東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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雲間に覗いた釣り針の煌めき

 その日、わたしは遠く離れた集落まで赴いた。

 先生が作った魔法の膠石は品質が良いので、定期的に注文が入るのだ。

 往復合わせて半日にも及ぶ大変なお使いではあるけれど、先生はとても忘れっぽいのでわたしが足を運ぶ必要がある。

 まぁ、道すがら薬草を集めることもできるし、これも魔法の修行の一環だと思えば苦にはならないのだけど。

 

「ピッタコスー、あんまり散らかしちゃ駄目よー」

「ニャァニャァ」

「もう。あんたは本当にだらしない猫ねぇ」

 

 先生とわたしが住んでいるあばら家の前についた。

 中からは先生の幼気な声と、飼い猫のピッタコスの鳴き声が聞こえてくる。

 

 どうやら今日は、ふらふらと外へ出歩いていないらしい。

 先生は時々、思いついたように長い散歩に出てしまうこともあるから、いつからかこうして家の中でじっとしているというだけで安心できるようになってしまったわ……。

 猫のピッタコスはちゃんと戻ってくるのに、先生は帰ってこないこともあるから心臓に悪いのよね……。

 

「先生ー、戻りましたよー」

「あら? もう戻ってきたのー? お入りー」

 

 いやその。“もう”と言われましても、きっかり半日かかったのですが……。

 

 ……まあ、かなり抜けたところはあるけれど、先生は先生だ。

 何年も師事している、敬愛すべきわたしの先生。

 

「んっ……よっこいしょ……相変わらず、立て付けの悪いドアですねっ」

「しょうがないわよー。この小屋、すっごいおんぼろなんだもの。だけど、直して使うほど長居するつもりはないしねぇ」

 

 小屋の中にいたのは、ふわふわとした金髪が特徴的な小さな女の子。

 

 けれど、それはあくまでも見た目だけ。

 彼女は見た目以上に、それこそわたしなんかよりも、ずっとずっと歳をとっている魔法使いさんなのだ。

 

 エレン・ふわふわ頭・オーレウス。

 まだまだ小さかった頃のわたしを魔法使いとしての旅に連れ出して、様々な世界を見せてくれた……きっと、生涯で一番の恩人である。

 

「あら? ウントインゲ、その籠……またたくさん摘んできたのね」

「ええ。燕麦粥だけじゃ味気ないですから」

「ありがとー♪」

 

 そして、わたしの名前はウントインゲ。

 先生……エレンさんと比べれば、名乗るほどの価値もない。

 未だ“本当の魔法使い”にもなれていない、もうそろそろ二十代を迎えようとしている魔法使い見習いだ。

 

 

 

「んー、やっぱアク抜きしないと駄目ねぇ」

「そりゃそうですよー。ていうかあれそのまま入れたんですか」

「美味しそうだったからつい……」

「もう。お腹壊しますよー」

 

 わたしは魔法使い見習いで、エレンさんは魔法の先生である。

 けれど、その関係性は師弟というよりは、歳が離れただけの友人に近いのかもしれない。

 エレンさんは弟子であるわたしに無茶な要求をしてはこないし、本人も無欲……男性関係以外はほとんど無欲なので、全く手間がかからないのだ。

 女二人の旅を長く続けているけれど、エレンさんの魔法の腕前はとても素晴らしいものなので、旅が始まってからはほとんど苦境に立たされたこともない。

 襲い来る妖魔も盗賊も、全てエレンさんが“えいっ”とするだけでやっつけてしまえるのだから仕方がないとはいえ、弟子としてのわたしが活躍できる場が少ないのは考えものだ。聞きかじった護身術を試す機会がない……。

 

 なので、近頃は魔法の触媒を集めたりだとか、食材を取ってきたりだとか、おつかいに行ったりだとか……わたしはそんなことばかりを頑張っている。

 身の回りのお世話ができないのであれば、ほんの少しでも良いから、エレンさんの生活の役に立ちたいのだ。

 

「最近のウントインゲ、たくさん働いてるわねえ」

「そう、ですか?」

 

 けど、わたしの点数稼ぎはエレンさんの目にはっきりと映っていたらしい。

 ぽわぽわした顔をしているけれど、彼女は肝心な所だけは、絶対に見逃さないのである。

 

「魔法のお店の手伝いをしてくれるのはとっても嬉しいけど、ウントインゲはわたしの弟子なんだから。魔力の修行もやらなくちゃ駄目よ?」

「……あはは、ごめんなさーい」

 

 舌をちょっと出して、おどけたように謝ってみる。

 わざとらしかったかもしれない。けれど、わたしが私の内心を隠すためには、このくらいおどけてみせなければいけなかったのだ。

 

 魔法の修行。

 それは、わたしがもう既に十年以上もやっている、非常に感覚的で、精神的な……徒労と呼べる程度には苦痛な修行だった。

 内容が辛いわけではない。実のところ、痛いでも苦しいでもないのだ。

 ただ、ひたすらに何もなく、何も感じられない。そんな修行である。

 

 ……得るものがない。手応えがない。

 重い物を持ち上げれば、力はつく。男ほどではないけれど、女だって腕力は上がる。

 

 けど、魔法の修行にはそれがない。

 まるで雲を掴むかのような修行なのだ。

 

 ひょっとすると、魔法使いにはなれないのかもしれない。

 ……これまでの十年が、無為だったのかもしれない。

 

 そんな現実と直面するのは、もうじき二十歳を過ぎるわたしにとって、むず痒く、とても辛いものだったのだ。

 

「魔法の修行、私も復習はしっかりやらないといけないからねー。基礎の反復だったらいつでも手伝うわよー? ええと、あの本はどこいったかしら。確かここらへんに……」

 

 わたしは未だ、魔法が使えない。

 十年以上もエレンさんと一緒にいるのに、毎日少しずつ修行だってしているのに、ちょっとした小物を浮かすこともできないのだ。

 

 エレンさんに直接言うことはないけれど、最近は弱音を吐くことも多くなってきた。

 自分には才能がない。魔法を使える人間じゃなかったのかもしれない……なんて。

 

 ……エレンさんも、薄々とそう感じているんじゃないかしらね。

 だけどエレンさんは優しいから、まだわたしを傍に置いてくれているのだ。

 

 ……でもわたしだってもうこんな歳だし、魔法使いになるにせよならないにせよ、結婚のことは真面目に考えないといけないわ。

 魔法使いを目指して駄目だった時、相手がいないんじゃ……きっと、待っているのは孤独で、悲しすぎる人生だもの。

 

 エレンさんに迷惑はかけたくない。すっぱりと諦めて、離れるのなら……そんなタイミングは、もうすぐそこに迫っているのかもしれない。

 

「あー。あったあった。ケホケホッ」

「……それは、師匠のグリモワールですか?」

「うん。あー、どうだったかしら。オーレウスのグリモワールね、うん」

「オーレウス……エレンさんの家系」

「そうそう。まー、貰い物なんだけどねぇ」

 

 取り出された大判の書物は、エレンさんが定期的に読んでいるグリモワールである。

 魔法の基礎的なことが書いてあるらしく、エレンさんはよくその内容をわたしに読み聞かせてくれたものだ。

 実践するには至らなかったけれど、内容はとてもわかりやすかったのを覚えている。

 

「あ。貰い物といえば、この本」

「?」

「そうそう、思い出したわ。ライオネルから貰ったのよね」

「ライオネル……?」

 

 ライオネル。

 ……うん。聞いた覚えのない名前だ。

 誰だろうか? 物忘れの激しいエレンさんが、わたしも知らないような昔の名前を唐突に思い出すなんて、かなり珍しい気がするけど……。

 

「ライオネルはねー。格好と声がものすごい不気味なんだけどね、色々と教えてくれた良い人なのよ」

「……エレンさんに教えるって、凄い人ですか?」

「多分ね。あ、でも詳しくは知らないわよ? 今のもここに書いてあるメモを読んで、ちょっとだけ思い出しただけだから」

 

 ほらここ、なんて言って、エレンさんはグリモワールの隅に落書きしたメモを見せてくれた。

 ……なるほど、確かに書いてあるわね。

 魔法の先生。本をくれた人。怖い。骸骨。

 ……よくわからないけど、エレンさんが良い人と言っているのだから間違いはないだろう。どんな人なのかしら? 気になるわ……。

 

「んーっと……なんだったかしら……ライオネルが教えてくれてた時に言ってた内容……えーとえーと」

「無理に思い出さなくても……?」

「いやー大事なことだったのよねぇ。今役に立ちそうな……ああ、そうだわ。思い出した!」

 

 エレンさんはぱっと明るい顔になり、掌をぽんと叩いた。

 

「魔導書よ! ライオネルが書いた十三冊の魔導書!」

「……なんですか? それ」

 

 ライオネル。十三冊の魔導書。

 ……エレンさんの旅についていって、何人かの魔法使いとも交流はしたし、勉強もしたけれど……それに関しては聞いたことがないわね。

 

「んー。私も詳しいことは知らないんだけどね。この世界のどこかにはライオネルの書いた十三冊の魔導書があって、その本はどれも読むだけで魔力の扱い方がわかるようになるんですって!」

「!」

 

 読むだけで、魔力の扱い方がわかるようになる?

 そんなことあり得るの? あり得たとしたら……その魔導書は、今のわたしにとって最も価値ある書物に違いない。

 

「え、エレンさん。あ、先生。その本は、どこに……?」

「さあ。ライオネルはばらまいたって言ってたしねぇ……あーけど、魔力の多い所に行けばあるかもって言ってたかしら……?」

 

 魔力の多い所。

 ……龍脈。霊脈。霊地。そういう場所にあるってことかしら。

 でも、さすがにそれだけで調べるには情報が少なすぎるわね……。

 

「だから、大丈夫よ。ウントインゲ」

「!」

 

 わたしは真剣に考え込んでいたが、エレンさんはいつものように優しく微笑んでくれていた。

 

「そういうマジックアイテムだってあるんだから。ウントインゲもきっと、立派な魔法使いになれるわよ!」

「……エレンさん」

 

 ……まだ、エレンさんは。こんな不出来なわたしのことを、気にかけてくれていたのね。

 わたし自身はもう諦めかけていたのに、エレンさんは……単なる励ましだったとしても、魔法使いになるための希望を示してくれた。

 

「……ありがとうございます。エレンさん」

「あら? あらあら、ウントインゲ? な、なによー、泣かないでよー……」

「ふふっ……ごめんなさい。大丈夫ですから……」

 

 ……読むだけで魔力が扱えるようになる魔導書かぁ。

 本当にあるかどうかはわからないけれど、もしそんなグリモワールがあるのだとしたら……草むしりをするよりは、それを探し出すことを第一目標にしても良いかもしれないわね。

 

 うん。ちょっと元気が出てきたわ。

 十三冊の魔導書。……うんうん。気になるわね。久々に、がっつりと調べ物に没頭してみたくなってきた。

 次に大きな街を訪れたら、本格的に探してみるのもありかもしれない。

 

 


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