東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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それはまるで王家の乳飲み子

 

 砦の窓から、湖の様子が見える。

 

 不気味なほどに青い湖面には魔力光が浮かび上がり、それを両端から張るような動きで、不出来なゴーレムが働いている。

 手には奇妙な光を発する石を持っているらしい。あれは高純度の砒素系触媒であろうが、“風の縄”を抜け出せないアリス・マーガトロイドが精製できる類の魔法素材ではない。

 

 作ったのは、畔に佇んでいる魔人、ルイズか。

 

 それとも、湖の中央で浮遊しているライオネル・ブラックモアか。

 

「……あはっ」

 

 決まっている。

 当然の答えに無意識の嗤いが出てしまった。

 

 ……魔界と現世を繋ぐなど、生半可な魔法使いにできるはずもない。

 そして魔法に無関心な神々にさえ可能な技術でもない。

 ルイズの魔法技能は非常に高いように見えたが、それでもこの私を上回るものではないだろう。

 

 だが、ライオネル・ブラックモア。

 あの不気味で不可解な存在であれば、実践できたとしても何ら不思議ではない。

 

「なにせ、“虹色の書”や“生命の書”を生み出した本人なのだからね……」

 

 私の手元には鮮やかな水色の書物と、同じサイズの薄汚れた書物があった。

 

 魔力を持つ者にしか開くことができず、魔力を御せる者にしか読み続けることのできない果てしなきグリモワール。

 長らくこの二冊の書物を読み続け、そして書の完成度に圧倒され続けてきた私であったが、今日ようやく、このグリモワールの作者に出会えた。

 

 私の名はマーリン。

 いや。今は隠居した、ただのメルランと名乗るべきかしらね。

 

 ……私は今日、魔法の最奥に蠢く正体を見つけたのである。

 

 

 

 私は半神と半魔の間に生まれた子供だった。

 聖女と妖魔と言い換えても良いだろう。

 とんでもない雑種として授かった命ではあったが、幸運にも両者の持つ丈夫さと魔力の適正、そして些細な能力(ギフト)もあったため、私は一部の人間に迫害されかかる以外にはこれといった問題もなく幼少期をやり過ごすことが出来た。

 

 そして……それから……。

 

 ……うーん。

 いや、昔話はやめようかしらね。

 

 どうせ私の人生なんて、そう大したものではない。

 馬鹿な人々をせせら笑い、馬鹿正直な猪を唆して宰相ごっこをしていただけに過ぎないのだ。

 

「くふっ……」

 

 ああ。

 今思い返してみても、本当にくだらない日々だったわね。

 

 あの頃の私は自らを全知全能であると信じて疑っていなかったし、自分は常に王様のもうひとつ上の次元にいるものと考えていた。

 狭い世界の内にいて比較対象がいなかったと言えばそれまでだろうけど、滑稽なことに変わりはない。あの時の私を見た神や悪魔も、きっと大勢いることだろう。

 そして私は今でさえも、魔法使いの父だの母だのと持て囃され、あたかもこの分野の最先端であるかのように喧伝され続けているのだ。

 

 それを、私自身受け入れていた時期があったのだから、本当に面白いことよね。

 この国の魔法文化をより推し進めていくだなんて、大言壮語もいいところだわ。

 

 私が魔法を推し進める?

 

 あはっ。

 我ながら、本当に面白いことを言ったものだわ。

 

「推し進めるべき魔法など、どうせあと何千、何万年は出てくるはずもないというのにね?」

 

 光り輝き始めた青い湖を眺めつつ、私は笑った。

 

 そう。私のような木っ端魔法使いが探れる魔法など、当分の間は出てくるはずもないのである。

 その上、数千や数万というのも、私が試算した最低限の数値でしかない。

 ともすれば魔法の未知などは、数十万、数百万の年月を経たとして現れる保証はないのだ。

 

 ……書物は。

 ライオネル・ブラックモアの書き記したこの書物には、それだけの“奥行き”がある。

 

 人の身では決してたどり着くことのできない、宇宙の闇のような奥行きが。

 

 ……うふふっ。

 私はその闇の果てへとたどり着くまでの間、人間たちの間で“最高峰の魔法使い”として讃えられ続けるのかしらね?

 

 それは名前だけの最先端だというのに。

 実際は、道半ばも甚だしいただの見習い魔法使いだというのに。

 

 私の名前は独り歩きして、きっと何らかの象徴となってしまうのだろう。

 

「あははっ、あははははっ」

 

 滑稽。

 本当に滑稽だわ。

 

 ねえアリス。難解にすぎる作業を取り繕った訳知り顔で見つめているだけのアリス。

 貴女はおばかで、滑稽だけれど。

 それでもきっと、滑稽さで勝負したら私に勝つことなどできないのでしょうね?

 

 貴女がどれだけ大人ぶっていたとしても、王様ぶっていた私を越えることなどできやしないのだから。

 

「……ああ。本当に今日は。天気も良くて。最低最悪の厄日ね?」

 

 見上げれば、遠方の空に小さなドラゴンの影が見える。

 あれほど巨大な鳥は、この荒野には存在しない。

 きっと、ライオネル・ブラックモアに追いやられた赤い竜が帰ってきたのだろう。

 

 湖に視線を戻せば、どうやら同時に扉とやらの設置作業も終わったらしい。

 三人が帰り支度を始めている様子が見て取れる。

 

 以降の予定を聞いてなどいないけれど、この辺りには他に見て回る場所も無い。彼ら彼女らは、そのままどこぞへと行くのだろう。

 

「ふふ。三人仲良く、さっさと帰ってほしいわね?」

 

 何分、私は他人が嫌いなのだ。

 力のない奴はどうしようもない馬鹿に見えるし、力のある奴は近くにいて惨めな気持ちになる。私は一人でいるのが一番なのだ。

 

 だから私は、この忌々しい書物を再び開いて、今日も終わりの見えない、足跡をなぞるだけのお勉強を再開する。

 

「あは。ほんと、面白い人生だわ」

 

 陰気な風に吹かれながら、私は陽気にせせら笑う。

 

 湖の水没砦には、ほどなくして追いやられた(ウェールズ)赤き竜(レッドドラゴン)が舞い戻ってくるだろう。

 そして私は、あの頑固なドラゴンが何らかの不幸によって鱗を落としてくれるのを、また再び待ち続けるのだ。

 

 竜の素材は万病を打ち倒し、真の不老不死を与えるなどという、子供じみた根も葉もない伝承を確認するために。

 

 


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