東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 青い空、白い雲。透き通った海。

 それに海の家だとか、灯台だとか、テトラポッドだとかがあれば最も良かったのに。

 

 私の目の前の海に泳いでいるのは、アノマロカリス。

 アノマロカリス……で、ある。

 

 見た目は、エビに近いだろう。学名の由来は、奇妙なエビからきているらしく、その名の通り、まさに奇妙な見た目をしている。

 ニュアンスで表現するならば、一メートル近い巨大フナムシの頭に二つのフックがついているような生き物だと思っていただければ良いだろう。

 詳しいことは知らないが、アノマロカリスは海の王者であり、その世界の食物連鎖の頂点に立っていたのだそうだ。

 

 エビ。しかし、世界最強の肉食生物。

 何故私がこんなことを知っているかと言うと、答えは簡単だ。

 

「古代にも、ほどがあるだろう……」

 

 今は、古代だ。

 おそらく、何万年も、何十万年も……下手すれば、何億年も昔の地球である。

 

 人間がいないというどころではない。そもそもこの時代では、類人猿どころか、地上に上がった生物すらいないのではないだろうか。

 恐竜よりもずっと前、海の生物が大繁栄していた……寒ブリ……カンブリア紀?

 そんな感じの時代だったはずである。

 

「……ビールよ、この手に現れろ」

 

 試しに意志をもって唱えてみるが、手の中には何も生まれない。

 

「光れ」

 

 慣れた命令に変えてみても、変化はなし。

 あの世界で体感するような、右手に何かが流れてゆくような感覚は、表れない。

 ただ私の言葉がぽつりと響くばかりの、虚しさだけが込み上げてくる。

 

 私は、あの世界での不思議な……原初の力を失った。

 そんな私が、外界に……この地球の、“超古代”にやってきてしまった。

 

「……ええと、扉よ、開け」

 

 恥も外聞も捨てて、とんぼ返りする願いを唱えてみる。

 しかし、扉は表れない。あの暗闇の世界への道は、開かない。

 

 誰とも会えない

 神綺とも会えない。

 思い浮かんだ恐ろしい結論は、私の背筋を登って、脳を揺らす。

 

「う、ウギャァアアアアア!」

 

 おそらく今日二度目の、ホラーな絶叫が響き渡った。

 この地球上で人間が轟かせる、記念すべき最初の悲鳴である。

 

 ……少しもめでたくないわ!

 

 

 

 私は、歩いている。

 

 荒涼とした大地。謎の海藻。謎の海洋生物。

 しばらく彷徨って目についた生命は、あらゆる言葉を用いても表現のし難い、異形のそれらのみ。

 日は規則的に沈み、規則的に登る。遮蔽物のほとんどない世界で、昼間の太陽は煌々と輝き、夜は都会では見られないような満天の星空が、天いっぱいに広がる。

 

 これが一日なら、何にも代えがたい素晴らしい経験であるし、私としても大歓迎したい貴重な探検ツアーである。

 しかし、おそらく残りの一生を、何者もいないこの世界で過ごせと言われた日には、もう……なんか、もう……である。

 

 想像してみてほしい。この地球上での知り合いが、アノマロカリス(推定)とカブトガニ(推定)だけなのだ。名前を知っている種族は、その二つのみ。他は奇妙奇天烈、名も知らぬ奇形生物達である。

 これで孤独に苛まれない人間がいたとすれば、それはもう、すごい人であろう。

 

 こんなことになるならば、数億年過ごした後に百万円でも貰わなければ最低限の割にも合わない。

 私は一体、どうしたらいいのだろう……。

 

「……なんだか、嫌になっちゃったなぁ……」

 

 私は、赤っぽい土に身を転げ、暫くの間、そこで眠りこけた。

 

 

 

 それから、朝が訪れた。遮蔽物のほとんどない世界では、太陽の位置による時間の推測がしやすい。クッソどうでも良い発見である。

 おそらく、二日だ。この超古代、カンブリア紀の地球にやってきてから、二日が経過した。

 カンブリア紀とかいうわけのわからない時代である。二日など、たった二日でしかない。

 

 だが、重要なのは、二日ぽっちの経過などではない。

 私は、面白いことに気がついたのだ。

 

「……腹が、減っていない」

 

 空腹感を、微塵も感じない。

 ビールのせいでも、ワインのせいでも、チーズのせいでもないだろう。

 今の私は、満腹感とか、飢餓感とか、そういったものからは逸脱した状態にあるらしい。

 普通なら水でも飲まなければ死んでしまうような状態なのだろうけど、私はこうして生きている。

 

 餓死がない。それは、私にある一つの希望と不安を想起させた。

 

「不老不死?」

 

 水面に見た自分の姿を知っている。

 ミイラのようにやせ細り、黒ずんだ死体。エジプト系ゾンビ映画だったら出番がありそうな、そんな姿だ。

 およそ、生きている、という考えからはかけ離れた外観である。食に困らないということもあるし、ならば、老化ということからも、おそらく無縁なのではないだろうか。

 

 彷徨っている間には日射病もならなかったし、脱水症状も起こさなかった。

 熱にも渇きにも耐えた。つまりは、まさにミイラのような不老である。

 

「……私は死なない。死なないなら、希望はありそうだ」

 

 途方も無い話になりそうだ。

 しかし、死という絶望的な終わりさえなければ、私にはまだ未来がある。

 

 未来に平穏と安息があるならば、私はそのために生きてみよう。

 

「さて……どうしたものか」

 

 私は立ち上がり、再び歩き始めた。

 ここがどこかもわからない。というか、地名がない。そもそも、この世界の地図は、未来の現代に通用するものかどうかが定かでない。

 

 それでも、ここではない落ち着ける場所を探すべく、私はあてどもない旅に赴いた。

 

 

 


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