東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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卒業と記念アルバム

 

「おめでとう、ウントインゲ。貴女が私の所にやってきてから、丁度今日で三十年になるわ」

 

 寒い風が吹き荒ぶ、曇天の昼。

 良い空模様とは言えないけれど、今日はわたしにとって重要な意味を持つ日だった。

 

「はい。ありがとうございました、メルランさん」

 

 そう。

 三十年前のこの日、わたしは魔法使いになれる書物を読ませてもらうことと引き換えに、三十年もの間、メルランさんの下で働くことを快諾した。

 

 三十年。決して短い時間ではない。その時間はもはや、わたしの中では両親やエレン先生と過ごした時間よりも長いのだ。

 でも、それで不老の魔法使いになれるのであれば、きっと安いんだと思う。

 世の中にはそう簡単に魔法使いになれない人が、いくらでもいるのだから。

 

「……貴女、最後までその調子ね?」

「え、は、はい?」

 

 おっと。昔を思い出して、少しぼーっとしていたみたい。

 メルランさんは揺り椅子に腰掛けたまま、わたしの顔をじっと見つめていた。

 

 楽しそうな表情、であるように見える。

 けれどわたしは、それが“不満”を表していることを知っている。

 

「つまらないわ。一年か二年で心折れて、逃げ出すんじゃないかと思っていたのに」

「……まぁ、その。確かに、苛烈な日々ではありましたが。三十年と約束したのは、わたしですからね」

「律儀ね? もっと醜く生きれば良いのに」

 

 メルランさんは……なんというか……。

 ……良い言い方をするならば、ひねくれ者だ。

 

 たちのわるい冗談や皮肉、そして悪態。一応、わたしもメルランさんに三十年間、師事してきた立場ではあるのだけれど……それでも尚言えるのは、彼女は人から好かれる要素が無いという悲しい事実だった。

 最初は強烈な毒舌と皮肉に随分とげんなりさせられたし、わがままを通り越して意味不明な指示や命令に疲弊することしきり。

 部屋の小物の配置を数百項目近く事細かに覚えさせられたり、花瓶に生ける雑草のツヤに駄目だしをされ、夕食を抜きにされたこともある。メルランさんとの生活は、理不尽に満ちていたと言えよう。

 

 本人は自覚しているので、きっとわざとなのだと思う。

 それでいて直す必要もないと考えているのだから、もう不治の病のようなものだ。

 何度か遠くから人が訪ねてきて、メルランさんと話したことはあったけれど……その度に起こる口喧嘩やら暴力沙汰には、随分と辟易させられた。

 もしメルランさんが都会に住んでいたら……なんて想像はしたくもない。二日も経たずに人間関係のトラブルを起こすのは間違いないだろう。

 

 そんな師匠だから、わたしはこの三十年で、随分と疲れたのだ。

 でも、わたしはその時間に耐えきった。

 

 一番最初に本を読ませてもらい、魔力の運用を教わり……先払いで魔法使いにさせてもらえたことが大きかったのだと思う。

 自分一人ではその人生の中で掴み得なかったであろう力をくれるというのだ。

 わたしの三十年分の理不尽への忍耐は、与えられた力の大きさに対する敬意でもあった。

 

 ……ん? もちろん忍耐だったわよ。

 許されるのなら、今すぐに目の前のこの小さな魔法使いの頬をひっぱたいてやりたいわね。

 卒業したからといって、やろうとは思わないけど。

 

「まあ、約束は約束だものね? ウントインゲ、貴女はこれからどこにでも行ける。そして再び、今度は魔法使いとして、自分の人生を歩むといいわ?」

「はい。今までお世話に……」

「お世辞はいらないわ。世話をさせたのは私だしね? フフッ……明日から不便になりそうだわ?」

 

 全くもう。お礼の一言にまで揚げ足を取るんだから……。

 慣れっこだけど。最後くらい、少しはしんみりしてほしいものだわ。

 

 ……けど、そっか。

 三十年の修業という名の雑用は、今日で終わり。

 

 一応今日までに、魔法使いと胸を張って名乗れる程度の力は手にしている。

 メルランさんは片手間で、わたしに魔法の基礎からちょっとした応用までを仕込んでくれたのだ。

 もちろん、あの“本”の力によって得たものも多いけれど……わたしは、メルランさんから直々に習った魔法理論にも、大きな価値があるものと考えている。

 日常生活ではドがつく程に畜生じみた性格しているけれど、魔法使いとしての腕は本物なのだ。

 わたしが授かったのはその直伝である。生半可なはずもない。

 

 ……まずは、そうね。エレン先生に、会おうかしら。

 それと、ああそうだ。お父さんにも……けど、どうなのかしら。さすがにもう、厳しいわよね……。

 

「さて、それじゃあ旅立つウントインゲに、私からちょっとしたお土産を渡してあげましょうか?」

「ええ……はい、ありがとうございます……」

 

 メルランさんからの。

 

「あらあら、困惑してる。いい顔ね? けれどもっと感謝してくれたっていいのよ?」

 

 嫌な予感しかしないんですもの……。

 同じようなパターンでろくでもない物を渡されたことが、何度あったことか……。

 

「はい、これあげる」

「いやわたし別に…………って、これ」

 

 メルランさんが何気なく手渡したもの。

 わたしはそれを反射的に拒もうとしたのだが……思わず呼吸が止まった。

 

「……せ、“生命の書”……」

 

 水色の表紙の魔導書。

 メルランさんが差し出したものは、わたしが最初に読むことを許された……今でさえ底が知れない、神秘の魔導書だった。

 

 ……今でも克明に思い出せる。

 

 メルランさんが黒い笑みを浮かべ、この魔導書の1ページ目をわたしに向けた時の、あの……脳を弄られたかのような、不吉な衝撃を。

 身体の制御を奪われ、本を閲覧する補助具と転写先として扱われる、あの恐ろしい体験を……。

 

「そ、そんな。その魔導書は、価値あるものですよね。いけません、そのような」

「いいえ? 許さないわ、ウントインゲ。これは師からの贈り物。貴女はこれからこの魔導書を管理するの」

「無理です!」

 

 恐ろしさは叫びとなって出た。

 

 でも、駄目だ。本当に無理なのだ。

 

 この本はとてもではないけど、わたしの手には負えない。

 ほんの少し読むだけで、それまで一切感じ取れなかった魔力の感覚を掴めるようになる……そんな書物が、何かの間違えで他の人の手に渡ってしまうのではないかと考えると。

 

 ……そして書物が、何者かに悪用されたらと考えると。

 わたしには、背負いきれない重荷だった。

 

「ふふふ、ウントインゲ。これは私からの最後の命令よ。この書物を受け取る。それが貴女に託す最後の使命。けど、どうこうしたからといって、私は怒らないわ。たとえ貴女がこの魔導書を廃棄して、見ず知らずの誰かの手に渡ろうとも……ね?」

「……どうしても、わたしが受け取らなきゃいけないんですか」

「その方が面白そうだもの。ねぇ? 今でさえこんなに……貴女は、良い表情を見せてくれる」

 

 悪魔。本当、この魔法使い……悪魔みたいだわ。

 

「逆に考えればいいのよ、ウントインゲ。この魔導書を上手く管理し、少しずつ読み解いていけば……貴女は今よりずっとずっと素晴らしい魔法使いになれる。頑張りやさんの貴女にはぴったりだと思わない?」

「……メルランさんは、いいんですか。この魔導書、まだ……」

「ええ、私には別のもあるから。そっちは……多分、価値が低いし。極めようとは思っていないわ」

 

 メルランさんでさえも、この魔導書の深奥まで辿り着けてはいない。

 ……そんな魔導書だというのに、わたしに研究しきれるのだろうか……。

 

「フフッ。せいぜい、頑張りなさいね、ウントインゲ。その魔導書は魔力を好む……もしも魔力の乏しい場所に置きっぱなしにしていれば……」

「していれば……?」

「本は自ずと離れ、身勝手に魔力を求めて彷徨ってしまうでしょうね?」

「……変な脅しはやめてください」

「脅しじゃなくてアドバイスよ。まぁ、信じるか信じないかは貴女次第……どちらにせよ、私は笑わせてもらうけどね」

「……そう、ですか」

「フフッ……」

 

 

 

 こうして、わたしはメルランさんの下から魔法使いとして巣立っていった。

 

 彼女から押し付けられた、“生命の書”を伴って。

 

 

 

 ……それから数日もせず、わたしと魔導書のかくれんぼと追いかけっこが始まるのだが……それについては、まぁ、後ほど……。

 

 


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