月明かりの下で、闘いは始まった。
『害虫を駆除せよ!』
「ォオオッ!」
煤と灰から生まれた覡が、両刃の黒剣を手に押し寄せる。
その数、不明。少なく見積もって四、五十であろうが、今もなお地中から次々に姿を現している所からして、際限は無いのだろう。
ならば際限なく斬り伏せ続ければ、皇紫の力も尽きるやもしれぬ。だが、神との根比べなどあまりにも悪手である。
我々の勝機はただ一つ。
敵勢を突破し、皇紫本体を叩くのみ。
「河勝さん、足元にご注意を!」
「おうよ!」
私はいち早く駆け出し覡の軍勢と正面からぶつかりあった。
「ォオオオッ!」
「地獄へ還るが良い!」
だが、鎧袖一触。煤仕立ての黒剣など、見てくればかりの玩具に過ぎぬ。
私は薙刀を振るう度に前方の覡達を膾切りにし、相手に近づく暇も与えず切り込んでゆく。
「あらあら。それだけ脆いと、この術はやりすぎだったかもしれないわね?」
「!」
そろそろ左右からも襲い掛かってくるか、と構えたその瞬間、背後から波の音が聞こえてきた。
波。それも、激しい波だ。高く強く押し寄せる……津波にも近い、暴力的な波。
「ふっ……!」
私は薙刀で素早く地を突き、宙へと跳ぶ。
すると私の足元を、いや、押し寄せる覡をも飲み込む程に広域を、黒い“波”が押し寄せていった。
「ォオッ……!」
「ォオオオオ!」
墨汁を薄めたような色の波は独りでにうねり、荒れ狂い、覡の群れを浚い、翻弄する。あるいはあれだけでも、大部分の者が砕け散ったであろう。
青娥め……まさか、このような術を隠し持っていようとは。
「だが、味方であれば心強い、なッ」
「ギェッ!?」
地は青娥が圧倒した。
ならば私は、人外の跳躍力でもって青蛾を叩こうとする連中を斬り落とすのみ。
煤人形はそれぞれ優れた身体能力を持っているようではあるが、身体自体は脆く、弱い。黒剣に限っては多少の手応えを感じるものの、胴体や頭に関しては大したものではない。
私の薙刀は、目の前に立ちはだかる雑兵達を等しく蹴散らしていった。
そして覡を突破した先に、ついに護衛無き皇紫が現れる。
青白く輝く細い躰。虫の頭。紫の翅。
化物め。
このようなおぞましい神など、断じて認めぬ!
『
「貴様が作った偽りの神話を、今宵終わらせる!」
私は中空にて薙刀を振るい、皇紫は腕を振り抜いた。
刃と細長い腕が衝突し、鉄同士で打ち合ったかのような快音が鳴り響く。
力は拮抗……しないっ……!?
「ぐうっ!?」
全力で振りかざした一撃であった。
だがそれは皇紫の腕の一振りによって押し負け、私の身体は大きく吹き飛ばされてしまった。
風の力ではない。純粋な力をぶつけ合いの結果として、空中の私が投げ飛ばされたのである。
「な……」
その上、薙刀が折れた。
信じられぬことだ。私は全身全霊、全ての力を刀身にまで込めて放ったというのに……!
『ォオオオオッ!? う、腕が! 我の腕がッ!?』
いや。いや、効いている!
断ち切ることこそ叶わなかったが確かに! 私の薙刀の一撃は、奴の腕に深い傷を見舞ったようだ!
『よくも、よくもこの皇紫に!? 貴様、万死に値するッ!』
細い腕に刻まれた傷からは、薄紫色の輝きが漏れている。
奴の怒りっぷりから見て、どうやら相応の痛手だったらしい。
私の攻撃が効く。そして奴は近距離戦においては戦い慣れていない。それさえ解れば充分だ。
薙刀はただの長棒になってしまったが、その程度であれば……。
『蝶よ、奴を飲み込め! 穢れの淵に叩き込め!』
「む……!」
だが、皇紫は新たな動きを見せ始めた。
周囲に渦巻く地獄蝶の群れの一部を操り、私の方へと直接けしかけてきたのである。
蝶の軍勢はコウモリの群れのように自在に宙を舞い、私に狙いを済ませた直後、濁流のように襲いかかる。
私は蝶の群れに対し、懐の扇子を構えたのだが――
「あらあら、魚群の真上を堂々と。猛々しい虫ですこと」
足元の黒波から無数の鯉が跳ね上がり、私に向い来る蝶達をあっというまに飲み干してしまった。
私が扇子で跳ね返す間も、長棒で打ち払う間もない。見事な仙術だ。
「河勝さん、雑多なものはお気になさらず、本体を!」
「ああ、任せた!」
覡と蝶。どちらを相手にするのも不可能ではないが、皇紫と直接対峙するとなればやり辛い。
だからこそ、青蛾がそれらを受け持ってくれるのは有難かった。
「ここで……男を見せねば、なッ!」
『おのれぇえ! 何故死なぬ! 何故滅びぬッ!』
着地の間際、長棒で浅い海底を突き、再び宙へと舞い戻る。
「生き意地が汚いのだ! この私はな!」
私はそのままの勢いで長棒を肩の上に構え、勢い良く皇紫へと投擲した。
『ぬうっ……!』
穂先はない。仕掛けもない。投げたのはただの棒切れに過ぎなかった。
それでも、傷を負った時の記憶が蘇ったのだろう。皇紫は刃無き薙刀を撃ち落とすこと無く過剰に避けてみせた。
その一瞬の隙を見たかったのだ。
その、何の技巧も、理論もない臆病な動きを、確認したかったのだ。
「静木よ、度々感謝する。お前がくれたこの二つの扇のおかげで……」
右手に扇を。左手にも、同じ扇を。
静木より譲り受けた二つの扇子を手に、私はそれらを巧く仰ぎ――。
「――こいつと、戦えるのだからな!」
『!』
豪風に乗った私は一瞬で距離を詰め、皇紫の頬を蹴飛ばしたのであった。
『な、に……!』
全力で風を起こすことで身体を運び、その勢いに任せた上で、全力で蹴りを叩き込む。
力の浪費が著しい技ではあるが、その分、皇紫には響いたようだ。
『ォオオオッ!』
頬を蹴飛ばされ、一瞬唖然としていた皇紫であったが、すぐさまその強靭な腕を振るってきた。
が、全力の殴打は虚しく空を切る。
「ここだ!」
私は既に扇のもたらす風により、わずかに上へと昇っている。
そして、再び扇を閃かせれば――。
「はぁっ!」
『ぐォッ……!』
一瞬にして皇紫の側面に着き、すかさず蹴りを叩き込める。
奴の負傷した腕の傷口目掛けた蹴脚は、奴に相応の苦悶を与えたようだ。
これぞ、私の最終奥義。
二つの扇子によって宙を舞い踊り、あらゆる場所から蹴りを放つ……私が編み出した究極の武術だ。
瞬間的に何度も方向を捻じ曲げるために全身に大きな負担がかかる上、力が根こそぎ奪われていくために長くは持たないが、短時間で見れば圧倒的な破壊力を発揮する。
『お、おのれ、ちょこまかと』
「ふんッ」
『ォオオッ!?』
舞い、背後へ。無防備な足元へ全力の蹴り込み。
『ぐォッ……! 小賢し……ォオオオ!』
がむしゃらに振るわれる腕を縫うように避け、中空を舞い、側頭部へと蹴り。
舞いと蹴り。回避と蹴り。
私は自身の力が目減りしてゆくのを実感しつつも、着実に何度も、何度も何度も全力の蹴りを見舞ってゆく。
皇紫は頑強であったが、私が一撃を与える度にその身からは光が弱まり、紫の翼は色褪せてゆく。
『羽虫が、害虫がッ、この我を足蹴になどッ……』
地上に続々と生み出される覡は波に砕かれ、空より襲い来る蝶もまた青娥の生み出す鯉に飲み込まれ、あるいは私の舞の余波により散っていった。
『我は、最も……!』
「貴様は力を掴んだだけの暴君だ」
細い腕は空振り、双翅の紫鱗がはらはらと剥離する。
紫だった翅からは、いまやその高貴な紫色の全てが剥がれ落ち、膿のような淡黄色に脈動する血色の線が走るだけの、醜いものに変わり果てていた。
『我はぁああッ!』
「技もなく情もない! 貴様はただの、翅の乾かぬ、愚かな
『黙れ
魂からの絶叫と共に、皇紫は僅かに後退した。
そしてほとんど樹皮のような色合いだった身体が僅かに輝き、二枚の羽が大きくはためく。
『ォオオオオ――!』
風。力こそ衰えてはいるものの、それは紛れもなく神の風を起こす合図。
今や力のほとんど振り絞った私にとって、至近距離からの直撃は死を意味していたが……。
「風は、効かん」
『ォオ、ォオオ……!?』
とっさに足元へ転がした風滅器が、それを掻き消す。
私の目の前には翼を広げ、風攻撃のために無防備に丸めた皇紫がいる。
「
神秘の力によって創り出された無風地帯。そこではもはや、おそらく私でさえも扇で舞うことは叶わない。
だが、今手元にあるこれならば。
地に押し当てるだけで即席の刀身を生み出すこの“土剣の柄”であれば。
奴の息の根を止められる。
「あるべき
『や、め……』
硬質な黒い土の剣が、まっすぐ皇紫の胸に突き立てられた。
『ォ……ォオ……ォ……』