大気中の魔力を震わせた声の波動に、飛行中の私は思わず動きを止めた。
右手に不滅の杖を生成し、油断なく構え、魔力を蓄積する。
声は正面に聳える塔からやってきた。
大きな声だ。まるでサイレンのような、どこまでも響き渡る声である。
……女神。
私の頭の中で、あの時の女神の姿が蘇る。
私を憎悪し、私に殺された名も無き女神。
肌に感じるこの波動は、紛れも無くあの時と同じ、神のもの。
だとすると、この若々しい女の声は、つまり……。
『ちょっと、そんなところで止まってどうしたのよ』
私が物思いに耽っていると、再び女の声が響き渡った。
いかんいかん。ぼーっとしている場合ではない。
相手は私に話しかけている。私は、それに応じなければ。
向こうから言葉を使ってきた以上、あの時のように、一触即発の関係ではないのだから。
「……貴女は、一体何者だ」
私は杖を握る右手に力を込めながら、重々しい声で訊ねた。
『ふっ……何者って、面白い事を言うのね』
何が面白いというのだろう。
私が首を傾げていると、
『あなた以外に、誰が私が何者かを知っていると言うのよ。私を作り上げた張本人じゃない』
「……えっ」
思わず杖を握る手の力が失せて、杖が大地に墜ちてゆく。
『私が何者か……そうね、私も知りたいと思っていたのよ。前みたいに中に入って、ゆっくり教えてくれないかしら』
ライオネル。
最後に私の名を呼んで、声は響き渡った。
塔を中心として、この広い世界に。
……私が会話していたのは、なんと、竜骨の塔そのものであったのだ。
塔に近づき、遠目からでもわかるほど、以前よりも入り組んだ底部を目指すにつれ、地上には恐竜の姿が多く見られた。
小型のもの、大型のもの、肉食のもの、翼あるもの……種類は様々で、驚くべきことに、それらは近くにいても、互いを攻撃しようとはしない。
塔下の竜は誰もが穏やかで、食物連鎖の輪から逸脱しているかのように、平和な光景だ。
『前みたいに、そこから入れるわ』
「……うむ」
塔の真下にくると、至近距離で声が響いた。
やはり間違いなく、竜骨の塔そのものが声を発しているらしい。
塔の真下には以前私が造ったドラゴンが数体うろついており、黄色い眼をこちらに向けて、様子を伺っている。
間近に感じる神らしい波動も相まって、非常に落ち着かない。
「……何が何やら」
それでも私は久々に、以前と同じように塔に手を当てて、内部へと転移したのであった。
内装に変わりはない。
私が組み上げた骨の飾りは同じようにそこにあるし、中央の縦の空間もそのままで、“浮遊”によって容易に上昇することができた。
いくつかの階層ではドラゴンが二本足で歩き、植物園をうろついている姿が見られる。
内部の植物たちも、無事に越冬したようだ。比較的以前と同じような種が保たれている。
『なんだか、不思議な気分ね。以前は、いつもそうやって私の中を登っていたのに。やっぱり、久々だから……なのかしら』
ゆっくりと上昇しつつ内部を確認していると、再び声が響いてきた。
「……貴女は、この塔そのもの?」
『それ以外に何だっていうのよ』
いや、色々……わからないじゃん。私、塔が喋ってるのなんて初めて見るし……。
『まぁ、そうね。他には神様、っていう呼び方もできるのかしら』
「神様」
やっぱり神様なのか。
「貴女は、以前私を探していた……あの女神なのか」
『あなたを探していた? さあ。別に探していたつもりはないけど。私はずっと、ここにいるしね』
塔の女神の声は特に思うところもなく、そう言った。
……私を探したことはない。特に、私に執着しているわけではないということか。
となると、この女神はあの時、私が殺した神ではないのか?
彼女自身、動いたことがないと言ってるし……。
でも私は、あの女神を殺め、その墓廟を作ってからは、神頼みをしたことなど一度もない。
新たに神ができるような考え方は、全て捨てたはずなのだ。
「じゃあ……貴女はどうして、神としてこの世に生まれたんだ。神は、誰かから望まれ、敬われ、恐れられなくては、生まれない」
『何寝ぼけたこと言ってるの。そんなのしょっちゅうだったわよ』
「えっ」
浮遊する私の身体がかつての研究室……以前の最上階に差し掛かったところで、女神は呆れたような声を出した。
『荒む大地、乱れる大気……地上の生物は、滅びゆく世界の中で、必死に生きようともがき続けていたわ。それでも私は、私の中は平穏そのもの。どれだけ世界の平穏が崩れようとも、私だけは普遍の存在として、ここにあり続けたの』
そうだ、私はそうあるように、竜骨の塔を作ったのだ。
『言語を使わない彼らの気持ちは、完全には理解できないけど……不変で、巨大な存在っていうのは、畏れられるものなんじゃない?』
「……あ」
神は信仰によって生まれるもの。
それは必ずしも、知能ある者によってのみ成り立つわけではない。
恐竜達や、様々な地上の生命によって信仰されて、この竜骨の塔は、神となったのだ。