東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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錯綜する捻れた輪

 

 人形を抱いた彼女は、どこか物憂げな様子で窓の外を眺めている。

 一体何を思い起こしているのかはわからない。わたしはただ、彼女が再び口を開くのを待った。

 

「……ライオネルが書き記した十三冊の魔導書は、実在するわ」

「!」

 

 やっぱり、本当にあったのね。

 エレンさんがはっきりと覚えていたくらいだから、強く疑っていたわけではなかったけれど……いえ、あるなら、まだまだ私にも……!

 

「でも、その書物を使うのはおすすめできないわね」

 

 はやる気持ちは、彼女の冷めた言葉に押さえつけられた。

 

「何故ですか?」

「魔導書を探しているみたいだけど……その魔導書、使うのは貴女自身でしょう? なんとなくわかるわ」

「副作用みたいなものが、あるのですか」

「ええ。とっても恐ろしい副作用がね」

 

 知っている風な言葉と凄みのある笑みに、わたしは思わず唾を飲み込んだ。

 

「悪いことは言わないわ。ライオネルの魔導書を頼って魔法使いになるのだけは、やめておきなさい」

「それは……できません」

「魔法使いになるのであれば、ちゃんと順序立てて練習していけば……」

 

 そう。理想はそれだ。わたしだってそれを目指していた。

 わかっている。地道に努力して掴む成功こそが最も綺麗で、美しいことくらい。

 

 けど、それじゃ掴みきれないから、わたしはこうして“子供”に頭を下げているのだ。

 美しいやり方で成し遂げられる器だったら、わたしは“大人”になっていない。

 

 もう、わたしには……毒藁とわかっているものに縋りつく他に、道がないのよ。

 貴女にわかるかしら。きっと、わたしよりもずっと才能溢れるであろう、貴女に。

 

「……そう。パドマ、貴女の意志は固いのね」

 

 彼女は私の目に何を見たのか、それ以上の説得を諦めた。

 

「焦る気持ちは、私にもわかる。……魔法使いになれるのなら、禁じられた場所に踏み込むことさえ厭わない。……そういうことなのよね、パドマ」

「……はい」

「そう。だったら、止めても無駄なのでしょうね」

 

 どこかすっきりした様子で言うと、彼女は立ち上がった。

 そして腰に据え付けられた書物のようなものを取り外して……え?

 

「ライオネルの魔導書は、これに似たものよ」

「え、えっ」

「似たもの。これは……壊れちゃった魔導書か、それとも、偽物……だと思う」

 

 彼女が無造作に見せてくれたのは、分厚い書物。

 艶のない濃い灰色で、どこかボロボロに傷んだような……グリモワールであった。

 

「こ、これ。これを読めば……?」

「いいえ、偽物と言ったでしょう。見た目はこれとそっくりだけど、この書を読んでも効果はないわ」

 

 思わず手を伸ばしかけたけれど、どうやらそれは目的のものではないらしい。

 

「私は本物を読んだことがあるわ。本物はね……読むと目が離せなくなって、身体の自由もきかなくなって……ただひたすら、本を読むことを強要してくるの」

「……」

 

 呪いの本。そんなフレーズが頭に浮かんできた。

 ……でも、読んで死ぬわけではないらしい。悪魔に取り憑かれるでも、食われるでもなければ、罠のついたグリモワールとしては比較的穏やかなのではないだろうか。

 

「ただ、私もそれ以上の詳しいことは知らない。あの本を読んだのは、ずっと前のことだから……」

「その本は、今どこに?」

「……正直、それも自信がないのよね。本当にそこにあるのかどうか……」

「えっ」

 

 本の場所が、わからない?

 ……知っているような言い方だったのに……いえ、だけど嘘をついている様子はないし、悪意は感じられない……。

 

「んー……とね。ライオネルの魔導書だけど……私が唯一知ってる物は……あの、これはもしかすると今はないかもしれないのだけど、そのつもりで聞いてくれる?」

「は、はい! 心当たりがあるのでしたら、是非!」

 

 情報の確度が曖昧な程度、どうということはない。

 むしろちょっと自信なさげな方が信憑性があって嬉しいくらいだわ。

 

「じゃあ、気持ち半分で聞いてほしいんだけど……今も“あいつ”が動いていないのだとすれば、魔導書はきっとブレコンにあるはずよ」

「ブレコン……」

 

 ちょっとだけ聞いたことのある地名ね。

 確か、すごく辺鄙な場所だったはず。

 

「ブレコンについたら、呪われた湖の場所を尋ねなさい。もしくは、砦の墓場か……あるいは、赤い竜の話でも良いわね。地元の人なら知っていると思うから、信頼できそうな人から聞くと良いわ」

「呪われた湖……に、魔導書が?」

「そうね。未だにそこにいるのなら、だけど」

 

 ブレコンの呪われた湖。それに、砦の墓場……まるでおとぎ話のようなシチュエーションだけど、ううん。だからこそね。

 きっと、相当に過酷な道のりになるとは思うけれど、ここまで具体的な心当たりがあるのなら、すぐに当たってみるべきか。

 

「本当なら、魔法使いでもない人を一人で行かせたくはないんだけど……奴とは、会いたくないし……」

「はい?」

「な、なんでもないわ。とにかく、私にできるのはここまで。あとは、貴女自身の足で頑張って頂戴」

「……はい!」

 

 いい情報を貰った。親切に色々教えてくれた。

 情報の確度は、きっと高い。これは、すぐにでもブレコンへ向かう必要があるだろう。

 

「見ず知らずの旅のものに色々教えて下さって、ありがとうございます」

「いえ、良いのよ。……見ず知らずとはいえ、貴女の雰囲気が、どこか……放っておけなかったから」

 

 放っておけない、か。今時、そんな理由で人助けをするなんて……酔狂というか。お人好しというか。

 けど、そんなお人好しだからこそ、わたしは心の底から尊敬できた。

 

「あの、お名前を窺ってもよろしいですか?」

 

 魔法使いに名前を聞くのは、あまり褒められたことではないのかもしれないけれど。

 私はこの魔法使いの名前を、どうにか覚えておきたかった。

 

「ふっ……名乗るほどの者では無いわよ。今はまだ、ね……」

「え?」

「心配しなくても大丈夫よ。私の名前なんて、いずれどこにいたって聞こえてくるようになるのだから……ふふっ、私の名前を覚えるのは、それからでも結構よ」

「そ、そうですか」

 

 ……お人好しではある。

 

 けど、やっぱりこの女の子は……なんか……ちょっと変なところがあるみたいね。

 

 

 

 名も知らぬ人形少女との出会いと、別れ。

 

 そして、わたしの呪いの湖を探す冒険が始まった。

 

 


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