東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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幽香の徒然な考察

 

 ロートスの鮮やかな花弁が風に舞い、林から平原へと流れてゆく。

 その甘く蠱惑的な香りに誘われた虫たちは雲霞となって空に連なり、花弁と共に踊っていた。

 

「ん……」

 

 風が丘の上にも吹いてきた。

 魂に媚びるような粘ついた風は、正気を持った生物にとっては限りなく呪いに近い。

 

 一見すると長閑で安全であるかのように見えるこの土地は、近隣の都市から言わせれば危険地帯であるらしい。

 動植物を司る私にはいまいちその脅威を実感できないけれど、こうして誰の姿も見えない原野を見るに、間違った風聞というわけでもないのだろう。

 

 

 

 私はライオネルとの闘いを終えた後、魔界の各地をさすらう旅に出かけた。

 花壇の世話を長らく放棄することになるが、ブックシェルフで暇そうにしていた小さな悪魔に低頭平身で頼み込んでおいたので、留守の間も草花の管理は問題はないだろう。

 

 旅の目的は、特に無し。

 理由らしい理由も必要なかった。

 ただ風や花の赴くままに歩くだけ。

 

 それでも今回の旅はいつもとは違う。

 何かを求めて彷徨い歩く亡者のような旅ではない。ふわふわと漂う、自由な旅だ。

 

 私は日傘と共に、魔界の都市や景色を見て回った。

 一年か二年。いえ、花を思い起こすに、もっとかしら。

 それまで一切眼中に入っていなかった魔人たちとの交流をすることもあったし、ブックシェルフで通り過ぎるだけだった地域に足を運ぶこともあった。

 

 色々と見て回った。

 特に、魔界の動植物は興味深い。

 地上のそれとは違う奇妙な生態は動きが活発で、眺めているだけでも飽きが来ない。

 歩く草花は当然のこと、引っこ抜くと金切り声をあげる根菜や、葉をはためかせて空を飛び回る植物だって存在する。

 

 大抵のものは、危険物扱いされているらしい。

 力のない魔人たちの中では、不幸にも動植物の取り扱い方を誤ってしまい、死亡事故に繋がることもあるのだという。

 それでも、正しく運用できれば優れた魔法素材として、彼らの生活を支える一助となるのだから、手放すことはできないらしい。ばかばかしいことだけど。

 

 死の金切り声をあげる植物も、上手く処理すれば秘薬の原材料となる。

 しかし工程を間違えれば即死を撒き散らす危険物だ。

 魔法植物を栽培する彼らはそれによって日々の糧を得ているが、同時に魔法植物によってその地に縛り付けられ、魔法植物によって全ての命運を握られている。

 彼らはここには幸せ者しか存在しないかのような顔で、流れの私を歓待していた。

 だが、私には哀れな送粉者にしか見えなかった。

 

 ああはなりたくない。

 自らの命運と一生を、他者の草花に託すなど。

 

 生きるのであれば、やはり自由な方が良い。

 根付く必要はない。常に漂ったままが理想的だ。

 良い日当たりを奪うように間借りする生き方も悪くはないだろう。

 転がりながら湿った地面を探すのも楽しいかもしれない。

 

 ひとつの土地に固執する必要はない。

 私はどこまでいっても、どこにいっても私であって、他者と瑞々しさを競うことには何の意味もないのだから。

 私が私であれば、それでいい。

 

 

 

「いい香り」

 

 丘の上で息を吸い込み、堪能する。

 呪われた甘美な香りが心地よい。

 

 こうしてふらふらと彷徨っているうちに、なんとなく、自分にとって最も適した生き方というものが見えてきた気がする。

 

 高い場所に登るだけが生ではない。

 森林限界に挑むことだけが草木の優劣ではない。

 

 そう考えるだけで、私の魂は随分と凝りがほぐれたように思うのだ。

 

 

 

「あっは! お姉ちゃーん、やっとあいつ見つけたよぉー!」

 

 そよ風の中で、子供の声が聞こえた。

 

「ええ、いるわねぇ夢月ぅー。以前私達に歯向かった、愚かな女が、一人でねぇー?」

 

 また聞こえた。

 ひどくじめじめした、梅雨時のような声だ。

 そんな声を心地よく感じる者も中にはいるのかもしれない。ただ、私としては不愉快な部類に入るだろう。

 

「……あらあら。誰かと思えば」

「えへへ、お姉さん、お久しぶり!」

「お姉さんお久しぶり! 私達のこと覚えてる? 一緒に遊んでもらった時のこと!」

 

 振り向けば、そこには二人の少女が仲睦まじく並んで、手を繋いでいた。

 メイドと天使。陳腐な言い方をすればそう表現できるだろう。連中の見てくれだけならば。

 

「覚えているわよ。たしか……私のベッドに靴跡を付けた悪い子だったわね」

「へー、よかったぁ、覚えてるんだね!」

「もちろんよ。……あら、そっちの貴女は奥歯を生やし直したのね。今度はちゃんと抜けない歯にしたのかしら?」

「……お姉ちゃん、あいつ殺そ?」

「まぁ待ちなさいよ、夢月。いただきますはちゃんと言わないと。長い間ずっと探してきたんだから」

 

 夢月と幻月。

 この二人はブックシェルフでも有名な悪魔であるらしい。

 二人の噂は時折耳にするし、何より私の寝台を土足で汚したのが印象的だったので、よく覚えている。

 

「いひひっ……ねえねえ、幽香っていうんでしょ? あなた。聞いたわよー? あのライオネルに負けたんだってねー」

「聞いた聞いたー。酷いやられ方をして、弱ったんだってねー」

 

 あらあら、耳敏いことで。

 

「それなのにバカだよねー。こんな、都市でもなんでもない無法地帯に一人でふらふらやってきてさー」

「ひひひひ、バカだよねえー。ひょっとして、私達の玩具になりたくて、わざわざ一人で来たのかなー?」

「ここ、誰も助けにこないのにねー」

「ここ、いくら暴れても許される場所なのにねー」

「バカだよねー」

「ねー」

 

 気色の悪い笑い声を上げながら、双子の周囲に魔力が渦巻き始めた。

 粘性の高いヘドロのような魔力。夢と幻の異界より溢れ出した、混沌の力。

 

「と、いうわけでね?」

「あの時の借りをねー? ……千倍にして返してあげるよ。アハハハッ」

 

 双子を基点として発生した異界の入り口が膨張し、私を呑み込む。

 すると、長閑だった景色はすぐさま濁色の汚らしいものに変容し、広がっていった。

 

 異界。魔界とは少しずれた、異なる次元。

 ここは彼女らが作り上げた異空間なのだろう。周囲を取り巻く排他的で好戦的な魔力が、それを物語っていた。

 

「ねえねえ幽香お姉さん。ぐちゃぐちゃのどろどろになって死ぬのと、私達のペットになるの、どっちが良い?」

「最後に好きなの選ばせてあげるわよ。どっちでも楽しいしねー」

「断然、オススメはペットかなー! 首輪つけてねー、鎖で縛ってねー……あ、ペットになってくれたらお家も作ってあげる!」

「あはは! そうだね、それ良いねお姉ちゃん! 鎖で引っ張り回してお散歩にでかけるの。きっと楽しそう!」

 

 日傘は、問題なし。

 私が私であるための魔力にも変質は無し。

 周囲に満ちる力は他人面だけど、それも次第に変化するでしょう。

 

「ねえ聞いてる?」

「ペットだよ、ねえねえどう?」

「……そうね、家か……悪くはないわね」

 

 私がそう言うと、双子達の表情が変化した。

 敏感に、私から溢れる魔力の波動を感じ取ったのだろう。

 

 本気で暴れようと昂ぶる、私の闘争心を。

 ライオネルとの闘いによって身体で会得した、暴虐の魔法が解き放たれるその予感を。

 

「――それじゃあひとまず手はじめに……この世界に、私の別荘でも建ててもらおうかしらね」

 

 自分の巣穴に引き込んで、罠にかけたつもりかしら。

 だとしたら迂闊だったわね。

 

 甘い匂いに誘われたのはあなた達の方。

 耳を劈く金切り声を響かせるとも知らないで、あなた達は不用意に引き抜いてしまったのよ。

 冬を耐え忍んだ、猛毒の私をね。

 

「飽きるまでは遊んであげる。本気でかかってきなさい」

 

 


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