東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 さて、命蓮の許可はもらった。

 これで私は堂々と、山で本の改稿作業に勤しむことができるようになったというわけだ。

 

 実際、こうして“棍棒の書”が手元にあればあとは安定した魔力の漂う環境であればどこでも作業はできるのだが、この命蓮という若者はあまり私のことを恐れていないようだし、話も通じそうだ。

 それに、法力……というより、神力に傾いた魔法も扱えるようなので、改稿の途中で現地の魔法使いとしてアドバイスを貰うにもうってつけの相手だろう。

 もちろん他にも魔法が扱える日本人はいるだろうし、それを探すのもありなのだが……一度ここを離れてしまうとまたポックリ亡くなってたり行方不明になってたり島流しにされたりするかもしれないので、根気よく彼の一生分程度はここで厄介になろうと思う。

 

「なに、ただで居座るつもりはないさ。手伝えることがあれば言ってくれ」

「うーむ……まぁ、今のところは特に無いがなぁ」

 

 そんなわけで、私の山ごもりが始まったのである。

 

 

 

 信貴山で修行する命蓮の宗派は、真言宗というらしい。

 教義を訊いても“なるほどそういう考え方もあるよね”としか返せない気がするので、興味ない素振りを続けている。

 そもそも昔からの知り合いを拝んでる宗教に語られても私としては“なるほどなー”と言うしかない。でも神力を貸与されることで力は得ているようなので、信仰による魔法というのもあながち馬鹿にできないのやもしれぬ。

 

「おはよう、命蓮。いや、おはようというかまだ夜明け前だけど」

「うむ。まぁ、夜明け前に支度せねばな」

 

 そんな命蓮の朝は早い。

 早いというかまだ真っ暗に近いほどの暗さだ。辛うじて手足は見えるし、歩く場所がどうにかわかる。そんな闇の中を起き出して、彼は修行に乗り出すのである。

 

 飯炊き、水汲み、読経、写経、清掃、小物作りなどなど。やるべき仕事はたくさんある。ただでさえ山で生活するということ自体が生きるだけでも面倒な立地だというのに、その上宗教的なことまでこなさねばならないのだ。

 その忙しなさを思えば、確かにいくら早起きしても時間は足りないのかもしれない。

 

「石塚殿は朝餉は……また、いらんのか」

「うむ。食事についてはお構いなく。本当なら寝床も要らないんだけどね」

 

 瓶に水を貯め込む命蓮を横目に、私は縁側に腰掛けて執筆に勤しんでいた。

 

 これでもう、私がここに来てからかれこれ一週間ほどになるだろう。

 私はそもそも食事も排泄もない、非常に無燃費かつ清潔な肉体を持っている。なので厄介になるとは言ったものの、私の存在は命蓮に何ら負担を与えていなかった。

 ただ、客人として扱ってもらえているためか、命蓮はそのことをあまり良く思わなかったようで、やや無理矢理にでも、私に寝室をあてがったのである。

 急な来客のために備わっているという小さな客間だったが、それにしても私には過分だ。そもそも、何をしたって傷つかない私には部屋でさえ必要ないのだから。

 

「こっちが落ち着かんのだ。構わず使ってくれよ」

「そう言うなら、まあ、お言葉に甘えて」

 

 とまぁ、そんなやり取りをする程度には、お互いに距離を縮めるというか、適切な距離を見つけつつあった。

 

「ふむ」

 

 命蓮は今から火を使って飯炊きだ。

 とはいえ、山の上の日々の糧。山菜やら雑穀を用いた非常に慎ましいものである。

 その支度と食事が済むまでは、まだもうちょっとかかるだろう。

 

 その間私は、魔導書の執筆に入る。

 

「“月の蛍”」

 

 月魔法による小さな明かりを上部に浮遊させ、光源とする。

 そしてペンを手に取り、魔導書の改造を進めてゆくのだ。

 

「命蓮は神力に近い魔法が好みのようだけど、きっと完成すればこっちの方が気に入るはず……ふっふっふ、見ていろ。次こそはしっかり読みたいと思わせる内容に仕上げてみせるからな……」

 

 命蓮がすぐに魔導書を閉じ、封印したという話にはちょっぴり傷ついたものだ。

 だが、この失敗も一つの改善案のようなものである。読みたくないような魔導書だから悪いのだ。読みたくなるような、続きが気になる構成にしていけば、きっと彼も嫌な顔はするまい。

 そのために必要なのは魔法の有用性と汎用性だ。幸い、“棍棒の書”などは生活に根ざす魔法と呼んでも差し支えないジャンルに包括されている。

 そういった方向性で改善を図るのも、間違ってはいないだろう。

 

「お、今日の朝食もまた山菜粥かな」

 

 飯炊きの匂いがこちらまで漂ってくる。

 素朴で、いつも通りの彼の食事だ。

 

 雑穀とも呼べないような堅く味の悪い雑穀と、混じりの多い極々僅かな塩と、ほろ苦い山菜。

 色合いとしては、昨日や一昨日と同じであるならば、またあの茶色っぽいお茶漬けのような見てくれなのだろう。

 正直、あまり食欲を唆られるものではない。味も……まぁ、多少はあれだけども……人としてそれで生きて行けと言われると、少し辛いものがあるような味だ。

 

「ふむ。清貧なあ。あれだけの力があるのに、わざわざ……やっぱり、宗教というのはよくわからんなー……」

 

 日の出から日の入りまで、色が落ちたような質素な生活が続く。

 それは飛鳥時代の様子を見てきた私からしてみても、かなり禁欲的だと思えるような暮らしだった。

 


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