「姐さん、姐さん」
「うん……?」
億劫な瞼をどうにか開くと、そこには見知った鬼の顔がいっぱいに映っていた。
「暑苦しい」
「おぶッふァ」
つい殴っちまった。まあいいや。
「……っててて……なんだ、私なにしてたんだ……?」
時間は夕暮れ近いようだった。
辺りは山の斜面。解れた土の匂い。
……そうだ、思い出した。どうやらここは、あの大穴の空いた場所らしい。
「うごッ」
私が周囲を見回しているうちに、打ち上げられた鬼が落下してきた。
しかしわかんないね。確か……私は……。
……負けた、のか?
大いに暴れたのは覚えている。形を変え続け、果てしなく強くなり続ける土人形……私はそれと闘ったんだ。
昂った。久方ぶりの強敵に血が騒いだが……ありゃだめだね。
「はあ、負けちったかあ……」
「ああ、やっぱり姐さんも負けたんだな?」
そっとしてほしかったが、土から這い出てきた阿呆な鬼が私の言葉を拾っていたらしい。負けってのは、そう触れ回りたいことでもないんだがね。
「仕方ねえよ。俺らもあの大穴に飛び込んで、やられちまったんだからさ」
「なに? あんたらもか」
「おうさ。気絶した姐さんが戻ってくる前からちょくちょく帰ってきたけどな。みんなズタボロになるまで闘って負けてきたと言っちゃいるが、地上に出ると不思議なことに、無傷になってやがる」
「それは私もかい」
「そりゃそうさ。それまで姐さんがどれだけ深手を負ったのかは知らんけどなあ」
……最後に戦ったあの……よくわからん奴はさておいて。
それまでの蛇の人形なんぞは強かったなあ。
いや、強かったと言っていいのかあれは。それどころじゃない気もするが……萃香ならあれをどうにかできるのか……?
なんとも闘い難い奴だったなぁ。
「完敗だったさ、私もね。十九か、そのくらいまでは張っ倒してやったが」
「十九だって!? すごいな姐さん、俺ぁ十四でやられちまった。仲間もほとんど似たような感じらしいぜ」
「……そこらへんでやられるところあったか?」
「何言ってるんだ姐さん。あのでかい髑髏が骨の剣や斧を振り回してきただろ。あれはどうにも厄介だったじゃないか」
「見てないね」
「ぬぁあ?」
それは本当に知らん。
多分だけど、んなもん見る前にぶっ壊しちまったよ。
「姐さんならあるいはと思ったけど、まさかそれでも駄目だったとはなぁ……どこぞの妖術使いなんだぁ? こいつは」
「さあてね」
今もなお、大穴からは鬼らが飛び出してきては、随分とぞんざいに土の上に転がされている。
戻って来た鬼はどいつも気絶しているようで、すぐに起き上がる様子はない。きっと穴の中ではそれだけこっぴどくやられてきたのだろう。
私もあの連中と似たように戻されたのだとすれば業腹だが、負けは負けだ。そこらへんはおとなしく受け入れてやる。
……こちらの力を高みから見下ろし、楽しんでいたってのはいつまでも癪に残るがね。
「やれやれだ。ま、心置きなく暴れ回れたってのはそこそこ気分が良かったよ。どうもこの大穴を仕掛けた奴は、こちらを傷つけるつもりはないようだしね」
「目的はなんだ? 鬼を退治したいわけじゃないのか?」
「違うだろう。退治するんならもうちっとわかりやすくするさ」
こいつを作った奴はどうにも迂遠な手を拱く癖があるらしい。
説明にせよ闘いの順序にせよ、何もかもがうんざりするほど遠回りだ。
気の短い私らにとっちゃ、いやーな相手だね。
「お、そろそろ日没か」
どうやら、そろそろ日が沈むらしい。遠くに見える陽光は、山間の中に落ちてゆきそうだった。
「期限は明日の日没だっけね」
「馬鹿いっちゃいけねえよ姐さん。姐さんは丸一日近く寝てたんだぜ」
「なに? じゃあ」
「今がその期限だよ」
なんてこったい。私は一日中こんなところで寝ぼけてたってのか。
……まーそれも納得のやられ方はしたんだろうが……あー本当に惨敗ってわけか。腹立つなぁ……。
『定刻です』
陽が山に触れたその瞬間、どこかで聞いたような声が大穴から響いた。
同時に穴の中から大勢の鬼共が一斉に放り出され、強制的に穴は閉じ、消えてゆく。
時間切れで、それまで戦っていた連中も追い出されたってわけかね。
『最高得点は星熊勇儀様の最高到達形態十九、得点は5717ポイントです。最高得点者に拍手を贈りましょう』
辺りに沈黙が訪れる。
拍手を贈るってなんだよ。私が一番ってことはなんとなくわかったが。
『それでは最高記録を達成した星熊勇儀様へ、カードリングからのプレゼントが与えられます』
その言葉と共に、穴の傍にあった壊れることのない看板が形を変え、穴の底で出会ったような骸骨に変化する。
私たちはもはやそいつを殴ろうだとかいう考えは持っていない。きっとまた、この骸骨は何事もなかったかのように復活するのだろうから。
骸骨は無防備な動きで私の近くまで歩み寄ってきた。
傍にいた鬼らは警戒しているが、無駄なことだろう。色々な意味でな。
『星熊勇儀様、どのような景品をお望みでしょうか?』
「ああ? 望みだあ?」
『ご希望があれば仰っていただければご用意できます。希望がなければ得点に応じた抽選により、宝物庫からの自動取り寄せとなります。なおこの抽選による魔道具の品質や魔法的価値はライオネル・ブラックモアによって保障されています』
また小難しいことを言いやがるな。
つまりどういうこったよ。欲しいもの言えってか。まさに童子扱いってわけかね、これは。
……ふん、よこすってのなら受け取ろう。
丁度土瓶も割れて酒が無かったところだ。
「酒だ」
『詳細の説明を願います』
「酒だよ酒、くれるってのなら酒もってこいよ。特上の酒をな」
そうだな。甕いっぱいの酒が幾つあればいいかねえ。
ここにいる鬼共の分も合わせると、そうだな……。
『希望を受諾しました。景品をお受け取りください』
「あ?」
続けざまの注文を言い淀む間に、骸骨は一枚の塗皿をこちらに吐き出した。
土瓶でも甕でもない。ただの広いだけの皿だ。
当然、そこには酒の一滴も入っていない。
『カードリングの挑戦“近接魔法戦闘編”にご協力いただき、まことにありがとうございました』
「おい」
『収集されたデータは魔導書の改良のために利用され、奥付の協力者一覧に皆さまの名前が刻印されます』
「おいこら」
『またのご利用と挑戦をお待ちしております』
「おいッ!」
言うだけ言って、
残されたのは一枚の赤い塗皿、たった一枚だけ。
「……野郎、名前覚えたぞ。次会った時はぶち殺してやる……」
こうして、私たち大江山の鬼を巻き込んだ謎の怪奇は終結した。
結局この怪奇の下手人は人里を荒らしまわってみても見つかることはなく、捜索のことごとくが徒労に終わった。
奴が遺していった盃は……まぁ、それは別にいいんだがね。
それとこれとは別として、再び出会う時にはあの蛇を全てぶっ壊せるくらいになりたいものだ。