍾乳洞前に来た目論見は、魔界人との接触にあった。
とはいえ彼らはサラが本当にただ運ぶ仕事に携わっているだけの雇われ人であることを知らない。
多少の手荒な真似も辞さない彼らの前に、一般魔界人にして見習い門番のサラはあまりにも無力である。
「足音です」
夕暮れ。
耳の良い天狗の一人が、鍾乳洞の奥から近づいてくる足音を察知した。
それは段々とこちらに近付いてくる。
だが洞窟から姿を見せた人影は、天狗達が予め予想していた運び人のものではなかった。
「……ふむ。てっきり、巫女と運び人がくるかと思っていたが。……お主は誰かな?」
「私の名を尋ねたか」
それは古いローブを身に纏い、深い灰色の骸顔を晒した、背の高い謎の人物。
「私の名はライオネル・ブラックモア。魔界の偉大なる魔法使いにして、今は臨時の交通整理と警備を担当する魔法使いでもある」
「魔界の者に相違ないな?」
「うむ。だからさっきそう言った」
その名を聞く者が聞けば強い戦慄を覚えるものだが、知らない者にとってみれば妖術を扱いそうな凡庸な骸骨である。大天狗らも特に怯える様子も過度に警戒する様子もなく、ライオネルと相対していた。
「今、魔界にいる博麗の巫女に関する件で話がある。率直に言って、手を組まないか。そちらとしても利が無いことは……」
「ああ、申し訳ない。今からちょっと患者通りますんで、少し洞窟の前空けてもらっていいですか」
見れば鍾乳洞の奥からは靈威を台車に乗せたサラが既にこちらの様子を窺っている。
明らかに穏やかそうではない屈強な天狗たちの姿に、サラは完全に怯えていた。
「まあ、待て。……悪い話をしようというわけではない。これは双方にとって良い提案だ」
道を塞ぐ大天狗。
「そうか。しかし人間は脆いのだ。手当をしなければならない。先に彼女を通してもらおうか」
だがライオネルの方も譲らない。そもそも交渉の前に台車に乗せられた靈威の容態を心配していた。
サリエルによって手加減はされていたが、それでも人間の身となれば過保護になるのも仕方なかった。
「……先程から聞いていれば、ライオネルだったか。少々口答えがすぎるようだが……」
「待て」
「……大僧正。しかし」
「手出しはするな」
血の気の多い天狗を呼び止め、大僧正は顎を擦り……やがて、道を空けた。
「我々としても、ここで博麗の巫女に死なれては目立つ。本意ではない。……さあ、行きたまえ」
「おお、話が通じるとは嬉しいね。……じゃあサラ、また神社までお願いね」
「うう……やっぱり危ない仕事だよこれ……」
サラが身を竦ませながら台車を押してゆく。
残されたのは天狗たちとライオネルのみ。
「……それで。提案とは何だろうか。一応、私は魔界においていくらか決定権を持っている。何か言いたいことがあれば聞いておくけども」