東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 押し寄せる爆風の津波は、静木の扇によって一部分ではあるものの、穿つことが叶った。

 全身全霊、死力を尽くして振るった一陣の風だ。それでも爆風の一部分だけにしか拮抗できないのだから、奴の力の底知れなさが伺える。

 

 だが、それでも突破口は開いた。

 あとはこじ開けるのみ。

 

「さて、蝶には何が効くかしら――」

 

 青娥はその華奢な身体に見合わぬほどの速力で、皇紫へと接近してゆく。

 爆風をいなされたことが意外だったのか、それとも迫りくる青娥の速度に圧倒されたのか……理由はともあれ、皇紫はその一瞬だけ、反応できなかった。

 

「――ひとまず、八つほど試してみましょうか?」

 

 青蛾の妖術はその隙を得て、十全に発動した。

 四色の光球、二色の煙鞭、二本の長針。

 各々の効果までは私にもわからない。しかしそれらは、およそ常人には見きれぬ程の速度で放たれた。

 当たれば、人には耐えきれぬ害を及ぼすであろうことは想像に難くない。

 

「避けないのね」

 

 その全てが皇紫の巨躯に命中した。

 

 光球からは細長く眩い爆炎が噴き、煙は虎を形取って手足に食らいつき、針は妖しげな闇を帯びて腹部に衝突した。

 

『……風。風ごときで、我の羽撃きを凌いだのか』

「!」

 

 が、無為。

 皇紫はその身に受けた多くの攻撃を意に介した風もなく、その場に佇んでいる。

 

 ……青娥の攻撃は、かなりの火力があったはず。

 少なくとも私が今まで生きてきた中では、かなり上位に登るほどには見事な術であった。

 だというのに、まるで効いた様子がないとは……。

 

『世の風を統べるは、この皇紫のみ。身の程を知れ、些末な(ゴミ)よ』

「まさか、無反応だなんて……!」

 

 その上、攻撃を行った青娥には目もくれていない。

 

『なれば。高貴なる神の羽撃きを、今一度見せねばなるまい』

 

 巨大な紫の翅を動かすことも無く、皇紫が静かに浮き上がる。

 だが奴の全身から発せられる神気は刹那毎にも高まり、太陽の如き輝きを讃えてゆく。

 

 あれは……まずい!

 

『万物を理の彼方へと消し跳ばす、真の風を……』

 

 簪を握り、直接攻撃を試みようとしていた青娥が踵を返して退避を選択した。

 いや、私でさえもあの場にいれば同じようにしただろう。むしろ、ある程度の距離がある私でさえも、更に間合いを取りたい程度には恐ろしい。

 

 悪寒が止まらない。そして、自分の死の気配がより高まってゆく。

 

 ――次にくる攻撃は、これまでの比ではない。

 

「あれとやりあうくらいなら、地獄蝶の群れに突っ込む方が安全ですね……!」

 

 同じく退避を選んだ私の隣に、白い顔の青娥が並んだ。

 残念ながら同意見である。あの怪物は、あの神は……まともに遣り合って、勝てる相手ではない……!

 

『常世の蝶の羽撃きが、現世を紫燐の業火で包む――』

 

 紫色の双翅が神の光に満ち、高く高く掲げられる。

 暴力的な神気が皇紫に収束し、弾けることなく膨張と凝縮をし続ける。

 

 私と青娥は逃げている。全速力で距離を取っている。

 “あれ”が解き放たれた時、もはやヒトの防御など、何の意味も成さないからだ。

 

 だが、我々の身体能力が常軌を逸しているとはいえ、走った程度で緩和できるものとも思えない。

 今もなお膨らみ続ける暴威は、軽くこの町複数個分を消し飛ばせる程であろう。

 

「仙界に、繋がらないっ……!? ここ一帯、全てが蝶の支配下だというのっ……!」

 

 隣の青娥も、きっと単純な距離を取っただけで生き残れるとは思っていまい。

 故にこの逃走は、本能的な畏れが成す精神的な逃避でしかないのだ。

 

「逃げは、止めだ!」

「ええ! ……もはや策も無いですが……!」

「無策に走るよりはマシというものだがなっ!」

「同感です……!」

 

 私と青娥は同時にそう結論づけ、瓦礫の上で急停止した。

 もはや敗走も叶わない。ならば望み薄であろうとも、別の方策を無理矢理にでも立てるのみだ。

 

「奴の能力か充満する神気によって、仙界への移動ができません! なので不本意ではありますが、防御用の結界を構築します……気休めですけどっ……!」

 

 遠方には、宙に浮かび上がった輝ける蝶の神。

 だが肌を突く神の威容と、視界を歪ませるほどの神力の凝集は、その距離が持つ一般的な意味や安心を、尽く薙ぎ倒すものであろう。

 青娥は力の解放に備えて防御結界を構築しているが、本人の言う通りそれが保つとは思えない。

 

「ああ、ならば私は身を隠す穴を掘ろう! こちらも気休めだがな……!」

 

 かといって今私がやっている全力の穴掘りも、どれほどの効果を成すかは甚だ疑問である。

 

 だが、逃げる以外の策といえば、もはやこの他には思い浮かばぬ。

 結界を張り、穴を掘り潜み……、もはやそれが命を助けるものだと、祈るしか……。

 

『刮目せよ! これぞ、地獄の風!』

 

 神の宣言が木霊し、力の解放が遠方でひときわ強く輝く。

 

 掲げられた二枚の翅が振り下ろされる。

 それは莫大な風を生み、苛烈な紫炎を伴って全方位に放たれた。

 

 それは、死であった。

 ヒトの術では、僅かな窪みでは防ぎようもない、圧倒的な力による、純度の高い濃密な死の雪崩。

 

「……!」

 

 迫りくる力の奔流を見た青蛾が、力なく両腕を垂らしたのが見えた。

 その手に握っていた簪が、地に落ちゆくのが見えた。

 

 だが簪が地に触れるよりも先に、我々は死ぬのだろう。

 結界に身を隠そうとも、穴に身を潜めようとも関係はない。

 

 あれを防ぐ道具など――。

 

 ――!

 

 ――いいや!?

 

「あるかッ!?」

 

 私は、懐に忍ばせていた“それ”を青娥の足元に放り投げ、

 

「なにを――」

 

 すぐさま私は青娥の身を掻き抱き、

 

「……!」

 

 そして、神の暴威が到来した。

 

 豪風と紫炎。全てを消し飛ばす風と禍々しき紫の業火。

 それが……その暴威の雪崩が、まるで私と青娥“だけ”を避けるかのように、左右に割れて過ぎ去ってゆく。

 

 視界は輝きに包まれているが、熱は無く風もない。

 完全なる無風によって、私と青娥は守られていた。

 

「な、なぜ……これは……?」

 

 未だ流れ続ける破滅の濁流を見て、私の腕の中で震える青娥が当然の疑問を口にした。

 

「ああ……」

 

 答えは持っている。

 だが、それを答えたところで青娥が理解できるとは思えなかった。

 何よりも、この私自身でさえ、何一つとして理解できていないのだから。

 

 私と青蛾の足元に置かれた、小さな木製の小物。

 三本の脚と、その上部に梁を渡しただけのような、一見すると簡素極まる工芸品にしか見えないそれ。

 しかしこれこそが、私と青娥を死滅の暴風から護り続けているのだ。

 

「これは……風滅器、というらしいな……」

「風滅、器」

 

 かつて。

 そう、かつて、静木より破格で買い取った怪しげな品の一つ、風滅器。

 

 この小さな玩具の上にあるものは、風の影響を受けないと、奴はそう説明していたが……。

 

「これは、なあ静木よ。……なあ、お前は一体、何者なのだ……?」

 

 どうやら奴の言う“風”とは……神が全力で起こした死の風でさえも、退けてしまうらしい。

 

 


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