やってきたのは、以前クベーラと一緒に合戦を眺めた山地の付近である。
蘇我氏と物部氏。二つの勢力による、仏教と神道のどちらを国教とするかをめぐって戦った場所だ。
河勝を初めて目にしたのも同じ、この土地であろう。
ここは程々な感じの小山が連なる地域で、辺りの栄え具合はまぁまぁといったところ。
場所によっては未だ竪穴式住居も残っていて、一見すると未だ原始人の生活が続いているように見えるが……実際のところもそんな感じである。
文明的と呼べるかと言えば、言えるのだろうが、認定したくはないレベルとでも言うべきか。
ここで生きる人々には衣食住があるものの、それは薄めた糊で貼り付けたような脆いものであり、何らかの自然災害や人災によって呆気なく消失したり、容易く奪われたりする。
路傍に打ち捨てられた人の亡骸を見ていると、そう思わずにはいられない。
「おい、そこの怪しい奴」
「止まれ」
私が踏み固められただけのただの道を歩いていると、男に呼び止められた。
前方と、そして後ろからである。
普段ならここで“ああまた職質か”となるのだが、今回は少し違う。
「その背負った箱と、着ているものを全て渡してもらおう」
「命までは取らねえよ」
私を挟み撃ちにした男二人は、野盗であった。
手にした武器は鉄剣……の折れ先を長い木の柄に縛り付けた、即席の槍のようなものであった。
装備はそれだけ。服は薄汚れたボロ布である。伸ばしっぱなしの髪も泥汚れに塗れ、とても衛生的とは言い難い。
「悪いね。この荷物には大事なものが入っていて、服は長年愛用しているから手放せないんだ。できれば見逃してほしいな」
「大事なものか。ヘヘ、そりゃありがてえな」
「聞こえなかったのか? さっさと……」
「“質問”」
「……はい」
「っ……はい」
私が軽く右手を掲げてそう唱えると、二人の野盗は動きを止めて顔を引きつらせた。
「このくらいのサイズの、書物について。君たちは何か知らないだろうか。この辺りでそういった物は、見ていない?」
「見ていない」
「見てないです」
二人は私の右手に宿った紫色の魔光に視線を釘付けにしたまま、素直に答える。
「そうか。ではこの辺りで、何かしらの術……のようなものを扱う者について、知っていることは?」
「……ない」
「あり、ます」
「ほう?」
後ろの人は知っているようだ。
期待できる情報だと良いのだが。
私はそっと振り返り、コミカルな髑髏の顔を背後に向けた。
「その人物について知っていることを教えてくれ」
「……詳しくはない、です。なんでも、そいつは坊さんだかで……ただ、法力を悪用しているという悪い噂を、聞いたことがあり、あります」
「法力。ふむふむ。他には?」
「ひ、ひひ、人里にはあまり、近付かない。俺はお尋ね者です。詳しいことはしらない……です」
人間相手には少し精神干渉が強すぎたか。そろそろ限界そうである。
「ありがとう。最後に、私を見逃してくれるかな?」
「と、とう、当然です。逃げます」
「逃げて、お、陰陽寮に情報を、う、売って……あ……」
最後の質問に二人が答えた時点で、両者にかけられた“質問”の効果は切れた。
ここからはもう自由に動けるし、好きなように喋れるはずだ。隠したいことは思いのまま、隠すこともできるだろう。
だが、二人の野盗のうち一人は、どうやら私について……何かしら情報を転がそうと目論んでいるようだった。
異端審問。密告。それはきっと、金になるのかもしれない。組織に取り入る手段としても、きっと悪くはないのだろう。何かしらの足がかりにするには、ふむ。軽率な気もするが、何の後ろ盾も持たないお尋ね者が博打を打とうと考えるタイミングではあるらしい。
「あ、あ、今のは、違……違うんです」
「お前何を……! う、嘘だ。許してくれ。俺は何も言わないし、見逃して……!」
涙の書の初期に記されたこの魔術はとても繊細で、多少の魔力の素養があるだけで簡単に抵抗できてしまう。
神族や魔族相手にはほとんど効果を成さないが、人間相手にはそれなりの効果を発揮してくれるようだ。
が、こうして口を強引に割らせて情報を探るのは、あまり好きではない。
「気にしなくても良い。これは、相手を害する前提で使った魔法だからね」
「あ……ああ……」
「君たちがどう答えようと、私のやることは変わらない」
掲げた右手に、再び光を灯らせる。
「“虫食い”」
二人の野盗だった人物らは、その後近くのあぜ道でぼーっと座り込むだけの廃人と化した。
何も語らず、何も奪おうとせず、ただ上の空でそこに居るだけ。
のどが渇けば、水程度は飲むのかもしれない。それでも、食は細くなっているだろうし、生きようという気力も無いので、そう長くは持たないだろう。
魂に虫食いのような空白を作られた人間は、無気力で、無感情になってしまうらしい。
ここらへんの変化は、ある程度のレベルの哺乳類に共通するものだ。
今回はじめて人間に対して使ってみたが、特に新しい発見は無いようだった。
「また機会があれば、集中して人体実験してみたいな」
継ぎ接ぎにしたり、魂を強靭にできるかどうか試してみたり。
神族や魔族という、霊魂的には遥かに優れた存在が既に先に生まれているのでいじってやる必要もないのだが、そこはそれ、昔取った杵柄というやつである。
趣味の一環としてやってみるのも悪くはないなと、思ってしまうのだった。
「ふむ。それにしても、法力を悪用する坊さんか」
坊さん。法力。
法力というのはつまり、魔法の一種であるということは疑いようがないのだが、それが霊魂依存の高い術であるならばちょっとがっかりだ。
しかし仏教……信仰が関わっている以上、その点は望み薄かもしれない。期待は半分程度に留めておいたほうが良いだろう。
今はあくまで、魔法らしいものを扱っている人物が存在すると知れただけ、よしとしよう。
「良い香りだ」
濃厚な荏胡麻の香りが、風に乗ってこちらまで届いてきた。
火属性と木属性の触媒になり得る、どことなく魔法的なその芳香。
規模の大きな集落は、どうやらすぐ近くにあるらしい。