「ごめんなさいね、なんだか。付き合わせているみたいで」
「いやいや、大丈夫。私も丁度、ここで観光がしたかったところだから」
「そう……けど見たところ、仏門の方ではないのでしょう? 私の回るところは寺社ばっかりだから、退屈ではないかしら……」
私は大仏の下で眠りこけていた尼さんと一緒になって奈良見学に勤しんでいた。
どうせ私にはこれといって定めている目的地があるわけでもない。漠然と“あっ、観光したいなー”という思いでここにいるだけに過ぎないのだ。それであれば、ちゃんと目的地を持って歩いている彼女に追従していったほうが楽しめるに違いなかった。
観光地で旗持ってるツアーガイドの話を横から盗み聞きしつつストーキングするようなものである。この時代にバスはないので置いてきぼりにされる心配もない。私としては、仏教関係者の目線から見た神社仏閣をガイド音声つきで回れるので願ってもないことである。
「いやいや、楽しいよ。ええと……?」
「あ……申し遅れましたね。私、
そう言って、白蓮は慎ましく頭を下げた。
「うむ、こちらこそ自己紹介が遅れたね。私の名は
前にルイズとちょっとした歩きの旅行をした時も、なかなか良いものであった。
それにこの白蓮はとても朗らかで、気のいいおばさんといった感じなのだ。
オフィスにいるような性悪のお局とはわけが違う。品良く育った人との会話は、穏やかでとても癒やされる。
「でも、荷物を持っていただいて……ごめんなさいねえ。私が持ちますのに」
「いやいや、疲れているのでしょう。良いよ、私は慣れているから」
「けれど石塚様、声からして私よりもお歳を召されているようですし……」
「そりゃあね。けど頑丈だから、平気平気」
「まあ」
ひょいひょいと白蓮さんの荷物を持ち上げたり指の上に立ててバランスを取ったりしてみせると、それだけで白蓮は楽しそうに笑ってくれる。
なんとも純朴な女性だ。嫌味がなくて全くすれていない。
……それに、なんというか彼女は都会慣れしていない感じが凄いので、目を離すと簡単に犯罪に巻き込まれてしまいそうで目が離せないというのもある。
どうせしばらくはここで供物台の完成を待たねばならないのだし、それまでは彼女の傍で従者紛いのことでもしていようと考えている。
「信濃から来たんです。私達が住んでいたのは田畑しかないような土地だったので、周りには何もありませんでした」
「ほほう」
私と白蓮は川辺近くに二つ並んでいた切り株に腰を下ろし、近くで買ったおやきのような謎の料理を食べている。
私は食べたものを体内に溜め込みたくもその場で吐き出したくもなかったので、食べた後は口の中で燃焼させ、煙としてパイプから吹き出している。
この辺りは炭焼きのために伐採と野焼きが行われているらしく、焦げた匂いは気にならないだろう。白蓮はそんなことよりも、買い食いという新鮮な娯楽に心底夢中であるようだった。
「でも、さすがに都は素晴らしいですね。人も多ければ物も多い。歩いているだけだというのに、目が回るようでした」
「はは。東京に来たら大変なことになりそうだね」
「え、東京? 東ですか?」
「ああ、これは失礼、なんでもない。……まぁ、そうだね。数百年前はこの辺りでは様々な物品が出回っていたようだから、未だその名残があるんだろう。まだまだ人は大勢いるよ」
「はー……なるほど……」
中国や朝鮮っぽい人、はたまたインドっぽい人まで様々だ。
私は国交の玄関口が全て長崎辺りにあると思っていたので、この辺りにまで多様な人種がいるのが結構新鮮だった記憶がある。
もちろん今はそれほどでもない。人も全盛期よりは大分落ち着いている。
「……ここで人を探そうと思ったら、尋ねても尋ねても、きっと探し出すことはできないのでしょうね……」
どこかしんみりとした様子で、白蓮は呟いた。
「ふむ、そうだね。平屋ばかりの古代都市とはいえ、今はひとつの都会だ。電話もなければ戸籍管理もなっちゃいない。人探しは混迷を極めるだろう」
「そうですか……」
何より今は、何かと政治不安が続いている。
仏教もかつての一大宗派は押され気味で、密教など新たな宗派が台頭してきているらしい。そこらへんにも政治的な意思が介在しているのだろう。
ここに来るまでに白蓮と回った寺社を見るに、どこも荒れたり寂れたりしている所が多かったように感じる。
ギリギリのところで踏みとどまってはいるが、かなり辛い運営状況にあるのだろう。
その点で言えば、信貴山のあそこは悠々と喜捨されたりして呑気しているようだが……。
「……ふう。さて、私はまた行かなければ」
「うん? また歩くのかい、白蓮殿」
「ええ。こうしてはいられません。明るいうちは、まだまだ。仏閣を回らなくてはいけませんから」
笑ってはいるが、白蓮の笑みには確かに疲れが浮かんでいる。
「無理をすることはない。……今の話からして、人探しをしているのだろう」
「……ええ。もう何十年も前に出家した弟を、探しているのです」
日が傾き、夕時になりつつあった。
日が暮れてしまえば、この時代の夜闇はあっという間だ。今から歩き回るにはかなり無理があるだろう。
「会って、話がしたい。きっとあの子は“どうして尼なんかに”なんて罰当たりなことを言うのでしょうけど、それでも……」
それでもまだ、白蓮は諦めていないようだった。
この広い都で一人の坊主を探そうなど、無謀なことだとわかっているだろうに。
「……私のたった一人の肉親に、会いたい」
「……」
「命蓮……」
うん?
「命蓮?」
「はい。もう何年も会っていないから、元気にしているかも……」
「……いや、元気にしているよ。かなり」
「へっ……?」
なるほど。
こうして呆気にとられた時の白蓮の間の抜けた表情は、どこか命蓮にそっくりであった。