東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 霊術訓練が日課に加わった。

 靈威の師は八雲紫と名乗る妖怪。ひと目見て強大だとわかる女で、しかしその力をひけらかすような気質ではない……ように思える。

 

 朝の巡回と石への祈りを済ませたら、母屋の手伝いをして、その後に訓練が入る。

 の、だが。

 

「何をやらせているんです、それ」

「護符の作成ですわ。巫女として、これができなければお話になりませんので」

 

 靈威に課せられた訓練は、私が思っていたよりもずっと地味だった。

 机の前でじっと座り込み、ゆっくりした動作で紙の札に朱い文字を書き記し続ける。霊力を筆先に込めているようだが、量は微々たるもの。

 うーん。これは訓練になるのかしら。

 

「紅さんは彼女の霊力量の底上げを行っているようでしたから、私からは巫女としての技術を優先して教えています」

「学ぶことは多い?」

「それはもう。けど、彼女の筋は良いですよ。素直さは美徳です」

 

 靈威は黙々と筆を走らせ、見本として置かれている綺麗な文字を書き写している。

 最近会ったばかりの得体のしれない妖怪の教えを素直に聞くのは確かに、言われてみるとなかなか無い素質かも。

 

「霊力の修行の真髄は瞑想、それは間違いありません。しかし彼女たち人間は己の生活のために瞑想以外にも様々な作業をこなす必要があります。であれば、日常のあらゆる所作で集中し、精神を統一する癖を身につけることが真の近道と言えるでしょうね」

「はあ、なるほど」

 

 どうやら人間の霊力というものは単純な修行によってのみ身につくものではないようだ。

 言われてみれば確かに。人間には人間なりの相応しい鍛え方があるか……。

 

「もちろん、紅さん。貴女の教え方も良いものだと思います。妖怪である貴女が何故そこまで霊力の扱いに長けているのかは存じませんが……どこかで修行を?」

「さあ、修行らしい修行はしてないですよ」

 

 ……疑うような目で見られている気がする。

 しかし視線だけ。気質が見えない。遮っている? ……これも彼女の能力か。

 

「そう疑わないで。本当にしてないのよ。むしろ靈威の姿を見て、私も修行し直してみようかと思ったくらい」

「修行し直し、ですか。……純粋な生命力を持たない妖怪では、霊力の生産には限界があるのですが……」

「え、そうなの」

「ご存じなかったのですか……?」

「ええ、まあ……けど、ならば良し。靈威は必ず私を追い抜いてくれるということですね」

「まあ、そう言い換えることもできますけど」

 

 人間は霊力の扱いに長けている。良いことを聞いた。

 ならばきっと私を超える巫女となってくれるだろう。その時がきっと、私の真の旅立ちの日だ。

 

 

 

 修業の日々は数年続いた。

 やることは変わらない。人間が生きていくだけの仕事をこなし、その狭間で修行し続ける。ただただそればかり。

 もちろん靈威には人間らしい環境で暮らしてほしいから、里の人々と交流をさせている。

 

 ……けど、どうにも靈威は口数の少ない子のようで、村人に受け入れられてはいるもののそれ以上踏み込もうという気持ちは希薄らしく、日常的な会話を交わすことも少ないようだ。

 

 交わす言葉は挨拶と事務的な巫女としてのやり取りくらい。

 きっとそれでは不味いだろうと私も思っているんだけど、務めは立派に果たしているのだから叱るわけにもいかない。もしや言葉の扱いが不得手なのかと言語を集中して教えてみても、原因はそこにはなかったようで変わらなかった。むしろ難しい言葉を覚えた分、より超然とした雰囲気を纏ってしまった感がある。

 

「紅様。本日の稽古もよろしくお願いします」

「ええ」

 

 でも、成長は成長。

 靈威はよく食べるようになってから上背も伸び、目鼻立ちもしっかりしてきた。

 里にいる同い年の男の子よりもずっと発育が良い。そこに礼儀正しさや剛健さも加われば、非の打ち所は微塵もなかった。

 

「かかって来なさい」

 

 人間の著しい成長を快く思う自分がいる。

 

 己を越え、己の役目を担う存在の出現を嬉しく思う自分がいる。

 

「はぁ!」

「甘い、遅い! 力の戻しがなってない! 何度言わせる!?」

「ぐッ……!」

「妖魔は貴女に躊躇しない! 食う者は食われる者に慈悲をかけない! 私を強者と思え! 甘ったれるな!」

「は……はいッ!」

 

 打撃を浴びせる。霊力の隙を縫って痛打を叩き込む。

 

 巫女としての訓練を仕込む内に、私は彼女に肉弾戦を教え込むようになった。

 せっかく育てた巫女の子が妖怪に食われて早死しては困る。ならば私が去った後も村が安泰であるように、彼女の武力を磨くべきだと考えたのだ。

 

 私は札や針の使い方など知らない。陰陽玉の使い方も不得手だ。

 霊力の使い方だって紫に勝るものではないだろう。なればこそ教えるものは私が最も得意とする格闘術しかない。

 

「破ッ!」

「!」

 

 靈威の蹴り上げが綺麗に私の腹に決まった。

 軌道は見えていた。対処もできた。

 だが受けた。受ける価値のある、美しい一撃だったから。

 

「……良し! 素晴らしい一撃よ、靈威!」

「はぁ、はぁ……!」

 

 靈威は喜びの最中にあっても、はしゃぎまわったりはしない。小悪魔とは全く違う子だ

 けど顔をみればわかる。大きく開いた目は輝いていた。

 会心の一撃が決まったことを喜んでいるのだ。

 

「霊力の動きも様になってきた。体術も悪くない。……そこらの山にいる妖怪相手だったら、貴女なら十分に闘えるでしょう」

「……!」

「でも調子に乗らないで。貴女は強くなったけど、まだまだ弱い。そもそも人間という時点で弱い。決して精進をやめないことね」

「は、はい」

 

 靈威には言えないことだが、彼女がどれほど己を鍛えたとしても、この里を取り囲む妖怪がその気になってしまえばそれで人間はおしまいだ。

 勝ち負けを決めるのであれば最初から勝ちは無いのだ。だから彼女が覚えるべきは妖怪を殺す術ではなく、いなす術。

 封印術を集中的に教え込んでいる紫の教育方針からもそれは明白だ。博麗の巫女は、妖魔を殺し尽くすための存在ではないのだろう。

 

「あ」

 

 そう考えていた時、私の懐から小さな玉が地面にこぼれ落ちた。

 

 紅白の鮮やかな球体。それがひとりでに落ち、転がり……やがて、靈威の足元にぶつかって止まった。

 

「……あ、あの。紅様、これは、あの……?」

「触れてみなさい」

「……はい」

 

 靈威は足元の陰陽玉に触れ、手に取った。

 紫や村人の話によれば、もうこの時点で決まりだ。

 

 陰陽玉に触れられるのは、使いこなせるのは、選ばれた一人のみ。

 

「おめでとう、靈威。貴女の霊力の才は、今このときより私を凌駕した」

「……えっ」

「陰陽玉がその証。……これで貴女も、いえ、貴女が博麗神社の巫女ということね」

「……嫌。嫌です!」

「えっ」

 

 祝福したつもりだったが、靈威は困惑した様子で私に叫んだ。

 

「私、頑張りました! 強くなりました……! ……だから、紅さん、行かないで……!」

「……ああ、ええと……」

 

 表情に乏しい靈威が、強く逞しくなった靈威が、出会った頃よりもずっと弱々しい泣き顔で私にすがりついている。

 

 ……うん。

 さて、こういう時はどうすればいいのかしら……。

 

 


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