東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 さて、魔界にやってきた私はまず、紅のいる法界へとやってきた。

 以前紅からは手紙で“法界が騒がしい”というような事を聞いていたので、それが気になって覗いてみたのである。

 

「魔族が増えました。妖怪や妖魔とも呼ばれる者もいるようですが。ほとんどは狂暴、凶悪で、法界でも手が付けられない者が多いです」

 

 瘴気の風の中で、紅は髪を掻き上げた。

 この空間内はなかなか住み心地も悪いだろうに、慣れてしまったのだろう。

 世間話をする分には、もう何も負荷を感じていないようである。

 

「ライオネル様。地上は、恐ろしい所になりましたか」

「いや、どうだろうね」

 

 ふむ。地上がどう変わったか……ふーむ。

 

「私は、さほど地上に愛着があるわけではありません。ですが、母の愛した世界がどう移り変わっていったのか……それには、興味があるのです」

 

 アマノ。彼女が愛した世界、か。

 

 ……そうだな。アマノがいた時代は恐竜たちの、いや、全生命が最も適切な形で噛み合っていた、おそらくは最高の時代だったのだと思う。

 それは毎夜繰り返されていた恐竜たちの咆哮(歌声)が証明していただろうし、私もあのまま地球が進歩してゆくだろうと疑いはしなかった。

 

 それでも、あの時代は終わった。アマノもそれを予見してか、自らのいない世界を受け入れてもいたように思う。

 

 ……あの時と比べてしまえば、確かに今は乱れた時代と言えるだろう。

 だが、それも次第に落ち着きつつあると、私は考えている。

 

「恐ろしい面もある。本当に強い魔族達は、きっとまだまだ地上に残っているだろう。神族も各々が支配領域を変えていると聞くし、数千年でかなり変化したと、私は感じているよ」

「……そうですか」

「それに多分、人間たちの存在が大きく関わっているのだろうね」

「……人間、ですか」

 

 紅は青い目を私に向け、細めた。

 

「法界を訪れた者達からも、よく聞いています。一人一人は小さく弱いものの、知恵をつけて数でかかってくる彼らは、何より強いのだと」

「おお、それは的確な表現だね」

「ライオネル様も、人間について詳しくご存じなのですか」

「そりゃあもちろんだとも。この世界で私よりも人間に詳しい存在はいないだろうさ」

 

 大口を叩いたわけではない。本当のことを言ったまでである。が、紅はそれを冗談めかした発言だと思ったのか、目をさらに細めている。

 

「……いえ。ですが、実際のところそうなのかもしれませんね」

 

 おお、気持ち半分でも信じてもらえたか。

 

「ライオネル様。人間とは、善き生き物ですか?」

 

 おっと、それはまた。随分と難しい質問をしてくるじゃないか。

 

「それはまた、答えにくい問いかけだね。紅」

「お詳しいのでは、なかったので?」

「いやいや、本当に難しい質問なんだよ、それは」

 

 紅が胡散臭いものを見るような目でこちらを見ている。

 いや、タイミングが悪かった。今されたら困る質問だったんだよ、それは。

 

「性善説と性悪説。人間が本来どちらに近い生き物なのかは、意見が割れていてね。ああ確かこれは、もう現時点で既に中国で提唱されていたのかな」

「中国」

「さっき紅が案内してくれた魔族がいただろう。あれも、中国出身じゃないのかな。今の名前はなんというのか、知らないけどね」

 

 人が本来持っている性質が善なのか悪なのか。

 それを説いたものが、性善説と性悪説である。実に儒教的な考え方だと思うし、別の場所でも似たような議論や考え方はされているだろう。

 

「ただ私が思うに、人は善寄りのものだと思っているよ」

「本当ですか」

「時と場合によるし、どちらにでも簡単に傾くような存在だけどもね。魔人と似てはいるけど、それよりもずっと揺らめいているというか、不安定なんだ」

「……厄介な生き物もいたものですね」

 

 紅は呆れたように肩を竦める。が、私からしてみれば神族や魔族が極端な性格をしている方こそ、奇妙だと思うのだ。

 そこらへんが、物質的な人間と、それよりはずっと精神的な生物である神族や魔族の決定的な違いなのかもしれないが。

 

「まぁ、厄介と言えば厄介だね。それだけ精神性を縛られていない、面白い生き物でもあるんだけどさ」

「面白いのですか、それは」

「面白いとも。彼らの生き様や輝かしさは、五億年待ちぼうけるだけの価値はあると思うよ」

「億とは、また凄まじいですね」

 

 紅は手で口元を隠しつつ、上品に微笑んだ。

 

「……ですが、善でも悪でもないというのは、不思議な考え方です。私にはあまり、理解できないかもしれません」

「ふむ。まぁ、でも紅ならばきっと好きになると思うよ。気が向いたら、貴女も外へ出てみるといい」

「ええ、そうですね。気が向いたならば」

 

 紅は腕を組んで曖昧に笑い、首を軽く傾げてみせた。

 

「そうか。まだ、ここにはアマノの気配が残っているのか」

「極わずかに、ですけど。間違いなく母の気配ですし……それが消えるまでは」

 

 法界に残るアマノの気配。それはいつか消えるであろう儚いものだが、彼女はそれを最期まで見守るつもりらしい。

 ……まさに、ドラゴンらしい生き方だと思う。

 

「それと、ライオネル様。あなたにお渡しした骨のことですが……以降は、どこかに安置されたのでしょうか」

「ああ、あれか」

 

 私は背負っていた木箱を浮かせ、蓋を解除し、中から大きな袋を取り出した。

 

「すまないね。まだ、これに相応しい場所を決めかねているんだ。結構、私も地上を探していたのだが」

「……場所は、地上ですか」

「ああ。竜骨は、アマノの分社は、地上にあってこそのものだと、私は思っているからね。きっとそこで、良い場所を見つけるよ」

 

 紅が運び続けていた紅き竜の骨。私は以前、それを彼女に託されていたのだった。

 もちろん忘れていたわけではない。この骨を納めるにふさわしい場所が、本当に見つけられなかっただけなのである。

 

「……ライオネル様が気に入った場所に。あなたが素晴らしいと感じた場所に、納めください。私からの希望は、それだけです」

「うむ。わかっているとも。ぞんざいな扱いはしないと、神に誓うよ」

「母にも?」

「もちろん」

 

 なんなら神綺や、名も無き女神にだって誓いを捧げても良い。

 元々は、私が生み出したドラゴンの骨なのだ。その然るべき場所も、私が決めてやらなければ。

 

「……なら、良かった」

 

 強くうなずいた私に、紅は心の底から感じ入ったように、優しく笑ったのだった。

 

 

 


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