東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「元の世界に、帰りたい……?」

「ああ、そうだ」

 

 私は両手を振り、二人の間に丸テーブルを作り出す。

 同時に二つの椅子を生み出すと、少女はごく自然な動作で、そこに腰掛けた。

 やっぱり地べたに直接というのは、良くないから。

 

「私は、ここではない別の所からやってきたんだ。気がつけば、石で囲まれた、さみしげなここにいて……しかし私が元いた場所は、もっと……豊かな場所だった」

「豊かな……」

「そう。豊かな」

 

 何も無いテーブルは、寂しい。

 私は望むままに、そこにワインボトルと、二つのゴブレットを並べてゆく。

 

「……豊かな世界だった」

 

 私のアパートの一室が思い浮かばれる。

 殺風景だけど、色々な安酒や、菓子類や、漫画や雑誌に囲まれた、豊かな世界。

 部屋は狭く、街灯も窓のすぐ側で、夜眠るときは眩しくてたまらないけれども、仕事へ出かける時に通りかかる公園の僅かな緑は、私の心を癒してくれる。

 狭い世界だ。けれど、そんな世界こそが、私にとっては何より大切なもので間違いない。

 私はそこへ、帰りたい。

 

「……それは、外界の事でしょうか」

 

 私が出したゴブレットにワインを注ぎながら、少女が呟いた。

 

「外界?」

「はい。外界です。空には巨大な輝く星が浮かび、大地には豊かな水が広がる……そんな光景が広がっているようです」

「いるようです?」

「私は知識があるのみで、実際に見たことはありませんから」

「なるほど……」

 

 少女がゴブレットのひとつを私に差し出した。

 私はそれを受け取ると、唇に注ぎ、喉にかけてボタボタと零す。

 

 ……しかし、彼女の言う言葉を信じるなら、きっとそれは私の元いた世界……地球に間違いないだろう。

 太陽が浮かび、海がある。例えのスケールは大きすぎるものの、石で囲まれ、空と大地がぼんやりと光っているようなこんな場所よりは、ずっとマトモな世界だ。

 

 私が存在するべき豊かな世界は、きっとそこに……外界にあるに違いない。

 

「ですが、外界はあなたの存在するこことは違います」

「違う?」

「はい。そこはこことは違うので……あなたの原初の力が、果たして通じるかどうか……」

「……ふむ」

 

 考え込みながら、手元に雪のマークの六分割チーズを生み出す。

 少女が“それは何ですか?”と聞くので、そのままチーズと答え、渡してあげた。

 

「まぁこの便利な力が使えないのは残念だけど……それでも外界は、私のいるべき場所なんだと思う」

「……そうまでして、ここを離れたいのですね」

 

 チーズとゴブレットを両手に持った少女は、ご満悦ながらもどこか、淋しげだった。

 

「うん、私の居場所は、ここではないから」

「……わかりました」

 

 少女は椅子から立ち上がり、私の側に歩み寄った。

 その動きに戸惑ったけれど、少女は自然な動作で、私の醜い肩に手を触れる。

 

「……この世界は、あなたの思うがままです。外界へ繋がる扉は、あなたの思うまま、自由に生み出すことができるでしょう」

「そうなのか」

「ええ、原初の力は、強大ですから」

 

 言いながら、少女は片手を闇へ伸ばし、指で空間を弾いた。

 空間は水のように波紋を作って歪み、渦を巻き、薄い白色に濁ってゆく。

 次第に渦が目にも見えないほどに細かくなってゆくと、そこにはぼんやりと霧がかかったような、大きな姿見ほどのものへと変化していた。

 

「これが外界へと繋がる扉です。どこに繋がっているのかはわかりませんが……あなたの求める場所は、この前にあることでしょう」

「……ここを通れば、地球に戻れる」

「地球? ……はい、きっとそうです」

 

 私は椅子から立ち上がり、少女と肩を並べるようにして、白い靄の扉に向かい合った。

 扉の先は、全く見えない。けど、私にはその白い靄が、天高く広がる青空に浮かぶ、清浄な白い雲のようにも見えた。

 

「私はあなたによって生み出された神。あなたが外界へゆくことを望むのであれば、引き止めることはできません」

「……教えてくれてありがとう。すごく、助かったよ」

「いえ、それが私の役目ですから」

 

 少女は朗らかに微笑んだ。

 

「じゃあ、早速だけど……私はここから、すぐに出かけるよ」

「はい。どうか、御達者で……」

「この世界は、私にはよくわからないけど……ここの管理も、貴女に任せるよ。神様っていうのも、本当みたいだから」

「お任せください。あなたがいつか戻るまで、この世界を……そうですね、私なりに、豊かな世界にしてみせます」

「おお……戻るかどうかは別として、それは楽しみだ」

「ふふっ」

 

 私が戻るということは、つまり元のアパートに戻るということだ。

 わざわざここに帰るということもありえないだろうけど、少女がひとつの世界を創造するという言葉には、どこか頼もしさを感じてしまった。

 

「では……ええと、名前は……」

 

 最期の別れを告げる寸前で、私は重大なことに思い当たった。

 そういえば私はまだ、彼女の名前を知らないのだ。

 

「名前は、まだありません。名も無き、あなたの生み出したる、新たな神ですから」

「……名無しか」

「私は、そうおっしゃるあなたの名前も存じませんけど……」

「あ、そうだ。確かに」

 

 別れの時まで名前も知らないというのでは、ちょっと不便だ。

 短い出会いと別れにしたって、私の人生では衝撃的な瞬間であったことには違いない。

 その相手に名前が通っていないのでは、どうにも悲しいものである。

 

「では、貴女の名前……生みの親ということで、私がつけても良いだろうか」

「! お、お願いします! 是非!」

 

 私が名付けを提案すると、少女は食い気味に喜んだ。

 かなり嬉しそうである。

 

「……新しい神……綺麗な神……ふむ、新しい、綺麗な……」

「綺麗……私が……うふふ……」

「うん、決めた。ちょっと安直かもしれないけど……神綺(しんき)神綺(しんき)って名前は、どうかな」

神綺(しんき)……」

「あ、ごめん、嫌なら別のもの考えるよ、何とかエルとかそういうちゃんとしたっぽい……」

「い、いえ! 神綺(しんき)……良い名前です!」

 

 私がシンキエルとかタクマシエルそういう名前を新たに考えていると、第一候補が思いの外良かったのか、少女は目を輝かせて飛び跳ねた。

 神綺(しんき)。どうやらそれで、彼女の名前は決まったようだ。

 

「それで、あなたのお名前は?」

「私の名前」

「はい、どうかお聞かせください」

 

 少女、神綺(しんき)の言葉に、私は首を傾げる。

 名前。名前といえば、平凡な私の名前があるけれども。

 あいにくと私は、自分の名前に対してはそれほどの自信や、良い感情を持っていない。

 だから私は、良く聞いていたアーティストの名を借りて、この場で格好つけて名乗ることに決めた。

 

「ライオネル、それが、私の名前」

「ライオネル……」

 

 言ってて恥ずかしくなり、復唱されてさらに恥ずかしくなった。

 でも、私の生みの親が付けた罪深い当て字の名前を名乗るくらいであれば、こちらの方がよほどマトモである。少なくとも、神様の前で名乗る分には。

 

「ライオネル、どうか外界でも、お元気で」

「うん、神綺(しんき)も、元気で」

 

 今さっき決めたばかりの名前と、今さっき思いついたばかりの名前を呼び合って、私達はそれを別れの言葉とした。

 

 私は神綺(しんき)に振り返ることもなく、白い靄の扉に向かい、進んでゆく。

 これで、元の地球に帰れる。これで、私の日常が、きっと返ってくる。

 

 そう信じて、私は白い扉を一気にくぐり抜けた。

 

 

 

 まぶしい太陽の光と、青い空が広がっている。

 

 土の地面。すぐ目の前にある、綺麗な浅い海。

 どこの田舎かはわからないけれど、私は確かに、地球のどこかに戻れたようだ。

 

「……」

 

 戻れたらしい。それは、確信できた。

 だってここには太陽もあるし、青空に雲も浮かんでいる。それに波打つ海もあれば、疑いようはない。

 海の中に見覚えのあるものが漂っていることからも、外界への移動は成功であったと信じざるを得ない。

 

 けど、ひとつ不満があるとするならば……。

 

「……確かに、地球だけども……」

 

 なぜこの透き通った綺麗な海には、カブトガニのような生物や、アノマロカリスっぽい巨大エビ生物が泳いでいるのだろうか。

 

「なんてこったい……」

 

 私は頭痛と目眩を覚え、その場に崩れ落ちた。

 

 


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