ガラガラと台車が斜面を走る。
積載された荷物はまだまだ若い人間の巫女。
サラは黙々とその台車を押していた。
「あー、怖いなぁ……」
なるべく落とさないよう慎重に。
しかし話に伝え聞く分にはなかなか恐ろしい場所であるらしい外界に長居したくもない。結果としてそこそこ乱暴な運転で山道を駆けている最中だった。
「あ、ひょっとしてあれかな……あれだ! あー、やっとついたぁ」
しばらく山道を進んでいくうちに、博麗神社の境内へとやってきた。
石畳の上では赤い髪の女が佇んでおり、サラの到着を待っていたようだった。
前もって身体的な特徴は聞いていたので間違いということもないだろう。
「どうもー、魔界運輸ですぅー」
「ええ、ありがとう。……彼女は生きてる?」
「生きてます生きてます。気は失ってますけど、ちゃんと息はしてるから多分……はい、多分大丈夫じゃないかなぁ……」
サラも医療には詳しくない。ましてや人間の強さなどこれっぽっちも知らない。彼女は生粋の魔界生まれ、魔界育ちの魔人なのだ。
「とにかく助かりました。……うーん、この怪我の様子だとまだ数日は様子見かな……ええ。また日を改めてお願いするかもしれないので、その時はまた。是非」
紅の見立てによれば、靈威の怪我の具合は“ほどほど”といったところである。
最悪の場合、魔法によって悲惨なことになっている可能性も無くはなかったので、一安心である。
「まあ、はい。臨時のお給料も出ますし、えへへ……次回もあれば、また来ますね」
「うん。また」
そんなやり取りを交わし、サラは魔界へと帰っていった。
彼女にとって靈威の返送作業は、ただちょっとした小遣い稼ぎなのである。
「う……ん……?」
靈威は床の中で目を覚ました。
一時的な霊力の欠乏と全身の疲労。そして巨大な鈍器で殴られたかのような鈍い痛み。
「……ッ! つ、ぅ……」
遅れてやってきた戦闘の余韻で咄嗟に起き上がってはみたものの、体が思うようには動かない。そもそもここは魔界ではなく、どう見ても見慣れた母屋の中であった。
戦闘中に陰陽玉を弾き返され、ぶつかり……気絶した。そして地上に送り返された。
誰かに言われずともすぐにわかる。靈威は敗北したのだ。
「目が覚めたようね」
「! 紅さん」
「骨が折れているから無理をしないように。どれくらいで治るのかは知らないけど、しばらくは安静にすべきでしょうね」
「……ごめんなさい」
靈威は小さく頭を下げた。
「何が?」
「負けました。私は……あの死の天使サリエルに、手も足も……出なかったのです」
こみ上げてくるのは不甲斐なさ。戦闘中は終始サリエルのペースであった。
相手は幽玄魔眼という遠隔操作された魔法体だというのに、それにさえ敗北した。足元にも及ばなかったのは言うまでもないだろう。靈威は初めての大きすぎる敗北を前に、打ちひしがれていた。
「なるほど。悔しいですか」
「……はい」
「それは素晴らしい経験よ、靈威。なにせ貴女は死んでいない。相手の温情によって生かされ、丁寧にこうして送り返されている。きっと妖怪の山で同じような敗北をしても、そうはならなかったかもしれないわ。私が以前聞いた話によれば、あの山の天狗は巫女なら食ってもいいとかなんとか言ってたし」
「……温情」
「強者の特権ね。今までの貴女に無かったものよ」
「……」
靈威は差し出された粥を受け取り、それを少しずつ啜り始めた。
味付けは質素だが、今はその質素さが身にしみる。
「靈威、諦めますか?」
「諦め、ですか」
「相手は非常に強大です。私も死の天使サリエルという名は……昔、よく聞いたことがあります。あの頃は魔族にとって、恐ろしい存在だったから。立ち向かうのが嫌だと言うのであれば、それは極々当然のことよ」
これは嘘ではない。紅はかつて地上を流離っていた時、サリエルの名を何度も耳にした。
かつて天界における最大勢力であった天使団の派閥は、地上における魔族達にとって最大の障害であり災厄でもあったのだ。
きっと今現在でさえ、天使団は沈黙を守っているだけで、動き出せばすぐにその存在感を世界に知らしめるだけの力を持っているに違いない。
サリエルはその大天使を務めていた者。堕天した後でも遜色はないだろう。
「諦めるのであれば……」
「諦めません」
靈威はきっぱりと言い放った。
「私は、絶対に……諦めません」
「……そう」
「私は、幻想郷の。博麗神社の巫女ですから」
かつて妖怪の山で拾った、小さく細い子供。
それが少し育て、手をかけてやっただけで、今はこうも強い眼差しを向けてくる。
人の成長は早い。紅は靈威のブラウンの瞳の中に、眩しいものを感じ取った。
「じゃあ、また今度。怪我を直して調子を取り戻したなら、再び魔界へ行ってきなさい。同じように挑み、同じように闘い……今度は勝ちを狙いなさい」
「はい」
「今は体を休めて。疲れと傷を癒やしなさい」
「……はい」
靈威は白湯を飲み、目を閉じ、眠りについた。
普段気を張って凛とした表情も、眠る時は年相応に緩み、あどけないものになる。
紅はそんな変化を見て僅かに微笑み、靈威の頭を撫でてやった。
それから靈威は三週間ほどかけて傷を癒やし、護符を再生産し、針を清め直した。
滞っていた村内の問題にも僅かばかり手を貸し、博麗の巫女としての役目を果たす。
妖怪退治の頻度は減っていた。戦うべき敵はこの幻想郷だけでなく、魔界にもいるのだ。そこで待ち構える強大な相手を思えば、日々を無闇な討伐のために消耗することはできない。
結果としてこの習慣は幻想郷におけるパワーバランスの正常化に寄与し、妖怪の勢力らも僅かではあるが落ち着き始めた。
「では、行って参ります」
「ええ、頑張って」
そして今日、再び靈威は魔界を目指す。
今度こそ、魔界からの侵略者を成敗するために。
「……すみません、ライオネル様。そちらに、靈威が、向かいました……念の為、また返送の準備の程、よろしくお願いいたします……と。うん、これでよし」
いざという時のためのバックアップも完璧である。