東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遺骸王の快諾


 妖怪が棲まう寺がある。

 

 始まりは“寺で妖怪を見かけたかもしれない”という程度の小さな噂で、近隣の村人らが歯牙にもかけぬ程度の与太話に過ぎなかった。

 夜闇の中に妖怪の影を見たなど、よくあることだ。慌てていた農夫の男の様が面白可笑しかったのも重なって、最初は特に騒ぎになることもなかったのである。

 

 しかし同じような目撃情報が重なれば、噂は急速に真実味を帯び始める。

 

 雲の如き大きな人影が浮かぶのを見たとか。

 巨大な石錨を抱えた霊が寺の屋根の上を横切っていたとか。

 いずれも寺を中心とした付近にのみ出現するらしく、偶然や見間違いで済ませるには時期や場所が一致しすぎていた。

 

 そもそも寺とは、神聖な場所である。

 墓場こそ穢れを有してはいるが、定期的に何度も祓われる境内は基本的に邪気を寄せ付けず、繰り返される読経は霊や妖怪にとっては害、あるいは不快なものだ。好んで寺に常在しようなどという妖怪は、それらに無知な平民であっても“いない”と断言できるのだが。

 噂や人伝に流れてくる話を聞くに、どうもおかしなことになっているのは間違いないそうである。

 

 恐ろしいとはわかっていても、人というものは怖いもの見たさに愚かな行動に出るものだ。

 決して安全なはずもない噂話を聞いた上で、彼らは“度胸試し”やら“真相を探るために”だとかいう、命よりも随分と軽い理由で動くのである。

 

 妖怪相手への蛮勇は、大抵の場合ありがちな悲劇を呼び込んで終わるものだ。

 しかし件の寺を探った人々は、そこで奇妙な光景を見て、その話を持ち帰ることができた。

 

 

 

 初めて目にした者にとっては異様に映っただろう。

 

 夜闇の中、誰も居るはずのない廃寺を訪ねてみれば、そこに若く美しい尼僧がいたなど。

 

 そしてその尼僧の傍らに――妖怪たちが侍っていたなど。

 

「姐さん、錆びついてた窯だけど、あれどうにか使えそうだよ。雲山が教えてくれたやり方で上手くいったんだ」

「それは助かります、一輪。雲山もありがとうございますね」

「……気にするな、だってさ。直接言や良いのに」

「聖、この辺りで怪我をしていた妖怪はこれで全てだそうです」

「手当の道具は足りるでしょうか……水蜜(みなみつ)?」

「きっと平気だよ。あー……ごめん嘘だ。少し自信ない。反物裂くことになりそうだけど……」

「構いません。こういう時のための備えでもありますからね」

 

 古びた木板の間から覗ける光景と、妖怪少女たちの声。

 無謀にも寺を訪れた若者は、それを“妖怪の集いだ”と認識した。

 事実、間違いではないだろう。話している内容が極めて穏当であれ、妖怪たちが夜な夜な集まり、そこで潜在的な勢力を増していることは真実なのだから。

 

「……村の者らに、知らせんと……っ!」

 

 若者はその集いを深く探ることもなく、頭に浮かんだ危難の文字それだけを増幅させ、駆け出した。

 早くこれを知らせなければ大変なことになる。取り返しのつかないことになってしまう。

 蛮勇と悪戯心に義心が芽生えたのも、無理はないのかもしれない。

 

 

 

「……人だな」

 

 走り去ってゆく気配を察知したのは、ここしばらく聖白蓮と共に廃寺で暮らしている妖怪の一人。自称化鼠の少女、ナズーリンであった。

 鼻が利き、物探しと斥候に長けた彼女の技能をもってすれば、騒がしい仲間たちの声の向こうでざわめいた物音やかすかな匂いも逃すことはない。

 

「ナズーリン、何か見つけたのですか?」

「ああ。人を見つけたよ、ご主人。といっても、私達を見てすぐに逃げ出したようだけどね」

 

 ナズーリンは主である(ということにしている)虎妖怪の寅丸(とらまる)(しょう)に素直に報告した。

 水を差すような話題だったが、これもナズーリンに課せられた役目なので場を気遣うことはしない。

 

「……まずいな。見られたのかな」

「何弱気になってんのよ船長。何も私らはやましいことをしているわけじゃないでしょうが」

「でも、人間だよ? 聖はともかく、連中は何をするかわかったもんじゃない……」

「聞き捨てならんね、私だって元は人間だっての」

 

 人に害を加えない妖怪たちを集め、傷を癒やす。

 聖白蓮らによって多少修繕されたこの廃寺は、そういった妖怪たちへの福祉施設として機能していた。

 

 妖怪に対する慈善活動はここしばらく白蓮が続けているものである。

 土地に縛られ悩める霊がいるならば解放し道を示し、己の形もわからぬ凶獣には形と居場所を与え、世の中の爪弾き者にはまずは耳を傾け、そして手を差し伸べてきた。

 いたわり、慈しむ心。そのこころのままに生きてきた白蓮は、今や多くの仲間に恵まれ、囲まれていた。

 規模は小さくとも、彼女は妖怪と人との共存を成し遂げていたのである。

 

「……信じましょう。人を。……たとえ最初は恐れていたとしても、必ずやわかりあえるはずですから」

 

 人も妖怪もかわりはない。心を持った同じ生き物である。それが、白蓮の考え方であった。

 もちろん人が妖怪を恐れる気持ちも理解できるので、世の中を悩ましく思うこともあるのだが。それもいずれは変えてゆけるはずだと、彼女は信じているのだった。

 

「……不当に傷つけられた妖怪たちを集め、治療している聖人……か。さて、どうなることやらね……」

 

 ナズーリンは立ち上がり、黒いダウジングロッドを手の中でくるくると回しながら寺を離れてゆく。

 

「ナズーリン? どこへ?」

 

 その姿は主たる(しょう)の目に止まったようだった。

 

「あちらの様子も探ってみるよ。警備も私の仕事だからね」

「なるほど、了解です。よろしくおねがいしますよ」

「はいはい」

 

 

 ナズーリンは白蓮を中心とした賑やかな一角を離れ、ボロ屋の裏手側にまで歩いてきた。

 近くには仲間もおらず、当然ながら人もいない。

 ここならば平気だろうと、ナズーリンは首にさげたペンダントを掴み、それを口元に寄せる。

 

「……主様」

 

 口から小さく発せられるのは、畏敬の言葉。

 ともすればそれは白蓮に対するものよりも、ずっと丁重な口調かもしれなかった。

 

『――ナズーリンか』

 

 ペンダントから帰ってきたのは、低く威圧感の籠もった声。

 それは毘沙門天。クベーラの声である。

 

「報告を」

『手短に』

「……人間たちに怪しい動き有りです。今はまだ大事にはなっていませんが……白蓮様の行動次第では、厄介なことに巻き込まれるかもしれません」

『そうか。……引き続き聖白蓮と寅丸星の監視を続けろ。危険ならば自己判断で逃げても構わん』

「はっ……」

 

 それだけ短くやり取りすると、薄く発光していたペンダントは元の暗い色に落ち着いた。再び声が出る気配もなさそうだった。

 

「……やれやれ。潮時が近づいているのかな」

 

 ナズーリン。毘沙門天の遣いにして、現寅丸星付きの遣い兼監視役。

 彼女がクベーラより与えられた任務は、白蓮を中心とする信仰の形を監視することだ。

 もしも白蓮の思想に危険なものが混じるようであれば、すぐさまそれに対して警告を与えなければならない。現場ですぐさま行動できる便利な役目。それがナズーリンなのである。

 

「……できれば何も起こらないでほしいけど……どうなるだろうなぁ」

 

 ナズーリンの真の主はただ一人。クベーラと決めている。

 

 しかし数年も共に活動していれば、元々の心根の清らかな白蓮達との関係にも愛着が湧いてくるわけで。

 

 だからこそナズーリンは、ここ最近のひりつくような嫌な予感が間違いであってほしかったのである。

 


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