海辺の村に居た頃と比べると、玉緒の生活は大きく変化した。
まず役目だ。
海辺の村では隠された巫女として日々代わり映えのしない神事や日課に励んでいた彼女だが、巫女としてのいくつかの神事は継続。
しかし、大宿直村においてはおおっぴらな活動ができるようになった。
外を出歩くにも頭を隠す必要はないし、言葉を交わしてはならないなどという禁忌もない。
これは半妖への理解のある土地だからこそあり得た、玉緒にとっての大きな変化である。
が、それは差別的な感情がないというだけで、村が安全というわけではない。
猫の手でも半妖の手でも借りなければ村の維持などやっていられないという、非常に緊迫した状況より培われた慣れでしかないのだ。
最初こそ受け入れられて喜んでいた玉緒であったが、数日もすれば村での暮らしが楽でないことに気づく。
新入りだからといっていつまでもちやほやされるほど、大宿直村は優しい土地ではない。
玉緒に退治屋としての仕事が割り振られたのは、村にきて十日後のことであった。
「玉緒、今日は神主と一緒に瘴気の森を警邏してもらう」
「えっ……」
朝餉の最中、ミマが告げた言葉に玉緒は小魚を取りこぼしてしまった。
対する明羅は黙々と白米を味わっている。
「ミマ様、えと……神主様というのは、山にいらっしゃる方ですよね……」
「うん。前も挨拶はしたでしょ。腕の良い陰陽師で、私の魔法の弟子」
「……あの方は、普段からとても忙しそうにされていますよね……私が一緒では、お仕事の足を引っ張ってしまうのでは……」
「ああいいさ、そのくらい。神主はその辺り優秀だから、気にすることはないよ。瘴気の森だって、そう奥までいくわけじゃあないしね。今回のは森のさわりを歩いてみて具合を確かめるだけさ」
瘴気の森。静木の棲家のすぐ側にある妖しげな森は、なんの準備も無しに入ればすぐに肺をやられてしまう危険地帯だ。
しかしこの症状も人によって個人差があり、平気な者であればマスク無しでも平気なのだという。
ミマや神主はこの森を防護策無しで探索できるし、半妖の物も体質故か活動時間は長い。
妖怪にとって居心地の良い空間らしく危険は多いのだが、ここでしか採取できない珍しいキノコなどは村にとって貴重な材料のひとつだ。少なくともミマは、この森でしか手に入らないものを触媒に魔法を使うことも多かった。
「それに、森の外では私も待機してるから何かあればすぐに飛んで駆けつけてあげるよ」
「ミマ様は、一緒ではないのですか」
「んー。今までは玉緒と色々見て回ったけどね。そろそろ、私とか明羅とか九右衛門以外の奴とも動けるようになったほうが良いでしょ?」
ここ数日で既に何度か演習のような動きの確認は済ませている。
妖怪から逃げる、身を守る。まずはその動きを玉緒に徹底させなければならなかったからだ。
幸い、ミマとの旅の間に霊力による浮遊や加速などの動きの基礎は教え込んでいる。覚えの良い玉緒は、既に各々から足手まといにならないだけのお墨付きは貰っていた。
元々退魔の術を修めていたので、動きさえカバーできれば後の仕上がりも綺麗なものである。
今こうして玉緒が弱気でいるのも、初めての場所や経験に尻込みしているだけに過ぎないのだ。
「平気だって。神主とは話もつけてあるし、大丈夫だから」
「……はい。足を引っ張らないよう、頑張ります……!」
気合は十分。
玉緒の様子を見るに、問題なく仕事をこなしてくれるだろう。ミマも明羅もそう判断した。
残る問題は、やはり神主であろう。
『……で、ようやく玉緒と向き合う気になれたってことね』
『すまんかった、ミマ様……』
『私に謝るんじゃないよ。悪いと思ってるなら、冷たくしちゃった玉緒に言いなさいよね。まぁ、玉緒はそういうの気にしてないだろうけどさ』
老いた海亀との会話の後、神主はすぐにミマの屋敷を訪ね、自分の不徳を素直に詫びた。
ミマとしては神主の心情もわからないではなかったので、屈折せずに向き合ってくれそうな神主を見て一安心である。が、今回はさすがに十割がた神主の失態なので、表面上でも叱っておかなければなるまい。
神主も心の底から気持ちを入れ替えるには、一度ぐさりと言われたほうがいいだろうから。
『……まぁ、あの子はとってもいい子だからさ。真面目だし、飲み込みも良いし、神主もすぐ仲良くなれるはずだよ』
『ふぅむ……だと、いいが』
『なーに歯切れの悪いこと言ってんの。普段あたしらにしてるように付き合えばいいんだよっ、このっ』
『痛っ、痛いてミマ様』
打ち合わせはこの日、十全に済ませてある。
瘴気の森で軽く動きを確かめ、知り合いと呼べる程度に言葉を交わしておく。
何かあれば外で待機しているミマを呼べばいいし、場合によっては明羅も動いてくれる手はずになっている。
万が一森の中で妖怪と出会っても問題ないだろう。
「おや。皆どこへ行くのかな」
「ああ静木かい。ちと玉緒に瘴気の森を案内してやろうと思ってね。神主がだけど」
「そうかそうか、魔法の森をね。いってらっしゃい、気をつけてね」
「は、はい」
とはいえ瘴気の森周辺ではそうそう危険な手合も出没しないので、今回の周到な用意も過保護ではあった。