東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「“衝矩星律の法”!」

 

 朱い球体――完成されし赤の秘石が宙に浮かび上がり、増幅された玉緒の霊力によって仄かに輝きを放つ。

 魔力は非常に高いレベルで術者と接続され、供給のロスをほぼ最低まで抑え込む。

 そして玉緒自身の類稀な霊術の才能は、球体の操作をより完璧なものにした。

 

「宝玉は私の意のままに動き、あらゆる害から身を守ります……!」

 

 霊力と星の魔力による合せ技。ミマの助言を受けて作り出された玉緒の得意技だ。

 

 一見すると、輝く球体が浮いているだけ。ボールサイズのそれは圧迫感を感じさせないように見えるだろう。

 しかしルーミアの油断ない観察眼は、それが凡百の魔道具でないことを見抜いていた。

 

「なんだあれは……」

 

 球体は一度、自分の攻撃を受け止めている。

 全力ではないが、本気の一振りだった。切りつけられたものは闇に喰われ、輪郭を崩し形を見失う。その力を込めたはずだった。

 それが全く何の手応えもないほど、地面を踏みつけるかのように完全に受け止められていた。術と術がぶつかったのだとしても、それはあまりにも極端な結果だ。

 

 あの球体には何かある。おそらく自分の考えが及ばないものか、そうでなくともこの戦いの中で見出だすには厳しいものではないだろうか。

 未知とは暗がりだ。暗がりに手を伸ばしても、落とした鍵を容易く掴めはしない。

 

「なんでもいい。無視して殺せばいいだけだし」

 

 球体の防御性能は高い。ならば掻い潜るまで。

 ルーミアは強力な妖怪だったが、自分の力を無理に押し通そうとは考えないタイプの個体だった。

 鬼ならば力づくでどうにかしようと考える者も多いだろうが、彼女にその手の無駄な矜持はない。

 

「回り込んでからーの、こうっ」

 

 だから迂回する。

 ルーミアの黒いスカートの中から溢れだした“闇”が、正面に構える球体を大きく避けるようにして襲いかかった。

 攻撃は真横から。栗の木の一本を容易くへし折って、黒い不定形の暴威が玉緒に迫る。

 

「通しませんよ……!」

「は?」

 

 が、闇の尾は標的を貫かなかった。

 玉緒の操る朱い玉が、瞬時にその位置を攻撃部分にシフトさせたからだ。

 

 闇の尾による攻撃は自由自在。速度もある。威力を犠牲にする部分は多いが、ルーミアの扱う中では器用な部類の技だ。威力は低めだが、それでも人を殺すだけなら十分すぎるほどはある。

 

「なんだその玉は……」

 

 もう一度、闇の尾を操る。今度は別方向、背後からの一撃。

 

「無駄です」

 

 ――それも球体は瞬時に対応し、防ぐ。

 

「“封魔結界”!」

「ッ!」

 

 そうこうしている間にも、神主による結界攻撃が襲いかかる。

 煩わしい圧力。それを払おうと剣を振るうも、幾度でも立ちふさがる球体。

 

「このッ」

「“針宜・零”」

「しつこッ……なに……!」

「“醒結界・薄”」

「ぐぁああッ! もう! なんで防げるんだよぉッ!」

「……“終焉結界・博”」

 

 ルーミアの攻撃が完全に堰き止められ、その間ずっと神主の封印と攻撃が浴びせられる。

 力の差があるとはいえ、ルーミアも無抵抗のまま退魔の力を受け続けて無事では済まない。

 徐々に体は傷つき、妖力も奪われてゆく。

 絶対的だった力の差が縮められ、追いつかれる。それはルーミアにとって大きな恐怖だ。

 

「痛い……よくも、こんなに……! 私をこんな目に……!」

 

 恐怖。だが、怒りもある。

 妖怪は人に仇なす存在だ。人への敵愾心を失った時、悪しき妖怪は死に至るといっても過言ではない。

 殺意と害意を失ってはならない。その強靭な負の心は、自衛のためでもあるのだ。

 

「けど、わかるわよ……私はその玉の守りを、崩せない……忌々しいことにね……」

 

 玉緒は真剣な表情で、術を行使し続けている。

 彼女としても、決して余裕があるわけではないのだ。

 ルーミアが球体を攻撃する度に決して少なくない量の霊力が霧散し、消されてゆく。

 それに対応するための術は半分以上オートで発動するとはいえ、それを維持するための技術までが全自動というわけではない。玉緒は鉄壁の守りを展開する間、常に複雑な思考と発動を続けていた。

 

 ルーミアは負けを認めるかのような言葉を吐いたが、闘いがあと数分も続けば結果は不明だ。

 少なくとも玉緒の展開する防御性能は、段々と陰ってゆくだろう。

 それまでに神主がルーミアを仕留めきれるかどうかに賭けなくてはならない。厳しい賭けだ。

 

「私の負けよ……あなたたちは強い……それを認める」

 

 二重の結界によって抑圧され続けるルーミアが、苦笑いを浮かべた。

 妖怪にしては珍しい顔だ。

 

「諦めるというのか、妖怪ルーミアよ」

「手詰まりだもの。仕方ないじゃない? だからね、私……帰らせてもらうわ」

「!」

 

 ルーミアの狂笑に歪んだ口元と目が、赤く裂ける。

 ぱっくりと裂けた顔の内側より出づるのは、紅い闇。

 顔より生じた裂け目は瞬く間に全身へと広がって、ルーミアの形を崩してゆく。

 

「これはっ」

「神主様! 気をつけてッ!」

 

 ルーミアが崩れ、闇が生まれた。

 闇は周囲の光を飲み込み、暗くさせながら侵食、広がってゆく。

 

 それは神主がかけた二重の結界をもかき消す、これまでにない強烈な闇だった。

 

『不便なのよ、これ。一度使うとちょっとの間もとの姿に戻れなくなるしね』

 

 やがて視界が夜のように暗くなり、森の中の輪郭さえもおぼつかなくなる。

 それでもルーミアの声は、どこからか不気味に響いていた。

 

『次に会うときは、今みたいな暗い夜にしよう。その時、私の力も戻ってるし、強くなってるから……絶対に、確実に、間違いなく。あなた達二人を殺してあげる』

「……! 神主様、逃げるつもりです!」

「そのまま守りを固めていろ、玉緒」

「ですが!」

「今不意打ちされれば命がない。守りを」

「そんな……」

 

 ルーミアの姿はない。あるのは一面に広がる闇ばかり。

 このままルーミアは退却し、夜に備えるのだろう。そうなれば彼らの不利は確実だ。

 

 玉緒は焦る。宝玉による防御は玉緒の集中があってこそのものだ。

 だが夜になれば眠らぬわけにもいかないし、常に気を張ることもできない。ルーミアの機嫌ひとつで確実な死が待っているのだ。

 

『堅実なハンターね。でもそれも正しいよ。深追いすれば私がその場で殺してやるかもしれないからさ。アハハハ』

「か、神主様、本当に……? い、今あれを逃しては、きっと、いえ、絶対に……」

「いや……私を信じろ。玉緒」

 

 怯える玉緒の目と、神主の目が交錯する。

 かたや半妖。かたや人間。瞳の色は違ったが、互いの想いは十分に伝わる。

 

「……神主様」

 

 神主の目には、強い意志が宿っていた。

 博打でも蛮勇でもない。理性的な、人が人として足掻いている時の目だ。

 

「……信じます」

「ああ、それは嬉しいな」

 

 黒い霧に満たされた森の中で、ルーミアの気配だけがゆっくりと遠ざかる。

 場所はわからない。方角も狂わされている。逃げられるのは時間の問題だ。

 それでも神主は笑っていた。

 

「まあ、見ていると良い。玉緒のおかげで、この結界にじっくりと時間を費やすことができた――」

 

 それは線の見えない結界。

 神主の周囲にも、ましてルーミアが展開した闇の中にも痕跡を残さないほどの、超巨大結界。

 

 地域一帯を覆い尽くす、個人が用いるには規格外すぎるほどの大技。

 

「“終焉結界・博”は、あらゆる妖怪を決して……逃さない」

 

 ルーミアが逃げることを。一時撤退することを読んだ上で発動していた結界術。

 範囲内に潜む妖怪の首に手を添え、いつでも握り締めることを可能とする超遠隔霊術だ。

 

 術そのものの殺傷能力は低い。真正面から対峙するルーミアにはまず通用しないだろう。だが。

 

「“逃げ切れた”と。気を抜いた相手ならば……始末は容易い」

 

 闇が唐突に薄れる。

 目くらましの終わり。逃亡用煙幕の後片付け。

 それは誰の目にもわかりやすい気の緩みの合図。

 

「まさか、そこまで相手の動きを読んで……」

「なに……歳の功というやつさ」

 

 神主は不敵に笑い、薄く光る右手を握りしめる。

 

 それと同時に。

 

 

 

「――! な、うそ。どう、して……」

 

 どこかで炸裂した結界壁が、結界内部で無防備な姿を晒した妖怪をズタズタに切り裂いた。

 

 


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